警視庁公安局刑事課資料係
「貴女、今からちょっと死んでくれる?」
私の両親は共に公務員だった。
高校教師だった母と警察官の父。
父は交番勤務だったけれど、いつも地域の安全を見守り、自分の仕事に誇りを
持っている事は子供だった私にも見て分かった。
厳格で怖いと思う時もあったが、大きな手、広い背中、そして何より温かくて優しい。
父は憧れの存在だった。
そんな父の影響もあってか私は父と同じ警察官になるという夢を幼い頃から描き、
そしてその夢を現実のモノとし、今、私はココにいる。
「ところで少し、案内したい所があるのだけど・・・そうね、私が案内しましょう。
少し特殊な場所だけど貴女なら大丈夫そうね。
八坂警部補。公安局の幹部候補生として君の今後の活躍に期待する」
「ハイ!」
地上30階地下4階からなる警察庁の建物。
その最上階にある公安局局長室。
この局長室を預かる時雨凛の後をついて局長室を出る。
時雨凛。父以外で憧れを抱いた人物。
年齢は20代後半から30代前半。あまりの有能さで異例中の異例で公安局局長にまで
上り詰めた女性。
事実、彼女が局長に就任してから犯罪指数の下降、犯罪者の検挙率の上昇など
警察学校時代、時雨局長の話題が出る度、その美貌も然る事ながら
男女問わずその優秀さ、的確さ、若くして警察庁をまとめ上げる手腕に憧れを抱く者も
多く
私もその一人だった。
その憧れの人物と直接対話をし、「期待している」とまで言われた。
彼女の元で働きたいと願い、その為の努力は惜しみ無くしてきた事が報われた事に
幸福感にも似た充実感に包まれる。
エレベーターに乗り込み、時雨局長の指先を追う。
これでも飛び級で大学を卒業し、警察学校も首席で卒業した。階級も警部補だ。
それなりにどこへ配属されてもやって行く自信はある。
父はノンキャリでしかも出世にも興味が無い人だったけど、日々、地域の治安を
守って来た。
「皆が安全で安心できる社会って良いよな。笑顔でいられる事が一番だよ。
その為には俺達警察官ももっと頑張らないとな」
何度も何度も父に聞かされたせいかすっかり覚えてしまった。
より安全で安心な社会を創る。
その実現の一翼を担う者として相応しくある様、必死で勉強し、父から引き継いだ
その精神をより高める為、自らがそれを指導し、監督する立場を選んだ。
「貴女の資料。読ませて貰ったわ。とても優秀なのね」
「いえ、そんなことは・・・」
「謙遜する事なんてないのよ。事実を言っているだけだから。
それとご両親の事は残念だったわね」
「はい・・・父は一年前に、母は先月に」
「そう。ごめんなさい。辛い事を聞いてしまって」
「いえ、父は亡くなってもう一年が経ちますし、
母も元々身体の丈夫な方ではなかったので」
下降するエレベーターの中。父が無くなった日の事を思い返す。
自分も苦しいくせにそんな事は一言も洩らさず、病床でも街の事、若い部下の事、
そして家族の事を心配していた父。
私は必ずこの人の「意志」を引き継ぐ決心をした。と。同時にその後、日に日に体調が
悪くなる母を見て覚悟も決めた。
なのに、涙が溢れそうになる。
「今だけなら泣いても良いのよ?」
「いえ、大丈夫です。私は警察官の娘です。この程度で泣いていては父に叱られます。
それに大切な両親はちゃんとこの胸の中で生きていますから」
「そう。強いのね」
「はい」
フフッと時雨局長が小さくほほ笑む。私も小さくほほ笑む事が出来たと思う。
チンッ。と高い音が響き、エレベーターが目的の階に着く。
階を示すランプはB4F。この建物の最下層。
こんな地下に何があるのだろう?
「し、時雨局長、ここは・・・」
「まぁ、付いてらっしゃい。少し歩くけど、この辺は薄暗いから足元に気を付けて」
「は、はい」
確かに廊下は薄暗い。所々蛍光灯が点いてはいるが、電球が切れそうな箇所が多々あり、
点滅を繰り返している。
「局長?この先に何が?」
「そうね・・・あそこ。見えるかしら?」
そう言って薄暗い廊下のある部分を指さす。
「刑事課資料係・・・?」
「そう。貴女の配属予定先よ。職務内容は中で説明するわ。そこから先は貴女が決めるの」
「私が。ですか?」
「ええ」
「それにしてもどうしたんすかね?局長自らお出ましだなんて。
しかもこんな朝っぱらから「全員集合」って」
「主任は何か聞いてますか?」
「いや、何も」
「オーダーでしょうか?」
「それらしいのは最近来てないけど」
「ったく、あの人が直接「ココ」に来ると決まって厄介事なんだよな」
「誰が厄介なの?右近君?」
「きょ、きょ、局長!お早いご到着で・・・」
「なぁに?」
「い、いや~今日もお美しいなっ、と」
「あら、ありがとう。女性は男性に褒められると嬉しいのよ。どこかの主任さんにも
ちゃあんと教えてあげてね」
「うわ~、局長攻めてるな~」
「はぁ・・はい・・・」
「遊んでないで何なんだ。今日の用件は?」
「あら、主任さん。今、貴方の部下に素敵な事を教えたの。後で聞いてちゃんと
実践に移す様に」
「用が無いなら帰ってくれ。こっちは忙しいんだ」
「フフッ、そうね。八坂警部補、入って」
「ハイ。失礼します」
中に入って驚いた。中二階の造りの室内は、まるで図書館の様な本棚の列、列、列。
資料課なのだから当然なのだが、資料の量が尋常ではない。
そして室内には5人の男女。資料課の人達だろうか。だとしたら少し個性的だと思う。
「全員揃ってるわね。紹介するわ。八坂琴音警部補。ココに配属予定の新人よ」
「八坂琴音です。宜しくお願いします」
「新人?何で今さら?てか、初めてじゃないですか、ウチに人が入るの?」
右近と呼ばれた青年が大げさに言う。
「俺は何も聞いてないぞ」
「それはそうよ。言ってないもの」
チッ、と主任と呼ばれる男の軽い舌打ちが聞こえる。
「てことは、ココの事もちゃんと説明してないだろう?」
「ええ、今からよ。貴方達がいた方が都合が良いじゃない?紹介も出来るし」
「相変わらずマイペースだな。アンタ」
「何か問題でも?」
「あ、あの~時雨局長?」
「あら、ごめんなさい。八坂警部補。
貴女、ちょっと今から死んでくれない?」
「えっ?」
「それ、説明になってないぞ」
「じょ、冗談ですよね?死んでくれだなんて・・・」
「ううん。本気よ。でも「実質的」ではなく「本質的」にって事だけど」
「実質的ではなく本質的に?それって一体・・・?」
「つまり「戸籍上死んだもの」とする。って事だ」
主任と呼ばれていた男がタバコを指で弄びながら局長の話をサポートする。
「あの・・・すみません。ちょっと理解が出来なくて。正直、混乱しています・・・」
「素直な感想ね。まぁ、話を聞きながら理解してくれれば良いわ。
所で、「公権力治安維持法」って知ってる?」
「はい。立法権を有し、国や宗教、政治。といったありとあらゆる「しがらみ」に
干渉されず治安維持を行える・・・確か5年位前に成立した法案だったと思います。
ただ、それ自体が国内外へのアピールが主で莫大な維持費が掛る為、抑止力のみを残し
今では形骸化していると言われています」
「さすが首席ね。ほぼ正解。」じゃあ、そこからね。まず、その法案を立案し、
成立させたなは私よ」
「えっ?局長が?」
「そうよ。だって民主主義って時間が掛り過ぎるんだもん。一つの事件に判決が出るまで
どれだけ時間を掛るの?その間、被害者、被害者家族は何年も何十年も
苦しまなきゃならない。それだったら、どこか一つの機関に強い権限を与えて全て完遂
させてしまった方が早いと思わない?」
「はぁ、まぁ、それはそうですが・・・」
「で、その形骸化している公権力を体現化したのが、この「刑事課資料係」なの」
時雨局長はそこまで言うとニッコリとほほ笑んで見せる。
「体現化って、でもその殆どは機能していないのでは?」
「ええ。表向きわね」
「表向き?」
「そう。公権力が貴女の言う「形骸化」している理由って何かしら?」
「それは・・・国内外へのアピールが優先で、実際に治安維持を行う場合、それに掛る
経費が莫大だから・・・ですか?」
「いえ、経費なんて言わば税金よね?政治家の連中はお金を毟る事に関しては天才だから
大した理由にならないわ。本当の理由はもっとシンプル。
公権力の持つ絶大な権力。それに対する監督責任。それが理由よ」
困惑気味の私に主任と呼ばれる男がタバコに火を点けながら話のサポートに入る。
「まぁ、簡単に言えば、権力は欲しい。でも責任は取りたくない。ならばいっそ皆で手を
出さない。何かあったら立案した時雨局長に責任を被せてお終い。
しかも、「国民にこれ以上税金の負担は掛けられない」とか言っておけば支持率は
下がらないっていうオマケが付く」
「だからね。私、考えたの。どうしたら公権力を体現出来るか。そこで思い付いたのが
「戸籍上死亡した人間を採用する事」そして仕事は依頼人(被害者)からの
「オーダー制」にして掛る費用とこの子達のお給料にするの。これなら無駄な税金の
投入もない。それに、活動中に何があっても問題ない。だって死んでるんですもの」
「依頼人?オーダー?」
「つまり、とある窓口を経由して俺達とコンタクトを取る。依頼人とは被害者の事だ。
依頼人は俺達に仕事をオーダーする。その時の依頼料は皆で山分けする。
オーダーが気に入らなければ仕事を受けなくても良い。その場合、そいつを除いた皆で
山分けする」
主任と呼ばれる男は当たり前のように説明する。まだ理解できない部分が多々あるが、
なんとなくこの資料課がどんな所なのか全体像は見えた。
だが、時雨局長に対し違和感を感じる。
確かに公権力を体現かする為の問題の解消はしている様に思う。
でも、その為に例え戸籍上でも生きている人間を死亡者扱いしてまで体現化しなくては
ならないのだろうか?しかも、局長の言いぶりからすると自分の部下を「駒」としてしか
見てないのではないかと思ってしまう。
「アンタの考えてる大体分かるよ。俺達もかつては生者の住人だったからな
だが、ココでは間違っている」
「えっ?」
「俺達は自らの意志でココにいる。強制されたヤツは一人もいない。生きる屍になる事を
俺達は選んだんだ」
「どうしてそこまで?戸籍上死亡してるって事は社会的にも死亡してるんですよ」
「だからどうした。紙の上で死んでても俺達は生きてる。だが、犯罪の被害者は確実に
死んでいる。別に正義の味方ってガラじゃないが誰かがやらなきゃ。
誰かが泥を被らなきゃならない。それが「たまたま」俺達ってだけの事だ」
「たまたま・・・って」
「で、アンタはどうするんだい?」
「なんで私・・・なんですか」
「それは貴女が優秀だし、ココには貴女が必要と私が判断したからよ」
「もし、断ったらどうなるんですか?」
「んん~そうね~。ココの事は警察庁の中でも一部のトップしか知らないの。
だからその時は葵ちゃん特製のお薬で記憶をちょっと弄らせて貰うだけかしら。
ねぇ、葵ちゃん?」
葵と呼ばれた女性が振り向き、こちらに向かって来る。
身長が高く、髪は金髪。短いスカートからスラリト伸びた長い脚。
豊かなバストはブラウスの上からでもハッキリと分かる。
見た目は同じ女の私から見ても美人だと思う。
私の顔をまじまじと見つめ、
「可愛い子。大丈夫よ、痛くしないから。アタシがちゃんと忘れさせてあげる」
ゾクっとする様な妖艶なほほ笑みを唇に浮かべ、細い指で私の顎を撫でる。
「記憶って・・・そんな・・・」
「国家機密ですもの当然の処置よ」
局長はそう言って一つ息を吐き出す。そして今まで見たどの表情より険しい顔で
「おおよその説明は以上かしら。さっきも言ったけどこれから先の事は貴女が決めるのよ。
ココの事は世間一般では理解し難い事は理解している。でもね、考えて欲しいの。
この国は少しおかしいと思わない?被害者と加害者とでは加害者の方が保護されている。
お金と地位があれば警察に圧力も掛けられる。優秀な弁護士も雇える。
誰からも守って貰えなかった被害者と法で守られる加害者。
私はそんな矛盾が許せなかった。だからこの課を作ったの」
そこまで言い、室内を見渡す。そんな局長の様子を横目で見ながらこれまでの話を
思い返す。一番の感想は「めちゃくちゃ」だ。未だに理解は出来ない。
しかし、納得させられる話も確かに存在する。
「まぁ、強制はしないわ。断っても葵が上手く記憶を操作するし、貴女のキャリアにも
影響する事も無いわ」
沈黙が室内に流れる。混乱する頭の中で父だったらどんな選択をするのだろうかと思う。
父だったら、父だったら・・・
俯いていた顔を上げ、局長を真っ直ぐに見つめ、出した答えを告げる。
「局長。並びに資料課の皆さん。どうか宜しくお願いします」
一瞬、驚いた表情を見せた局長も直ぐに笑顔を見せて
「結構。皆も良いね?では、八坂琴音。本日付で貴女を警察庁公安局刑事課資料係に
任命する。被害者達の最後の希望として弛まぬ尽力と献身を期待します」
「はい」
こうして私は刑事課資料係。通称「ゼロ課」の一員となった。
小糠雨の夜。
市内のマンションの最上階の一室。小さな明かりが灯る。先程までの熱は余熱に変わり
心地よい気だるさだけが漂っている。
「シャワー浴びて来るわね」
女が一人、バスルームへ向かう。男はベッドに横たわったまま、タバコに火を点け、
今日一日を振り返る。自分はヘビースモーカーだと認識している。
3本目のタバコに火を点けた時、女がバスルームから戻って来た。
「何か考え事?」
「ああ」
「タバコ。貰うわね」
「タバコ吸わないんじゃなかったのか」
「吸うのは貴方の前だけよ」
女は男の口からタバコを奪い吸い始める。
「なぜ、あの子をウチに入れた?」
「あら、気になる?私の事ももっと気にしてくれたら嬉しいのに」
「茶化すな」
女はタバコを灰皿に置き、
「私ね。学生時代、彼女の父親の講義を聞いた事があるの。その時は代理で来ていて
冴えない交番勤務の警察官が来た。って皆笑ってた。でもね。その警察官の話を聞いて
今まで聞いて来たどの講師よりも一番人間味があって人としての温かさがあって
仕事に掛けるプライドと誇りを持っていて「こんな警察官になりたい」って思ったわ。
それが彼女の父親。今の私は間違いなく彼女の父親の影響を受けている。
だから、恩返しがしたかったのかな。辛い決断をさせてしまったけれど。
でも、彼女ならきっと出来る。皆が笑顔でいられる社会を造って行ける。
そう信じてるわ」
「そうか・・・分かった。お前がそう言うならそうなのだろう。
ところで、何でそんなにシャワー浴びるんだ?」
女は呆気に取られた表情になったが、フフッと口元に笑みを浮かべ横になっている男へと
抱きつく。
「好きな男の前では女はいつだって綺麗でいたいのよ」
二つの影が一つに重なり、明かりが消える。後に残されたシーツを泳ぐ音だけが夜の闇に
溶けていった。




