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ヘヴンズ・ドアー  作者: 浮草堂美奈
第四章 人魚の歌編
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三十八話―人魚のこえ

「ウラジーミル大尉が最後に通信をした地域の電力が途切れました。今後の通信は不可能です」

 KGBの長官、通称将軍がまなじりを下げる。

「ウラジーミル君、今度は何を壊したのかなー。まあ、日本のものだし、いいよねー」

 くるくると座ったまま椅子を回す将軍に、局員の緊張が増した。怒っている。確実に。

「抗議が入った場合、如何致しますか?」

 子供の遊びのように、椅子は回り続ける。

「入るよねー。たぶんねー。うちじゃないってごり押しして」

「え、しかし」

「ご・り・押・し・して?」

 将軍の全く笑っていない目に、局員は黙って書類にそう記した。


 ヘヴンズ・ドアー、それはヴァルハラへの門。

 人の仲介者。

 そして、仲介したものは見届ける義務が発生する場所。

「エミリー、急ぐよろし。早くしないとかたがついちまうある」

「オーライ、飛ばすぜえ」

 軽い口笛。エンジンが唸りを上げる。

「和泉さん、大丈夫でしょうか」

「ソ連は戦士の和泉を欲している。命の別状はない」

「いえ、それより――なのですジャックさん」

 依子の言葉が遮られる。

「おっし見えたぜ!」

 エンジンが止まる。

 車から飛び出すヘヴンズ・ドアーの面々。駆ける船着き場。そこでは、アールネがマスケットを構えたところだった。


「和泉君。君の狙いは分かったよ。ただ、それはあまり良くない手口だね」

「……」

 和泉の頭が項垂れる。良い事をしているとは思っていなかったが、それを叱られるのはやはり辛い。

「わしにも君と同じ年頃の娘が居てね。まあ、大概アホだけど、嘘はつかないように言っているんだ」

 向けられるマスケット。

「連れて帰ったら、たっぷりお説教だよ」

 発砲。

 クリスティーナはとっさに剣で受ける。半身の大きさの剣は凍って、軽い音を立て砕けた。とっさに剣を投げ捨て、凍傷を防ぐ。

 その瞬間、幾之助が素早く駆け寄り、横なぎに払う。

 獣の動きで飛びのき、回転して、後方の岩の上に降りた。その岩が蹴り飛ばされた。ウラジーミルだ。1トンはあるだろう岩が空を舞う。

「うわっ」

 岩ごと海に落ちる身体。空中を舞う岩。

「姉さん!」

 その手が掴まれ、空中から引き寄せられる。

「ハインリヒ!」

 飛び出した筋肉質な大男。金髪と青い目がクリスティーナと同じ。

「ドイツ騎士団副団長、お久しぶりです」

 姉の後を追ってきたハインリヒは、間一髪と息を吐く。

「久しぶりだな。幾之助。先日は世話になった」

「こちらこそ。さて、申し訳ありませんが」

 振りかぶられる刀。

「死んでいただけませんか」

 片手にぶら下げた姉に叫ぶ。

「姉さん! 罪の咆哮だ!」

「Ja!」

 クリスティーナが吠える。ドイツ騎士団団長、クリスティーナの罪の咆哮、体力の驚異的増強!

 ハインリヒの体に狼の毛が生えはじめる。同時に、筋肉が膨れ上がる。

 そのまま、ハインリヒは自分が飛び出した草むらに姉を投げた。

 そしてまた叫ぶ。

「姉さん! 剣を!」

 鳴る風切音。その身の丈ほどの巨大な剣を、ハインリヒは受け止めた。なおかつ両手に一本ずつ構えた。

「へえ、姉ちゃんに助っ人か。その剣、どれくらい重てえんだよ?」

 イェンセンに剣を向け、厳しい目つきで答える。

「一本2トン! そして助っ人ではない。姉さんの話をきちんと聞かなかった後悔を晴らしに来ただけだ」

 クリスティーナが飛び跳ねて、ハインリヒの元に戻る。

「鉄血のラインバッハ姉弟、いざ参る!」

 重厚な騎士の存在感が放たれ、空気が震えた。

 即座にウラジーミルに振り下ろされる双剣。両端を握った特殊警棒で受けるウラジーミル。その足元のコンクリートに罅が入る。拮抗する力はお互いに身動きを許さない。

「得もしねえのに」

 イェンセンの口に注がれる酒。

「同感です」

 火が吹かれる前に突進する幾之助。

 その目の前の地面が、凍る。

 アールネのマスケットの仕業だ。

 状況は完全に乱戦。立ち止まった幾之助を狙うクリスティーナの爪が、紙一重でかわされる。頬にかすった風圧で傷ができる。

「お兄様!」

 ようやく乱戦の中に入った依子が叫ぶ。戦闘のすさまじさに入れなかったのだ。

「依子! 加わらないのなら離れなさい!」

「いえ、後ろに! 私共の後ろに!」

 必死の訴えに、全員がそちらを向く。そして、動きが止まる。

 痩せた、堅気には見えない男。

 阪口が立っていた。


 汚いものばかり見て生きてきた。

 ドブの腐った町で生まれ、ドブの腐った町で生きた。

 ドブの腐った町を少し離れると、とても綺麗な子供がいた。

 ドブの腐った町に連れ帰った。

 綺麗なものが、俺の目玉に映る日々が続いた。

 汚い世界が、少しずつ――。


「近寄るなッ!」

 とっさの叫びは的確だった。しかし、叶えられなかった。

 阪口は和泉に走り寄り、和泉はそれを受け止め、そのまま

 海に飛び込んだ。

 静かに聞こえる歌声。涼しく、爽やかな声。

 次の瞬間、起きる爆発。

 水柱が海上に噴き上げる。

 水しぶきはきらきらと舞い、美しく落ちていく。

 無音の世界に響く、最後の人魚の歌。

 それは、真っ赤に染まった水面にエコーしていた。


 ジャックの頭に、阪口と和泉の記憶が流れ込んでくる。

 つまり、二人は死んだ。

「OH……」

 エミリーと紅玉も近寄り、赤い海を見つめる。

「あーーーーー! くっそ!」

 イェンセンの嘆きが響く。国民を三度奪われた。一回目は誘拐。二回目は殺害。三回目は、たった今。国王としてこれほど悲憤慷慨することがあろうか。少なくとも、このあけっぴろげな王が絶叫するにふさわしい。

「和泉さん……」

 俯く依子に、ジャックが問う。

「君は予想していたのか」

「少し……。和泉さんは、覚悟を持った目をしてらっしゃいましたから」

 その向こうでは、クリスティーナが十字を切る。

「君たちの先にマリアの加護を」

 祈りに組んだ手に、雫が落ちる。清廉潔白な彼女は、誰よりもショックを受けているのだろう。

「姉さん……」

 小さく震える肩をハインリヒが抱き寄せるが、それは振りほどかれる。

「ハインリヒも祈りなさい」

 拒絶のために振りほどかれたのではないと分かると、ハインリヒも手を組んだ。

「何も得るものがないですね」

 幾之助はため息を付き、刀を仕舞う。

「いや、そうでもない」

 アールネに、ウラジーミルが向き直る。

 感傷に浸る気はない。それが凍てつく大地を見つめる番犬の精神。

「フィンランド元帥、貴様の命だけでも獲得させてもらう」

 その絶対凍土の地に侵略されし国の元帥も、温くはない。

「娘の結婚式が控えてるんだ。KGBの命を手土産にするよ。だけど、わしには聞いておかねばならないことがある。和泉君にあの作戦を教えたのは誰かな? いや、彼が自分で考えたのなら、仕方ないと思うんだけどね」

 一瞬、ぶれるヘヴンズ・ドアーの面々の瞳。

「君たちか。悪い子たちだ」

 放たれる冷たい殺気。クリスティーナが慌てて叫ぶ。

「待ってくれ! 元はと言えば私のせいだ!」

 アールネはその叫びを軽く無視した。

「いい子になるプレゼントをあげよう」

「いらねーよ!」

 マスケットから索状が抜かれた瞬間、エミリーの銃が火を噴いた。

 しかし、アールネは倒れなかった。それどころか傷一つない。当たっていない!

「エミリー!」

 紅玉の鋭い声が飛んだ。


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