第6話 柔らかな侵略
最初に異変へ気づいたのは、誰だったのか。
後に国連は調査委員会を設置し、各国の天文学者、軍関係者、生物学者、情報機関へ大規模な聞き取り調査を行った。だが結局、人類は「侵略開始日時」を特定できなかった。
なぜなら、その侵略はあまりにも穏やかだったからだ。
最初の記録は、日本のあるSNS投稿だとされている。
『最近うちの猫、やたら賢くない?』
たったそれだけだった。
投稿には、灰色の猫が映っていた。少し不機嫌そうな顔。ありふれた雑種。特別な点は何もない。
だがコメント欄には、奇妙な返信が並んでいた。
『わかる』
『うちも』
『最近、人の言葉理解してる気がする』
『なんか会話成立する』
当時、それを深刻に受け止める者はいなかった。
猫だから。
それがすべてだった。
半年後、世界中で猫の飼育率が急増した。
保護猫施設は空になった。人々は突然、「猫と暮らしたい」という衝動に駆られ始めた。理由を尋ねても、多くは曖昧に笑うだけだった。
「なんか、いた方がいい気がして」
各国政府は当初、コロナ禍以降の孤独感や精神的不安が原因だと分析した。
だが異常は、次第に無視できなくなっていく。
猫を飼い始めた人間は、攻撃性が低下した。
暴力犯罪率が減少した。
離婚率が下がった。
戦争支持率が落ちた。
軍事予算に対する世論の関心が薄れた。
その代わり、人類は妙に猫へ従順になっていった。
「朝四時に起こされる」
「席を譲ってしまう」
「作業を中断して撫でる」
「会議中でも鳴かれると無視できない」
そして誰も、それを不満に思わなかった。
決定的だったのは、国連安全保障理事会の日である。
各国代表が軍事衛星消失事件について激論していた最中、一匹の三毛猫が会議室へ入り込んだ。
場は、一瞬で止まった。
議長だったフランス代表が、
「あっ、猫」
と呟いた。
中国代表がしゃがんだ。
アメリカ代表が撫でた。
ロシア代表がポケットからおやつを出した。
十五分後、会議は完全に中断された。
後に公開された映像には、世界最高レベルの権力者たちが、床へ座り込み、猫じゃらしを振る様子が記録されている。
その頃にはもう、遅かった。
ある夜、南米チリの天文台が、地球軌道上に巨大構造物を発見した。
直径四百キロ。
球体。
表面には、巨大な肉球のような紋様。
世界は騒然となった。
ついに宇宙人が来たのだ。
各国首脳は緊急声明を準備した。軍が動いた。ニュースが世界を埋め尽くした。
だが、その日の夜。
全世界の猫が、一斉に喉を鳴らした。
ゴロゴロゴロゴロ……。
人類は、その音を聞いた瞬間、なぜか安心した。
恐怖が消えた。
怒りも消えた。
戦う理由も、どうでもよくなった。
翌朝、宇宙船から初めての通信が届く。
『ニンゲン ハ ヨク ツカエマス』
国連は三日後、無条件降伏を決定した。
反対した者は、ほとんどいなかった。
現在、人類は猫型宇宙知性体「フェリス文明」の保護下にある。
地球上の戦争は消滅した。
代わりに、人類の平均睡眠時間は増加し、ソファ占有率は深刻な問題となっている。
なお、フェリス文明の支配階級は、現在も気まぐれに人類のキーボード上を歩き回っている。




