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ヘヴンズ・ドアー  作者: 浮草堂美奈
第十一章 此処は大乱、吹くは神風編
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九十七話―日本の落日

 天に代わりて不義を討つ

 忠勇無双の我が兵は

 歓呼の声に送られて

 今ぞ出で立つ父母の国

 勝たつば生きて還らじと

 誓う心の勇ましさ


「姉さん! こいつらは不気味だ!」

 今やドイツ騎士団団長となった、クリスティーナの弟ハインリヒは叫んだ。

「こいつらは何故に降伏しないんだ! 何故にみんな死んでしまうんだ! 姉さん! 貴女はこんな化け物どもと一人で戦っていたのか!」

 ドイツ騎士団の白いシーツに包まれた、クリスティーナは何も答えない。

 当然だ、死んでいるのだから。

 死屍累々の中、こちらに向かって発砲してきた日本武士団の男に、ハインリヒはランスを繰り出した。

 折しも、夕暮れであった。

 日が落ちるところであった。

 真っ赤な血染めの夕焼けであった。

 二トンの重量があるランスは、男の胴体を貫通した。

 日本武士団の男は叫んだ。

 手を何度も上に上げて、叫んだ。

「天皇陛下万歳! 万歳! ばんざーい!」

 それは、天皇陛下もこのヴァルハラには居らず、自分が所属しているのも大日本帝国陸軍ではない事も忘れ去った男の、最後に心に残ったものであった。

 ドイツ騎士団には知る由も無いが、この男は現世でもガダルカナルでこうして死んだのであった。

 それが、また死んだ。

 男が最期に握りしめていたのは、日章旗であった。

 それを地面に倒れぬように刺すと、男は満足げに目を閉じた。

 ハインリヒは思わず十字を切った。

 この男ほど恐ろしいものは、この世に無いかのように思えたのだ。

「団長! 日本武士団壊滅であります!」

 はっとその声に我に返る。

 累々と屍の群れ。

 その先には、日本城しか残っていなかった。

「進め!」

 しかし、その言葉は「あ」の字で固まった。

 日本城から、火の手が上がったのである。

 

 短刀で喉を突いた、女達の屍の向こう。

 皇は居住まい良く座っていた。

「聡子」

 侍従の女を呼んで、皇は言った。

「私はなんだか、こうなるような連中だけが此処に来た気がします」

 聡子は目を上げず答えた。

わたくしもです」

 手元の短刀を取る。

「介錯不要」

「畏まりました。それでは、私は失礼致します」

 腹部に白刃の切っ先を向けて、皇は現世で呼んでいた呼び方で聡子を呼んだ。

「義姉さん」

「はい」

「勝ちたかったなあ。一度でも」

 聡子は涙を堪えて、襖を閉めた。

「私もです」

 襖の向こう、人がどさりと崩れる音がした。

 

 飯塚依子、貴女はまだ生きていますか。

 私は今、死のうとしております。

 私は軍人の妻でございました。

 義弟も軍人でございました。

 義弟は戦死致しました。

 神風特別攻撃隊として戦死致しました。

 その死の前の手紙に、検閲の失態があったのでございます。

 本来ならば、必ず届かぬ手紙でございました。

 私宛の手紙でございました。

「義姉さん、俺は神風特別攻撃隊として、出撃する事となりました。

 この作戦ほど、敵に恐怖を与えるものはありません。

 人の命が突っ込んでくるのであります。

 人の命が弾丸と同格になるのであります。

 これほどの恐怖が敵に対してありましょうか。

 俺はこの作戦に任命されて、とても嬉しく思います。

 しかし義姉さん、とても嬉しいという俺の頭は、少しも”しゃんと”していないのであります。

 自らの命を弾丸と同格に思う頭など、狂人のものであります。

 俺は狂人であります。

 狂人なればこそ、心から嬉しいのであります。

 義姉さん、この手紙は母上には見せないでください。

 俺の喜びを解って下さるのは、うちの者では義姉さんだけであります

 何故なら、義姉さんも俺と同類だからです。

 兄さんも父上も母上もお富も重三も、俺と同類ではありません。

 ただ、義姉さんなら、必ずやわかって下さるかと思います」

 敗戦後、夫は帰還しました。

 土佐の小さな村の偉い軍人さんは、戦犯となりました。

 この間まで「出てこいニミッツ、マッカーサー、来たなら地獄へ逆落とし」と叫んでいた村人は、皆我が家を忌み嫌い、道で会っても挨拶もせず、遠回しに村から出ていくように言うようになりました。

 何が「肩を並べて兄さんと、今日も学校へ行けるのは兵隊さんのおかげです」でしょうか。

 昨日まで忠君愛国を教えて、今日からは民主主義を教えて。

 夫は「俺が生きて帰れなければ良かったかなあ。みんな死んだのになあ」と呟くばかりで、その背中はどんどん小さくなっていきました。

 そして、その時は来たのでございます。

 村の庄屋が、家に来て言ったのでございます。

「明日、進駐軍が村に来る事になったがに。奥さん、この家に人が住んどる気配を無くしてくれい。誰もおらんように見せてくれい。わしらからの情けじゃ」

 私は、目の前が真っ赤になりました。

 この赤は、義弟が特攻した時の、炎の赤でございました。

 私は嫁入り道具の薙刀を振りかざし。

 その後は血塗りの道でございました。

 逃げ回る村人、家の中に籠って念仏を唱える村人、斬って斬って斬って斬って。

「おまんら、お前ら、誰が命を食うて生きちゅうがぜよ!」

 そう怒鳴りつけると、村の連中は皆震えあがって逃げ回るのです。

 薙刀が脂でべとべとになったので、私は手近な手桶に刃を突っ込みました。

 その時でした。

 あの薄汚い男が土下座してきたのは。

 その男は、反戦主義者のアカでした。

 村中から外れ者にされ、幾度も特高に密告された男でした。

「奥さん、堪忍じゃ。堪忍してくれ」

 私は薙刀を振り上げました。

 しかし、その男はこう言いました。

「俺の命で終いにしてくれ。俺はどないしても構わんがやき、俺で終いにしてくれ。奥さん、民衆ちゅうのはの、一向に賢くならんがぜよ。勉強ちゅうもんをまるきりせんと、時の時流でころころ頭の作りが変わる。こいつらは一向に賢くならんがぜよ。その証拠に、こいつらは昨日まで石投げつけてた俺に、「物が分かっていた」言うたがぜよ。でも、でも、馬鹿でも生きてて欲しいんじゃ。馬鹿でも生きてるっちゅうのが、俺はまっこと嬉しいがきに。俺のエゴイズムじゃ。わかっとる。けど、どうか俺で終いにしてくれえ」

 私は、この男に負けたのでございます。

 私は、この男を斬り殺した直後。

 自らの薙刀で、喉を突き。

 そしてこのヴァルハラに参りました。

 そこには、義弟が皇となりて居りました。

 飯塚依子、死ぬのなら、勝って死になさい。


 ドイツ騎士団の人数も、4分の1にまで減っていた。

 燃え盛る日本城を眺めながら、彼らは誰ともなしに「アベ・マリア」を歌い始めた。

 まるきり下手くそな低い声であったが、歌わずにいられなかったのだ。

 天守閣が崩れると同時に、太陽も完全に落ちた。

 終わり、だと思った。

「なあんだ。日本武士団は全員死んだのか」

 その声に、ドイツ騎士団ははっと振り返った。

 月が昇り始める方から、スチールブルーの軍服の少年が現れたのだ。

 その左手には、ガラスの取っ手のついたケースがあった。

 ケースの中身を見て、ハインリヒはぞっと身の毛がよだった。

 目を美しく閉じ、口を一文字に結んだ、名高きソ連KGBウラジーミル大尉の上半身が入っていたのだ。 一切の腐敗どころか、今にも目を開けて話し出しそうな上半身が。

「お前は……お前は誰だ?」

 少年はうっとりするように笑った。

「ニコライ・レヴィコフ。まあまあ、聞いたところであまり意味が無い。俺はカトリックじゃないし、ロシア正教でもやっぱり信じちゃいないから」

「どういう……?」

 クリスティーナ・ラインバッハであったなら、この場で即座に反撃ができただろう。

 しかし、姉と弟の器の差は明らかであった。

 ニコライは、猛スピードで加速するスポーツカーのように、ハインリヒに体当たりをした。

 それは、猛スピードの車に跳ねられたのと同じ現象をハインリヒに齎した。

 すなわち、内臓が潰れ、天高く跳ね飛ばされ、地面に叩きつけられ、息絶えたのである。

「此処なら良いのかは分からないけれど、とりあえず試してみる価値はある」

 ニコライはまだ笑っていた。

「また、大尉カピターンに笑って貰うんだ」

 ヴァルハラのチートとなった少年は、ドイツ騎士団を引き裂いた。

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