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後編


 兄さまを助けよう大作戦を決行中の双子。特に成果も出せないまま、いよいよ来月にはベルナルドが例の施設を訪問することになり、気が気じゃなかった。本当は行かないでと言えればよかったのだが……いや、いっちゃダメと何度も言ったのだが、専攻している科目の単位取得の関係で行かないと言う選択肢はないと言われてしまったのだ。兄は、大丈夫だからと言っているが、双子はどうしても大丈夫だとは思えなかった。


 何度考えても、何をどうしても、やっぱり心配でしかたない双子。

 万が一、ベルナルドに何かあったら延々と泣き暮らすこと間違いない。

 だからといって、兄が将来に向けての勉強を頑張っているのがわかっていて、それを邪魔をするのも嫌だった。


 何かいい手はないかと必死に考えるも、中々思い浮かばない。朝からアデリナの部屋で二人でベットの上に座り込み、うんうんと唸っていたのだが。

「あっ」

 アデリナが何かを思いついたらしく、声を上げた。

「どうしたの?」

「ねね、エリアス。兄さま、出されたお茶をのんだから、たおれたんだよね?」

「うん」

「じゃあね、お茶をのまなければいいじゃん」

 アデリナの意見に、エリアスは首を傾げた。

「みんなに、お茶をいれてくれるのに、兄さまだけ飲まないのはおかしくない?」

「のどかわいてないって言えばいいだけでしょ」

「そうだけど」

 エリアスは、好意(?)で出してくれたものに手を付けないのは、礼儀としてどうなんだと言いたいのだが、アデリナはそこまで考えてない。そして、エリアスはふと思い出したことを口にした。

「あのね、アデリナ。言ってなかったかもしれないけど、兄さまがのんだお茶ってね、けんきゅう中のおくすりでもあるんだよ。だから、のまないのはむずかしいんじゃないかな」

「なにそれ、きいてないんだけど!」

「だって、いま思い出したんだもん」

「なんでそんなたいせつなこと、わすれてたの!」

「しかたないでしょ、思い出せなかったんだから」

 アデリナに責められ、エリアスが膨れる。

 だが、エリアスが思い出せなかったのはある意味仕方ないのだ。夢とはいえ、ベルナルドが吐血して倒れる場面を見てるのだから、ショックで細かなところまで思い出せなくなっていたとしても、責められることではない。むしろ、今このタイミングで思い出せたことを褒めるべきだろう。

 しかし、部屋の隅で双子の会話に耳を傾けていたアロイスはその情報に目を光らせた。

 懐からメモを取り出して内容を書き留めると、部屋の外に待機していた同僚にそれを渡した。ミラン伯爵への報告だ。

 ベルナルドの死亡フラグをへし折りたいのは、みんな同じだ。だからこそ、アロイスや双子付きの侍女は双子の会話を聞き逃さないように常に注意を払っている。

「でも、なんで、おくすりをのんだの?」

「えっとね、たいりょくを、かいふくするこうかがある、お茶なんだって。しせつってね、ものすごく広いの。だから、そのお茶をいれてくれたんだと思うよ」

「そっか、みんなたくさん歩いて、つかれちゃったんだ」

「うん」

 どうやら、お茶が出された経緯は納得したらしい。

「じゃあさ、エリアス」

「なに?」

「いま思い出したこと、ほかにもないの?」

「うーん……?」

 首を傾げ、ちょっと考え込んでいる。

「何をおはなししてないのか、ちょっとわかんない」

 そう言って、首を横に振った。

 自分と兄が殺される夢を見てアデリナの部屋に飛び込んで以降、同じ話を何度となくしていることもあって、何をどこまで誰に話したのかは忘れてしまっているようだ。

「おんなじでもいいから、もう一回」

「そう? じゃあね……」

 エリアスが少し考えると、すぐに顔を上げた。

「お茶はね、兄さまたちをあんないしていた人がね、いれてくれたの」

「それはきいた」

「そのお茶はね、兄さまたちがそのへやにはいるちょっと前にね、女の人がよういしたんだけど」

「それしらない」

「あんないしてくれた人がいれてくれたお茶を、お茶をよういした女の人がくばったんだ。でもね、兄さまにはさいごにわたしたの」

「なんで兄さまがさいごなの!」

「兄さまにわたす前にね、カップの上でゆびわをトントンってしてたんだよ。兄さま、よそ見してたから、それはみてなかったの」

 双子の会話を聞きつつ、アロイスはその会話を洩らさないようにメモを取っていく。

 そして、アロイスからのメモを受け取ったミラン伯爵もやってきて、部屋の外から双子の会話にこっそり聞き耳を立てた。一応、内緒話のつもりでアデリナの部屋で話をしている双子だが、声を抑えるという事をしないので普通に廊下にまで筒抜けである。

「ゆびわがあやしい!」

「うん、ぼくもそう思う」

「父さまにおしえてあげないと!」

「アロイスが父さまにおしえてあげるんじゃない?」

「そっか。じゃあ、いいや」

 途端に勢いがなくなるアデリナ。廊下では聞いていた父が、がっくりと肩を落としていたりするんだが、当然のことながら双子は気づいていない。

「あ、いや、ダメ! やっぱり父さまにもおしえてあげよう!」

 再び勢いよく、アデリナが宣言。

「なんで?」

 エリアスがきょとんとしながら聞くと、アデリナはベットの上で立ち上がった。

「けんきゅうじょに、いきたいですって言うから!」

「だから、なんで?」

「ゆびわトントンした女の人、わたしがつかまえてやる!」

「むり言わないで!?」

 座ったままだったエリアス、とっさにアデリナの足をがしっと掴んだものだから、アデリナがバランスを崩して布団の上にぽすっと倒れてしまった。

「なんでつかむの!?」

「つかむにきまってるでしょ! アデリナにつかまえられるわけないじゃない!」

「やってみなければわからないでしょ!」

「だめだよ、やってみなくてもわかるでしょ! 女の人、おとななんだよ!?」

「そこは、こんじょーで!」

「なんともならないから!」

 そのままぎゃーぎゃーと兄妹喧嘩に発展。というか、エリアスがアデリナにしがみついて必死に止めつつ言い合いをしている。

 いくらアデリナが活発とは言え、やっと七歳になったばかりの女の子が、大人の女性をどうにか出来るわけがない。まして指輪に毒を仕込むような相手だ、他にも色々と危険なものを所持している可能性があるのだ。エリアスの意見が正しいとしか言いようがなかった。

 様子を見ていたアロイスも、そろそろ止めたほうがいいかと考え始めたタイミングでノックする音が響いた。

 扉の向こうに伯爵が来ていることには、当然のことながら気付いていたアロイス。ぴたっと動きを止めた双子にお構いなしで扉を開けた。

「何を騒いでいるんだ、二人とも。廊下にまで聞こえているぞ」

 今来ましたと言った感じでミラン伯爵が入ってくると、双子はベットから降りて父に近づいた。

「「父さま、おねがい!」」

「なんだい?」

「あのね、けんきゅうじょに、むぐっ!?」

 慌ててアデリナの口を塞ぐエリアス。

「なにするの!?」

「だめって言ったでしょ!」

「なんで!」

「アデリナがやることないでしょ、それこそ父さまにおねがいしなよ!」

「あ、そっか」

 エリアスに言われ、アデリナの勢いがストンと落ちた。納得したらしい。

「父さま、おねがい!」

 猪突猛進な娘にちょっと引きつつも、息子が諭すのを頼もしく思いつつ見ていた伯爵。いきなり降られてちょっと挙動不審になってしまった。

「なんだい、アデリナ」

「あのね、兄さまこんど、がくえんのおべんきょうで、南のしせつに行くでしょ」

「うん、その予定だね」

「そのときにね、女の人がね、兄さまのお茶にの上で、ゆびわをトントンするの」

「うん。…………うん?」

「それのむと、兄さましんじゃうかもしれないの。だからね、さきに、その女の人、つかまえにいきたいの」

「アデリナ、ちょっと待ってくれるかな。指輪をトントンって、何の事だろうか?」

 伯爵が訪ねると、双子は顔を見合わせた。

 アデリナはテーブルに置きっぱなしになっていたカップを持ってくると、エリアスの方に差し出す。

 エリアス、アデリナが持つカップの上で指をこうやるのと実演付きで説明した。

「こうやってね、女の人がゆびわをトントンってするとね、ゆびわが、ぱかってひらいて、こながおちるの」

 エリアスの説明に、ミラン伯爵の表情が一瞬だが険しくなった。嫡男殺害の手口が判明したのだから、当たり前だ。

「そうなんだね。エリアス、その女の人の顔は覚えているかい?」

「うーん……? 見れば、わかると思う」

「じゃあね、ちょっとお父さまと一緒にお出かけしてくれないかな」

「お出かけ?」

「わたしも行く!」

「うん、アデリナも一緒に行こう。……辺境伯家へ使いを。閣下の予定を確認してくれ」

 一緒に来ていた従者にそう命じると、取り敢えず双子を執務室へと連れて行った。



 午後になり、迎えに来てくれた辺境伯家の馬車で例の施設へ向かっている一同。

 エリアスは大人しく父の隣に座っているのだが、なぜかアデリナは父の膝の上で拘束されていた。

「おうまさん、のりたかったのに」

 ぷくっと膨れてアデリナが愚痴ってる。

 辺境伯が連れて来た騎士たちが馬車を取り囲むように並走しているのを見て、うずうずしていたアデリナ。いきなり馬に乗りたいと言い出し窓を開けようとしたものだから、エリアスに服を掴まれて止められたところを、父親に抱き上げられて膝の上に固定されてしまったのだ。どうやら辺境伯騎士団の華麗な手綱さばきに興味をそそられてしまったらしい。

「だからって、ばしゃうごいてるのに、あぶないでしょ」

「ぴょんってとべば、だっこしてくれそうじゃない」

 それは、そんな事態が起こったら、それこそ死に物狂いで受け止めてくれるだろうが。

 思い立ったら即行動なアデリナは、後先考えない事が大半だ。そして、だいたいはエリアスが体を張って止めている。万が一にでもそれでアデリナがケガでもしようものなら、近くにいた騎士、もしくは受け止めそこなった騎士にも責任が行く事をエリアスは理解している。昨年の勝手にお出かけ騒動以降、自分たちの行動が周りにどういった影響を与えるか、エリアスはちゃんと考えるようになっているのだ。しかし、アデリナはそんなことは気にしないとわかっているので、余計にエリアスは必死にアデリナの暴走を止めている。双子なのにエリアスの気苦労は絶えない。

「……父さま、アデリナにあぶないよっておしえるの、どうしたらいい?」

 相変わらず危機感が全くない妹に困り果てたエリアス、父を見上げた。

「難しいね……」

 父も困り顔だ。

 何をするにも慎重なエリアスに対して、アデリナは基本的に猪突猛進。何かに興味を引かれると、周囲が見えなくなるタイプだ。双子なのに、どうしてこうも違うのかと頭を抱えたくなる。

「元気なのは結構だがね、アデリナ。動いている馬車から馬へ飛び乗るのは危険だぞ。馬も驚いて暴れるかもしれない」

 笑いを堪えつつ口を挟んできたのは、対面に座っていた辺境伯。

「おうまさん、びっくりしちゃう?」

「間違いなく驚くだろうね。そうなると、うまく乗り移る事が出来たとしても、暴れる馬に振り落とされるかもしれないし、馬が転んでしまうかもしれない。転ぶだけならまだいいが、アデリナだってケガをするだろうし、馬も骨折してしまう可能性もあるんだよ」

「むー」

 危ないから止めなさい、では止まらないアデリナではあるが。どうやら、馬が可哀そうなことになるかもしれないよと言われてしまうと、考えるらしい。

 別視点から話をしてアデリナを納得させてしまった辺境伯の手腕に、おおっと、声を揃えてそっくりな反応で感心する父と息子。その様子に辺境伯は笑いを噛み殺しつつも、この親子とのやり取りを楽しんでいた。


 馬車が施設に到着すると、施設の偉い人らしき数人が待ち構えてた。

「閣下、お待ちしておりました」

 ビシッと敬礼する姿は研究者というよりは騎士だなと、双子は思った。

「アロイスみたいだね」

 こそっと、アデリナが言うと。

「でも、はくい? きてるよ」

 と、エリアス。

 双子がこそこそ話しているうちに大人たちの挨拶は終了したようで、視線が双子に集中した。

「閣下、見学したいと言うのはその子たちですか?」

「ああ、そうだ。今日はこの子たちを見学させたくてね。無理を言って済まない」

「いえ、問題ありません」

 双子は顔を見合わせると、頷いた。

「ミランはくしゃくけじなん、エリアスです!」

「ミランはくしゃくけちょうじょの、アデリナです!」

「おお、元気のいい子たちだな。トマス・ナダルだ。今日は君たちの案内役だ。よろしくな」

「「よろしくおねがいします!」」

「よーし。じゃあ、早速行くか」

「「はい!」」


 案内役を買って出てくれたトマス・ナダルはこの施設の副所長を務めていると教えてくれた。元は辺境伯騎士団所属の騎士だったと聞いて、双子は驚くやら感心するなら、何時にない反応を見せていた。しかも、辺境伯直属だったらしく、ケガで騎士を引退した後にこの研究所へ入ったらしい。

 案内してもらっている時に足を少し引き摺っていることに気付いた双子、ケガが原因だったのかと理解して、痛めたのだろう方の足をなでて本人含めた周囲をほっこりさせたりもしていた。

 そのまま、案内してもらいつつ説明を受けていた時だった。

 ここの職員だろう数人が部屋に入って来たのだが、そのすぐ後にエリアスの顔色が悪くなったことにいち早く気付いたアデリナが、アロイスを見た。

 アロイスはすっと近づくとエリアスを抱き上げる。

 そのまま自然な動作で少し下がって入ってきた職員たちの死角に入ると、エリアスは小さな声でアロイスに何かを伝え、アロイスはそれを傍に来たミラン伯爵と辺境伯に伝えた。

「グレーのドレスを着たご婦人です。襟に赤い線が入った白衣を着ている」

「わかった。……大丈夫だよ、エリアス。後は任せておきなさい」

 青い顔のまま、こくんと頷くエリアス。

 足元では、アデリナが心配そうにエリアスを見上げてた。

「ミラン伯爵、こちらへ。少し休憩しましょう」

 ナダル副所長が一堂に声をかけ、別室へと案内する。

 青い顔をしてカタカタと震えていたエリアスは、部屋の扉が閉まったことでやっと安心したようだ。ただ、途端にぽろぽろと泣き出してしまったものだから、今度はミラン伯爵が慌てて抱っこした。

「大丈夫だよ、エリアス。どうしたんだ、そんなに泣いて」

 背中をポンポン叩きつつ優しく尋ねると。

「ぼく、あのひとに、さされたのっ」

「はあ!?」

 真っ先に反応したのは、アデリナ。

 すぐにでも飛び出していきそうな勢いだったのを、アロイスがひょいっと抱き上げて阻止した。

「いたい、やめてって言ったのに、なんかいもさしたのっ。ぼく、こわかったっ」

「アロイスはなして! あいつ、けとばしてやる!!」

「落ち着いてください、アデリナ様」

 わんわん泣くエリアスをミラン伯爵が宥め、大噴火中のアデリナはアロイスに抱きあげられて、きーきー言ってる。エリアスの夢の話が正しければ、あの女性は暗殺者としての訓練を積んでいる可能性が高い。そんな危険人物に幼いアデリナを近づけさせられるわけがない。そしてどうやら、ベルナルドとエリアスを殺すのは同一人物であるらしいことも判明した。


 そこから辺境伯の行動は早かった。


 元々、エリアスの夢の情報を聞いて色々と手を回し、情報収集をしていたのだ。特に、辺境伯の妹の子飼いである優秀な間者に依頼していたので、ある程度の証拠固めも完了している。ただ、エリアスが殺される件については知ったのがだいぶ後だったこともあり、まだ調査を行っていなかった。それが今回、こんな形とはいえ判明したことで決断したらしい。

 すぐに魔道具を使って何処かに連絡を入れると、ナダル副所長にもあれこれと指示を飛ばした。



 **********



 見学中は大人しくしていなさいと、かなり念を押されていた。

 一応、尊敬する辺境伯から言われた事なので、二人は素直に聞き入れていた……ように、見えていた。いや、少なくともエリアスは怖がっていた事もあって大人しくしていようとしたのだ。

「このガキ!」

 例の女性がアデリナを抱えて逃げている。しかし、アデリナとて大人しく捕まってはいない。何とか逃げようともがきつつ蹴飛ばしつつ暴れていた。

 その後を、エリアスが大声をあげながら追っていた。

 なぜ、こんなことになっているのかと言えば、それは五分ほど前。


 アデリナは一人でこっそりと例の女性を探していた。エリアスが大泣きしていたので、みんなそちらに気を取られていた隙に抜け出したのだ。辺境伯は自身の部下たちに指示を出しに行って不在で、アロイスも伯爵の指示で席を外していたのも重なった事であっさり抜け出せてしまったのだ。

「ぜったいに、しっぽつかんでやるんだからっ」

 エリアスの言葉から、あの女性がアデリナの兄二人を手にかける犯人だという事は理解していた。だったら、先に証拠をつかんで捕まえてやろうと考えたのだ。


 七歳の女の子に何が出来るんだと、誰かが聞いていたら間違いなく突っ込んでいただろうが、いかんせんタイミングが悪かった。


 アデリナが部屋から出たことに最初に気付いたのは、エリアス。

 それまで怖がって泣いていたのに、いきなり顔面蒼白になってアデリナがいないと叫んだのだ。

 これに、真っ先に反応したのが丁度戻ってきたところだったアロイス。

 すぐに部屋を飛び出して周囲に確認しつつアデリナの後を追った。

 次点でエリアスが部屋から飛び出し、アデリナを探し回った。

 性格は違えどやはり双子、アデリナの行動パターンを完全に読んでいたエリアスはアデリナの姿を見つけたのだが、そこにはあの女性もいたのだ。そして、手に何かを持っているのを見逃さなかった。

「アデリナ、にげて!!」

 エリアスの叫びに、アデリナが振り向く。

 何でって顔をしているアデリナにイラっとしつつ、エリアスは駆け寄りながら叫んだ。

「おばさん、ナイフもってるよ!!」

「え?」

 きょとんとしたアデリナが、再び女性を見たその瞬間。

「ち、予定が狂った!」

 いきなりアデリナを小脇に抱えた女性が、駆け出した。エリアスの後方に数人の人影を見つけ、さすがにマズいと思ったのだ。

「あっ! だれかー! アデリナがつれて行かれちゃう!!」

 可能な限り大声で叫ぶエリアス。

 そのまま女性の後を追って駆け出し、同時に何度も大声で叫んだのだ。アデリナを抱えている所為で思ったように走れないらしい女性相手に、エリアスは見失わないように必死に後を追っていた。気は弱くてもアデリナを押さえる為に積極的に体を動かすようにしていたエリアス、意外と足が速かった。

 そして、エリアスの声を聴きつけてアロイスは辺境伯と協力して包囲網を完成させつつあった。


 そして、そんな逃走劇もやがて終了する。

 逃げ場のない場所に追い込まれた女性が足を止めたことで、エリアスも近づきすぎない位置で止まった。アデリナが危ないとわかってはいても、ナイフを持っている人殺しに近づきたくはない。

 そして、その判断は正しかった。

 女性にとって、アデリナは最終的な目標の為には生かしておかなくてはならない相手だ。一方のエリアスは隙あらば消してしまっても問題のない相手。

 立ち止ったエリアスめがけて放たれたナイフは、しかしエリアスに届くことなく弾かれて地面に突き刺さった。

 ナイフを弾いたのは、アロイスだった。

「エリアス様、お怪我は?」

 正面を見据えながら、アロイスが問う。

 エリアスは今更ながら怖くなってきたらしい。青い顔のまま頷いていた。

「だ、だじょうぶ。ありがと」

 そして、女性を囲む辺境伯家の騎士たち。

 さすがにこの状況は分が悪いと思ったのか、女性は顔を歪めていた。しかし手の内にアデリナがいる事で、若干の余裕は見える。

 すっと、一歩前に出る姿。辺境伯だ。

「さて。この状況でどうするつもりだ? 大人しくその子を放して投降すれば手荒な事はしないと約束するが」

 淡々とした辺境伯に、女性がギリッと歯ぎしりしている。

 女性は自分の主との契約があるので、アデリナは殺せない。そんな事をすれば自分の命がなくなる。加えて目の前にいるのは主の天敵だ、降伏するなど有り得なかった。

 一方の辺境伯をはじめとした面々は、アデリナが敵の手にいる以上は手荒な事は出来ない。女がアデリナを傷つける可能性は低いとわかってはいても、追い詰められればどんな行動に出るかわからない。


 そんな膠着状態がしばらく続いていた、そんな時。


「はなして!!」

 いきなりアデリナが暴れ出した。

 バタバタを両手足を動かし、なんとか逃れようともがく。

「このっ」

 突然の事に女性がアデリナに気を取られた、その瞬間。

「終わりだ」

 あまりに唐突に聞こえてきたその声に、アデリナを抱えていた女性が自分の背後を確認しようと首をひねり。


 絶叫が、響き渡った。


 今の今まで、アデリナを抱えていた女性が地面にうずくまっていた。そして、その周囲には赤いシミが広がっていく。

 うずくまる女性の背後には何時からそこに居たのか、黒い人物。まるで初めからそうしていたかのように片腕でアデリナを抱きかかえた人物は、黒を基調とした騎士服に身を包んでいた。そして、顔全体を覆う白と黒の仮面。

「もうちょい泳がせたかったんだけどねぇ」

 場にそぐわない程の、のんびりとした声。

 その姿に、一部には緊張が走ったものの、辺境伯は一瞬ではあるがほっとしたような表情を浮かべていた。

「いいタイミングだ」

「申し訳ありません。意外と隙がなかったもので」

 ニヤリとした辺境伯に、仮面の騎士が応える。

 ゆったりとした足取りで呆然としている一同に近づくと、抱きかかえていたアデリナを地面に下ろした。

「あっ……ありがとう」

 半ば呆然としつつもアデリナが礼を言うと、その人物は頭をなでた。

「勇敢なお嬢さん。誰かのために行動できるのは立派だけれど、先を考えて行動しないといけないよ」

「はい……」

 しょんぼりしつつも素直に頷いたアデリナの頭をもう一度なでると、辺境伯に向かって革袋を投げた。

「証拠です。簡単には外せないように細工をしていたようなので、切りおとしました」

「相変わらず器用な事だ」

 革袋の中身を辺境伯は確認してから、側に控えていた部下に渡した。

 ちらりとしか見えなかったが、ミラン伯爵とアロイスはそれが人の腕であることを察していた。なぜなら、すぐそこでうずくまっている女性の指にはまっていたはずの指輪が、一瞬ではあるが見えたからだ。あの一瞬でアデリナを救い出したばかりか、切り落とした女性の腕を革袋に回収するなど信じられなかったが。

 指輪は大切な証拠となる可能性が高いが、双子に見せていいモノではないのでさっさと回収してくれたのは助かった。

 それでも、今の女性の状態は双子に良くないと判断したミラン伯爵の指示で双子を後ろに下がらせるアロイス。しかし、エリアスはアデリナが解放された安堵からわんわん泣いているし、アデリナもそれに釣られたのか泣き出してしまっているので、女性の状態に気づいた様子がないのは幸いだった。

 ミラン伯爵は泣いている我が子たちが気になって仕方なかったが、今は状況把握が優先事項だと心を鬼にする。

「いいのか?」

 辺境伯も心配なのか、ミラン伯爵に確認する。

「ええ。後で思いっきり甘やかしますので」

「なるほど。ああ、コレは妹から借りた人材で、急遽エリアスの護衛を頼んでいたんだ。普段は妹の護衛騎士をしているから、見かけたことはあるだろう」

 仮面を見た段階でその正体を察してはいたが、その予想が当たっていたことで気が遠くなりそうなミラン伯爵。

 目の前の仮面の騎士は、辺境伯の妹でありこの国の大公妃の護衛騎士。良くも悪くも色々な意味で有名な人物ではあったが、伯爵家では双子が神のごとく崇めていた人物でもある。


 それというのも。


「あ、おみそつくったひとだ!」

「おみそ!?」

 騎士がミラン伯爵に自己紹介していたのが聞こえていたらしい双子、直後にそう叫んで二人そろって突撃してきた。

 アデリナが数年前に、市場で偶然に見つけたそれ。

 父に頼み込んでその出所を調べてもらったところ、王家がある人物からレシピを献上され、試験的に製造を開始していた物だったらしい事が分かったのだ。それがたまたま市場で売りに出ていたのを、アデリナが偶然にも見つけて購入したのだった。そして、そのレシピ提供者が目の前の騎士と同じ名前だったのを双子はちゃんと覚えていた。もしかしたら、自分たちと同じかもと密かに期待していたので、忘れてなるものかと思っていたのだ。

「おねーさん、おみそつくってくれて、ありがとう!」

「ぼくたちね、おみそしる大好きなの!」

 今の今までべそべそ泣いていたとは思えないほどの食いつきようだ。

 ミラン伯爵とアロイスは余りの変わり身の早さに双子をガン見していたが、騎士は双子の反応が面白かったようで肩を揺らしている。

「どういたしまして。まだ試作段階だけど、豆腐もあるよ。興味あるかな?」

「「おとーふ!!」」

 双子の目が輝いた。

「あぶらあげ、作れるね」

「おいなりさん、食べたい!」

「あつあげも食べたいな」

「おしょーゆ、ほしいね」

「ん? 醤油なら伝手があるから手に入るけど。ほしいの?」

「「ください!!」」

 ものすごい食いつき方だ。

 仮にも王族の護衛騎士にとミラン伯爵は気が気ではなかったが、おねだりされた騎士は笑って双子の頭をなでていた。

 とにかく、食い気が勝ったおかげで怖い思いをしたことを綺麗さっぱり忘れ去ったらしい双子、騎士から新しい食材を送ってもらう約束を取り付けてご機嫌である。騎士も双子から辺境伯領で見つけた食材の情報を提供してもらい、感心している様子だった。そんな感じで、お互いにほくほくした様子だったのも周囲をさらに混乱させていた。

 それからしばらくした後、仮面の騎士の元に数人の同僚らしき騎士が合流した。どうやら先ほどの女性以外にも、彼女と繋がってたらしい連中をいつの間にやらまとめて捕縛していたらしい。手配していたのだろう護送用の馬車が到着すると、【こちらで責任をもって、詳しく話を聞いておきますので。報告は後日】と言い残して去って行った。

 詳しく話を聞くの辺りでうすら寒いものを感じた面々ではあったが、誰も口には出さなかった。

 そして、双子は。

「おねーさん、かっこいい……」

 エリアス、珍しく騎士がお気に入りとなったらしく、うっとりした表情でつぶやいている。荒事を好まないおっとりしたエリアスが騎士に興味を持ったのは、アロイス以外では初めてかもしれない。

「ついに、おしょーゆが! おいしいにもの、作れる!」

 アデリアは食い気の方が勝っているらしい。

 まあ、ある意味、いつも通りな反応を見せている双子に大人たちは安堵していた。攫われかけたなどトラウマ案件だが、少なくとも今は大丈夫なようだ。

「兄さまに、おしょーゆがもらえるよって、おしえてあげないと」

「おとーふは、いつもらえるかなぁ?」

「おねーさんに、きいておけばよかったね」

「ね」

 完全に通常営業な双子。一にベルナルド、二に美味しい食べ物が基本的な思考回路なのは健在だ。

 こうして、大好きな兄の死亡フラグを無事に圧し折った双子だが、この時は頭の中が豆腐と醤油で占められていたが為に、それに気づくのは随分と後になってからになる。



 **********



 本日、ミラン伯爵家では新しい料理のお披露目が行われていた。

 主催は勿論、双子。

「「おねーさんから、おとーふと、おしょーゆ、もらいました! あたらしいおりょうり、どーぞ!」」

 ニコニコと、元気に宣言。

 あの研究所の件から十日ほど経った頃に、辺境伯を通じてあの時の騎士から食材の差し入れがあったのだ。中身を確認した双子は狂喜乱舞、さっそくキッチンに揃って籠ることになった。あの時、双子が油揚げだの厚揚げだの話をしていたことを覚えていたようで、その試作品も一緒に送ってくれたのだ。加えて醤油の他にも料理酒やみりんらしきものまで入っていたものだから、双子は喜びを大爆発させた。

 その結果が、晩餐用の大きなテーブルに所せましと並べられている。

「兄さまこれね、これもね、だいずからできてるんだよ!」

 豆腐を指さしつつエリアスが説明すれば。

「これね、ちゃんとした、にものができたんだよ! おしょーゆとかね、もらったから作れたの!」

 新バージョンらしい煮物をベルナルドに進めつつ、アデリナが説明する。アデリナ的には醤油やみりん、日本酒もどきがない時に作っていた煮物はちゃんとした煮物ではなかったようだ。

「うん、美味しいね。この白いの、トーフというのかな? この黒いソースがよく合うね。煮物も、以前のモノより味が深くなった感じだね。うん、とても美味しいよ」

「「よかった!」」

 いつも通りに、兄の両脇を陣取ってあれこれ説明しつつの光景。

 双子的には、ついにちゃんとした和食を大好きな兄に食べさせることが出来て大満足。もちろん、色々な面で手を尽くしてくれた父を始めとした人たちの協力あっての事だと理解しているので、そのみんなにも食べてほしいとの思いからの、この試食会だ。

 実はこれ、ベルナルドの死亡フラグを無事に圧し折ったお祝いも兼ねていたりする。

 それというのも実は双子、あの後もしばらくそのことに気付かなくて、迫りくるベルナルドの施設訪問をどうやって阻止するかに日々頭を悩ませていたのだ。しかし、アロイスから何をそんなに悩んでいるのかと聞かれてその事を話した時に、ものっ凄く微妙な顔をされ、犯人が捕まっているのにこれ以上何を警戒するんだ的な事を言われて、やっと気づいた。


 実はこの時すでに、元凶ともいえる伯爵夫人は離縁を言い渡されて実家に帰っていた上に、その実家の男爵家は近衛騎士団による捜査が執り行われていた。

 近衛騎士が出てくるという事は、王家が主導しているという事。それだけ重大な何かがあると疑われているという事でもあるのだ。

 更にはその捜査の過程で男爵夫人がある国の間者であることが判明、男爵も長い時間をかけて完全に取り込まれていたので共犯とみなされ、共に拘束された。さらにミラン伯爵家の乗っ取り計画も判明し、今は裁判を待っているところだ。爵位剥奪は決定事項でお家断絶も確実、男爵夫妻は反逆罪が適用され処刑となるだろう。

 夫妻の一人娘である元伯爵夫人は、かなり疑わしくはあったものの間者だという確証はなく、十年以上前に嫁いでいた事と、関わりを疑わせるような証拠も見つからなかったことから、戒律の厳しい修道院への収監が決まっている。そこは修道院とは名ばかりの、重犯罪を犯した令嬢や夫人を収容する刑務所代わりの場所であり、一度入ったら二度と出ることは叶わないと言われている場所でもあった。


 そんなわけで、エリアスが夢で見ていたベルナルドの暗殺は完全に解決済みなのだ。にもかかわらず、双子が眉間に皺を寄せているからまだ何かあるのかと心配して訊ねてみれば、返ってきた答えがそれ。アロイスが脱力したのは言うまでもない。

 ただ、その後は双子が跳ね繰りまわって喜んでいたので、癒されもした。そのままきゃーきゃー騒ぎながら父の執務室へ突撃したり、居間で刺繍をしていた母の元へ行って飛びついたりと、全身で喜びを表している様子には、屋敷中がほっこりしていた。


 そして、双子が頑張ってくれたことを、誰よりも理解していたベルナルド。


 自分のために奮闘し、何もしなければ訪れただろう自分の死を回避してくれたことに、深く感謝していた。本来は自分が守るべきなのに、逆に守られた事は少しばかり情けなく思わなくもなかったが、可愛い弟妹が自分の為に必死になって色々と考えてくれたことが純粋に嬉しかったのも事実。


「今度は私が守るよ」


 自分の未来を守ってくれた可愛い双子の為、決意も新たに呟く。

「兄さま、なーに?」

「兄さま、どうしたの?」

 聞こえたらしい双子が反応するが、なんでもないよ、美味しいねと言ってごまかす。

「「おいしーね!」」

 ニコニコとご機嫌な双子。



 こうして大好きな兄の死亡フラグを無事に圧し折る事が出来た双子だが、それで双子の行動に変化が見られたかというと、そんなことはなく。

 この後も様々な騒動を起こすのだが、それはまた別のお話。

 


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