カーク6
旅の疲れもあるだろうと別々に休んだ翌日。朝食の席に降りてきたエステルの格好を見たロータス老伯爵は目を剥いた。
「エステル様、その格好はいったい……」
「おはようございます、お義父様。私の服装が何か? カークとそう大差はないと思いますが」
前日に無事養子縁組の手続きを終えたカークと、その様子を隣で見ていたエステルは、ロータス伯爵のことを義父と呼ばせてもらう同意を得ていた。「英雄様と王女殿下に、ち、ち、義父などと、恐れ多い!」と感極まって心臓を押さえられたときにはどうしようかと思ったが、それ以上の騒動にはならず安堵した。
それはさておいて、エステルの格好である。昨晩はこちらに到着して初めての夕食の席であったため、伯爵もカークたちも礼装で出席した。その席で伯爵から足を痛めていることや、そのせいで正装が難しいことを説明された。自分たち夫婦に対してあまりに失礼だから、今後は別々に食事をらせてもらいたいと提案があったのを、エステルが「それなら我が家の食事は略装で可ということにしましょう。自分もドレスは着ません」と宣言したのだ。エステルに対してまだ遠慮がある伯爵は、ぎくしゃくと同意せざるを得なかったようだ。カークとしても、来て早々伯爵を追い出してしまうようで決まりが悪く、またいちいち着替えなくていいのは騎士生活が染み付いた自分にとっても楽であるため、素直に従った。
その、昨日の今日である。カークはシャツとベストにトラウザーズ、首元にはゆるくクラバットを巻いた。略式とはいえエステルはデイドレスだろうしと、彼女に合わせたつもりだった。
だがこちらの予想を激しく裏切って、エステルは男装姿で現れた。つまりカークとほぼ差がない。むしろクラバットがない分エステルの方が簡素だ。カークにはある意味見慣れた姿だが、ガウン姿の伯爵の顎が落ちているのは仕方ないことだろう。老齢の執事はかろうじて表情に出さず状況を見守っている。
「お義父様、どうかお許しください。これが私の普段着なんです。ね、そうでしょ、カーク」
「え、えぇ。エステルは城にいるときもこのような姿でいることが多くありました」
「お義父様もルヴァイン王国のお転婆姫の噂は聞かれたことがあるのではありません? 私は剣だって使えます。だからこの格好の方が落ち着くのです。お義父様が楽な格好で構わないとおっしゃってくださったから、とても助かりました」
笑顔でそう畳み掛けたエステルは、満面の笑みのまま席に着いた。
「さぁ、朝食を頂きましょう。今日はやることが盛りだくさんですもの」
昨日届いた荷物にはドレスしか入っていなかったのに、なぜエステルが男装できたのかという謎は、食後すぐに解けることになる。
「あ、エイダン! さっきはありがとう!」
「えぇぇ! お、奥様、本当にお召しになったんですか!?」
廊下でエステルが呼び止めたのは、十代くらいの細身の少年だった。程よく品があるところを見るに、ロータス家に仕える小姓と思われた。カークは知らない顔だが、エステルは親しげに呼びかけている。いつ知り合ったのだろうかと訝しく思っている先で、彼女は気安く会話を始めた。
「せっかくエイダンが用意してくれたのに、着ないでどうするのよ。それにしてもよかったわ。偶然あなたを見つけることができて。背格好が私とほぼ一緒なんだもの。助かっちゃった。あ、心配しなくてもちゃんと新しい物を返すわよ。今から荷物を取りにいってくるから、ちょっと待っててね」
「い、いえ、それは奥様に差し上げたものですので……あの、使用人の私服なんて本当に失礼なものを申し訳ありません。処分していただいてかまいませんので」
「どうして? わざわざ新品を下ろしてくれたんでしょう。着心地もいいし動きやすいわ。城から持ってきた私の服じゃ、逆に窮屈に感じちゃうかも。だったら洗濯して返した方がいいかしら」
「と、とんでもないことでございます」
しきりに恐縮しながら距離を取ろうとする少年と妻の会話から推察するに、彼女がこのエイダン少年から服を巻き上げたらしいと察した。
「エステル? 君はロータス家の使用人に対していったい何をしているんだ?」
「だって私の服が届いていないのはカークだって知っているでしょう。だからちょっと借りたのよ。ちゃんと後で洗濯して返すか、私が持ってきた新しいのをあげるつもりよ。エイダンも了承してくれたわ」
無言で顔を引き攣らせているエイダン少年を見るに、どうあっても承諾したとは言えないようだとカークは眉間を揉んだ。
「事情はわからないでもないが、エステル。そういうことは二度としてはいけないよ。主人に言われれば彼らは逆らえないんだ。今更、そんなことがわからない年齢じゃないだろう」
「わかってるわ。切羽詰まっていたから許してよ。これが最初で最後だから」
「それから、服を無闇に与えるのも駄目だ。袖を通したものももちろん」
高貴な者が着用した衣服は、使用人たちにとっては価値がある褒賞になりうるため、簡単に与えていいものではない。さすがのエステルもそのくらいはわかっているはずなので、これは本当に機会的なことだろうと、カークもそれ以上の苦言を避けた。
「君、エイダンといったか。エステルがすまなかった。君の服は新しいものを早急に用意するから、許してほしい」
「いえ、旦那様にそんなことをして頂くわけには……」
「この復興の最中で、綺麗な衣服を手にいれるのも大変だろう。お詫びだと思って受け取ってくれ」
そう告げればエステルの表情が少しばかりこわばった。
「ごめんなさい、私……」
「いや、元はと言えば君の荷物を全部運び込めなかったのが悪いんだ。俺の手配不足でもある」
「カークが悪いわけじゃないよ」
「とにかく、この話は終わりだ。俺はこの後メンデル執政官と打ち合わせがあるんだ。昨日のうちに城から彼に宛てた資料を渡しておいたから、その話があるんだと思う。エステルはどうする? 執事に頼んで邸の案内をしてもらうか?」
過去に滞在経験のあるカークには見知った家だが、エステルは初めてだ。女主人の仕事初めとしても適当な内容だろう。おとなしく部屋にこもっていてはくれない性格だから、何か出来ることを提案しておく方が安全だ。
「そのことなんだけど、私、荷物を取りにいってくるわ」
「荷物って、嫁入り道具のことか?」
王家から共に旅立った馬車は立ち往生となってしまい、昨日のうちにすべてを運び込むことができなかった。今日も小ぶりの馬車で何往復かして運ぶ予定にしてある。荷物とともに急遽の野営となった騎士たちも、全員が今日中には邸の宿舎に入れるはずだ。
「まさかあの場所まで君が自分で行くっていうのか? それは駄目だ」
慌てて止めればエステルは真剣な表情になった。
「お願いカーク、行かせてほしいの。だからわざわざこんな格好したのよ。もちろん、ひとりでは行かないわ。どうせ誰かが行くんだから私が混ざってもいいじゃない」
「駄目だ。荷物が心配なのはわかるが、こればかりは許可できない」
ここは安全に守られた城ではないのだ。一番大切とされるべき彼女を邸の外に出すわけにはいかない。
とのかく駄目の一点張りで反対すれば、エステルは強い視線でカークを睨みつけた。
「カークは全然わかってない! ねぇ、私はいったい誰?」
「いったい何を言い出すんだ。エステルはエステルだろう」
カークがずっと追いかけ、追い求めて、妻にと願った大切な女性だ。それ以外の何者でもない。
だがエステルが求めているのはそんな答えではなかった。
「私はもうエステル王女じゃない。ロータス伯爵令息夫人でしょう? 前夫人がおいでじゃない今は女主人の代わりよ。私の立場で領地や領民のために働くことは当たり前のことだわ。だってソフィアお姉様はいつだって国のために民のために働いているもの」
「それはそうだが、でも君は来たばかりで」
「じゃあいつからなら働いていいの? 来週? 来月? 一年後? いつかは働くことになるなら今から動いたっていいじゃない。南部の復興は国の一番の重要案件なんでしょう? 王家の姫のせいで復興が遅れるなんて本末転倒だわ。私だってちゃんと協力したいの」
琥珀色の瞳に熱を込めて、エステルが訴えた。
「ねぇカーク。私はあなたの妻になったのよね。そしてあなたの仕事はロータス家の跡取りとして、この地を復興させること。夫婦はいつだって助け合うものでしょう? お母様だって直接政治には関わっていなかったけど、いつもお父様の手助けをしていたわ。私はカークと、そんな関係になりたいの。ただお邸で守られるだけの存在じゃなくて、あなたの隣に堂々と立ちたいのよ」
見上げる琥珀色の熱意に、カークは思わず息を呑んだ。幼い頃から何度も見てきた、彼が追いかけてきた表情。王女のくせに剣など振り回してという揶揄が王城内にまったくないわけではなかった。それでも彼女はいつだって真剣に訓練に取り組んできた。それこそ、後追いのカークよりもよほど真面目に。
遠い記憶を辿りながら、彼女が昨日からなぜ声を荒げ憤っていたのか、その理由がわかって腑に落ちた。
「……君はいつだって俺の予想のはるか先を行くんだな」
王籍から離脱し貴族の妻となっても、王女から未来の領主夫人となっても、彼女の本質は変わらない。いつだって自分にできる最善を見つけて、それに向けて全力で走り出すのが、カークが恋したエステルの姿だった。
訓練する騎士の姿を見て、姉姫の剣になると決めた女性だ。貧しい領民と崩れ落ちた街を見て、彼らを救うために立ちあがろうとしないわけがない。昨日から花嫁道具を売り払うだの、なぜ教えてくれなかったのかだの言いだしたことをよくよく突き詰めれば、答えは見えていたはずなのに。
カークは己の不甲斐なさに半ば憤りながら、深い息を吐いた。
「馬は駄目だ。絶対に。だけど馬車に乗るなら……」
「わかった! ありがとう、カーク、大好き!」
言い終わらぬうちにエステルに抱きつかれ、思わずその身体を抱きとめれば。
近くなったエステルがさらに首を伸ばし、カークの唇にさらりとキスをした。
「本当にありがとう! じゃ、さっそく行ってくるね、カークも頑張ってね!」
抱きしめたぬくもりは余韻すら残さずに離れていき、あっという間にカークの視界から消えていく。
「……エステル! やり逃げは卑怯だろうっ」
真っ赤になって顔を押さえる未来の領主の姿が、多くの使用人に目撃されることになった。




