自由
「何をしに来た、荷物運び」
長年の悲願を目の前に死ながら、それが頓挫しかかっている苛立ちを、アレマンはドライオにぶつけた。
「我らは今、命懸けの戦いの最中だ。邪魔をするな」
「別にあんたは命かけちゃいねえだろ」
ドライオは半笑いでアレマンの言葉を一蹴すると、そのまま彼の横をすり抜けて、倒れているスティルに歩み寄る。
「大丈夫か」
「触るな」
スティルは鮮血混じりの唾を地面に吐くと、苦しそうに顔を歪めてドライオを睨んだ。
「目障りだ。失せろ、ロートル」
「おう。それだけ言えるなら大丈夫だ」
ドライオはからりと笑うと、今度はのしのしとルシアに歩み寄る。
「ルシア、交代だ。俺と代われ」
ルシアの隣に立ち、ドライオは背負っていた戦斧を下ろした。
「わざわざ殺されに来たの? おじさん、バカじゃないの?」
ルシアは険のある笑みを浮かべた。
「でもちょうどよかった。おじさん、一瞬でいいからあいつの注意を引いてよ。私はその隙にあいつの脇腹にもう一発叩きこむからさ」
「効かねえと思うぜ」
ドライオは言った。
「ま、やりてえって言うなら止めねえけどな」
「……あんたに何が分かるの」
「まあ、俺は正面からいくぜ。ほら」
ドライオは鉄巨人を指さしてにやりと笑う。
「あいつも俺の方がいいってよ」
「え」
ルシアは目を見開く。巨人が、剣をまっすぐに突き出している。その切っ先の向いている相手は、ドライオだった。
「そういうわけだ。戦いは本職に任せな」
「本職? 戦士ってこと?」
ルシアはドライオを睨む。
「私にだって勝てないくせに」
ドライオはそれに答えず、斧を肩に担ぐと大股で鉄巨人に近づいた。
「おお、でけえ」
巨人の目の前に立ち、見上げる。
「こんなでけえ敵は鬼以来だな」
「虚勢を張るな、ドライオ」
後方から、アレマンの声が飛ぶ。
「我らの戦いを見ていなかったのか。鉄巨人はお前ごときがどうこうできる相手ではないわ」
「だから、我らって自分を含めるなよ」
ドライオは苦笑する。
「さあ、来な」
ドライオは腰を落とし、斧を構えた。鉄巨人も自然な動作で両足を開くと、剣を構えた。向かい合う、巨人と戦士。
「そんな男、一撃で切り飛ばされるぞ」
アレマンが叫ぶ。
「ルシア。その隙を突け」
ルシアは頷く。
アレマンの言ったことは正しい。ドライオが巨人の剣で斬り捨てられるその瞬間、巨人の脇腹は無防備になるだろう。それが起死回生の一撃を叩きこむチャンスだった。
ルシアはいつでも巨人の懐に飛び込めるよう、向かい合う二人の側面に静かに移動する。
「近寄らねえほうがいいぞ、ルシア」
巨人を見据えたまま、ドライオが言った。
「お前に気を使ってやる余裕はねえからな」
「何を」
偉そうに。ルシアがそう言おうとした瞬間、鉄巨人がドライオに向かっていきなり踏み込んだ。人ではありえない大きな歩幅。しかし、歴戦の剣士のような滑らかで無駄のない動きだった。横薙ぎの剣が唸りを上げる。
今だ。ドライオの身体が両断されるその瞬間に、飛び込む。ルシアは両足に力を込めた。
だが。
岩と岩がぶつかり合うような音が荒地に鳴り響いた。
ドライオの戦斧は鉄巨人の剣を受け止めていた。そればかりか、次の瞬間にはドライオはそのまま反撃に転じていた。
唸りを上げる斧を、今度は巨人の剣が受け止める。と思う間もなく反撃。一瞬ごとに攻守が入れ替わる。二人の間を凄まじい速度で斧と剣が飛び交う。
「え……」
ルシアは目を見張った。隙を突くどころではなかった。攻防のあまりの速さに、踏み込む暇などなかった。うかつに近寄れば、二つの刃によってたちまちバラバラにされるだろう。
「なんで、受け止められるの」
ルシアは呟く。私よりもはるかに弱いのに。私もスティルも、あの剣を受け止められなかった。それなのにどうして。
ルシアの目の前で、ドライオはまるで巨人と互角の力を持つ戦士のように渡り合っていた。その身体が、巨人とあまり見劣りしなくなっていることにルシアは気付く。
「身体が……大きくなってる?」
ドライオの背丈は先ほどまでと変わらない。だがその腕が、脚が、背中と胸が、まるで違う。筋肉がさっきよりもはるかに太く、厚くなっている。
「ばかな。人の力だけで、鉄巨人と渡り合うだと」
アレマンが首を振る。
「四十過ぎであれば、戦争帰りだとは思っていたが。その身体。まさか」
不意に何かに気付いたようにアレマンは目を見開いた。
「まさか、あの最後の戦役の生き残りか。そうか、ドライオ。イルドファルの悪魔」
「……あ、そうか」
ルシアは唐突に理解した。彼女が食みムカデと戦ったとき、装具の微調整が必要になった。あれはドライオのせいだったのではないかと。
崖の上でドライオと力比べをしたとき、崖の縁まで追い詰められたドライオが最後に本気でルシアを押し返そうとした。次の瞬間にはルシアが身をかわしたので、勝手に自分で転がっていってしまったのだが。
だが、その一瞬だけ受けた、ドライオの本気の膂力。
おそらくただそれだけで、ルシアの装具は調整が必要なほどのダメージを受けていたのだ。
激しい音がした。
ついにドライオの斧が巨人の剣の速度を上回り、その刃が巨人の胸に食い込んだのだ。
ルシアが何度殴ってもひび一つ入らなかった装甲に、氷のようにひびが入った。
鉄巨人がきしむような音を立てて後退する。
「今だ、ルシア!」
スティルが叫んだ。
「とどめを!」
「来るな!」
同時に、ドライオが叫んだ。
ルシアの身体が反応したのはスティルの声の方だった。猛然と巨人に突っ込むと、がら空きになった脇腹目がけて、拳を叩きこむ。
その瞬間、鉄巨人の足が跳ね上がり、ルシアの胸を強く蹴った。胸甲がひとたまりもなく砕け、ルシアは吹き飛んだ。地面に叩きつけられた身体は、二度跳ねた。
「が、がはっ」
呼吸ができない。地面で喘ぐルシアを見て、アレマンが白髪頭を掻きむしる。
「バカが、あと一歩で! 寝ている場合か! 起きろ、あと一撃だ!」
ルシアの危険を顧みない攻撃で、鉄巨人の脇腹の損壊はさらに大きくなっていた。
装甲が剥がれ、動力である青い魔晶体はその複雑な形状がはっきりと分かるほどに露出している。
「ドライオ! この際お前でもいい! やれ!」
「うるせえじじいだ」
ドライオは吐き捨てる。鉄巨人の剣は変わらず鋭かったが、ドライオの戦斧はさらに鋭さを増した。
剣を弾き返し、巨人の胸に二度、三度と斧が食い込む。鉄巨人は後退し、徐々に前に出たのはドライオの方だった。
このままいけば、ドライオの勝利かと思われたとき。
突如、巨人の目ともいえる赤い光が激しさを増した。
「むっ」
何かを察したドライオは斧を引く。次の瞬間、巨人の振るった剣の速度は、それまでとは隔絶したものだった。
ぎりぎりで受け止めたドライオの身体が、弾かれるように後退した。斧を持つ両手から血が滲んでいた。
「それが最終段階か」
鉄巨人は剣を大きく振りかぶる。振り下ろされた剣を、ドライオは再び斧で受け止めた。
「うぐっ」
歴戦の戦士が思わず苦痛の呻きを漏らすほどの威力。
しかしドライオは、それでも不敵に笑ってみせた。
「どうした、古の巨人。全力を出しても、俺を斬ることはできねえのか」
鉄巨人は答えない。だが明らかに本気になったようだった。
巨人は、今度は剣を横に構えた。滑らかな、人のようだった動きが再び一変し、機械のぎこちない動きに戻っていた。
それは、この攻撃に機能のほとんどを振り分けたためであるように見えた。
巨人の肩がみしみしと音を立てた。次の瞬間放たれる、横薙ぎの一撃。あまりの速さに、肉体を強化したルシアにもその剣をほとんど目視することができなかった。
両断されるかと思われたドライオの戦斧は、その一撃にも耐えた。だが、さしものドライオも膝を震わせるようにして後ろによろけた。
「足りねえな、巨人」
それでもドライオは臆さなかった。
「もっとだ。もっと速く強い攻撃をよこせ。こんなもんじゃ俺は斬れねえ」
それに応えるように、巨人の目の赤い光がさらに激しさを増す。
再び、巨人は剣を横に構えた。振り下ろすより水平に振る方が威力が出ると判断したようだった。
「来い」
ドライオは言った。
「全部受け止めてやる」
巨人の目が激しく明滅する。肩と腰がぎりぎりときしむような音を立てた。
剣が振り抜かれた。今までで一番速い一撃。ここまで耐え続けてきた斧もひとたまりもなく砕け散るであろう威力。ドライオはそれを受け止めなかった。斧を投げ出し、のけぞるようにしてかわした。
空間そのものまで斬るかのような巨人の凄まじい一撃は、空を切った。
「ぐっ」
ドライオの胸から血が噴き出す。刃をかわしたというのに、その衝撃だけで皮膚が裂けたのだ。
しかし、それだけだった。巨人の剣は、老獪な戦士を両断することはなかった。
「悪いな。さすがにそれは受けられねえ」
ドライオは言った。鉄巨人は再び剣を構えようとしたが、その身体に異変が起きていた。
巨人の腰と膝から火花が上がる。それを追うように、右の肩からも。同時に白い煙が身体のあちこちから噴き出した。
火花と煙に包まれながら、巨人は痙攣するように身体をがくがくと揺らす。
「ルシア。お前の真似をさせてもらったぜ」
ドライオは倒れたままのルシアを振り返った。
「え?」
「本気の一撃をかわされたら、その力は全部自分に返ってくる。反動は自分が受けなきゃならねえ」
「さっきの……」
鉄巨人はそれでも何とか剣を構えようとした。だが肘からも煙が上がり、剣を取り落とす。
「でかしたぞ!」
アレマンが叫んだ。
「とどめをさせ! 魔晶体を抉り出せ!」
「俺にできるのはここまでだ」
ドライオは言った。投げ出された戦斧を持ち上げようとして、首を振る。
「手がすっかり痺れちまって、感覚がねえ。斧を持てねえ」
「何だと?」
「それに、見ろ」
ドライオは巨人を指さす。
全身から火花を散らす巨人の背中から、奇妙な触手のようなものが何本も伸びていた。
触手は腰や膝の関節へと伸び、青い光を当て始める。
六本もの触手が、最も損壊の大きい脇腹に伸びた。青い光が当たると、煙や火花が収まり傷痕が薄くなっていく。
「自動修復機能だ」
ドライオは言った。
「自分で自分を直しちまう。これ以上は俺にもどうしようもねえ」
それは無限の魔力に支えられた鉄巨人にだけ許された能力だった。
「バカな。ここまで来て直されてたまるか」
ついにアレマンは自ら駆け寄ってきた。
「私の悲願だぞ。世界に冠たる呪術師となるのだ。そのためにこいつらを鍛えたのだ」
「知らねえよ」
ドライオは肩をすくめる。
「俺の仕事は荷物運びだ。これでもずいぶんサービスしただろうが」
「ルシア! やれ!」
だが胸甲を砕かれたルシアは、もう人を超越した力を失っていた。骨が数本折れているらしく、まともに動くこともできない。
「役立たずめ」
アレマンはスティルを振り返る。
「行け、スティル!」
「もうやめとけ」
ドライオが言った。
「あんたたちは、こいつに勝てねえ。魔晶体とやらを抉り出す前に殺されるぞ」
「もう目の前だ! 手が届くのだ!」
アレマンは叫んだ。
「ここまで来て、おめおめと」
そのとき、ドライオの脇を黒い影がよぎった。
「えっ」
ドライオは振り向く。
目にもとまらぬ速さで駆け抜けたのは、スティルだった。両腕が折れているにもかかわらず、スティルは決死の形相で鉄巨人に飛びかかった。
「そうだ、やれ!」
アレマンが喚く。
「よせ!」
ドライオが叫ぶ。
スティルの籠手が光を放つ。自己修復を続けていた巨人がそれに反応した。スティルの突きが脇腹に炸裂するのと同時に、鉄巨人の腕がスティルの身体を枯れ枝のように吹き飛ばした。
「スティル!」
ルシアが絶望の声を上げる。脇腹を抉られた鉄巨人が、がくりと膝をついた。
「でかした!」
アレマンはスティルの吹き飛ばされた先など一瞥もしなかった。
短刀を片手に鉄巨人に駆け寄ると、完全に剥き出しになった魔晶体に短刀を突き立てる。
「これは儂のものだ!」
老呪術師は魔晶体をそのまま抉り出すつもりだったのだろう。だが、それは迂闊に過ぎた。次の瞬間、短刀を通して膨大な魔力がアレマンの身体に一気に流れ込んだ。
「ぐが」
一瞬、うめき声のようなものが聞こえた。と思ったときにはアレマンの身体は青い粒子と化して、風に舞うように消えていた。
鉄巨人がゆっくりと立ち上がる。
剣を拾い上げると、ドライオに顔を向けた。赤い光が二度、点滅し、それから黄色へと変わった。巨人は、戦士にゆっくりと背を向けた。
「見逃してくれるのか」
ドライオは言った。
「あばよ、巨人」
ドライオの声に巨人は答えなかった。
自動修復の触手を動かしながら、巨人は元来た方へと歩き去っていった。
地面を真っ赤に染めたスティルは、もう虫の息だった。ルシアは傷ついた身体に鞭打って彼の元にたどり着くと、その手を取った。
「スティル……スティル……」
必死の呼びかけに、スティルは薄目を開けてルシアを見た。
「……じじいは」
「消えちゃった。魔晶体のせいで」
「そうか」
「巨人も行っちゃった。魔晶体は手に入らなかった」
「じじいが死んだのなら、もう要らねえよ」
スティルはわずかに微笑んだ。
「これで俺たちは、自由だ……な」
それが最期の言葉だった。
息絶えたスティルの手を握ったまま泣きじゃくっていたルシアは、ようやく顔を上げた。
歴戦の戦士はまだその先に座って遠くを眺めていた。
「ねえ。おじさん」
ルシアはドライオに呼び掛けた。泣きすぎたせいで、声がかすれていた。
「スティルが死んじゃった」
「ああ」
「装具も壊れちゃった」
「そうだな」
「みんななくなった。これから何のためにどうやって生きていけばいいのか、全然分からない」
「そうか。何もなくなったか」
ドライオは立ち上がった。
「よかったじゃねえか」
「え?」
「それがお前らの欲しがってた自由ってやつだ」
「これが……自由……?」
「スティルは、どこに埋めてやる」
歩み寄ってきたドライオは片手でスティルの遺骸を抱えると、もう片腕で軽々とルシアを抱き上げた。
「この庭園か、それとも崖の上か。お前が決めろ」
ドライオはにこりともせずに言った。
「自由になったお前の、最初の選択だ」




