王の帰還 -Reditus Regis-・10.12
「さて、リュネ世界からお越しの方々についてはかねてからお姿を拝見させて頂いてはいるが、直接にお会いするのは初めてだったな…」
と、前置きしてから話を続けられる、ヘンリー・ワーズワースなる男性。
そのお姿、細君であられるアグネス夫人ともども、中年の入り口…かつてのアトハやリミニとさほど変わらぬ見た目に変わっておられます。
つまりは、延命を受けられているということなのでしょう。
しかし、その態度は老獪、というのでしょうか。
貫禄というものについては、痴女皇国の元聖院金衣経験者の皆さまと比較しても、決して劣らぬか…むしろそれ以上にすら感じるのです。
そればかりか、ですね。
「さて、この私が信用に値するかという質問にお答えするとしよう」
と、にんまりお笑いになって、私の方を見つめられるのです。
あ、その、いえ。
疑っておるつもりは。
「まぁ、初対面の者をいきなり信じろと言われても普通は難しいだろう。加えて、マリアが私やアグネスの意識を読めなくしているはずだからね、敢えて…」
ええ、ジーナ様やクリス様もそうですが、思考共有制限がかかっておられるのです。
しかし、次の瞬間に、ワーズワース氏はきっぱりと明言なさるのです。
「だが私から言えることがある。万一、痴女皇国の方のNBにおける移住計画が頓挫した場合の受け皿として、私としてはNB本星または開発中の他惑星の一部、皆さんの居住地として提供するつもりだ」
で、聖院の白いマリア様も祖父となるワーズワース氏のお言葉に追随して、こう申されるのです。
「イリヤさん…そして他の方々もよくお聞き下さい…この件は痴女皇国の私も保証しておくと明言しています。特に痴女皇国側では、その特殊体制構築のためにリュネ世界由来の魔毒や苗床の制御技術が絶対に必要なはず…そして、魔毒制御と苗床管理のために必要な種族であるリュネ族と魔族、そして苗床維持に必須の種族である西方族を死滅させるようなことは自滅行為と言えるでしょう…つまり、痴女皇国世界の私は、何があってもあなた方を種族として残すはずなのです…」
「うむ。それと、君たちに告げるべきことだろう…今から私が言う件は痴女皇国のマリアからは聞かされてはいないかも知れないが、まず、私の話の前に事実確認をしておこう。痴女皇国はこの聖院世界に先んじて5年ほどの時間を先行するだけではなく、従来の人類の常識を大きく逸脱した非常識とも思える政治経済体制や、そして人類を進化させる禁断とも言える試みに着手してでも、人々を大規模氷河期の危機迫る地球から退避させ種として存続させる道を探っている最中だ…だね、ジーナ君にマリア」
「ですな。痴女皇国のあの子からはそのように聞いてますし、毎月の月報だけではなく幹部会資料の合切からもそれは明白や思いますわ…マリア、どないや」
「まぁ、むっちゃくちゃだとは思うけど、現状では破綻とは思えないわね…ただ、かーさんに父さん…そしてお祖父様とアグネスおばさまもご存知とは思いますが、その氷河期到来が早まっている危険が報告されています。そして、聖院側の地球…連邦地球までもが、スノーボールと化してしまう危機到来の可能性も。でしょ父さん」
「だね…そして、皮肉と言えば皮肉なのだけど、痴女皇国世界で推進している緑化策があるでしょう。あの緑化作によって、大気中の二酸化炭素はその比率を大きく減じているんだ…それだけじゃなくて、火山活動の抑制によって、本来ならば大気に放出されるはずの二酸化炭素もその比率を大きく減らしているはずだ」
聖父様…いえ、クリス様が言われる言葉の意味とは、一体。
「そうですね…地球の温暖化や寒冷化には、二酸化炭素という目に見えぬ物質が影響を及ぼしています。皆さんの多くは痴女種やその類似種に進化しておられると思いますが、元来の人類は女官種を含め呼吸という息を吸い吐き出す行動によってに二酸化炭素を排出し、酸素を体内に取り入れるのです。いえ、地球上の生物の大多数は、その呼吸活動によって生命を維持しています。単に食事を摂ったり水を飲むだけなく、手で仰げば風として感じられる空気と、そこに含まれる成分を絶対に必要とするのです」
ふむふむ。
では、その二酸化炭素とやらが減ってしまうと、どうなるのでしょうか。
「まず、酸素を大気に供給しているのは植物です。これは、リュネ世界の魔毒苔という生物のサンプルを送って頂いたものを分析したことからも判明していますが、この魔毒苔そのものはもちろん、地球の苔あるいは地衣類と呼ばれる何かに張り付いて繁殖する原生植物もその酸素放出活動を担っています。ただ…その酸素を生成して大気に放つ活動は、光合成と言われていますが、恒星…太陽の光に当たることで植物が吸い込んだ二酸化炭素を分解し、酸素として排出する生体活動が担っています…リュネ世界では、その光を直接に太陽から受けるとあまりに強烈有害なため、人工惑星地盤となる曲面体構造物のとのペアとなった、より大きな複合反射鏡によってリュネの大地に当たる光の量を加減していたはずです」
ここで、会議室の正面…そして、ワーズワース様たちから見て正面となる入り口側の壁の画面に、宇宙から見たリュネ世界の巨大な円盤が映し出されます。
ええ、クリス様が言われる、巨大な鏡とやらと、その拡大された図も。
この皿のような器の内面は一枚の板やら何かではなく、無数の鏡で形作られておるのは以前に教えられておりました。
そして、その鏡の1枚1枚が角度を変えることで、リュネの大地に降り注ぐ光の量を変えるだけでなく、朝夕晩の光景を作っておることも。
「では、夜は植物たちは何をしているのか。今度は大地から水を吸い上げ、大気から酸素を吸って自らを育てたり、花を咲かせるためのつぼみや繁殖のための種や実を作る栄養を作り上げているのです。その際に、今度は二酸化炭素を放出しています…すなわち、大気中の酸素や二酸化炭素を適量に保つ作業は、草木や苔、そして水草や海藻といった植物たちが担っているのです」
ううむ。
緑色をした草木はもちろん、海や水中に浮かぶ藻の部類が画面に写し出されますが、よもやそれら、私たちがただの人であった時に必要な気をまかなっておったとは。
「で、惑星上の植物たちが昼間に出している酸素の放出量が、夜に酸素を吸引している量を上回っていないと、その星における酸素と二酸化炭素の含有量のバランスを崩してしまいます。なぜならば、人を含む多くの動物はその生体活動のために、酸素を吸引しなくては生きていけませんからね」
では、痴女皇国世界のちきうや、そしてエヌビーでやっておるような草木を増やす政策が善なのでは。
「ところが、そうでもないのですよ…適切な酸素含有量というものがあって、大気中の2割程度が生物相…生き物の生存に必要な比率なのです。それを大きく上回ると、酸素過剰状態となった大気が今度は毒として作用するのです。そればかりか、酸素が増えれば、それだけ物が燃えやすいということになってしまいます。マリア」
「はいはい…小学校の理科の実験よね…」
と、マリア様の前に何やら、奇妙な形をしたガラスの壺が現れます。
で、その中に小さな石ころのようなものを幾つか入れると、壺に蓋をしてしまわれます。
「このビーカーは酸素発生実験に使うもので、上の小さな容器に過酸化水素水という薬品を注ぎ、下の大きな容器に徐々に垂らしていくために使われます。酸性の液体と石灰石を使うと、二酸化炭素を発生させることも可能ですが…」
見ておりますと、上の器の下にあるねじをひねって開けると、下の三角形の壺に液が流し込まれ、石に触れた瞬間にしゅうしゅうと音を立てて何かが起きていること、石から煙が出ておることで察することができます。
そして、マッチとかいうものを擦って付けた火で、棒状の香に先にほのかな炎を灯される聖院マリア様ですが…三角形の壺の上から出た管の先に、そのほのかな炎を点けた香を近づけると…。
ぼ、と音を立て、明らかに炎を激しく上げて燃え盛る香。
そして、その香をワーズワース様の前に置かれたガラスの皿に移されると申されるマリア様。
「酸素が多いと、この現象は雷や、何かが擦れて起きる火花はもちろん、火を吐く山から噴き出す燃える泥によっても激しい火災を引き起こすことになります。そして燃えた大気は生き物にとって、極めて有害な要素を含むものに変質するのです…」
ええ、森のあちこちで燃え盛る炎の光景が、映し出されます。
「さらには酸素過剰な大気は、何かが燃えずとも生き物には有害なのです。そして…日の光によって温められた大気から熱が奪われやすくなり、結果として大地を凍りつかせるのです、遠からず」
え。
では、痴女皇国やエヌビーにおける緑化政策とやらは、逆に有害無益となるのでは…。
「むろん、痴女皇国世界と連動しているNB本星では大気中の余剰酸素を、そちらで開発中の別の惑星に移動させるなどして大気成分の調整を行っています。ですが…痴女皇国世界の地球では、敢えて酸素量の増大を図り、植物の繁殖を続けているのです」
えええええっ。
な、なぜに…。
この答え、マリア様が披露なさいます。
「痴女皇国世界と、そして他ならぬこの聖院世界の地球では、地中の石炭や石油、そして鉱物資源の不足が取り沙汰されていました。そしてそれらを抜本的に解決し、地球上で人類を進化させるためには地下資源の埋蔵量を最低でも連邦世界の地球に近づけるために、資源生成のためのプロセスをやり直すという選択、黒マリ…痴女皇国世界のマリアリーゼは採択したのです…つまり、地球が今の地球となるための過程を、もう一度数百万年から数千万年かけて行うことにしたんですよ…」
「で、その先は私から…いえ、うちから」
え。
聖院のエマニエル様が、痴女皇国世界のエマ子部長に一瞬で変化なさったのです。
「ええとですね、ほんまにその再生をやったらですな、それこそ億年単位の時間が必要となることですねん、地球の再構成。そして、そんなことをすれば地球の文明はもちろん、生物の痕跡も完全に消滅してしまいますわ。ですから…略式の方法での再生を採択したんですわ、痴女皇国のマリアねーさん。その略式再生に必要な期間は、ざっと十万年です…その間、生物は完全には絶滅しませんが、地球のあらかたの場所が雪と氷に覆われた状況を耐え忍び生き残ってもらう必要がありますねんわ…で、それも今の皆さんには無理がありすぎる話でっしゃろ。これが、NBへ移住させることも含めて地球から人を引き上げたり、女官種や痴女種、そして偽女種への転換を推進したりしとる理由ですねん…」
な、なんと。
人をエヌビーへ移すこと…淫化帝国についての話の中でもエマネがつい、口を滑らせていましたよね。
いずれ、ルーン大陸の近くに移ってくるからと。
それが、正にエマ子部長の言われた移住策そのものなのです。
ですが、移す理由についてまでは、地球が凍ることらしいだけしか聞かされてはおりませんでしたよ…。
そして連邦世界の地球に住まう方々も、そのままの状態でエヌビーに移られると、今度は地球で争っておられた火種を消さぬままにお越しになられるということになる。
だから、争いの火種を消してから来て欲しい。
この通告を、聖院世界に繋がる方のエヌビーでは地球に対して通告する予定だそうです。
そして…皆を救わない、とも。
「いえ、イリヤさん…救うつもりですよ。ただ、聖院規範があります。救いを求めるものをこれ助くべし。すなわち、助けてくれと言ってきた方だけを、私たちは助けるつもりです。善意の押し売りはしません…」
「マリア、もう一つあるだろう…聖院、そして痴女皇国では、救った代償を必ず求めると…つまり、マリアに代償を差し出す気がない者は救われないのだよ…」
この理屈はわかります。
救っても、今度は「なぜ助けた」などと言い出しかねない者が世の中にはおるということです。
「で、痴女皇国の私は少し違う考えなんですよ…お気づきでしょう…嫌だって言っても、引っ張って行く者は引っ張って行くつもりです…」
確かに。
割と無茶をしてでも、最終的に人をエヌビーへと移住させていくお考えのようです。
「それとね…聖院と痴女皇国だと、地球が冷え切るまでのタイムリミットがいささか変わるのよね…聖院の方は、あたしたちがあまり強く干渉していない分、この聖院地球も、そして連邦地球も時間をかけて冷え込んで行くと予想が出ています。以前、私たちが建てた予測である三百年ほどの猶予期間という予想の通りとなる見通しなのです。ですから、時間をかけて対処する余裕があります。ただ…痴女皇国世界の地球ではその期間、長くとも三分の一…下手をすると百年未満かも知れません。そして…」
ここで、言葉を区切られるマリア様。
そして、一瞬だけ顔を机の方に向けて下を向かれると、次の瞬間に決然とした表情で申されるのです。
「聖院地球も、痴女皇国の地球も、比較的短期で再生を行うためには地殻変動や生物相の最低限度の維持が必要です。その維持役が、地球に残留する必要が生じているんですよ…」




