赤い髪白い髪
その女性はまるで燃えるような、強い熱を感じるような赤い髪をなびかせる。
耳や尻尾が無い等違う点も多いが、イチジクが少しばかり外見的成長をすればこんな感じだろうというくらいで顔のパーツや髪の長さ、不釣り合いな大きさの斧を振り回す姿まであまりにも瓜二つであった。
「ふふ、鬼ごっこは終わり?やっと遊んでくれる気に……って、何?今度は偽物の偽物?」
その女性の表情の変化は実にわかりやすかった。
楽しいと表情に書いてあったのに、一瞬で落胆と書いてあるかのようなわかりやすさだった。
「こんな手品で私を振りきれると本気で思って……」
「……サルタナ?」
女性から何の予備動作もなく青い波動……としか表現できない何かがこの通路全域に走りイチジクに付けられていた模様は音を立てて消え、それを見た女性はまたしても急激な変化が起こり硬直した。
その硬直した時間の中でハルバードを元のアクセサリーへと戻し、信じられないという様子で「サルタナ」と名前を呟いた。
「おぉ……おぉ~!九!九だ!」
「指を差すでない」
いつの間にかサルタナも斧を消し、とても近い距離に接近して鼻に当たるんじゃないかという距離で指を差すがイチジクは動じる事無くそれを鷲掴みにする。
「あだだだだ!人間だったらその方向不味いでしょ!」
「なんじゃ?いつもよりご機嫌じゃないかの?」
二人とも先程までの気配は何処へやら、完全に偶然出会った友人と軽く会話する雰囲気で話し出し、この緊急事態が済んだのだと私達も安堵する。
それに加えイチジクと同レベルの戦士がもう一人加わっていくら地下水道が危険でも大丈夫だろうと心の余裕もできる。
「そういう九はいつもよりちょっとだけセンチメンタル気味じゃない?
恋がどうとか聞こえたけどお相手できた?泣かされちゃったの?殺そっか?」
「おらんが仮にもわらわの婿様候補を殺そうとするで……と、そう言えばサルタナはそうして生まれてきたという話じゃったな」
「そうだよ~。薄暗くドロドロとして永遠に残り続けるような強烈な死の香りのする純愛こそが私が生まれた環境なんだからさ」
少々過激な発言が多いが楽しげに会話している。
会話の最中それはもう当然のようにサルタナが浮かび上がり、空中の何も無いところで寝転がって実にリラックスした様子で周囲を漂いはじめるがイチジクもそれが当然と思っているのか何も指摘しない。
サルタナはイチジクのどっかの民族かと聞きたくなる服装と違い、Yシャツに黒のロングスカートでとてもシンプルな格好をしている。
たぶんこの場に女性しか居ないとでも思ってるからそんなだらしない姿をさらけ出しているのだろうけど、レネはハーフエルフで一見女性に見えなくもないが男だ。
私はここまでの移動による疲労と緊張から解放され襲ってきた疲労感、何より楽しそうに会話している間に入れる程の気力が出せず指摘できずにその会話をただ眺め続けていた。
「流石にそれを純愛と呼ぶのは気が引けるのぅ……それでなぜあの黄色い女を追いかけておったのじゃ?」
「あれの名前は薬袋九って言うんだけど」
「む?同性同名?いちじくはなんて書く?九?無花果?」
「きゅ~」
「ほうほう、珍しい名前じゃと思うのじゃがそんな事があるものなのじゃのぅ」
「うん。それで……友達?」
今まで眼中に無かったのか、イチジクを中心にゆっくりと浮遊しながら回っていたサルタナが私と目が合いようやく気付いた様子で聞いてくる。
男がいるのに云々じゃなくて単純にイチジクしか見えてなかったのか……余程イチジクの事が好きで信頼してるのだろう。
「ん?あぁ、わらわの恩人で大切な存在じゃ。わらわが戦っても頼りにこそされ怖がられたりはせん。ここにいて良いと思える存在じゃな」
「へぇ~、ひねくれ者で疑り深い九にしては珍しい評価じゃん」
「別にひねくれてたのではなく敵対者に容赦しなかっただけじゃろが。
この子らは疑う余地など無い。それにまだ子供じゃ。
本来であればもっと甘えてほしいし年相応の姿を見せてほしいのじゃが……如何せんわらわの力不足でそのような無責任な発言はできんかった。
この外がミシシュより治安がよければ腹を割って話せる余裕だってある筈じゃ。
そう考えると期待すら抱いてしまうのぅ」
「……その顔、ずっと昔に見たのが最後だったね」
「その顔?そんな変な顔しておったか?」
「気付いてないなら良いさ。
でもね、私はその顔がとても頼もしかったんだ。
……さて、聞いてたと思うけど私の名はサルタナだ。
イチジクの関係者みたいだしサルタナさんとか付けずに呼び捨てで構わないよ」
「えっと……ノエルです。よろしくお願いします」
「レネ」
「はいよろしく。少し喋ってるからそれにでも座って待っててよ」
そう言い指を向けると私達の前に場違いにも程があるソファーが現れる。
まるで私が家族と住んでた頃の家にありそうなソファーで、それに座れと言われた瞬間私の中で緊張感が走る。
私達の服の汚れ具合とか見て発言してますかこの人?
いや、そもそも地下水道に無造作にこんな高価そうなソファーを置くことに正気を疑うのだけど……
「わらわも座りたい」
「出せばいいじゃん」
「わらわが収納術の使い方さえ思い出せておればそもそもこんな地下水道など通っておらんのじゃぁ……」
「えぇ?術が使えないってわりと致命的じゃない?」
「最近まで全く術が使えなくての、初歩と生活系の術はある程度使えるようになったが不便じゃ」
「ふ~ん……仕方ないなぁ~……」
ソファーが新たに2つと低い長机1つが出現し、1つにはイチジクが座り、イチジクの膝上にサルタナが寝転がる。
「……別に良いが話しにくい」
「え~?しょうがにゃいにゃぁ~」
浮かび上がり対面しているソファーへと寝転び、出したクッションに顔を埋める。
「ん~?君らいつまで立ってんのさぁ~……あぁ~、なるほど。汚れとか気にしないから座りなよ。
私の体で無限に作れるし、九も憤怒の乙女も私の一部みたいなモノだから、九のモノだとでも思って気楽にしてて」
「なんかその言い方は気持ち悪いが完全に間違っとる訳でもないのがなんとも言えんのぅ……」
イチジクと瓜二つの優しさに溢れた柔らかな笑みでそう言われるも情報不足から言っている意味が半分も理解できない。
しかし座らないと話を再開しそうにない様子なので、抵抗を感じながらも座ることにした。
「これ好きに食べて良いよ。あと飲み物は……ここって寒いの?暑いの?」
「寒い」
「じゃあ紅茶。ウイスキー飲む?」
「今は飲まぬが一本くれ」
「んにゃ~しょうがにゃにゃにゃ~」
机の上に焼き菓子が出現し、そのやり取りの後ポットとカップ、スプーンが4つと入れ物が1つと黄金色の液体が入った綺麗な容器が1つ出現した。
さっき収納術の話題が出ていたけどイチジクの収納術も同じものなのだろうか?
どういう原理かはわからないけど、もしそうなら便利だしそもそも地下水道なんて通らないという発現も十分納得できる。
ハルバードのような強力なマジックアイテムを使用して脱出が容易にできたのだろう。
それが空を飛ぶのか転移によるものかはわからないけれど。
「それでわらわと同性同名ちゃん、成人して少ししたくらいの見た目じゃったが何をやらかしたのじゃ?
オールスフィアでも破壊して主らの逆鱗に触れたか?」
「お?喧嘩売ってる?やるか?」
「やらぬ」
「やらぬかぁ~……そっかぁ~…………」
「………………………………ど~こだ?」
顔をクッションに埋め落ち込む姿を見たイチジクが財布から銅貨を一枚取り出すと同時に顔を上げたサルタナの気配が変わる。
気配だけでない、あの夜のイチジクと同じようにあふれる魔力が可視化できるというのに魔力を感じず、何よりも大きな変化はその白と赤の瞳が黒と透き通るような黄金の色へと変わった事だ。
そんな変化を気にもせずイチジクは指で銅貨を弾き、落下してくる銅貨を両手を使いどちらの手で取ったかわからないようにし「ど~こだ」と口にする。
「その右、イチジクからして左の尻尾」
「む?正解じゃが即答か?もしかして失敗したかの?」
「ふふん、私の勝ちぃ~。良い手だったけど今回のは視線の誘導のさせ方が露骨だったから読み勝てただけだよ」
「やはりブランクかのぉ……つい最近も感じたが弱くなっておるのは勘違いではないのかのぅ?」
「確かにそうだけど術使えないのと比べたら誤差だよ誤差。
というよりまともな術も使えない状態で私に勝てると本気で思っていたの?」
「料理勝負するかの?」
「前言撤回。勝てるわけないじゃ~ん。理不尽だ~。横暴だ~」
「散々人類に理不尽押しつけた存在のくせにぬかしおる」
そう言いながら銅貨を財布に戻し一枚の金貨、一万ゴールドを取り出しサルタナに投げる。
それを受け取ったサルタナはニヤニヤと見せつけるように金貨を振ってから収納術でしまった。
「それでさっきの偽物ちゃんの話しだけどさ、小さな村でそこそこ噂になってる占い師がその名でさぁ、私はさぁ、久しぶりに九にあえると楽しみにしていたら別人でムカついたし紛らわしいし殺そうとしたんだよ」
「そんなつまらん理由で無闇に殺生するでないたわけ」
「え~?同じ顔の奴はいらないって理由でさぁ、この旧世界からの私と真っ向から殴りあった九が言うセリフなのさそれさぁ~?」
長い沈黙、イチジクの表情が若干ひくつき、それをニヤニヤと楽しそうに眺めるサルタナの様子を見て、今までのやり取りも含めて二人の仲の良さを強く感じた。
イチジクは無言で紅茶を入れ始め、入れ物の蓋を開け中に入っていた真っ白な角砂糖を1つずつ入れるてスプーンで回しそれぞれの側に置いていく。
「砂糖3つとミルクもね」
その一言に抗う事無く2つ追加し手渡すと心底上機嫌で「ありがとう」と返され苦い顔をし誤魔化すように自分のを口にしようと手を伸ばすが途中で止まる。
手を止めたイチジクは私達へ顔を向け「砂糖もっといるかの?ミルクも」と言われ、サルタナと同じようにしてもらって口にする。久しぶりに感じる甘味に感動を覚えるもこんな場所で味わうとは思わなかったと染々思う。
「………この世界に来てからちぃっとばかし術に限らず記憶が曇っていての、思い出せん事が多すぎる」
「はい嘘~。私に嘘は絶対に通用しないとわかっててそういうこと言っちゃうんだからさ~」
「嘘ではない」
「記憶が曇っているというのは本当で、殴りあった経緯はしっかり覚えてるくせに」
「誰も主と殴りあった経緯を忘れたなど一言も言っとらんぞ?」
またしても長い沈黙。
しかしこの二人の沈黙は痛くなく、むしろ心地良さすら感じるのが不思議だ。
実際黙っているサルタナは次どうつついてやろうかと考えてるのがニヤニヤとした表情から簡単に伺える。
「あのさぁ……そういう後出しは流石にズルいと思うんですけどどう思いますか九さんさぁ~」
「人類がアビスと対峙する為には必要なことであると思うぞ。
特に人の感情を見通しおもちゃにする主のようなやからにはの」
「あ~あ、そんな事言っちゃうんだ~。
そんな事言われたら事実だし何も言えないじゃん。
でも下等生物に生まれた人間も悪いと思います」
「……まあ、ちょっと目を放して100年ちょっとでポックリいってしまうところは儚いとわらわも思うぞ?」
「どうせなら面白い奴等は九達みたいに遺伝子こねこねしてこっちがわに来れば良いのにね」
「倫理観に反するのじゃろたぶん。
あと別にわらわが遺伝子こねこねした訳ではないからその発言は撤回せよ」
「ごめん。流石に失言だったのかな?」
「素直で宜しい」
わからない単語が多いけど、この二人の会話を聞いてると種族の違いというものを強く感じる。
しかしこの会話、イチジクの友達にも人間がいて100年も生きられず死んでしまったように聞こえるけど、イチジクが手伝って友達に生命の源を吸収させてクラスアップさせれば1000年くらい生きられると思うのだけれど……あぁ、だから倫理観か。
その種族として生まれたからには自然体としてそのまま成長し死を受け入れる事がなんちゃらって感じの宗教的な理由なら頷ける。うん、その可能性が高そう。
「ところでこんなにのんびりしてて良いのかの?
追いかけっこの最中であろう?」
「大丈夫大丈夫。まだ視界に捕らえてるし、もし視界から逃げ切られてもしっかり私の一部を付けてあげてるから逃げられない。
今は九に出会ったついでに雑談で時間潰して休ませてあげてるだけだからね」
「なんとも迷惑な話じゃろうな。
わらわも一度は殺そうとしたが今は同情を拭えん」
「それでさ、偽物九なんだけど思ったより強くて手数も豊富でね、87個も見せてくれてさ、追いかけてるうちに段々楽しくなってテンション上がってここまで来たんだけど、楽しかったし九も殺すなって言ってるし殺すのは止めておくことにするよ」
「そもそも追いかけるのを止めるという選択肢は無いのじゃな?」
「もちろん」
えっ……送ってってくれないの?
どうせなら出るの手伝ってくれると嬉しいのだけど……
ま、まあイチジクも最後にはそう切り出すだろうし今は大人しくておこう。
「そうか、ならそうすると良い。じゃがせいぜい捕まえたら楽しかったとお礼を言うくらいにとどめておくのじゃぞ?」
「そうしておくよ。
というか九さ、私のこと何処まで覚えてんのさ?
別にそんなに覚えてなくても気にはしないけど、私との関係は?これだけは覚えててくれてないと悲しいんだけど……」
「それだけは絶対忘れんよ。わらわの友達であり好敵手であり、遠い血筋の関係者で家族じゃな」
血縁者って、流石長命種……
サルタナはイチジクの遠い叔母だというのにそっくりすぎる事に驚いた。
隣のレネも驚きを隠せない様子で、それがサルタナとイチジクにとっての普通だとしたら人種の中でも最上位の種族というのも納得で寿命が違いすぎて私達と感覚が食い違ってしまうのも当然か。
「……え?家族って言われたのは初めてなんだけど……
まあ覚えていてくれてるようだし他はどうでも良いや」
「わらわがどうでも良くないのじゃが……本当に楽しそうじゃの。
わらわ達の世界ではあんなにもつまらなそうな顔しておったのに。そんなに楽しいかの?」
「もちろん。人が私を見ても恐れない、怯えない。何より私達の世界より強い人が多い。気付いた?九より強い奴の気配だってけっこうあるんだよ。
まあやりあってて楽しいかどうかが一番重要なところなんだけど」
「わらわとのインファイトみたいな?」
「お互いの片足にナイフ刺してから殴り会うアレね。
完全に覚えてるじゃん。何で無駄にはぐらかそうとしたのさ」
「はて?何のことかのぅ?はぐらかすつもりなど無いのじゃが……
記憶が曇っておっていろいろと不便な事もある。
どんな家系かは覚えておるが、どんな場所でどんな人と育ったのかをいまいち覚えてなかったりとわらわも基準がようわからんのじゃ」
「ふ~ん、言葉のキャッチボールがしたかったけどだいぶ外してくれたね。
それならそれで良いや。じゃあそろそろ追いかけようか……っと、その前に。
以前使ってた通信盤水没して壊れちゃったの忘れてたや。
だから九に会いたかったんだよ。アドレス頂戴」
「ま~たポッケに入れたまま潜りおったな。わらわが復元した旧世界の遺産を粗末に扱いおって怒るぞ?」
「九は心配してくれるときにしか怒らないから私は好きだよ」
「……馬鹿を抜かすな!ほれ、わらわの通信盤」
「ん、あんがと~」
イチジクが出した片手で収まるサイズの色付けられた細い鉄製の板のような見た目の物、通信盤を受け取りイチジクの赤い色に対し青い色の通信盤を並べ少しいじった後青い方をしまい赤い方をイチジクへと差し出す。
「はい、返す………」
「…………なんじゃ?構ってほしいのか?」
返してもらおうと手を伸ばすが持ち上げられ通信盤を受け取ろうしていたイチジクの手は空を掴む。
「いやそうじゃなくてさ……今通信盤どっから出した?」
「ん?どっからってこう…………」
カラン……と、やたら鱗が細々と、それでいて力強いドラゴンが彫られているナイフがイチジクの手の平から長机の上へと落ちた。
……これ、もしかしなくてもさっきサルタナが使用していた収納術と同じものなんじゃ?
「……グッゥウウゥウウウウウッ!!!この役立たずの戯けが!
何故!何故このタイミングでェッ!?」
自分があまりにも自然に収納術を使えてしまった事がよほどショックだったのか、綺麗な髪をグシャグシャに掴み悲痛な叫びのような、無理に絞り出すかのような……
「だ、大丈夫気にしな……」
「……ぶ、あっははははははははは!」
フォローに入ろうとした私の言葉は机をバンバンと叩きながら大爆笑したサルタナの声により虚しく消えてなくなった。
「笑うな!いや笑え!こんな無能いっそさらしあげてしまえ!
あーもう駄目じゃ!めちゃくちゃじゃ!」
「ひーっ、ひー……ぶ、クフフフフ………あ、駄目、お腹痛い………ふっ、ふっ………」
「えぇ……」
そう言えば私がダンジョンボスのゴブリンに吹っ飛ばされた時、もし私が旧友だったなら笑ってやってたとイチジクは言ってたけどこんな感じだったのかな?
もう悔しさや惨めさや申し訳なさなんかの感情が爆発して顔を真っ赤にして今にも泣いてしまいそうな……いや、若干泣いているイチジクと、笑いを通り越してもはや悶絶しているサルタナという、フォローに入ろうとした私ではもうどういう言葉をかければ良いかわからない空気になってしまった。
「はぁ~…………サルタナよ、この世界に通信盤は無いのじゃ。
じゃから絶対に水没させるでないぞ……替えが無い」
「あ、そっか。今まで以上に気を付けないと不味いね」
うつむいて両手で顔を覆いながらも絶対に伝えなくてはならない事を疲れきった声色で伝えられたところでようやく笑いが収まり通信盤を返された。
「ふ~……さて、けっこう休めただろうしハンティングを再開しようかな」
「ちと待て、行く前に空間を歪めるサルタナが得意なアレ。
アレ使ってわらわ達をこの地下水道の出口……サルタナ的には入ってきたところまで送ってほしいのじゃが良いか?」
「それくらい御安いご用だよ。というか九もいい加減自力で習得しな~」
「あと百年後くらいまでには検討してみる」
「覚える気無いでしょまったく……それじゃ送るよ」
私達三人意外の世界が歪んでいく。
最後に「またね~」というサルタナの声を耳にし地下水道の外へとソファーや長机と一緒に移動した。
「眩し……」
すっかり日が登りきっており、灯りがあったとはいえ暗い場所からいきなり出れば当然目がくらむ程の光にさらされる。
「ふぅ、なんとか出られたの。
………あ~、その、本当にすまなかった。本当に収納術の使い方がわからんかったのじゃ。主らには凄く大変な事を強いる結果になってしもうた」
立ち上がり深々と謝罪をするイチジク。
そもそもイチジクがいなければ私達は無事にミシシュから出る事ができなかった。
「頭を上げて、イチジクは何も悪くない。
イチジクの頑張りは私達が側で沢山見てたから謝らないで。
レネだってそうでしょ?」
「そうだね。少なくとも僕らだけじゃ生きて出れなかった。
イチジクには感謝こそしても謝罪されると……その、困る」
「それよりその……一応確認するけど、今後も頼って良いんだよね?」
この質問はミシシュを出る直前から何度もしていた質問だ。
その答は全く同じなのだけど、イチジクの強さや人とのやり取りを見てるとどうしても不安に思ってしまう。
だからこの質問をしたのはただ単純に言葉が思い付かず不安を口にしてしまっただけだ。
いくらサルタナとの会話で私達をどう思っているか聞いても不安なものは不安だから。
そして同じ答えではあったが今回は言葉だけじゃなかった。
「うむ、もちろんじゃ。
わらわは主らの事が好いてしまっておるゆえ、よほど強く拒絶されぬ限りは側におるつもりじゃぞ?
ほれ、そんなに不安ならわらわが抱き締めてやるから来るが良い」
両手を広げ、冗談のつもりだろう。
私達が不安に思ってしまった事を察してそんな振る舞いをする。
本人も言っていたが、ミシシュなんて危険な場所で無責任過ぎる期待を持たせてはならないと強く注意を払っていたのだろう。
きっと今の振る舞いこそがサルタナに見せていたような普段の言動。
「お……おぉ?」
「………私、臭くない?」
本当に来る事が予想外だったのか、戸惑いを見せるも胸に顔を埋めるようにした私を抱き締めてくれる。
「うむ……臭くないと言えば嘘になってしまうが、なんと言うべきかの、少し感動してなんとも言えん気分じゃ。臭いがノエルのだと考えると……いや、言うだけ気持ち悪い奴みたいになってしまうから言えぬな」
抱き締める力が緩み、まだ抱き締め続ける私の事を撫ではじめる。
この時、今私が最も信頼したい人に撫でられるというのがいけなかったのだと思う。
私の願望が、私の中のたがが外れてしまい口から漏れ出る。
「アンジュエッタ……お願い、一度だけ私をそう呼んで」
風の音で消えてしまうほどとても小さな声だったが、確かに口にしてしまった。
けれどどうしてもイチジクにそう呼んでもらいたかった。
そして聴覚に優れたイチジクが聞き漏らす事は無く、こういう人間のドロドロとした部分に敏感である為おおよその事情を察し私の耳元へと顔を近付る。
そして強く、強く私を抱き締めながら小さく呟く。
「アンジュエッタ。主は本当に凄いのぅ。本当に良く頑張った。
主がこれまで歩んできた道のりの全ては把握できぬが尊敬すらしておる。
……じゃが、わらわ達は仲間じゃ。一人で抱え込んだりせず重荷を少しでも分けてくれるとわらわは嬉しく思うぞ?」
「うん……うん…………」
私が抱き締めるのを止めるとイチジクも遅れて、惜しむように距離をとる。
「さあ!次はレネの番じゃ!はい!来い!イエスじゃ!」
「え?僕は……いい、しない」
「ふん!このわらわが許すと思うたか!こちらからゆくぞ!」
「えっ……ちょっと、やだ」
「ふふん!貧弱じゃのう!ヒーラーでももっと筋力は付けとかねばならんぞ」
うつ向き必死に涙を拭う中、私の後ろでテレて嫌がるレネを無理矢理捕まえて離さないイチジクの姿が目に浮かんで、涙が収まらないのに不思議と笑みが溢れる。
私達は孤児院という牢獄を抜け出したと思ったらあんな掃き溜めにたどり着いて、ようやく脱出し自由を手に入れた。
あの時イチジクと出会えなければ私達はミシシュでは珍しくもないただのオブジェとなってその人生を終えていただろう。
これからだ、険しく先が見えないかもしれないけど、確かに希望の見える、私達の人生が、これからようやく始まる。




