ソフィア6
両親に呼び出された席で、選定された婚約者の名前を知らされ、さすがのソフィアも目を見張ることとなった。
「ユリウス・ランバート宰相補佐、ですか?」
その場に同席した彼を不躾に見つめたのは仕方のないことであろう。つい先ほどソフィアに「顔色が悪い」と指摘したときも、この話題について微塵も匂わせなかった彼が、未来の王配となることは少々想定外だった。
「宰相補佐はランバート伯爵家の御当主では?」
頭の中にはこの国の貴族の系譜がすべて詰まっている。彼は次男だが、長男が病弱で領地から出られず、十代の若さで家督を継いだはずだ。当主や嫡男である時点でソフィアの婚約者候補から外されるはずだ。
「確かに私は家督を継いでいますが、我が家には兄がおります。若い時分に病を患った影響で後継が望めない身体になったため、私が伯爵位を継ぎました。しかしながら兄の体調はすでに回復しており、今は領地の面倒を見てくれています。私が王家に婿入りしても、伯爵家の運営に支障はありません」
「ご長男様が快癒されたことは大変喜ばしいことですが、その、伯爵家の後継はどうするのです」
将来ソフィアとの間に子がたくさんできれば、誰かを養子に出す選択も取れなくはない。だが今の王家にソフィアとエステルの二人しかいないことを鑑みても、絶対の安全策ではない。
だが彼はこともないかのように答えを広げた。
「子爵家に嫁いだ妹が子宝に恵まれ、三人の男児の母となりました。将来誰かを養子に貰うことも十分可能でしょう」
「……」
完全な理論武装に、ソフィアはそれ以上の質問を失った。これは完全に外堀が埋められているということだ。突く点があるとすれば伯爵家という家格が王家と少々釣り合いが悪いということくらいだが、先例がない話でもない。
押し黙ったソフィアに父王がおずおずと切り出した。
「実は急ぎであちこちに打診をしてみたのだが、あまり芳しい返事が得られなくてだな。何、ソフィアに不足があるというわけではない。この二年の間に、めぼしい候補者たちは軒並み水面下で婚約を結んでいたようなのだ。状況が状況なだけに公表を控えてはいたようだが」
魔獣暴走という国難に見舞われていたルヴァイン王国では、この二年の間に慶事が慎まれていた。討伐隊の中には貴族家が輩出した騎士も多くいたたため、身内が命懸けで戦っている中、婚約や婚姻を積極的に推し進める気にはなれなかったのは尤もな話だ。
だがそれも数日前までのこと。慎まれていた慶事は、エステルとカークの婚姻を皮切りに一気に進むであろう。自分の婚約話は予想外の出来事ではあったが、とはいえ候補者が皆無というのはどういうことか。
父に代わって、同席していた宰相が苦虫を噛み潰したような表情で口を開いた。
「実は、ソフィア様の婚約者候補の選定について、魔獣暴走が収まらないうちから妙な噂が流れていたようなのです。荒廃した南部の復興に充てる資金を得るために、王太女のお相手は国外から選ぶことになるであろうという話が、貴族たちの間でまことしやかに囁かれていたようでして……」
「なんですって?」
「誠にもって失礼千万な噂であります。まるで持参金欲しさに未来の王配を決めようとしているようで、実に甚だしいこと。事実無根の話ではありますが、なぜかこの噂を信じた者たちが多くいたようでして。ソフィア様のお相手とみなされていた若者たちも、それならばと別の女性と婚約を決めたのだと申しております。そのような事情から、候補者の選定にはかなりの困難が生じたのです」
宰相の話に、ソフィアは今置かれている状況のすべてを理解した。ソフィアの婚約者が国外から選ばれるとなれば、お相手候補として残っていた同世代の者たちは別の相手を見繕わねばならない。それならば少しでも早く動いた方が条件のいい相手と縁付けるというもの。お相手の女性たちも、女性であるがゆえに男性よりも適齢期に敏感だ。ある意味戦時下に近い状況で、適齢の男性が目減りしている中、細かく条件をつけて四の五の申せる立場にもない。
かくして水面下でいくつもの婚約が結ばれ、結果として自分があぶれてしまった、ということだ。一国の王女であり、未来の女王が約束された自分が、である。
「ということだ、ソフィア。幸いというか、ランバート卿が独り身であったことはある意味僥倖ではあったがな。彼であれば王配として女王たるそなたを支える才覚も十分だと、宰相も太鼓判を押している。……とはいえそなたの大切な縁談がこのようになってしまうことを、私も王妃も良しとは思っていないのだ」
「そうよ。ランバート卿は素晴らしい方だけれど、あなたはルヴァイン王国の王太女ですもの。選ぶ権利はあなたにあるわ。エステルのことは別にして、きちんと時間をかけてもいいはずよ。そのうちまた国外からのいいお話もたくさん舞い込むはずだもの」
「……いいえ、お父様、お母様、私、決めました。ランバート卿と結婚します」
両親の思いを断ち切るように、ソフィアはそう宣伝した。断ち切ったのはきっと己の思いだ。エステルとカークを心から祝福するためにも、自分の退路は断った方がいい。
「そういうことですから、ランバート卿もよろしいかしら」
「仰せのままに、我が君」
そしてユリウス・ランバート宰相補佐はソフィアに近づき、彼女の前に膝をついた。
「騎士ではありませんので剣を捧げることはできませんが、生涯に渡りソフィア様の手となり足となり、貴女様に私の心を捧げると誓いましょう」
するりと手を取られ、彼の唇が自身のそれに触れた。手にキスを受けたことなど何度もあるので慣れているはずだった。
けれど——。
「……っ」
ただの唇の温度とは違う、初めて味わう感触に、一瞬手を引きかけた。しかし込められた力に動きを封じられる。
(な……っ、今、何をしたの!?)
ただのキスの感触ではなかった。今のはまるで……舐められたかのような。
(まさか。ランバート卿に限って、そんな)
辣腕の宰相が最も目をかけ、自身の後継として指導している男は、カークのような逞しい体躯ではないが、すらりとした長身に整った顔立ちをしている。ソフィアが彼に抱く印象は真面目で出しゃばらず、かといって大人しすぎるというわけでもない、仕事ぶりが丁寧な青年というものだ。
きっと自分の思い違いだと、焦る胸の内を整える。元より両親と宰相が見ている前でこの手を振り払うわけにもいかない。
ここまで顔色ひとつ変えず対応していたソフィアだったが、跪いた若き宰相補佐がふと浮かべた仄暗い笑みに、僅かに眉を顰めた。
(見間違い、よね……多分)
こうして失恋してから10日目に、ソフィアの未来の伴侶が決められた。




