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シオン対ルーク(二)

「まさか……シオンなのか?」

 

 甘く見ていた。何でこの男相手に正体を隠し通せると思った? 俺は自分の軽率さを呪った。

 

 どうすべきか――

 

 俺が黙したまま逡巡していると、直立していたルークは転瞬、風のような敏速さで剣を走らせた。斬撃が俺の顔に襲いかかる。予測を超えた速さ。動きの鈍った俺はかわすのが精一杯だった。いや、完全にはかわしきれず、剣が仮面を斬り裂いた。

 

 二つに裂かれた仮面が地面にはじき飛ぶ。

 

 俺の素顔が薄暗い路地のもとにさらされた。


「……シオン、お前が吸血鬼だったとはさすがに驚いたな。最近、挙動が少しおかしいとは思っていたが……」

 

 ルークは、やや驚きつつも沈着に言った。

 

 束の間、両者のあいだに息苦しい静寂が落ち、それを先に破ったのは俺だった。


「……誰にも言わないでおいてくれないか?」

 

 自ら襲撃しておいて俺はそんな虫のよすぎることを抜かした。


「黙ってこれまで通り過ごさせろと? 看過できるはずがないだろう。この国では吸血鬼は処刑対象か国外追放と定まっているんだ。お前の場合は貴族を何人も襲っているし、いくら王子と言えど、前者の刑に処されるだろうな」


「俺に死ねっていうのか……?」

 

 ルークはしばし黙考した様子のあと、


「この国から去るんだな。今夜じゅうに出奔するなら、この場は水に流してやる」

 

 死と比べれば破格の譲歩かもしれない。だが、それは俺が王子という身分をなくすことを意味している。玉座に即くという野望の終焉を意味している。そして、妹エミリアと会えなくなることも。

 

 そう思い至った瞬間、俺の闘気が、胸の底からふくれあがった。


「飲めないね。そんな条件」

 

 俺は再び剣を構えた。


「黙ってるつもりがないなら、ルーク、お前を斬らざるをえないな」

 

 こっちは十三歳まで市井の人間として貧窮に耐えて暮らした過去があんだよ。こんな何もかも持ってる奴のせいですべてを失ってたまるか。

 

 さしものルークも緊張の色をわずかながら表情に滲ませ、剣を構えた。その剣は、神威には劣るが特殊な銀と鋼が含まれている。これで斬られたら、吸血鬼の再生能力を完全には発揮できない。

 

 少しの間、互いに機をうかがった。すぐに糸は切れた。

 

 俺が踏み込み、右上段から斬撃を振り下ろす。はじき返され、第二撃を放つ。それも受け流された。三合目も同様。

 

 やはり、操重ノ術によって俺の動きは鈍らされている。普段ならひと息に五連撃はできる剣速が半分程度に減殺されている。それによって、単純な身体能力はルークと同程度といったところか。

 

 ルークが突き込んでくる。はね返す。次に斬撃が飛んできて、かわしざま、斬りかかる。撃ち返され、再び剣と剣が激突。

 

 闇が半ば立ち込める中、刃鳴りが連続的に響き、剣光が立て続けに生じる。

 

 終わりはふいに訪れた。

 

 刃が交錯した瞬間、かん高い金属音が発生し、俺の剣が真っ二つに折れたのだ。

 

 剣そのものの違いがこの結果を招いた。ルークの剣は名工によって作られた一級品で、反対に、俺はなるべく正体を悟られないようにするため量産品を使っていたのだ。

 

 折れた剣身の上半分はくるくる回転して地面に落ちていった。

 

 代わりの剣はない。俺が呆然としていると、ルークが言った。


「降参するのか? それとも素手でやるのか?」

 

 吸血鬼なら爪を尖らせて人を刺せる個体もいると聞いたことはあったが、俺はそのやり方で戦ったことがない。

 

 降参するかどうか。このとき、なぜか脳裏をよぎったのはエミリアのことだった。俺はあいつに正体を知られるのが一番怖いのかもしれない。

 

 最後に。

 

 俺は剣を持ったまま、ルークに対して体を真横に向けて片手突きの構えをとった。


「何を……」

 

 ルークは驚いたような呆れたような顔を見せた。

 

 もちろん、剣は折れている。それでも、一番得意なこの突きの構えをとった。

 

 吸血鬼としてのエネルギーを、この片手突きの突進に集中させる。かつてないほどに。

 

 踏み込んだ。突きが空気を裂く。折れた剣が閃光の流星を描き、ルークに撃ち込まれていく。

 

 が、操重ノ術により、間一髪ルークは致命傷は回避。折れた剣尖は奴の左上腕をえぐった。


「くッ……!」

 

 軽くうめくルークに、すぐさま俺は折れた剣を投げつけた。それを剣ではじいたものの、ルークは体勢をくずした。その間隙をついて飛びかかり、奴のこめかみを殴りつけた。

 

 仰向けに転倒したルークに俺は馬乗りになる。この時点でルークの意識は飛んでいたのか、操重ノ術はほとんど効力をなくしていた。さらに手拳で殴打する。計三回ほど殴り、俺は荒く息を吐きながら我に返った。

 

 ルークは完全に意識を失っていた。こめかみのあたりが半ば陥没していて、血がどろどろ出ていた。

 

 ……った。

 

 そう思ったとき、後ろから足音が聞こえた。通行人だろうか、こちらに向かってくるかもしれない。ルークを殺して動揺した俺は、慌ててその場を立ち去る。

 

 夜道を走りながら、激しい狼狽と興奮が俺を支配した。心臓がのたうつように脈打ち、悪寒すら感じていた。

 

 ルークを殺した。

 

 人を殺したのは初めてではなかった。軍人として戦場を駆けて敵を討ったことなら幾度となくある。しかし、今回のはそれとはわけが違う。免罪符が何もない。あったのは醜い飢餓感と嫉妬心による動機のみ。

 

 それでも、ルークが黙っていると誓えば殺すことはなかった。最終的に戦うことを選択したのは奴だ。そう思って自分を納得させようとするものの、その自己弁護に拭いきれない違和感を覚えた。

 

 いつも貴族を襲ったあとに、仮面やマント、剣を隠す離宮に入った。ここは今は誰も使用しておらず、隠すのに適していた。このとき、仮面を現場に置いてきたことを思い出したが、さほど問題ではない。あの仮面は足がつくようなところで手に入れたわけではなかったからだ。

 

 離宮を出、自分の部屋に帰った。

 

 あのとき、通行人が来たことでルークがすぐに発見された場合、王宮はまもなく騒ぎになるに違いない。俺は心をどうにか落ち着かせて、それを待った。

 

 どれくらい経っただろうか。やがて――


「シオン殿下、大変でございます!」

 

 侍女のエレナが俺の部屋を訪れた。俺は何食わぬ顔で事情を聞く。


「ルーク殿下が何者かに襲われて意識不明の重体とのことです!」

 

 悲痛な面持ちのエレナを横目に、俺は予想外の平手打ちを浴びたような感覚になった。


「意識不明――ということは、助かる見込みがあるのか?」

 

 ルークが運ばれたという王宮医務室に向かう中、エレナに尋ねたが、又聞きらしく、要領を得ないことおびただしかった。俺の胸中に不安と恐怖が再び芽吹く。

 

 俺は医務室に入った。その部屋は広く、中には何人もの関係者がいた。その奥のベッドにルークが仰向けになっていた。意識を取り戻している様子はない。

 

 その傍ら、黒く厚い外套をまとった男が二人、ルークの頭部に手をかざしていた。魔術師。手から燐光のようなものを発して、ルークに治癒の魔術を施している。


「あぁ……。シオン……っ」

 

 先にきていたエミリアが俺に顔を向けた。その顔は涙に濡れて蒼白だった。


「ルークがっ……こんなことに……どうしてっ……」

 

 悲嘆と困惑によって窒息しそうな声を出しながら、妹は俺に抱きついてきた。普段、折り合いのよくない俺にここまで感情を吐露するのは、彼女の母が死んだとき以来だった。


「……安心しろ。大丈夫だ」

 

 自分がこんな惨劇を起こしておいて大丈夫も何もなかったが、とにかく俺はそんなことを言うしかなかった。

 

 頭を何度かなでたあとエミリアを離し、俺はルークのほうを向いた。

 

 そのとき、あの女の存在に気づいた。すらりとした立ち姿。夜の色の髪に、アーモンド形の怜悧な双眸。

 

 探偵ペイシェンス。

 

 何でいやがる……。俺の背筋を嫌な感覚が駆けめぐった。

 

 ひとまずはそれを振り払い、


「……それで、一体、何があったんだ?」

 

 と、何があったかは己が一番わかっていながら、それらしいことを医師の男に尋ねた。

「例の、アルセイスの吸血鬼に襲われたと思われます」

 

 初老の医師が答えた。


「もう一人、襲われた従者は軽症で、すでに意識を取り戻しており、その者の言では、仮面をつけたそれが突然襲いかかってきた、と。その従者はすぐに昏倒させられ、ほぼ何も目にしておりませぬ。おそらくルーク殿下はその吸血鬼と戦闘になり、結果、手拳で数発殴打されてこのような状態に」


「……そいつが誰かはわからないのか?」


「残念ながら。仮面が落ちておりましたので、例の吸血鬼ということは推測できますが」


「それで、ルークは助かるのか……?」

 

 まさか、息を吹き返すんじゃないだろうな……?


「正直に申しまして、お救いできる可能性は半々かと……。ご存知かと思いますが、治癒の魔術は劇的に傷を修復できる代物ではございませぬゆえ」

 

 それは知っている。治癒の魔術は扱える魔術師自体が希少な上に、その効力も微々たるもので、吸血鬼の自己再生のように傷を治せない。

 

 俺はルークを三、四回殴っただけとはいえ、最後の二発ほどは吸血鬼の全力の手拳だ。その威力は脳内の組織にまで影響を与えただろう。そこまでは魔術師でも治せない――はずだ。

 

 ふいに、俺は視線を感じて横を向いた。

 

 ペイシェンスが俺を凝視していた。黒曜石の瞳が、炯々と。

 

 この女、俺を観察してやがる……!

 

 戦慄が脊椎を貫く。ルークが目を覚まさない限り、何も証拠は残っていない。にもかかわらず、この女に見据えられると、嫌な予感が俺の胸を突き上げる。


「何でルークがこんな目に遭わないといけないの……」

 

 エミリアがうなだれながら、悲嘆に満ちた声を漏らす。

 

 それは、怒りに変貌した。


「あの吸血鬼……絶対に許さないっ……!」

 

 俺は、人生で最大の過ちを犯したことを、ようやく悟った。

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