最終話 契約期間終了日 英太への最終課題
翌朝、八時頃。
「英太お兄ちゃん、おっきろーっ!」
「ぶはぁっ! こら育歩ちゃん、そういう起こし方はやめてって昨日言っただろ」
「だって一発で簡単に起こせるんだもん」
英太はまたも育歩に乗っかられて起こされた。
「育歩ちゃん、熱、すっかり下がったみたいだな」
「うん、もうばっちり♪ さっき計ったら三六度四分まで下がってたよ」
育歩は満面の笑みを浮かべて伝える。
「それは良かったな」
英太がそう言った直後、
「おめでとう育歩ちゃん。あたし安心したわ」
「良かったねイクホちゃん」
乃々絵と潤子もこのお部屋へ入って来た。
「みんなが優しく看病してくれたおかげだよ。みんな今日でとりあえずアタシとお別れだけど、寂しくない?」
「全然」
英太はきっぱりと言う。
「もう、英太お兄ちゃんったら見栄を張らなくても。本当は寂しいって思ってるくせに」
「あたしは寂しいよぅ! 育歩ちゃん、帰らないでぇー」
潤子はぎゅっと抱きつく。
「潤子お姉ちゃん、香水くさぁい」
「ジュンコお姉さん、イクホちゃん困ってるでしょ。ワタシもちょっと寂しいな」
「アタシこの近くに住んでるから、またいつでも遊びに来るよ」
育歩は照れくさそうに伝える。
「遊びに来てもいいけど、俺に家事指導はやめて欲しいな」
英太は苦笑いでそう伝え、この部屋から出てキッチンへ。
「母さん、父さんは?」
「三〇分くらい前に、美術館へ行くって逃げてったわよ」
「やっぱり」
今日の朝食も英太が一人で担当。
今朝は卵かけご飯にお漬物に味噌汁。和の組み合わせだ。
「英太お兄ちゃん、お料理ずいぶん慣れて来たね。お料理楽しくなって来たんじゃない?」
「全然。俺が作るの、今日で最後だからな」
「たまには和風もいいね」
「英太特製の卵かけご飯、梅干しやおネギやシラスも入っててすごく豪華で美味しそう。いただきまーす」
乃々絵と潤子もけっこう喜んでいた。育歩は昨日英太に残してもらっていたすき焼きも平らげる。
「育歩ちゃんちの朝食は、普段どんなものを食べるのかしら?」
「焼き魚と味噌汁とお漬物とご飯の日が多いですね」
「あら和風なのね」
「アタシのママ、昔から洋風のはあまり作ってくれなくって」
□
英太は今朝も一人で食器洗いを担当し、洗濯もこなした。裏庭に洗濯物を干し終えてリビングへ戻ると、
「英太、リビングとキッチンと、二階のお部屋全部と廊下に掃除機かけといて」
母からこんな指令が。
「勘弁してくれ母さん、重労働過ぎだろ」
「母さんは英太と乃々絵と潤子が学校へ行ってる間、ほぼ毎日やってるのよ。英太の方が若いんだし体力あるでしょ?」
「……分かったよ。やればいいんだろ」
英太は三〇分ほどかけ、頼まれた箇所の掃除機がけをこなしていった。
息つく間もなく、
「英太お兄ちゃん、トイレ掃除もよろしくね。終わったらアタシに言いに来て」
育歩からこんな指示が。
「あ~、面倒だ」
英太はトイレに入ると、便器後ろの棚に置かれた掃除用具のウェットティッシュを手に取る。
「掃除しなきゃいけないほど、そんなに汚れてないよな?」
不満そうに便器周りを拭いていると、
「あの、エイタ、これはワタシがやるね。抹茶プリンのお礼」
乃々絵は慌て気味に扉側隅に置かれたサニタリーボックスを手に取り、中の物をゴミ袋に移した。
「ありがとう乃々絵姉ちゃん、助かるよ」
英太は礼を言って引き続き便器周りの清掃作業を進めていく。便器の中へ洗剤スプレーをシュッシュとふりかけ、ブラシで黄ばみを擦って水を流したあと、
「育歩ちゃん、これでいいか?」
育歩に見に来てもらった。
「ダメ。タンクと床と壁もきれいに拭かなきゃ」
「そんなに汚れてないだろ?」
「英太お兄ちゃん立ちションしてるから、英太お兄ちゃんのおしっこがけっこう飛び散ってると思うわ」
「……面倒くさっ」
英太はしぶしぶウェットティッシュで育歩からダメ出しされた箇所を拭き取っていった。
「これでいいだろ?」
もう一度育歩に見に来てもらう。
「うん、合格よ」
「終わったぁ。これでようやく家事から開放される、よな?」
「あと一つ任務があるわ。今度ので最終課題よ」
育歩からまたも指令が。
「まだあるのかよ?」
「みんなのために、美味しいお昼ご飯を作ること」
「ああ、それね」
英太はくたびれた様子で洗面所へ向かい、手洗いを済ませた。
「英太、あたし、もんじゃ焼きが食べたいな」
「それなら簡単そうだな。確か材料も揃ってたな」
潤子の希望を英太は快く承諾。キッチンへ向かい、キャベツを切っている最中、
「こんにちはー」
「こんにちは、英太さんの特製ランチを食べに来ました」
望実と聡葉が訪れて来た。
「アタシが英太お兄ちゃんがトイレ掃除してる間に伝えたの。英太お兄ちゃんがお昼ご飯をご馳走してくれるって」
「育歩ちゃん、余計なことしないで。あの、みんな、期待しないでね」
英太は迷惑そうにホットプレートで調理作業を進めていく。
「いい匂いがして来たねー」「英太さん、問題なく調理出来ているようですね」「早く出来ないかなぁ」「エイタ、少しだけ焦がしてね。ワタシその方が好きだから」「英太、早く食べたいわ」
望実、聡葉、育歩、乃々絵、潤子はリビングのソファに腰掛けて待機。
「みんな出来たぞ」
十数分後、いよいよ完成。望実達五人はキッチンのテーブル席へ。
英太は一皿ごとに分けてみんなの前へ並べていった。
「どうかな?」
恐る恐る感想を訊く。
「ママのよりは美味しくないけど、美味しいわ」「とっても美味しかったよ、英太くん」「野菜の切り方はまだパーフェクトではなかったけど、よく出来てましたよ。これで明日の調理実習も安心ですね」「英太お兄ちゃん、四日目でこれなら上出来だよ」「普通に美味しく食べれる出来だったわ。エイタ、作ってくれてありがとう」
みんな一応褒めてくれたようだ。
「あら、予想以上に美味しいわ」
後でつまみ食いしに来た母も含めて。
昼食後、英太がみんなの分の食器を洗い終えると、
「これをもって、アタシの英太お兄ちゃんへのイクメン候補育成指導は終了よ」
育歩からこう告げられ、
「やっと終わったか」
英太はホッと一息ついた。
「英太、ここまでよく頑張ったね」
「潤子姉ちゃん、なでるなって」
「育歩ちゃん、英太にイクメン候補育成指導してくれたお礼、お小遣いよ」
母はご祝儀袋に入れられたそれをかざしてくる。
「あの、アタシ、ボランティアなので受け取るわけには……」
「まあそう言わずに受け取って」
「あっ、ありがとうございます。お母様、この度は大変お世話になりました」
育歩は罪悪感に駆られながらも受け取った。
「いえいえ、そんな。うちの方こそ、育歩ちゃんに感謝すべきだと思うわ。いろいろ楽出来たし」
母は謙遜気味だ。
「お母様、これからは、週一でこのお宅をお邪魔しに来ていいですか?」
「毎日でも来ていいわよ」
「俺は来て欲しくないけどな」
「英太お兄ちゃんひどーい。英太お兄ちゃん、今日までやって来たことが無駄にならないように、これからも家事をどんどん積極的に手伝ってあげてね」
「やる気が出ればな」
「やる気出なくても。英太お兄ちゃん、頑張ったご褒美にアタシんちで豪華な夕食をご馳走するね。みんなもおいで」
「育歩ちゃんちに遊びに行っていいの? 招待ありがとう」
望実は大いに喜ぶ。
このあと、望実と聡葉は一旦自分のおウチへ。
育歩はまだ帰らずに、リビングで乃々絵といっしょに録画した深夜アニメを視聴したりイラスト交換をしたり、潤子とテレビゲームで遊んだりして過ごした。
「英太お兄ちゃん、やっぱりもう一つ任務。洗濯物片付けて畳んでね。アタシの分持って帰らなきゃいけないし」
「はい、はい」
英太は夕方四時半頃に、面倒くさそうにしながらも洗濯物を片付け、きちんと畳む。
「ありがとう英太お兄ちゃん。畳むの上手になったね」
育歩は畳んでもらった自分の衣服を嬉しそうに手に取り、マイバッグに詰めた。
夕方五時頃。英太、望実、聡葉、乃々絵、潤子、育歩の六人再び笹島宅にて全員揃ってここを出発。母も招かれたが、豪華な夕食はこれまでの人生で何度も味わってるからという理由で不参加だ。
徒歩二分ほどで大通りに出て、少し歩き進んでいると、
「ねえきみたちぃ、この間会ったよねぇ?」「あっ、あいつやっ!」
みんなの背後から二人の男の声が。
「ん?」
英太はとっさに後ろを振り返った。
「うわっ、こいつら、この間プールに現れたチャラ男」
瞬間にびくっと反応する。
「あの、英太くん、なんとかして」
「エイタ、怖い」
望実と乃々絵はとっさに英太の背後に回った。
「わたし達に、何かご用でしょうか?」
聡葉はややびくびくしながらも勇気を出して質問してみる。
「あの、俺達に何か用か?」
英太も同じように質問した。
「大いにあるわ」
「そこの少年、オレらとちょっと話し合いしようぜ。なっ!」
男二人組は怪しげな笑顔を浮かべる。
「あの、えっと」
英太は潤子の方をちらっと見る。
「怖そうだから、英太がなんとか、してね。男の子でしょ」
潤子は表情を引き攣らせながら頼んだ。
男二人組は英太の方へにじり寄って来て、肩をガシッと掴まれてしまった。
(やばい、やばい、やばい。お巡りさーん)
英太、心拍数急上昇。
次の瞬間、
「きみ、カジメンのみならずイクメン能力基礎テストも合格。おめでとう!」
「家事は出来た方がいいよ。就職出来なくても主夫になれるからな」
「えっ!?」
男二人組の予想外の言動に、英太は唖然とした。
「このチャラそうな男、じつはアタシが用意してたの。栃木に住んでるアタシの従兄弟よ。英太お兄ちゃんが男らしさを発揮してくれるかどうかを試そうと思って」
育歩はくすくす笑いながら伝える。
「そうなのか!?」
英太は尚も唖然。
「そうだったんだ」
「演技だったのですね」
「ワタシ、すごく怖い思いしたよ」
望実と聡葉と乃々絵もかなり驚いている様子だ。
「オレ、育歩ちゃんから隙を見てナンパしてみてって頼まれて、断れなくて」
「本当はおれ、年上好みだし。それじゃ、またどこかで」
男二人組は陽気に笑い、ここから立ち去っていった。
「ひょっとして、銭湯に現れた女装のおっさんも育歩ちゃんが用意してたのか?」
英太は気になって尋ねる。
「いや、あれは想定外だったわ。全然知らない人よ」
☆
高級住宅街の一角。
「ここがアタシのおウチよ。生まれた時からずっとこのおウチに住んでるの」
育歩は、『乳井』と書かれた表札の前で立ち止まる。
「近っ!」
「学校よりも近い。わたしんちから望実さんちよりも近いわ」
「育歩ちゃん、こんな近所に住んでたんだ」
「イクホちゃんち、こんなに近くだったとは」
「私と英太くんと聡葉ちゃんが小四の時、育歩ちゃんは小一だから、子ども会のイベントとかで知り合ってても不思議じゃないよね」
意外に感じた他のみんな。
笹島宅から南へ三百メートルほどしか離れていなかったのだ。
まっすぐ進めば徒歩五分足らずで着く距離だ。
「隣の小中学校区だから、今まで会うことがなかったみたいだね」
育歩はこう呟いて、玄関横の呼び鈴を鳴らすと、
「皆様ようこそ。この四日間、お転婆な娘が大変お世話になりました」
小顔でぱっちりした瞳、美しく輝く黒髪をフリルボブにしており、とてもお淑やかそうな感じの母。
「育歩がご迷惑おかけしませんでしたか?」
ほっそりしていて、気弱そうな感じの父。
両親揃って出迎えてくれた。
「いえいえ、こちらこそ大変お世話になりまして」
英太は謙遜の態度を示す。
「育歩ちゃんのご両親、若いね」
望実はそんな第一印象。
「育歩ちゃんのお母様は三十代半ばくらいかな?」
「私もそれくらいだと思う」
潤子と望実は推測してみる。
「これでも来月で四三よ」
「これこれ育歩」
育歩の母はホホホッと微笑んで優しく注意。
乳井宅は二階建ての和風建築。お庭には松の木や桜の木などが植えられていて、盆栽も置かれてあった。みんなは十畳ほどの広さの応接間に招待される。
「英太、般若の面があるけど怖くない?」
「潤子姉ちゃん、俺そんなの十年以上前に克服してるから」
「アタシも小学校入る前までは般若さん怖かったよ。英太お兄ちゃん達は、お抹茶の飲み方知ってるかな?」
「いや、全然」
「わたしは本で見たことはあるけど、経験はないな」
「私も詳しくは知らなーい」
「ワタシも。お恥ずかしながら」
「あたしは中学の頃に総合学習の時間にやったことあるけど、もう忘れちゃったわ」
「アタシがお手本見せるから、みんな真似してね。将来立派なパパママになるためにはちゃんと出来た方がいいよ」
抹茶と落雁、羊羹、金平糖などの和菓子を育歩から作法を教わりながら戴いたあとは、タイ、マグロ、ウニ他刺身の数々、さざえの壷焼き、冷奴、茶碗蒸し、天ぷらといった豪華和食を振る舞ってもらい、英太達は午後八時頃に乳井宅をあとにしたのであった。




