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はまゆうSF短編集  作者: はまゆう


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第5話 選択権

「ねえ、ちょっといい?」


そう言って声をかけてきたのは、会社で一番仲の良かった同期の理沙だった。彼女の顔を見た瞬間、僕は何かを察した。その目は決意に固まっていて、どこか遠くを見ている。


「なに?」


「ごめん。あなたの選択を、ひとつだけ奪わせてほしい」


その言葉の意味を理解するのに、数秒かかった。


この世界には、ごくごく稀に「選択権を奪える人間」が存在する。誰かの決断を、一度だけ上書きできる能力。使えるのは一生に一度きり。しかも、その瞬間から必ず、相手との関係性は永遠に壊れる。


使い方は簡単だ。対象者の目の前で「あなたの選択を奪います」と宣言し、奪いたい選択肢を口にする。すると、その人間はそれ以外の選択肢を一切考えられなくなる。まるでレールが敷かれたように、その行動へと誘導される。


僕はその能力の存在を知っていた。でも、まさか自分が対象になるとは思っていなかったし、ましてや理沙に使われるなんて考えもしなかった。


「何を言ってるんだ?」


「私、転勤することにしたの。でも、それだけじゃない。あなたに、会社を辞めてほしい」


「は?」


「もう決まってるの。あなたは明日、社長に辞表を出す。あなたの選択を、私が奪う」


彼女の声は震えていなかった。むしろ、異様なほど静かだった。


思い出した。昨日の帰り道、僕は理沙に「次のプロジェクトリーダー、俺が立候補しようと思ってる」と話したばかりだった。彼女も同じポジションを狙っていたらしい。それは知らなかった。


「なるほど。そういうことか」


「ごめん。本当にごめん」


彼女は謝った。目に涙が浮かんでいる。でも能力は発動済みだった。


まるで頭の中が書き換えられる感覚。明日、社長に辞表を出すという選択肢以外、何も考えられなくなる。退職金の計算をしたり、転職サイトを見たり、実家に帰ることを想像したり——それしか未来が選べなくなった。頭の回路上に、ただ一本の線が引かれる。太く、消えない線。


その瞬間から、理沙の顔を見るたびに、胸の奥が冷たくなるのがわかった。愛憎でもない、怒りでもない。ただ、絶対的な断絶。この能力を使った相手とは、永遠に共感できなくなる。そういう仕組みだった。


翌日、僕は言われるがまま社長室へ向かった。


「お願いがあります。辞めさせてください」


社長は驚いていた。特に仲が悪いわけでもない。むしろ若手のホープとして見られていたことは僕も知っていた。


「理由は?」


その質問に答えようとしたとき、頭が痛くなった。辞めるという選択肢だけが許されていて、それに「理由」という付加情報を載せることはできない。説明できない。ただただ、「辞める」という行動だけが、機械的に実行される。


「特にありません」


「……わかった。引き継ぎはしっかり頼むよ」


一週間後、僕は無事に(という表現が正しいのかはわからないが)退職した。理沙は転勤で別の支社に行き、その後二度と会うことはなかった。


それから三年が経った。


僕はフリーランスとして細々と生きている。かつてのキャリアはリセットされ、無理やり辞めた会社からはもちろん良い紹介状なんて出るはずもなく、ネットで見つけた単発の仕事を繋ぎ合わせるような生活だった。


あの能力を使った理沙はどうなったんだろう。たぶん、彼女が望んでいたリーダーのポジションには就けたはずだ。しかし、彼女もまた何かを失った。人の選択を奪うということは、それだけの代償を払うということを、誰よりも理解しているはずだった。


ある晩、ふとSNSで彼女の名前を検索した。アカウントは残っていたが、最後の投稿は二年前。写真には彼女の笑顔があったが、目はどこか虚ろだった。

僕はコメントを書こうとして、やめた。

何を言えばいいのかわからなかった。

「能力を使って満足してる?」なんて聞けるはずもない。それに、もし聞いたとしても、もうそこにはかつての理沙はいない。能力を使った時点で、僕と彼女の間にあるものはすべて終わっている。おそらくコメントもほんとは書けない、いかなる接触もできないだろう。


この世の中には、どうしても他人の選択を奪いたくなる瞬間がある。相手のためを思って、あるいは自分の欲望のために。「この道を行けばいいのに」「なんでわかってくれないんだ」と。


しかし、選択を奪うという行為は、それによって「奪った側」もまた何かを奪われているということを、多くの人は知らない。


それは、「その人と信頼し合って共に生きる未来」だ。


人は間違った選択をする。時に取り返しのつかない過ちを犯す。それでも、誰かの選択を奪うことが正しいことなのかどうか——僕にはもうわからない。


ただ一つだけ言えるのは、もし誰かがあなたの選択を奪いに来たら、その人はもうあなたのことを大切には思っていないということだ。たとえどんなに優しい口調で、涙を流しながらでも。


あの日、社長室を出た後、僕は無人の会議室でしばらく泣いた。自分が選んだ道ではないのに、なぜか涙が止まらなかった。

理沙は転勤先で自分がリーダーになれて安堵したんだろうか。ざまあみろって思ったか、ちょっとでも良心の呵責があったか。


いずれにせよ、僕のキャリアは壊され、僕は強制的にレールから下ろされてしまったのだ。


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