エボリューションキャット エレン
子供たちは異様な光景に恐怖を感じたのか、背中が壁にあたるまで後ずさりした。
子供たちの目は、エレンと偽人間の恵子を見ているが、手は隣にいる子を探している。
倒れている、エレンから凄まじい怒りを含んだ声が教室を揺らす。
「痛いじゃないかい!化け物!」
倒れたままのエレンの体がズンズンと大きくなっていく。
そして、何事もなかったかのように二本足で立ち上がると、体をはたき壁の破片を落としながら独り言を呟く。
「ったく汚れちまったじゃないか!」
身長は百六十センチ前後。体重は、同族のトラやライオンぐらいだろう。尻尾は猫そのものだ。
怒りの形相を浮かべたエレンの口からは、ライオンの威嚇がでてきそうだ。
「あたしゃ痛いじゃないかと言ってるんだよ!言葉がわかるんだろ! 何とか言ったらどうだい化け物!」
恵子の偽人間は、無表情で抑揚のない普通の声だ。
「お前を食うことにした」
その言葉と同時に、エレンを捕まえようと、右腕が異様に伸びたのだ。
エレンは驚いたが、右へとかわした。
速い!
偽人間の右腕が縮み、すぐさま左腕が伸び、再びエレンを捕まえようとする。
エレンはそれも左に逃げてかわした。
偽人間は再び、右手を伸ばしてムチのように振るってきた。
シュッ!
偽人間の右手の鋭い音とともに、エレンは後ろに跳んでかわしたが、数本の胸の毛は切り取られた。
着地して、胸の切り取られた箇所を触り呟く。
「触れたら肉まで切られちまうよ!」
偽人間は前に進みながら、右腕を縮め、左腕をムチのように振るい続ける。
もう、後ろには下がれない。
「上に行くしかないね!」
天井に向かって飛び、クルッと回って天井に四本足をつけた。
偽人間が首を上げた隙に、右側の床に跳んで四本足で着地すると、近くにあった子ども用の机を掴んで、三個とも投げつける。
偽人間が左右の手で叩き落している隙に、正面にあるピアノの後ろに飛び込んで隠れた。
偽人間はピアノを壊し始めた。右腕のひとふりでピアノの屋根、後ろ板、ピアノ線まで切断されていく。
(時間稼ぎにもならないさね。このままだと殺されちまう!ジジイ、どうすりゃいいさね)
ニ度目の攻撃で鍵盤まで切られ、偽人間の方を向いていたエレンの目の前を、刃のようになった手が通過する。三度目の攻撃で完全に破壊された。
諦めたようにエレンは立ち上がり、爪を伸ばして、戦闘態勢をとる。
(ジジイ!あいつの首を落とせば、死ぬと思うかい!)
(あいつは、その程度じゃ死なないよ)
(じゃあ、どうしたらいいさね!)
突如、偽人間に向かって、真っ直ぐ走り出した。
(エレン!どうする気だい!)
偽人間は、右腕を刃物のように変化させ突いてきた。
エレンは天井に飛びつき、四本の足をぎゅっと縮めて力を集中させた。
偽人間の左腕が天井に伸びてくる。
天井から、貯めた力を爆発させるように、勢いよく偽人間のすぐ右に向かって飛んだ。
エレンは、右手の爪を伸ばして、着地寸前に、偽人間の右足を切断し、後ろに飛び退いた。
偽人間は倒れたが、足はすぐに再生していく。
(ジジイ、これ以上の時間稼ぎは無理だよ)
(ブサが来る頃さ)
偽人間は、切断された足が再生すると、何事もなかったように無表情で立ち上がる。
それと同時に、入り口と反対側の窓ガラスが、
バァリーン!
という大きな音を立て、蔓で編んだカゴが投げ入れられた。
カゴは子供たちとエレンの間に転がり止まった。
エレンはカゴに飛びつき、中から大きな布を取り出して、投げるように広げ後ろにいる子供たちに被せた。布は足まで隠れる長さだ。
「この布はアンタたちを守ってくれるから、あたしが良いと言うまで、みんなで被っとくんだよ!」
子どもたちからの返事はない。布の中で3人が手を繋いで震えているのだろう。
偽人間はエレンを狙って、右腕を伸ばしてきたが、カゴを掴んだまま、勢いよく後方に跳び、空中でカゴから、マントを取り出した。
着地して素早く身にまとい、大きなフードを被った。だが、壁際で後がない。
エレンは左腕に蔓で編んだカゴをかけ、右手でカゴをノックした。
恵子の偽人間に向かってニヤっと笑ったが、その目は怒りに燃えている。
静かで凛とした声で言い放つ。
「マンドラ、出ておいで」
買い物カゴの左半分の蓋がゆっくりと開いた。
そこから、おしゃぶりを咥えた伝説の植物、マンドラゴラが顔を出した。
伝説の奇植物、マンドラゴラ。
中世ヨーロッパでは、錬金術に使われ、土から引き抜かれるとき、悲鳴のような叫び声を上げることで知られる。その声を聞いた者は狂死すると伝えられている。
しかし、エレンの山に住むこの奇植物は、普通のものとは違い、自ら歩き、自分の意思で声を出すことができるのだ。
カゴから下に飛び降りたマンドラゴラは、頭から葉っぱが生え、手足が短く、ゆるキャラのような見た目をしていた。
エレンは一瞬たりとも偽人間から目を離さず語りかける。
「マンドラ、おしゃぶりを外して、あいつに歌っておやり」
叫びながら偽人間が両手を伸ばして襲いかかってきた。
「なぜ、猫のお前が邪魔をする!」
エレンはマンドラゴラがおしゃぶりを外すのを確認すると、すぐに自分の耳を折り畳み、深くフードを被る。
マンドラゴラがリズムを取りながら、歌い始めた。
《あさだあーさーだーよー》
その歌が教室に響いた瞬間、偽人間はバシュっと音を立てて弾け飛んだ。
ゴト!
という鈍い音とともに、そいつは倒れた。
マンドラゴラは不思議そうに倒れた偽人間を見た。まるで、遊んでもらおうと思っただけなのにと言いたげだ。
「マンドラ、終わったら、おしゃぶりを咥えるんだよ。あんたの声を直接聞いたら死んじまうからね」
松中博士の声が聞こえてきた。
(エレン、マンドラの声を中和する、おしゃぶりキャンセラーは、私の作品だよ。ドクターと呼びたくなっただろ)
エレンは無視をきめ込む。畳んでいた耳を元に戻し、フードを浅くして前方を見た。
頭が破裂したように偽人間が倒れており、体の細胞の一つ一つが死んでいるように見える。
静寂が訪れた室内で、エレンはその死体に向かって答えた。
「なぜ邪魔をするのかって?あたしゃ猫だからね、気まぐれなのさ」
エレンは足元にいるマンドラゴラを見下ろすと、まだ踊っている。
「ありがとうよ、マンドラ」
おしゃぶりを咥えたマンドラゴラがエレンを見上げた。
エレンは抱き上げると、カゴに戻す。
子供たちに被せていた布を取り去ると、子供たちは手を繋いで目を瞑り、恐怖で震えていた。
関わり合いになりたくないエレンは、横を向いて無愛想に心配する。。
「大丈夫かい」
子供たちは恐る恐る目を開け、周囲の様子を確認した。
大きな体の男の子が、震える拳を振り上げながらエレンに挑みかかる勢いで聞く。
「化け猫!俺たちをどうするつもりだ!」
女の子はその男の子を止めながら、倒れている恵子の偽人間を指差した。
「違うよ、助けてくれたんだよ。だって、本物の先生の手があんなに伸びるはずないもん」
エレンは子供たちの間に割り込む。
「ちょっといいかい?」
子供たちはエレンの方を見る。
エレンは顔を近づけ、口に人差し指を当てた。
「いいかい、あたしのことは誰にも言うんじゃないよ。わかったね」
子供たちは黙ってうなずいた。
エレンは続ける。
「お前さんたちには屋根から楽しませてもらったからね。でも、これでチャラだよ。あたしゃ行くよ。関わり合いになりたくないからね」
彼女が出口へ歩き出そうとした時、賢そうな男の子がマントを掴んだ。
作者より
マンドラゴラは、ハリーポッターにも出ていた、マンドレイクの別名です。
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