第72話 一瞬の魔法
季節が巡り、穏やかな日々と準備期間を経て、ついにヘリオスとミーナが聖都の教会で挙式を挙げる当日がやってきた。
白亜の石造りが美しい大聖堂には、柔らかな陽光がステンドグラスを通り抜け、色鮮やかな光のシャワーとなって二人を優しく包み込んでいる。
式場を見渡せば、遠い村からはるばる駆けつけてくれたケルトとマーサの老夫婦が、我が子のことのように目を潤ませながら温かい視線を送っていた。その隣では、マニーがドレス姿のミーナを見て
「わぁ、お姉ちゃんお姫様みたい……!」
と嬉しそうに小さく手を叩いている。
そして、かつての死闘を共に乗り越えた聖都の仲間たちも、このハレの日のために駆けつけてくれていた。
最前線で騎士団を率いるヴァルガスをはじめ、豪快に笑みを浮かべるガレオンの姿もある。その他にも、式場のあちこちに騎士団のメンバーたちの顔ぶれがちらほらと見受けられた。
ただ、唯一そこにいなかったのはジンガーだった。
彼は「ロキの残党や魔の手に備えるため」として、聖都周辺の警戒態勢をより強固にするため各地の巡回に赴いており、残念ながらこの場に立ち会うことはできなかった。
(ヒューガは……やっぱり、まだどこかを旅している途中か)
招待状を出したものの、自由気ままな冒険者であるヒューガは姿を見せなかった。それでも、かつて命懸けで支え合ったお世話になった人々がこうして自分たちのために集まってくれたことに対し、ヘリオスは胸がいっぱいになるほどの深い嬉しさを覚えていた。
大聖堂の祭壇の前で誓いの言葉を交わし、参列者たちから「おめでとう!」という心からの祝福の声と温かな拍手が降り注ぐ。その真っ直ぐな祝福を浴びるたび、ヘリオスはこみ上げる喜びを噛み締めていた。
式が一段落し、教会の庭園に場所を移して和やかな歓談の時間が流れていたその時――不意に、見慣れた風貌の男がひょっこりと姿を現した。
「どうにか間に合ったみたいですね。ヘリオス、ミーナ先輩、結婚おめでとう!」
声を弾ませながら現れたのは、実験室に籠っていたはずのレオンだった。
彼は片手に、これまで誰も見たことのない、奇妙な金属と黒い箱を組み合わせたようなメカニカルな道具を大切そうに抱えていた。
「レオン……! 来てくれたのか!」
「ああ、君の一世一代の晴れ舞台を、みすみす見逃すわけないだろ」
レオンはふっと不敵な笑みを浮かべ、手に持った奇妙な道具を皆の前に掲げた。
周囲にいたヴァルガスやガレオン、村の人々は、見たこともないその代物を好奇の目でじろじろと眺め、首をかしげた。
「なんだ、おい……? その四角い変な箱は。新しい武器か何かか?」
「いや、武器にしちゃ刃もないし、魔力の気配もしねぇぞ……?」
一同がざわめく中、レオンはどこか得意げに鼻を鳴らした。
「ふっ、これはな、ロキとの戦いから戻ったあと、僕がずっと実験室に籠って開発していたものさ。名付けて――『写真機』だ」
「しゃしんき……?」
ヘリオスがオウム返しにつぶやくと、レオンは力強くうなずいた。
「そうだ。これは一切の魔力を必要としない。仕組みを知らない奴から見ればただの奇術に見えるかもしれないが、これを使えば、目の前の瞬間をそのままガラス板や紙に焼き付けて『形として残す』ことができるんだ」
レオンのその説明を聞いても、魔法が当たり前の世界に生きる一同にはすぐにはピンとこず、
「へぇ……?」
「よく分かんねぇけどすげぇな」
と、どこか半信半疑の空気が流れた。
「まあ、百聞は一見に如かず。言葉で説明するより、実際に見てているんだね」
レオンは「まぁ、見てろ」と言わんばかりに不敵に笑うと、ガチャリと機材の部品を操作し、そのレンズを今まさに並んで立っているヘリオスとミーナの下へと向けたのだった。「まぁ、見てろよ」
レオンはそう言って不敵に笑うと、手にした奇妙な四角い金属の箱――『写真機』のレンズを、祭壇の前で並び立つヘリオスとミーナへとしっかりと向けた。
初めて見る代物に、ヴァルガスやガレオン、そして老夫婦のケルトとマーサも「一体これから何が始まるんだ?」と、興味津々な視線を注いでいる。
レオンはファインダーを覗き込み、ピントを合わせると、本体の上部にある小さなレバーをカチリと回した。そして、緊張した面持ちのヘリオスと、ドレスの裾を少しだけ握りしめて照れくさそうに微笑むミーナに向かって声をかける。
「よし、動くなよ……。最高の瞬間を切り取ってやるからな!」
次の瞬間、レオンが本体のボタンを力強く押し込んだ。
――カシャッ……!
乾いた、しかし妙に鮮烈な機械音が、白亜の教会の庭園に心地よく響き渡った。
同時に、レンズの奥で一瞬だけ眩い光が瞬き、それと同時に箱の底面から、薬品の匂いを微かに纏った一枚の真新しい紙がスルスルと吐き出される。
レオンはその紙を優しく摘み上げ、指先で器用にヒラヒラと揺らしながら微笑んだ。
「ふっ、上出来だ。見てごらん」
一同は
「なんだ今の音は!?」
「え、もう終わりか!?」
とざわつきながら、レオンの手元へと一斉に群がった。
老夫婦のケルトとマーサも、マニーの手を引いて物珍しそうに覗き込む。
レオンが掲げたその白い紙の上には、魔法の絵の具を使ったわけでもないのに、そこへ立つヘリオスとミーナの姿が、光の濃淡や髪の一本一本に至るまで、驚くほどリアルな色彩で焼き付けられていた。まるで、その瞬間の時間そのものが小さな紙の中に閉じ込められたかのような仕上がりである。
「おおい……なんだこれ……っ!?」
ガレオンは目を見張り、自分の目を疑うように顔を近づけた。
「絵の具で描いたわけじゃねぇよな……? まるで、その場の景色をそのまま切り取っちまったみたいだぞ!」
ヴァルガスも腕を組みながら、感心したように深くうなずいた。
「魔力を一切使わずに、これだけの精密な描写を残すとはな……レオン、お前、とんでもねぇ代物を発明しやがったな」
「すごい……! お兄ちゃんとミーナ姉ちゃんが、そっくりそのまま紙の中にいるみたい!」
マニーがパチパチと小さな手を叩いて大喜びし、ケルトとマーサも
「今の若い者たちの知恵は本当にすごいなぁ……」
と、目を丸くして感嘆の声を漏らした。
魔力がすべての常識を支配する世界において、その力を一切必要としないレオンの「写真機」は、魔法とはまた違う、あまりにも鮮烈な科学の魔法だった。
一同はすっかりその写真機に夢中になり、
「次は俺たちも撮ってくれ!」
「私の顔も綺麗に写るか!?」
と、レオンの周りに我先にと群がり始める。
静かな感動と賑やかな笑い声に包まれた教会の庭園で、ヘリオスとミーナの最高の晴れ姿は、形ある永遠の思い出としてしっかりと刻まれていくのだった。教会の庭園でレオンの「写真機」によって切り取られた奇跡の一枚。
現像されたその真新しい紙を受け取ったヘリオスとミーナは、そこに写る自分たちの幸せそうな姿をしげしげと眺め、胸を熱くしていた。
「レオン、本当にありがとう。これ、俺たちの宝物にするよ」
「ああ、大切にするわ……!」
ヘリオスの言葉に、ミーナも嬉しそうに目を細めてうなずく。レオンは少し照れくさそうに鼻を掻きながら、
「まあ、実験の成功例第一号だ、大事にしなよ」
と誇らしげに笑ってみせたのだった。
聖都での温かな挙式と賑やかな祝宴の日々が過ぎ、しばらくの滞在を経て、ヘリオスとミーナ、そして老夫婦のケルトとマーサ、マニーの一行は自分たちが暮らすあの山間の村へと戻ってきた。
静けさと豊かな緑に包まれた村での生活が再び始まる。
朝は鳥のさえずりと共農作業に精を出し、夜は温かい食卓を囲む――かつての激闘や聖都での喧騒が嘘のように、そこにはいつもと変わらない、穏やかで満ち足りた日常が流れていた。
ヘリオスは畑を耕し、ミーナやマニー、そしてケルトとマーサと共に汗を流しながら、家族としての確かな絆を深めていく。
そんな平和な日々が続いていたある日のことだった。
朝の支度をしている最中、ミーナが突然、こめかみを押さえてふらりとバランスを崩した。
「うっ……頭が……それに、なんだか胃のあたりが……」
「ミーナ!? どうしたんだ、しっかりしてくれ!」
慌てて駆け寄ったヘリオスが支え、ミーナはそのままベッドへと横たわった。顔色は少し青く、苦しそうに小さく息を荒げている。
ただの風邪や疲労ではないかと、ヘリオスもマニーも心配そうに顔を見合わせた。
その様子に気づいたマーサが「おや、どうしたんだい?」と部屋に入ってくると、ベッドの上でぐったりしているミーナの姿を見て、はたと手を打った。
「……ちょっと、脈を診させておくれ」
マーサは手際よくミーナの手首を取り、その脈拍や身体の状態を注意深く調べ始める。傍らで見守るヘリオスとマニーは、不安で心臓が早鐘のように鳴っていた。
しばらくして、マーサの表情がパッと明るくなり、驚きと喜びに満ちた満面の笑みに変わった。
「まさか……いや、間違いねぇよ……!」
「おばあちゃん、どうしたの……っ!?」
「心配ないよ、ヘリオス君!」
マーサは嬉し涙を浮かべながら、ヘリオスとマニーに向かってこう告げた。
「ミーナは病気なんかじゃない。……お前たち、おめでとう! 新しい命が、このお腹に宿っているよ。ミーナは、妊娠しているんだよ!」
その言葉を聞いた瞬間、部屋の空気が一変した。
「え……っ……?」
ヘリオスは目を見張り、ベッドの上で驚きに瞳を潤ませるミーナと、自分の下腹部をそっと両手で包み込む彼女の姿を交互に見つめた。
自分たちの間に、新しい家族が――。
驚きと、それ以上の圧倒的な幸福感に包まれながら、ヘリオスは震える手でミーナの温かい手をそっと握りしめるのだった。




