21 現状ではどうにもなりません
「どうして黙ってたんだよ。タイムがいなくなったこと」
頬を膨らまして、マロウが責める。アロエもそれに同意する。何故こんな大変なことを彼らが各層としたのか分からない。
「事態を大事にするのを避ける為です」
そう答えたのはフキだった。
だが、それだけで納得出来るわけがない。恐らくアロエとマロウは同じ顔をしていたのだろう、バームが口の端を上げた。
「じゃあ、お前ら聞くが、タイムがいなくなったと知れ渡ったらどうなると思う?」
「……大騒ぎになるよね」
「あぁ、特に父さんが」
ようやく子供たちは気付く。
この数日間で自分たちの父がどんな存在か、生まれて初めてはっきりと自覚した。魔界の住人にとって魔王の言葉の一つ一つが重く、絶対だ。力有る者に従う。その頂点にいるのが、自分たちの父であるフェンネルだ。
例え発せられた命令がどんなに理不尽な物でも、魔王がそう言えば魔界を故郷とする者達は従うしかない。
「有名だかんな、フェルの親バカは」
バームが重大さの欠片もないような軽い口調で言い放つ。
「かなりの人数が痛い目にあうだろうな。ま、さすがに極刑まではいかんと思うけどな。それでも、ちょっとした騒動にはなるな」
後半の言葉は、真剣みが帯びていた。バームの目つきが、いつの間にか真面目な物になっていたのを、アロエは気付く。
「それだけでは有りません。いや、むしろこちらのほうが重大だと私は思います」
彼らがタイム失踪を隠さなくてはいけないと思った最大の理由。それはタイムの婚約話だと断言した。
「はぁ? それどころじゃないだろ、何でそっちのが重大なんだよ」
マロウの呆れるような言葉に、アロエも頷く。元々、タイムの婚約話がきっかけでここに連れられて来たものだ。正直に言ってしまえば、解消できるのならば解消されればいいとさえ思っている。
「そう簡単に破棄出来ないんだよー。一度結んじまった『契約』は」
「どういうこと、バーム?」
「お前たちも覚えておいたほうがいい。ココじゃ約束事──『契約』は重いんだ」
無論、軽いものであれば特に心構える必要はない。だが、大きいものとなるとその性質は変わる。魔界における契約は端的に言えば、合意した呪詛に近い。
一方的に破棄するとなれば、相手に自身の魔力を差し出すことになる。これは契約時に交わした宣誓が、お互いを縛る魔法となるからだ。魔法を解くには、己の魔力を相手に差し出して魔法を打ち消すのが一番の方法だ。
「王女が消えたので婚約を破棄したい、と言えば陛下の魔力をサイプレス家に差し出さねばならない」
そうなると、どうなるか?
「場合によっちゃ、フェルは魔王の座から引きづり落とされるぞ」
「そ、それは言いすぎだろ? 魔力を差し出すなんてそんな大した量を渡すわけじゃないんだろうし」
「そんな大した量なんですよ、マロウ王子」
契約の力が強大になればなるほど、譲渡する魔力は巨大になる。そして、今回の一件は正にそれなのだ。
魔界に生きる者の多くが上昇志向が強い。そんな彼らにとって、権力に直結する強い魔力は何よりも欲するもののだ。
「じゃあ、何で父さんはそんな契約なんかしたんだよ!」
フェンネルはタイムを溺愛している。そんな彼がタイムの婚約を推し進めるとはとても考え難い。
マロウの言葉に、大人二人は一様に変な顔つきになった。困ったような呆れているような、そんな顔だ。
「あー……フェルはなぁ」
「……陛下はな」
どこか言葉を濁し気味に言われ、アロエは首を傾げる。が、マロウの怒りを注ぐには充分だったらしい。
「だから、話すんならさっさと言えよ!」
勢いよく机が叩かれ、未だ飲まれないままであったマロウのカップに注がれたミルクがわずかに零れた。
それでもしばらく大人二人は顔を見合わせていたが、やがて同時にため息をはいた。
「契約をしたのは、フェルじゃねぇ」
「先の魔王陛下です」
つまり、契約者はアロエたちの祖父ということだ。彼はアロエたちが産まれる十数年も前にすでに亡くなっている。
そうなると、彼はまだ見ぬ孫娘を契約に持ち出したということになる。
どうゆうことか理解出来ずにアロエはただ言葉を失う。マロウもそうだったのだろう。口を半開きにしてバームたちを見つめていた。
奇妙な沈黙の中、口火を切ったのはフキだった。咳払い一つして彼は説明を始める。
「私も父に聞かされたことでしか知りませんが、どうも前魔王陛下はサイプレス殿を気に入られたらしく……」
魔力の枯渇しかかったサイプレス家に恩恵を与えるためだろうと、フキは推理する。
前魔王は息子が一人しかいなかったため、孫にそれを託したということだ。そして、当時すでにサイプレス当主も婚姻していたために、彼の子が魔王の血族と結ばれることを了承した。
サイプレス家に男子が産まれれば孫娘を、女子が産まれれば孫息子と婚姻させると契約が記された文書に綴られていた。
詳細が聞かされても、アロエはまだ実感出来ずにいた。まるで物語の出来事のようだ。恩賞として家族を部下に渡す。肖像画でしか見たことのない祖父に恐怖を感じた。
祖父は、彼はそんなに冷血な人だったのだろうか。
「まぁ後先考えないお人だったから、その場のノリで契約しちまったんじゃね?」
さらりと放たれたバームの言葉に、アロエとマロウは同時に絶句する。
「その場のノリって……」
「嘘だろぉ」
さすがにバームの悪質な冗談だろうと、すがるようにフキを見れば彼もまた何とも複雑な表情を浮かべていた。
「確かに、豪胆なお方でありましたが、恐らく前王にも何か思惑があったのでしょう」
普段の淡々とした口調とは打って変わって、しどろもどろとした声音だった。そんなフキの弁護を、バームは人差し指を振って否定する。
「文書を机の引き出し奥にしまいっぱなしで? 絶対あの人、酔っぱらって口にしただけだろう。第一、サイプレス殿が言わなかったら、この契約自体誰も知らなかったじゃないか」
「それは……まぁ」
フキはしばし思案の色を浮かべるが、やがて呆れ気味に言った。
「前王ですから」
弁護を諦めたようだ。
「え、すると何? タイムは俺らの祖父さんが酒の席で思いつきで決められた結婚をさせられるわけ?」
身も蓋の無いマロウの言葉に、大人二人は頷いた。
「何だよ、それ。本当に何なんだよ」
憤りが一周してしまったらしく、マロウは脱力気味にそう呟いた。
ふと、アロエはあることを思いついた。
「もしも、向こうも契約を守れなくなったらどうなるんですか?」
「その場合は無条件で契約が破棄出来る。何の代償も無しに、な」
「! じゃあそれをしようぜ」
突然提示された解決法にマロウは目を輝かすが、フキが首を横に振った。
「先ほど説明した通り、サイプレス殿が契約の破棄を申し出る可能性は万が一にもあり得ません」
何よりこの婚姻話が再び浮上したきっかけはサイプレス側からの申し出だったそうだ。
「向こうが折れるようなことは無いでしょう」
断言するフキに、マロウの背がみるみると丸くなった。唇を尖らせて不満げに言う。
「どうして祖父さんが交わした契約なのに、父さんが代償を払わなくちゃいけないんだよ」
「契約者は前王でも、対象となるのが家同士だからさ。だから、前王からフェルが契約を引き継いだという扱いになっている」
机の上を指でなぞりながらバームが解説してくれた。
これは遺産のようなもので、どうあがいても自動的に受け継がれてしまう。
「契約を代償無しに破棄するには、両者の合意が必要なんだがなぁ」
「サイプレス殿は首を縦には振らないだろう。それぐらいに、彼は血族を強めることを渇望している」
どちらに転んでも、サイプレス家の一族に強い魔力が入ることになるだろう。
「だからって、タイムを結婚させるつもりなのか? そんなの大人の勝手じゃないか」
忌々しい、といった声音でマロウが吐き捨てる。
「何か良い解決策はないんですか? タイムも父さんも無事でいられる方法が……」
すがるようにアロエは言ったが、バームたちからの返答は無い。
このままだと、どちらも可哀想だ。タイムは望まぬ婚姻を、あるいは父の魔力が奪われてしまう。いや、それよりもタイムは無事なのだろうか。
勝気な姉だが、ああ見えて怖がりなところがある。はたして大丈夫だろうか。
そもそも自分から逃げ出したという確証も無いと、先ほどフキたちの言にもあった。何者かに連れ去られたという可能性もあるのだ。
考えれば考えるほど悪い想像が頭に着く。
じんわりとアロエの目じりに涙が浮かぶ。
そんな弟の姿に喚起されたのか、マロウが拳を机目掛けて叩きつける。
「そうだよ! 何とかならないのかよ。俺たちだって協力するからさ」
「あー、気持ちは嬉しいがその、なぁ」
言いよどむバームを遮ってフキが口を開いた。
「現状ではどうにもなりません。貴方がた力ではどうしようもないのですよ、マロウ王子」
冷たく断言するフキに、バームが慌てる。
「お、おい、そんな言い方すんなよ。相手は子供だろうが」
「子供と思って侮るな、では無かったのか、バーム?」
じろりと睨むように見上げるフキに、バームは自身の後頭部をかきむしる。
「確かに言ったが、それとこれは違うだろう」
渋い表情を浮かべるバームに向かって喰らいついたのはマロウだった。
「お、俺たちは子供じゃねぇぞ!」
彼は兄弟の中では一番子供扱いをされるのを嫌うのだ。結果的にバームの言葉はマロウを挑発してしまったことになる。
頬を上気させ、マロウは噛みつくように怒鳴った。
「子供だから出来ないなんていうなよ! 差別じゃねぇか、それ」
「差別ではありません。区別です」
「何だと?」
マロウの視線は刃物のような鋭さでフキを射す。こんな視線が自分に向けられたらと考えると、アロエは想像だけで震えあがった。
が、フキは微動だにしない。彼は静かにマロウの視線を受け止めている。まるで大したものではないと分かり切っている様子で。
「マロウ王子。はっきり言ってしまえば、貴方は戦力にはならない。無論、アロエ王子もです。何故なら、知識と経験が足りない」
つい最近まで兄弟は人間界にいた。彼らの育児教育はセリが行っていた。だが、それらは人間界で生きる上のものだ。魔界で生きるとなると、また別の作法が生じてくる。
いくら生まれつき高い魔力を持っていてもそれを磨くことのないままであれば意味が無い。魔王の子として生まれながら、彼らはそれをすることなくのびのびと育てられた。
今から根を詰めて勉学に励んでも、時間が足りない。そういている間にも事態は悪化していくかもしれない。
「はっきり言ってしまえば、今の貴方がたでは足手まといにしかなりませんよ」
何も言い返せなかった。フキの言葉は言外に、発言権が欲しければ力を付けろという意味合いを含めているのだろう。
戦力として認めてほしければ魔王の子として相応しい力を身に付けろ、と。
気まずい空間の中で、バームの呑気な声が響いた。
「ま、とりあえず俺たちに出来ることは待つことだけだ。アイツからの報告をな」
【続】




