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ヘヴンズ・ドアー  作者: 浮草堂美奈
第六章 アンダーグラウンド編
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五十話―紅玉の兄弟は曲者ばかり

「逃げたの? ダニエル」

 弟の言葉への返事は裏拳。

「痛いなあ」

「私は少し眠ります。その間に煙草を用意しておきなさい、アダム」

「え? 今朝あげたばかりでしょ? もう吸っちゃったの?」

「落としただけでございます。行動は迅速に願います」

「はいはい。分かったよ」


「お前、何拾ってきてんだよ」

 洞窟の入り口で、エミリーは呆れた声を出した。

「いや、つい……」

「ついゴミを拾ってくんな。環境整備委員会かなんかか」

 ジャックとエミリーの掛け合い、というよりエミリーの一方的な罵倒に、依子は苦笑するのみである。しかし、このままでもいけないとも思ったのだろう。暫くおいて控えめに口をはさんだ。

「変わった煙草ですね」

 ジャックが拾ってきた煙草。黒いパッケージには何も書いておらず、ただ、紙巻が箱の半分吸われて入っているのみである。

「オリジナルの調合でしょうか」

「ちょっと貸すよろし」

 紅玉が軽く奪い取った。そして、匂いを嗅ぐ。

「あいつらは、ダニエル・トンプソンと。アダム・トンプソン言うたあるな」

「え、あ、はい」

 にゃっと紅玉の顔が猫のような笑みを見せる。

「ジャック、こいつはお手柄かもしれんあるよ」

「?」

 怪訝な顔をする三人に指で指示する。

「ちょっと我の家来るよろし。ちっとばかし散らかってるが、ここからそう遠くないよ」

 

 中国式家屋。看板には「薬」の文字。中から盛大な泣き声が聞こえる。

「ただいまあるー」

 入れと言う前に、紅玉は叫んだ。

「青蘭! また飛龍をいじめたあるか!」

 その一声に、9歳ほどの少女がびくっとする。

「違うよ、大姐、飛龍は勝手に泣いたあるよ」

「玩具じゃないのに勝手に泣くわけないある!」

 そこに飛龍と呼ばれた7歳ほどの少年がしがみつく。

「大姐ー、饅頭食われたよー」

「お前も饅頭くらいで泣くんじゃないある! 男なら奪い返すよろし!」

 そこに奥から、13歳ほどの少女が出てきた。騒がしい二人と違い、どこかおっとりした顔立ちである。

「あらー、大姐、お帰りよー。飛龍、饅頭なら我のあげるよ。泣き止むよろし」

「翠柳! 甘やかすなある!」

「だって飛龍は食べ盛りあるよ」

「それはお前もある! ああ、もう!」

「あらーお客さんね。依子さんとエミリーさんあるな。そちらの男の人は、大姐の彼氏か?」

 それでようやく泣き声がやみ、紅玉が後ろを振り返る。

「我の彼氏じゃないある。依子の」

「あらー、依子さんの彼氏か」

「ヒモある」

 きっぱりと言い切ったのに、ジャックと依子が否定の言葉を慌てて探す。しかし

「ヒモの人、初めましてよー。我、翠柳いって、紅玉姐姐の真ん中の妹よ。あっちのお転婆が青蘭、あっちの泣き虫が飛龍言って一番下の子よー」

 彼女の独特のおっとりした口調に、何か気をそがれる。青蘭と飛龍はもう仲直りしたようで、二人で残った饅頭を半分こしている。

「翠柳はいつもこんな調子あるよ」

 紅玉はため息を一つ吐くと、問うた。

「大哥と中哥はいるか?」

「大哥はいつも通り薬室にいるよ。中哥は……あー、さっき徹夜明けの炒飯作れって言われてたの忘れてたよー。また書類に埋もれてるから、後で持ってく言っといてよ」

「あんな金にならない文章ばっかり書いてるやつに炒飯はもったいないある! 粥でも啜ってろ言ってくるよ!」

「あいやー、じゃあお粥に変えるよ。お客さんたち、後でお茶持ってくよ。希望の茶葉あるか?」

「お気遣いな」

「こいつらには水で十分ある」

 依子の遠慮が見事に遮れたが、「じゃあ、新しく買った黒烏龍茶持ってくよー」とあっさり会話が成り立った。

「じゃあ、ついてくるよろし。先に薬室行くある」

「はい、あの」

「我の大哥に会うよ。何、別段ついてこなくてもいいっちゃいいあるが、会わせた事なかったし」

 そして、少しだけ、また悪そうな笑みを浮かべた。

「気を付けるよろし。かなりの食わせ物よ」

 階段を上がっていくと、古びた扉が一番最初にあった。

「ちょっと待つよろし。ロクデナシに話しつけてくるある」

「何だ? 真ん中の兄ちゃんか? そっちには挨拶いいのか?」

「徹夜明けの三文文士の顔なんて見せられないある。顔洗って来い言ってくるよ」

 扉が開く。

 今気付いたが、挨拶も無しに開けている。

 だが、挨拶しなくていいと言われた事に、三人は心底安堵した。

 その部屋は、見事に書物で埋まっていたからだ。

 天井まで届く本棚にぎっしりと書物。しかも各国語の。

 そして床にもぎっしりと新聞。しかも各国語の。

 それに決してうっすらではなく舞う埃。

 正直、入りたくない。

「これでもこいつ一番広い部屋使ってるよ。しかも書庫も別にあるよ」

 ため息を吐くついでに埃を手で払って、紅玉は本棚の裏に回った。会話だけが聞こえてくる。

「翠柳か? 炒飯まだか?」

「炒飯が欲しかったら炒飯代稼げある! 粥でももったいない言っといたね!」

「紅玉か。お前は文学の大切さを分かってないある! 文が滅びる、これ国が亡びると同じ事ね!」

「国なんて金と武器さえあればいくらでも蘇るある! それより新聞貸すよろし!」

「あいやー、新聞で思い出したよ。タイムズの」

「聞かないある聞かないある! 我の耳は馬鹿になったある! 新聞後で読みに来るあるからな!」

「粥も持ってくるよろし」

「自分で取りに行くよろし! こんな汚い部屋で病気にならないの中哥くらいある!」

 散々な言い合いの後、憤然と帰ってきた紅玉に、エミリーは問う。

「何? 兄貴、連載中止にでもなったのかよ?」

「よくわからん小説はまだ連載してるけど、原稿料全部本に使っちまって素寒貧よ。まったく、文士にロクなやつはいないある!」

 まだ怒っている。その気を依子が上手くそらす。

「あの、新聞を何に使うのですか?」

「ちょっとした確認ある。それより、大哥のとこ行くよ。言っておくが、出された物は飲むなよ」

 ?

 一同の頭に疑問符が浮かぶ中、またずんずん先を歩いていく。そして、一番奥の部屋で止まった。

「大哥、入ってもよろしか?」

「今度はちゃんと声をかけるんだな」

 ジャックの流石一番上は尊敬の対象なのか、という感嘆はあっさり切られた。

「声かけないと命に係わるある」

 ?

 また疑問符を浮かべるのもかまわず、落ち着いた声が返ってきた。

「入るよろし。今休憩しようとしてたところよ」

 扉が開く。入った部屋があまりにさっきと雰囲気が違っていたので、三人は逆にぽかんとした。

 天井までの棚は同じだが、そこの三分の二を何か乾燥した物体、三分の一を本が占めているにも関わらず、見事に整理整頓されている。

 部屋の隅には一匹ずつ籠や瓶が分けられた、二十日鼠と金魚。

 中国式のテーブルの上には粉薬や、薬を混ぜる道具。

 そして、座っているのは落ち着いた雰囲気の眼鏡をかけた男性。広い袖を垂らす姿も、落ち着きを助長する。

 男性は、三人を見て軽く目を丸くした。

「あいやー、紅玉。客人が来てるの何故言わないか。我、完全にリラックスしてたよ」

「気にすることないね、それより見てほしいものあるよ」

「いや、客人が来てるのに茶の一つも出さないできないよ。一寸待つよろし」

 男性は棚の扉を軽く引き、粉の茶のようなものを取り出す。

「お気遣いなく」

 今度こそ依子の遠慮は言い切れたが、それより先に紅玉が茶を奪い取った。

 そして、金魚が入っている瓶の一つに投げ入れる。

 ?

 三度目の疑問符が浮かんだのもつかの間だった。

 水面に、金魚がぷかりと浮いた。

「!」

 絶句する三人の前で、紅玉が怒りを込めた声を発する。

「何あるか? これは」

「あいやー、違うよ。毒じゃないよ。ちょっと眠くなる作用があるかもしれなかったある。だけど、まだ人間で試してなかったね」

 とんでもない事実を言い出す男に、アッパーを叩き込む。男性はあっさりと転んだ。

「紹介するよ。張国軒。我の一番上の兄で、薬師ね。ここらにあるもの、大抵毒薬か爆薬ある。うっかり触ると死ぬあるぞ」

 転んだ男性は眼鏡を直しながら言った。

「うっかり触った場合だけよ。普通に触っても死なないある。それより見せたいものって何か?」

 紅玉が例の煙草を取り出し、渡す。

 男性は椅子に座ると、眼鏡を外して匂いを嗅いだ。

 そして、眼鏡を直してしげしげと見た。

「紅玉」

 少し、笑みが見えた。

「これがお前の想像通りのものだったとして、我に何作らせるつもりか?」

 紅玉もまたにゃっと笑った。

「それを新聞で確認しないといけないよ。我の記憶は多分正しいあるけどな」

 こんこん、とドアが叩かれた。

「お茶持ってきたよー。それから、美味しい檸檬の砂糖漬けも」

 翠柳の安全なお茶で一服できるようだ。そして、紅玉はまた、えげつない事を考えているようだ。

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