ユリウス4
きっかけは北方にあるとある伯爵家の税金横領が摘発されたことだった。
王家から遣わされた騎士と税務管理官が遡って税務記録を見直した結果、十年以上に渡る不正が見つかった。伯爵と長男夫妻が捕縛され、家は取り潰しとなった。
さらに伯爵家は隣国の商会と通じ、この国の人間を奴隷として売り飛ばしていたことが発覚した。その悪行の窓口となっていたのが例の高利貸しだ。顧客を借金漬けにし、暴利を課して返済不能に陥れては、そのカタに娘や息子を貰い受けて労働施設や娼館に送り込む。そこで数ヶ月過ごさせた後に失踪か死亡したかに見せかけて隣国に売り飛ばす。前代未聞の大捕物に王都中が成り行きを見守った。
高利貸しの顧客名簿にランバート家が名前を連ねていたこともあり、ユリウスもまた税務当局の喚問を受けた。その中で、今回の事件の真相につながった伯爵家の横領について指摘をしたのがソフィア王女であることを知った。
「税務記録から不正を暴いたのが王女ですか? 嘘でしょう、ソフィア王女殿下って確か……」
妹よりも年下で、まだ子どもだったはずと記憶を呼び起こす。
「御年九歳でいらっしゃいます。家庭教師から各地の税制について学んでいる授業の流れで、くだんの伯爵家の帳簿の写しを見られたそうです。そこで数字の推移がおかしいことに気づかれたのだとか」
「たまたま気づかれたということですか?」
「殿下はすべての領地の過去の税務記録に目を通されたのだそうです。ちなみにこの伯爵家だけでなく、他領でもいくつか不正な点を発見されています。尤もここまで大きい案件ではなく、うっかりも混ざっていたので、そちらは修正徴収ですでに対応済みです」
「九歳の少女が、すべての領地の税務記録を洗い出した?」
「授業で王領の税収について学んだことが面白かったそうで、どうせならと空き時間に他の領地についても調べておられたそうです。ご本人は趣味の延長だったとおっしゃっているらしいのですが」
「……」
王家の姉姫はかなり優秀だという噂は聞いたことがあった。とはいえなんというか、桁が違いすぎやしないだろうか。
「この伯爵家はかなり功名で、帳簿の改竄も一見不備がないように取り繕っていました。現に王宮の税務管理官が揃いも揃って見落とし騙されていたくらいですからね。それに気づかれたのですから、さすがとしか言いようがありません」
さすがという言葉で片付けていいものかどうか激しく悩ましいところだが、担当者がランバート家の借金の証文を取り出したので、姿勢を改めた。
「さて、ランバート伯爵閣下。あなたの家の借金についてですが、伯爵と高利貸しが捕縛されたことで無効となりました。正確に言えば貸与した側が権利を放棄したため、返済をする義務はありません」
「は……?」
間抜けな表情を晒してしまったことを許してほしい。それくらい、ユリウスにとっては驚愕の説明だった。
「……借金は無くなった、ということですか」
「貸していた人間と商会が潰れましたからね。最終的な懐となっていた伯爵家も取り潰し。取り立てる人間がいなくなったのですから、そういうことですね」
この数ヶ月間、彼を絶望の瀬戸際に立たせてきた問題がすべて無くなったと言われ、俄かに喜ぶことができなかった。あまりの急展開に頭がついていかない。
「それから、こちらの申請書にサインして提出してください」
「これはいったい……」
契約ごとには慎重にならざるを得ず、呆けた頭が一瞬にして覚醒した。税務府の担当者が渡してきたのは税金の遅延納付に関する申請書だった。
「あなたはまだ十六歳ですよね。それに父親である伯爵も母君ももう亡くなっていらっしゃいます」
「はい」
「当主が亡くなり、代理となる大人もなく、さらに後継となる人間がまだ十代の場合、領地からあがる税金の納付を一定期間遅らせることができる法律があるんですよ。ご存知でしたか?」
「いえ……初めて聞きました」
「ですよね。実は私も知らなかったんです。そもそも両親揃って早逝して、頼りとなる縁戚がひとりもいない十代の当主だけが残される家系なんて、王国の歴史を遡ってもそうそうお目にかかれませんから、誰も知らずとも仕方がない話ではあるのですが……ですがあるのは間違いないのです。私も指摘されてちゃんと確認しました」
言いいながら担当者は分厚い税務関連の法律書を開いた。
「ほら、ここの特別要項第十八条に書いてあります。あなたの場合これに該当しますから、納税の期限は二十歳まで延長されます。さらにあなたは大学生ですから、大学生を保護する制度も適応されます」
「大学生を保護する制度……」
「こちらは税務とは関係ないので、別の部所に回って説明を聞いてほしいのですが、簡単に言いますと王立大学在学中の学生にはいくつか特権が約束されていて、義務の行使を卒業まで延長できる制度があるらしいのです」
何が言いたいのかといえば、領地からあがる税金の納付期限は、古い制度のおかげで二十歳になるまで延長されるが、自分の場合は大学生であることも考慮され、卒業まで再延長できるということだ。
「税務に関して言えば、代替わりをした最初の三年は納税額の一割が免除されます。これはさすがにどの家でも積極的に使われる制度ですから、私も知っていましたがね」
つまり向こう三年は納税額自体も減額されるということ。そして支払いが始まるのはユリウスが卒業して職に就いた後となる。
「さらに……」
「まだあるのですか!?」
「良い話なのだからかまわないでしょう。元々ランバート家の後嗣の届出は長男のスチュアート様だったのが、病気を理由に昨年あなたに代わっていますよね」
「はい。兄が病にかかり、生死を彷徨う状況にありまして。今はだいぶよくなってはいますが、父は私を後嗣とするよう、届けを変更しました」
「貴族法の中に、後嗣のための傷病手当金の交付というのがあるんです」
「後嗣のための傷病手当金の交付……」
驚きがすぎたユリウスはただ担当者の言を繰り返すだけの存在に成り果ててしまった。
「円滑な爵位継承を目指すための法律でしてね。後嗣として届出されていた者が病や怪我を得た場合、その治療にかかった費用の半額が国から支給されるそうです。条件は後嗣の届出が出されて一年以上が経過していること。後嗣以外の者が病気に見舞われて、手当金目当てに後嗣変更をされてはかなわないから、こうした期間の縛りがあるらしいのですが、あなたのお兄さんはこれが適用されそうなんです」
確かに兄は出生と同時に後嗣としての届出が出されており、病を発症した際はまだ後嗣のままだった。
「少なくとも届けがあなたに変更されるまでの期間の治療費は、申請すれば戻ってくると思います。ただ証拠となる領収書や医師の診断書が必要ですが」
「それは実家で管理していたはずです」
「ならばそれらを携えて貴族府を尋ねたらいいと思います。大学生の保護制度の申請は文化府です」
ひとまずランバート領の納税遅延の届けにサインをして、担当者に提出する。ユリウス自身が伯爵当人であるから、手続きも早い。
「というわけであなたに関しては……以上ですかね。うん、間違いない」
手元の書類を指差し確認する担当者に、ユリウスは頭を下げた。
「本当にありがとうございます。正直あの途方も無い額の借金をどうすればいいのか、切羽詰まっていました。借金が無くなっただけでなく、納税遅延制度のことや傷病金のことまで教えてくださり、感謝の言葉が見つかりません」
納税義務が先送りされれば、当面の生活もどうにかなる。さらに兄の薬代の半額が返ってくるなら妹の持参金に十分だ。
熱くなりそうな目頭を手で押さえて耐えていれば、担当者が少々罰の悪い表情になった。
「我々はお礼を言われるべき存在ではありません。そもそも納税遅延制度のことも傷病金のことも知らなかったのです。後者はともかく、前者を知らずにいたことは税務を預かる担当者として恥ずべきことです」
「あなたではないとすれば、いったいどなたが気づいてくださったのでしょう」
「ソフィア王女殿下ですよ」
「え……」
言いながら担当者は束になった書類をユリウスに見せた。
「捕縛された高利貸しの被害にあった者は数百名に上ります。王女殿下はそのひとりひとりの債務状況を確認した上で、ひとまず利用できる補償制度を列挙され我々官僚に指示を出されました」
「ソフィア王女が……その書類の束分、すべてを、ですか」
「あの方の頭の中にはルヴァイン王国の法律が全て入っておられるそうです。こんなカビが生えたような法律すらも。天才とはああいう方のことを言うのでしょうね」
何度も言うが、賢い姫であるという評判は聞こえていた。だが、やはり桁が違うのではないか。
「初め、今回の被害の甚大さを考慮して、国から特例支援金等を給付すべきだという意見が議会ではあがったようなのですが、ソフィア様は国外に売られた者たちの帰国支援のために予算を割くのが先決だと、非公式に意見を述べられたそうです。そのために国内の被害者への救済が遅れてしまうことを懸念して、今ある制度内で急ぎ対応をするよう、要請されたのです。そのご意見を受けて、今この案件は宰相預かりの最重要事項になっています。王女ご自身もすべての者への救済支援について、このように動かれておいでです」
「ソフィア王女がそんなことまで……」
「最後に、王太女殿下からのご伝言があります。大変申し訳ないが、今はこれで凌いで欲しいと。国外へ売られた者たちへの補償が終われば、必ず再検討するから、と」
担当者の言葉に、見たこともない九歳の少女の姿が浮かんだ。一国の王女であるその人が、すべての被害者の状況を確認した上で、忘れ去られていた法律や制度まで掘り起こしながら、出来うる最善を尽くそうとしている。支援の優先順位を的確に判断し、後回しとなった者たちに謝罪の言葉を述べてまで。
抑えていた熱いものが、ユリウスの両頬を伝い落ちた。
王女が頭を下げるべき事情など何ひとつないのだ。暴利を貪るハイエナたちはもちろんだが、返済の当てもないまま借入を続けた父の判断力の無さも、本来なら責められるべきだ。
しかしそんなことは微塵も突かれず、こうして手を差し伸べてくれている。
「ソフィア王女殿下に、お礼を申し上げる術はないのでしょうか」
「いやいやいや、一介の税務担当者にそんなこと聞かないでくださいよ。無理に決まっています。あぁでもあなたは伯爵ですから、ソフィア様が社交界デビューなさった暁には拝謁する機会もあるのではないでしょうか」
この国における社交界デビューの年齢は十三歳から十七、八歳というところだ。王家ともなれば早い可能性がある。今九歳ならあと四年後か。
「そんなに待てません」
「いや、待てないとか、私に言われても困りますってば。私なんてしがない男爵家出の三等官僚ですから、同じ王城内で働いているとはいえ、王女殿下とお会いすることすらできません。あぁでも、お見かけするだけならすぐに出来るのでは? 王妃陛下のお誕生日が来月ですから、城のバルコニーで王族の皆様が国民にお顔を見せてくださるのが恒例でしょう。ソフィア様も毎年出ていらっしゃいますからね」
王族の誕生日における国民への顔見せは、確かにこの国の慣例となっている行事だ。さして興味のなかったユリウスは、この一年王都に滞在していたにも関わらず参加したことがない。
「来月の王妃陛下の誕生日……」
その日を心に刻みつけたユリウスは、再度礼を述べて立ち上がった。頬を伝う温かいものを乱暴に拭いながら、税務府の窓口を後にしようとすれば。
「あぁぁ! ランバート伯爵、お待ちください! もうひとつお伝えし忘れていました!」
先ほどの担当者が立ち上がり、別の書類を差し出した。
「納税義務の遅延申請と併せて、こちらも利用できるんでした。領地経営の補佐をしてくれる税務管理官の派遣制度です。もし希望するなら、あなたが大学に在学している間、管理官があなたの代わりに領地に赴いて、領地経営の手助けをしてくれますよ」
最後に慌ただしく付け足されたこの提案こそが、ランバート家を真の意味で再興させる手段となることを、このときユリウスはまだ知らない。




