星降る丘
重々しかった円卓での会議が終わり、圧倒的な気圧を放っていた十一人の精鋭たちも、それぞれの任務や自らの部隊へと戻るため、一也また一也と会議室を後にしていった。広大な部屋に静けさが戻ると、トリスタンは静かに立ち上がり、レイへと振り返った。
「さて、行くぞ。お前を俺たちの隊の宿舎へ案内する」
トリスタンの後ろに続き、レイは本部の複雑な廊下を歩いていく。やがてたどり着いたのは、他の派手な装飾が施された区画とは少し異なり、実戦的で無駄のない造りをした石造りの建物だった。重い木製の扉を開けると、そこには質素ながらも温かみのある共有スペースと、いくつもの個室が綺麗に並んでいた。
「今日からここがお前の家だ。足りないものは追々支給してやるが、まずは自分の体を休め、新しい環境に慣れることだな」
トリスタンがそう言って部屋を指し示すと、レイは深く頷いた。この場所で、これから始まる過酷な戦いに備え、新たな仲間たちと共に汗を流し、日々を過ごしていくのだ――そう思うと、胸の奥から熱いものがこみ上げてくると同時に、不思議と武者震いのような高揚感が湧いてくるのを感じた。
自分の荷物を置いたあと、レイはふと気になっていた疑問を口にした。
「あの……トリスタンさん。さっきの会議のとき、あなたが『遊撃』っていう言葉を使っていた気がするんですけど……俺が配属されるのって、その遊撃隊であってますか?」
先ほどの会議で飛び交った各部隊の役割を思い出しながらレイが尋ねると、それまで厳格な雰囲気を漂わせていたトリスタンは、途端にバツが悪そうな顔になり、頭をポリポリとかきながら適当にこう言い放った。
「あぁ、あれは――なんつーかな、響きがかっこいいからだ!」
「……はい?」
レイの頭の中は、一瞬にして数え切れないほどの「?」で埋め尽くされた。
あの緊張感漂う最高幹部たちの会議の場で、そんな不純な理由で部隊の肩書きを決めていたというのか。伝説の剣技でこの座を勝ち取った男の口から出たとは思えない軽すぎる発言に、レイは呆気にとられて言葉を失う。
「じゃあ……ここは一体、何の部隊なんですか?」
慌ててレイが問い直すと、トリスタンは咳払いを一つして、真面目な顔を取り繕いながら答えた。
「まぁ、表向きはそう呼ばれることもあるが……この隊の本当の任務は、主に他国への遠征だ。そして、いつになるかはまだ未定だが――遠からず、俺たちは海を越えて『瑞穂の国』という場所へ行くことになっている」
「瑞穂の国……?」
聞いたことのないその国の名前に、レイは首をかしげた。
「たしか、海を渡った先にある島国のところですか?」
「ああ、そうだ。聖都とは古くからの友好国でね。今回の遠征も、全面的な戦争とかそういう物騒なもんじゃない。向こうの現状視察や、外交的な使節としての意味合いの方が強い感じだな」
「へぇ……そうなんですね。海を越えて別の国に行くなんて、なんだか想像もつかないです」
レイが物珍しそうに感心していると、ふと、薄暗い廊下の奥から軽い足音とともに、聞き覚えのある明るい声が響いてきた。
「あれ! レイじゃん! こんなところで何してんだ?」
ひょっこりと顔を出したのは、薄緑の髪を揺らすあの男――ノイだった。
「ノイ? どうしてここに……」
驚くレイに、ノイはへらっと笑いながら近づいてくる。
「決まってるだろ。俺もこの部隊に所属してるんだよ。お前もここに入ったのか? いやぁ、まさか同じ釜の飯を食う仲になるとはな。改めてよろしくな、レイ!」
「おぉ! こちらこそ、よろしく頼むぜ、ノイ!」
心知れた仲間が同じ部隊にいると分かっただけで、見知らぬ場所にやってきたレイの緊張はスッと和らいだ。
ふと、レイはガルドのことを思い出し、ノイに尋ねた。
「そういえば……あのとき捕らえたガルドは、今どうなっているんだ?」
ノイは少しだけ表情を引き締め、肩をすくめて答えた。
「あいつか? 騎士団の地下牢でめちゃくちゃ厳重に拘束されてるよ。確か、あさって――2日後に軍法会議にかけられる予定だ。あいつのこれからの処罰や、裏にいるロキに関する情報を吐かせるかどうかは、その裁判次第だな」
「そうか……」
ガルドがもたらした脅威の大きさと、いまだに姿をくらますロキという存在の不気味さを思い出し、レイは険しい表情で小さく呟いた。
一難去ってまた一難。しかし、レイはもう一人ぼっちで怯えていたあの日の自分ではない。
母から託された指輪の温もりを胸に感じ、父の遺した聖剣を手にし、そして頼もしい先輩や友人たちと共に、少年は今、確かな一歩を踏み出していた。
聖都オクヘイムでの新たな日々は、こうして静かに、しかし力強く幕を開けたのだった。
「まぁ、難しい話はそれくらいにして……とりあえず飯を食おうぜ!」
ノイが景気よくお腹をポンと叩きながら高らかに言うと、ピリッとしていた空気が一気に和らいだ。
それを見かねたトリスタンも、フッと小さく笑ってうなずく。
「そうだな。ちょうど腹が減る頃合いだ。……じゃあ、この場を借りて、今日のところは我が隊の奴らにレイの顔見世とでもするか」
トリスタンに促され、レイはノイと共に宿舎の広々とした食堂へと移動した。
夕食の時間が近づいていたこともあり、食堂にはすでに多くの隊員たちが集まっていた。トリスタンが大きく手を叩いて注意を促すと、隊員たちの視線が一斉にレイへと集まる。
「おっ、噂の新人ってあいつか?」
「ヘリオスの息子だって話だぜ……」
隊員たちの間から、ひそひそと好奇心のこもった声が漏れ聞こえてくる。彼らの多くは、かつて世界を救った伝説の英雄ヘリオスの活躍を語り草として聞いてきた者たちだった。しかし、そこに向けられているのは値踏みするような冷たい視線ではなく、これから苦楽を共にする仲間を迎え入れるような、温かく期待に満ちたものばかりだった。
トリスタンがレイの肩に軽く手を置き、食堂全体に響く声で言った。
「本日をもって、我が隊に新人が入隊した!……紹介しよう。あのかつての英雄ヘリオスの息子だ。名前をレイと言う」
トリスタンに促されるまま、レイは一歩前に出ると、緊張しつつもまっすぐ前を向き、集まった屈強な隊員たちに頭を下げた。
「初めまして、レイ・ルミナリアです。……まだ未熟者ですが、これから精一杯頑張ります。よろしくお願いします!」
緊張で少し硬くなった自己紹介が終わると、食堂の隅からドッと温かい笑い声が起きた。
「ははっ、そんなに固くなんなって少年!」
大柄な体格をしたベテランの隊員が豪快に笑いながら立ち上がり、レイの背中をバシッと力強く叩いた。
「緊張する気持ちは分かるがね、この隊に足を踏み入れたからには、身分も過去も関係ねぇ! ここにいる奴らは全員、いざとなれば背中を預け合う――みな家族だ!」
その言葉に続くように、食堂のあちこちから「そうだそうだ!」「気楽にいけよ!」「新人くん、後でたらふく肉を食わせてやる!」と次々に声が上がり、盛大な拍手が巻き起こった。
ノイも隣で「よかったな、レイ!」と楽しそうに笑っている。
隊員たちの誰もが同じ温かい気持ちで自分を迎え入れてくれていることを肌で感じ、レイの胸にあったわずかな不安や緊張は、心地よい安心感へと変わっていった。
父親の背中を追って飛び込んだ世界は、決して孤独な戦場ではない。
温かな仲間に囲まれた食堂の喧噪の中で、レイは新しい居場所で生きていく覚悟を、改めてしっかりと噛み締めるのだった。
賑やかだった食堂のどんちゃん騒ぎもすっかり落ち着き、心地よい静寂が広がり始めた頃。レイも自分の部屋へ戻ろうと席を立ったその時だった。
「ちょっと待って、レイくん!」
背後から掛けられた、透き通るような女性の声にレイは足を止め、振り返った。
そこに立っていたのは、隊員の一人である少女――アリスだった。レイと歳はそう変わらないように見えるが、その瞳にはどこか鋭い洞察力が宿っている。
「なんだい?」
レイが首をかしげると、アリスはふっとイタズラっぽく微笑んで近づいてきた。
「ううん、ちょっとね。今の話を聞いてたら、君ともっと話したくなってさ!」
「俺と……? いいけど」
突然のことに戸惑いつつも、レイが頷くと、アリスは嬉しそうに小さく頷いた。
「よかった! じゃあさ、ちょっと付き合ってよ。レイくんに、すごいの見せてあげる!」
アリスはレイの返事を待つ間もなく、トコトコと歩き出して城外へと向かう。促されるままについていくと、たどり着いたのは、聖都の喧騒から離れた、夜空の星々がどこまでも近く見える見晴らしの良い城外の丘だった。
吹き抜ける夜風が心地よい静かな丘の上で、アリスは振り返って両手を広げた。
「ほら、ここ。すごく景色がいいでしょ?」
レイは夜空に瞬く満天の星と、下に広がる聖都の美しい夜景を見渡し、感嘆の息を漏らした。
「本当だ……すごく綺麗だね。で、もしかして星を見せるためにわざわざ外に連れ出したの?」
アリスはクスッと笑い、首を横に振った。
「ううん、違うよ。星なんておまけみたいなものさ。本番はこっち!」
そう言うと、アリスはキュッと指をくわえ、澄んだ夜空に向かって鋭く美しい指笛を奏でた。
キィーーーーーーッ!
その瞬間、静まり返った夜空を引き裂くように、地響きを伴う力強い生物の咆哮が遠くから響き渡った。
ドスン、ドスンと大地を揺らす足音が近づいてくる。圧倒的な気圧に息を呑むレイの前へ、漆黒の闇の中からふわりと舞い降りたもの――それは、銀色に輝く巨大な翼を広げた、気高き一頭の「竜」だった。




