第77話 光の彼方
失われた肉体を灼熱の炎でかたどり、死の淵から蘇ったヘリオス。
その炎の権化となった姿は、もはや人間としての体温を失い、ただ静かに、しかし燃え盛る怒りのみを宿した瞳でまっすぐロキを見据えていた。
圧倒的な熱量を放つヘリオスを目の当たりにしながら、しかし彼の脳裏にふと浮かんだのは、戦いや殺戮とはかけ離れた過去の記憶だった。
それは、かつて彼が王子として平穏に過ごしていた頃の故郷――ルミナス王国での日々。
城の広大な庭園や回廊を、ロキと共に無邪気に駆け回り、他愛のないことで笑い合った幼い頃の記憶が、走馬灯のように鮮やかに蘇る。あの頃は、未来にこんな残酷な運命が待っているなどとは微塵も思っていなかった。
しかし、現実はあまりにも冷酷だった。
かつて共に笑い合った幼馴染であり、今は世界を滅ぼさんとする宿敵。楽しかったはずの過去の記憶が鮮明であればあるほど、今この瞬間に互いの命を奪い合っているという残酷な現実が、胸を締め付けるように重くのしかかる。
甘い感傷に浸る時間は、もう一秒たりとも残されていない。
「……ロキ」
ヘリオスが呟いた声は、激しく燃え盛る炎の音にかき消されながらも、確かな決意を帯びていた。
楽しかった記憶があるからこそ、この手で友だった男の暴走を止めなければならない。生温い慈悲は捨て去った。今ここで持てるすべての魔力、すべての命の火花を燃やし尽くし、ロキという災厄をこの世界から完全に葬り去る――そのための最後の戦いが、今、幕を開けようとしていた。死の淵から蘇り、命の残り火のすべてを炎へと変えたヘリオス。
その圧倒的な気迫に気圧されながらも、ロキは冷酷な笑みを浮かべ、両手を大きく広げた。
「ふん、死に損ないが足掻いたところで結果は同じだ! 消え失せろ、ヘリオス!」
ロキの創造の力が空間を歪ませ、無数の鋭利な棘や破壊の造物が次々と生み出される。それは先ほどまでヘリオスの肉体を容赦なく串刺しにし、絶望へと叩き落とした絶対的な牙の群れだった。
放たれた無数の造物は、まるで意思を持った凶獣のように、一直線にヘリオスへと殺到する。
しかし――。
炎の権化となったヘリオスは、一歩も引くことなく、ただまっすぐにロキを見据えたまま静かに右手を掲げた。
——ゴウッ……!!
ヘリオスの全身から溢れ出す純白と真紅の炎が、凄まじい熱量の奔流となって爆発的に広がる。
それは物理的な衝撃波であり、同時にあらゆる存在を焼き尽くす絶対的な熱の障壁だった。
ロキが放った無数の造物は、ヘリオスの身体に到達するどころか、その周囲を渦巻く灼熱の猛火に触れた瞬間から音を立てて溶け始め、形を保つことすら許されずに次々と蒸発していく。
数秒前まで脅威だったはずの創造の産物は、ヘリオスの放つ凄まじい高熱の前にはただの塵と化し、虚しく空気に溶けて消えていった。
「なっ……! 私の造物が……焼き尽くされているだと……!?」
初めてロキの顔に焦りと動揺の色が走る。
どれほど強力な造物を生み出そうとも、今のヘリオスが纏う命を燃え上がらせた炎の前では、すべてが灰と化して届かない。
足を止めることも、防御することも許さない。
ただひたすらに前へ、ロキの元へと進み続けるヘリオスの足取りは、死の淵を越えた者特有の静かなる威圧感を纏っていた。
追憶の過去を胸に秘めながら、炎の権化はすべての決着をつけるため、容赦なく宿敵との距離を詰めていくのだった。あらゆる造物を灼熱で焼き払い、ロキとの距離をゼロへと縮めたヘリオス。
もはや躊躇いも恐怖もない。炎の権化となった彼は、燃え盛る右拳にすべての魔力と命の残り火を極限まで凝縮させた。
「――終わりだ、ロキっ!」
地面を砕くほどの踏み込みとともに放たれた渾身の一撃が、ロキの防御を完全に粉砕し、その体を容赦なく空中へと殴り上げた。
凄まじい衝撃に飛ばされ、宙を舞うロキ。
しかし、ヘリオスはその逃走を許さない。まるで磁石に引き寄せられるかのように、自らも背の炎の翼を大きく羽ばたかせ、猛烈な勢いで空へと飛び上がった。
(逃がさない……! ここで、すべてを終わらせる……っ!)
体勢を立て直そうと、ロキは慌てて背中に禍々しい魔力の翼を展開しようとする。しかし、ヘリオスから放たれ続ける尋常ではない灼熱の奔流が周囲の大気を支配し、ロキの魔力を根本から焼き焦がした。翼の形を成す前に熱に溶かされ、ロキは空中で完全に自由を奪われる。
そして、宙空の真ん中で、ヘリオスは逃れようとするロキの両腕を背後から力強く抱きしめ、ガッチリとロックした。
「なっ……馬鹿な、離せ、ヘリオス……っ!?」
ロキが焦燥に満ちた声を上げ、全身の魔力を暴走させて振り払おうと暴れる。だが、命のすべてを賭してしがみつくヘリオスの両腕は、まるで鋼の鎖のようにビクともしなかった。身動きが完全に封じられたロキの目を見据えながら、ヘリオスの脳裏に愛しい人々の姿が走馬灯のように鮮やかに蘇る。
あの日の夜を乗り越えて笑顔を交わした、妻のミーナ。
無邪気に懐いてくれた妹のマニー。
温かく自分たちを受け入れてくれたケルトとマーサの老夫婦。
そして、愛らしい拙い声で自分を呼んでくれた、愛しい我が子・レイの笑顔。
(みんな……どうか、元気で。僕の愛しい家族……)
最後に脳裏に焼き付いた家族の顔を思い浮かべながら、ヘリオスはふっと心からの穏やかな笑みをこぼした。
その直後――。
ヘリオスの肉体を形作っていたすべての炎が、内側へと一気に収縮し、次の瞬間、凄まじいまでの膨張と爆発を引き起こした。
「――星霊開闢』ッ!!」
それは、星の誕生と消滅を思わせる、宇宙の始まりのような大爆発――「ビッグバン」の如き絶対的なエネルギーの解放だった。
夜空の暗闇を完全に飲み込み、世界の一切を白く染め上げるほどの眩い閃光が、夜空の果てへと煌めいたのだった。




