猫xAI vs スライム
SFファンタジーです。スライムの正体は、宇宙や敵国からの侵略者ではないですよ。
村人たちが「神怪山」と呼ぶ裏山には、神と化け物が住むという言い伝えがある。植物に腕を喰われた者、死を呼ぶ叫び声を聞いた者—そんな恐ろしい逸話が、この小さな村には代々語り継がれてきた。
そして、十年近く前から、山の中から人間の声がするという噂が広がっていた。
声の主は、進化した猫エレン。天才科学者、松中博士の人格を移したAIが脳に繋がっている。その頃、山にやってきたのだ。
エレンの住む山の麓にある村は、人口およそ百五十人。小さな国道が一本だけ通っている。大里村という名がついているが、小さな集落である。
ある月明かりない夜のこと、村の近くの草むらに、どこからともなく、黒い金属製の球体が数十個降り注いだ。
球体の大きさはソフトボールほどで、地面に衝突するたびに鈍い音がした。
やがて球体の上半分が回転して開き、中から不気味なドロドロとしたスライムが這い出てきた。
闇の中をヌルヌルと不気味なほど滑らかに村へ進み始めた。徐々にその数を増し、村人が眠る家々に消えて行った。
朝日が上り、晴天でいつもと変わらぬ村だった。
トラクターが村長の家の前で止まり、二十代前半でポニーテールの若い女性がトラクターから降りて来た。
ツナギを着た、村で唯一の修理屋を営むメカニックの山本ルミだ。背中には、Yamamoto Mechanicと書かれてある。
呼び鈴を鳴らし、少し待ったが出てこない。もう一度鳴らしたが出てこない。ドンドン!とドアを叩きながら呼んだ。
「村長ー!トラクターの修理が終わったから、納車に来ましたよ。昨日、電話しといたでしょ!」
声は虚しく響くだけだった。ドアノブを回してみた。簡単に開いたドアから、長い廊下を覗き込んだ。
玄関から五メートル程離れた先に、村長の奥さんと中学生の息子二人が背中を向けて立ち、廊下の床をじっと見つめている。
ルミは何が起こっているのか理解できず、その光景に目を凝らした。
奥さんと息子たちの隙間から、倒れている村長が見えた。
もがいている村長の体を覆うように、ドロドロとしたスライムがうごめいていた。
ルミの視線に気づいた奥さんがゆっくりと振り返り、何も問題がないかのような自然な表情で微笑んだ。子供たちもこちらを向き、普段と変わらない笑顔を見せた。
その普通の笑みに本能が危険を知らせた。得体のしれない恐怖がルミの背中を突き刺し、反射的に村長の家から逃げ出した。
誰かが、何かが追いかけてくる気がして、走らずにはいられなかった。頭の中は混乱して、思考がまとまらない。
スライム?何なの?どうなってるの?奥さんも子供たちも、なぜ笑ってるの!
夢中で走り続けた。振り返る勇気などなかった。気がつけば、国道までたどり着いていた。
どうしよう、誰かに連絡しないと。
周りを確認して、立ち止った。震える手で携帯電話を取り出し、保育士をしている親友の恵子に電話をかけた。
トゥルルル、トゥルルル、
呼び出し音は響くが、応答はない。
村で何かが起こってる。
ルミはパニックに陥りながらも、村はずれにある恵子が働く幼稚園を目指して走り始めた。
「恵子、無事でいて」
その頃、神怪山から目には知性の宿った、一匹のメス猫が、山の頂上付近の崖にある洞穴から、村へ降り始めた。
あのエレンである。
棲家の洞窟にいる、猿のコンへ向かって、
「コン、村へ散歩に行ってくるさよ」
エレンはいつものように獣道を歩きながら、村をのんびりと散歩していた。
村の裏手にある、空き家を改装した幼稚園が、遠くに見える。子供たちの騒がしい声が賑やかに聞こえてきた。
ここでは、恵子という保育士が朝八時から午後三時まで、三人の五歳児を預かっている。
エレンが幼稚園の屋根に飛び上がる瞬間、足の筋肉が体に似合わぬ大きさになった。4~5メートルの高さはあるだろう。普通の猫には無理な高さだ。
屋根の上で、彼女は心地よさそうに昼寝を始めた。
しばらくすると、ピアノの音が風に乗って屋根まで流れてきた。
保育士の恵子がピアノを弾きながら、歌い始めたようだ。エレンも目を瞑りながら、音楽に合わせて頭を左右に揺らしている。
子供たちも楽しそうに手拍子をし、ピアノが終わると拍手が響いた。
「では、みんなで一緒に歌ってみましょう」
恵子が声をかけ、再びピアノを弾き始めた。子供たちの歌声が一斉に響く中、一人だけ酷く音程を外している声が混じっている。エレンはくすくすと笑い出した。
「何度聞いても笑えるもんだね。平和だね」
その時、エレンの耳がピクンと動き、顔を道の方に向けた。急に立ち上がり、緊張した表情になった。
道の向こうから、一人の女がこの家に向かって歩いてくるのが見えた。年は四十歳前後だろう。
エレンは女の異様な気配を嗅ぎとった。
(あいつ、見た目は人間だけど、人間じゃないね。匂いも違う。ジジイ、あれは何なんだい?)
エレンが聞いた相手は、エレンの脳と繋がっている、天才学者松中博士の記憶を持ち、その思考を学んだAIだ。博士の人格を転移させたと言っていいだろう。
(エレン、何度も言うが、ジジイは失礼だろう。ドクターと呼ぶまで返事はしないよ)
(何がドクターだい! ジジイで十分さね)
女は幼稚園のドアの前で立ち止まり、ノブに手をかけた。
ガチャリ!
鍵がかかっているので、ノブは動かない。だが、女はそんなことお構いなしに、そのまま強引にノブを引っ張り、ドアを壊して開けた。
女は中に入っていった。
エレンも屋根から素早く飛び降り、女の後を追って中に入った。
廊下の角から首を出すと、教室のドアが二つ見える。遠い方のドアの前で、女と恵子が向かい合っている。
次の瞬間、エレンは目を疑った。女の体がドロッと溶けたかと思うと、恵子に飛びかかり、包み込んだのだ。
倒れた恵子の上で、スライムがウニュウニュとうごめいている。
こいつ、人間を食ってるのか!
エレンは後ろ側のドアに目を移し、少し考えた。脳内で、松中博士のAIに話しかけた。
(なあジジイ、今は猫の姿だから教室に入ってもいいだろ?)
返事はなかった。
(フン、ドクターなんて呼ぶものかい!)
初めて幼稚園に入ったエレンは、どんな子供たちが歌っていたのか見たかった。
好奇心にはかてず、スライムに気付かれないように、近くのドアまで歩いて行き、前足でドアをそっと開けて教室に入って行った。
そこには、男の子二人と女の子一人がいた。
人間の子供を近くで見るのは何年ぶりだろう。
一人一人ゆっくりと子供の顔を見た。
この大きな男の子が音を外して元気よく歌う子だね。もう一人の男の子は賢そうな感じだね。女の子は、かわいいね。
自分で気づかないうちに微笑んでいた。防衛省に追われ、人との関わりを避けてきたエレンの心に、温かいものが広がっていく。
子供たちが興奮しながら近寄ってきた。口々にこう言って騒いでいる。
「猫だ!猫だ!」
ガラガラっとドアが開き、スライムが変化した恵子の偽人間が入ってきた。エレンはその姿を見て、臨戦態勢に入った。
こいつら、食った人間になりかわれるのかい。驚いたね。
偽人間の動きに注意を払いながら、子供たちの方に一瞬だけ視線を移した。
可哀想に、この子達も食われるね。
エレンは一瞬考えたが、スライムに勝てる見込みもなければ、立ち向かう理由もない。
逃げたほうがいいね...。
エレンは教室を出ようと、静かにドアに向かって歩き出した。
(エレン、子供たちを助けよう)
エレンの脳に繋がっている松中博士が聞こえた。
エレンは脳内で反論する。
(こんな化け物と戦ったら、こっちも命がけになっちまう。逃げたほうがいいさね)
(エレンはここの保育士さんと子供たちが好きだったじゃないか。それに、子供たちが気になっているから教室に入ってきたんじゃないのかい)
(この姿じゃ食われるだけさね。それに、村人たちが本当の姿を見たら噂になっちまうさね。あたしらは防衛省に追われてるんだよ。わかってるのかい!)
(ブサに山の植物たちを持ってきてもらえばなんとかなるよ。今、子供たちを助けられるのはエレンだけだよ)
エレンは一瞬黙り込み、大きくため息をついた。
(ジジイはいつも正義の味方を気取ってあたしに言うけど、やるのはいつもあたしさね。また引っ越しになるさよ。一つ貸しだよ。いいね!)
エレンは不機嫌な顔をして上を向き、遠吠えをはじめた。
「ニャオ~~~~」
ブサ、早く持ってきておくれ!頼んだよ。
恵子の偽人間は猫のエレンを見て近寄ってきた。無表情だ。
エレンは恵子の偽人間に対して、頭を低くして戦闘態勢をとった。
恵子の偽人間は、エレンにだけ聞こえる声で、
「猫は対象外だが、邪魔をするならお前も食うよ」
こいつら、喋れるのか!
エレンは戦闘態勢のまま、頭をフル回転させた。
どうする!子供らに向かって、逃げろって叫べば良いのかい?いや、猫が人間の言葉を喋っても信じるはずないさね!どうする!どうする!
作者より
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