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ヘヴンズ・ドアー  作者: 浮草堂美奈
第四章 人魚の歌編
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三十九話―血まみれのサンタクロース

「なあに、心配すんな」

 嗤うエミリー。

 ジャックの頭に記憶が流れ込んでくる。

 死んだ……?


「頼りにしているぞ、アールネ」

 スキー部隊の出撃の直前、彼はそう言った。

 周囲は真っ白に染まり、雪は舞うように降り続ける。

「君に言われるのは光栄だね」

「言うさ。部隊で血まみれのサンタクロースを揶揄するものはいない」

 苦笑。

「そのあだ名は揶揄では? 白い死神よ」


 終戦

 ソ連軍退却

「お父さん、お帰りなさい! ウッラ=マイヤは元気にしてたよ!」

 娘を抱きしめてやると、更に強く抱きつき返してきた。

 遅くにできた一人娘。白パンのような肌をしている。

 長い人生で見てきた中で最もよく笑い、よく泣く娘。

「毎日「お父さんはまだ? まだ?」って聞いてたのよね」

 目じりに雫を光らせる妻に微笑む。

「大変だったね。君は元気だったかね?」

「ウッラ=マイヤはいつも元気!」

「お前じゃないよ、アホ娘」

 妻はくすりと笑う。

「今にも死んじゃいそうだったわ」

「そうかね。じゃあ、熱いスープでお互いに精をつけよう」

「それがいいわ」

「あたしもお手伝いする!」

 ウッラ=マイヤが大きく手を挙げたところで、玄関がノックされた。

「はいはい、どちら様?」

 とんとんと玄関に向かう妻。

 その背中を見ていたアールネの兵士の直感に、突如電撃のような悪寒が走った。

「出るな!」

「え?」

 開かれたドアの隙間から、投げ込まれる爆弾。

「ソ連軍……!」


「ここはヘヴンズ・ドアー。さあ、あなたの好きなものを選んで?」

 金髪の女がルージュを塗った唇で告げる。

「お母さんはー?」

 泣き出しそうなウッラ=マイヤの体を抱き寄せる。

「あなたのお母さんは、先に来たわ。あなたの好きなリコリス味のキャンディを選んで行った」

「じゃあ、お母さん待ってくれてるかな?」

 急に顔が輝いた娘。女はそれには答えず。再度告げる。

「さあ、選びなさい」

 嬉々としてガラス製のキャンディ入れを選ぶウッラ=マイヤを眺めながら、アールネは黒光りするパイプを選んだ。

「そう、それがあなた達の選択なのね。悪いけど、お母さんには当分会えないわ。あなた達はヴァルハラに行く資格を持ってしまった」

 そして、二人はヴァルハラに入った。


「お父さん、あたしね、好きな人ができたんだよ」

「ほう。どんな料理人かな?」

 パイプを吹かすアールネに、ウッラ=マイヤが抗議の意を示してぐいぐい襟を掴む。

「真面目に聞くの!」

「はいはい。アホ娘」

 むう、と膨れていたが、すぐにはじける笑顔になった。

「ブラギ君って言うんだ」

 こちらは驚きの声を出す。

「ブラギ・インギマルション?」

「あれ? なんで知ってるの?」

 不思議そうな顔に、ため息を吐く。

「アイスランドの大統領だからね。わしも何度か会っているよ」

「そーなんだ! 有名なんだね!」

 手を叩く娘に再度ため息。

「で、ファンレターでも出すのかね?」

「違うよ!」

 にへへ、と歯を見せて笑った。

「ブラギ君に結婚しようって言われたの。ウッラ=マイヤはお嫁に行くよー!」


 なぜ、アールネの記憶が。

 ジャックの疑問はすぐに晴れた。

 アールネは、凍りついていた。

 マスケットの暴発!

 アールネの冷凍弾がマスケットから放たれず、冷気がアールネ目指して爆発したのだ!

 冷気と爆発による破片とエネルギーで、アールネの喉は胸元はざっくりと裂け、凍りついたあばらと急速冷凍された肉が見える。

 しかし、エミリーの分かっていたような発言はなんだ?

 その疑問も晴れた。

「君の仕業かね……?」

 白い息を絶え絶えに吐くアールネの問いに、エミリーが「Yes」と答えたからだ。

 まさか。

「銃口を撃ったのか?」

 軽く親指が立てられる。

「チンパンジーに逆立ちを教えるようなもんだ」

 たやすい、と言ってのけるが、常人には不可能な超精密射撃!

 ゆっくりと倒れていくアールネに、イェンセンが駆け寄る。

「じいさん!」

 白い息がゆっくりと消えていく。

「銃の勝負で負けたのなら、悔いはないよ。それにね、どうやら、間に合ったようだ」

 イェンセンが慌てて顔を上げると、白いスカートの娘がまさに走り寄ってくるところだった。

「お父さん!」

「間に合ったな。アホ娘」

 アールネを抱き起すイェンセンを押しのけ、息を切らせて、ウッラ=マイヤはしがみつく。

「ブラギ君が連れてきてくれたんだよ! お父さん、お医者さん行こうよ!」

「無理じゃよ。これはどうやったって治せない。どんなお医者でも、こんなに肉が裂けちゃね。おまけに凍っとる」

 ひぐ、としゃくり声をあげる頬を、優しく撫でる。雫が手に落ちてきた。

「留守番中は元気にしてたかね?」

 いつもの台詞。

「ウッラ=マイヤはいつも元気……!」

 ぼろぼろと涙の返事。それを聞くと、アールネは静かに目を閉じ、妻の元へ向かった。

 老兵の長き戦の人生に、二度目の幕が下りた。


 ウラジーミルはゆっくりとウッラ=マイヤとアールネの亡骸に近づく。

「フィンランド元帥、アールネ・ラーティノヤの死亡を確認。その娘、ウッラ=マイヤは」

 がちゃりと鳴る特殊警棒。

「これから殺る」

 足音もない。ウッラ=マイヤはまだ気づかない。

 後一メートル。

 イェンセンが気づいた! まだ治っていない骨折を思い出し、慌てて立ち上がろうとする。

「手負いでは分が悪いぞ。デンマーク国王」

 静かな殺気。ドライアイスを大量に置いたような、それ。

 それが爆発する直前、また、別の者の声が響いた。

「分が悪いのはどっちだろーね!」

 その声に、ぱっと上がるウッラ=マイヤの顔。

「ブラギ君!」

 ブラギ・インギマルション「アイスランド大統領」。

「アールネ老、遅参を許されよ、とは言わぬ。だが、援軍は許されよ。貴殿の黄泉路は守り抜く」

 ヤン・ラーソン「スウェーデン王」。

「あなたがいつまでもダイヤを買ってきてくれないから、お兄様に軍を借りてきてしまったわ!」

 シセル「デンマーク王妃 ノルウェー国王の妹」。

 もっとも年長のスウェーデン王が、告げた。

「我らが北欧諸国は、同朋フィンランドの独立を軍事的に支援する。ソ連よ、ヨーロッパの北すべてを敵に回すのが今の得策か考えよ!」

 ウラジーミルは舌打ちを抑えきれず、イヤホンを手に取った。

「全局員に告ぐ。撤退」

 そのイヤホンは、次の瞬間指の力で握りつぶされた。


 数日が過ぎる。

 ジャックは縁側でぼうと座っていた。穏やかな日差しは日差しだが、秋特有の冷えた空気である。

「……はあ」

 意味もなく抜けた声を出すと同時に、背中が軽く蹴られた。

「エミリー、何をするんだ」

 犯人を軽くにらみつけるも、ショートパンツから伸びたしなやかな足は、反省の色が無い。

「何だよ。しけた顔してるから慰めてやったのに」

「どこがだ」

 更ににらむが、本当に反省の色は無い。

「依子がバスが沸いたって言って来いって」

「幾之助は?」

 いつも一番風呂に入りたがる存在を上げると、日本城の方を指さされる。

「人魚の件で、城だと」

「そうか」

 すとん、と隣に座られる。

「納得がいかねえか?」

「そんなことは」

 ふう、と息。

「どうこう言おうと、あれが和泉の望みだ。望み通り、誰もがアンハッピーだ。なあに、たいしたことじゃねえ。アンハッピーなことなんざよくあることだ」

「ああ」

「フィンランドのじいさんはあたしが殺した。罪悪感は無い。それが戦争だからだ。このヴァルハラはいつでも戦場だ。二十四時間年中無休でな。そこが気に入って、あたしはここにいる。あたしだけじゃねえ、ここにいるのは戦争に魅入られた頭のおかしい人殺しばかりだ」

「……」

「まだなんかあんのか?」

 ぽつり、と呟く。

「俺は弱すぎる」

 エミリーがまた立ち上がった。

「依子に言ってみな」

 去る背中を見つめた。日が暮れはじめた。真っ赤に、庭が染まっていく。赤い松を見ながら、「ああ、風呂だ」とまた呟いた。


 アールネの墓石の前で、佇む、喪服の娘。

「ウッラ=マイヤ、雨が降ってくるよ」

 同じく喪服の青年に、くるっと振り返る。

「ブラギ君、あたしは戦士じゃないから、あのアメリカ人には敵わないね」

 止まる青年。彼女の目の前に着いたから。

「そうだね。ウッラ=マイヤじゃ敵わないね」

「でもね」

 口が引き結ばれる。

「ウッラ=マイヤはこのツケは必ず払わせる」

 雫が落ちてくる。

「エミリー・カーター、取立てから逃げられると思うなよ」

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