第3話 嘘が見える俺は、今日死ぬらしい
人の嘘が、見えるようになったのは、三日前からだ。
正確には、「嘘そのもの」が見えるわけじゃない。言葉の上に、薄く色が乗る。それだけだ。でも、その色が何を意味しているのかは、すぐにわかった。
最初に気づいたのは、母親だった。
「今日、遅くなるから先にご飯食べててね」
そう言った母の言葉の上に、淡い灰色が浮かんだ。違和感があった。
母は料理が好きで、俺と一緒に食べるのを楽しみにしている人だ。遅くなること自体は珍しくないが、「先に食べてて」と言うときは、本当に忙しいときだけだ。
でもその日は、どこか違った。灰色は、薄いのに、妙に目に残る。俺は何も言わずにうなずいた。
夜、母は帰ってきた。手には、コンビニの袋。中には、二人分の弁当。
「やっぱり一緒に食べようと思って」
そう言ったとき、今度は色は見えなかった。
その瞬間、確信した。
——あれは、嘘だった。
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学校でも、同じだった。
「昨日の宿題、ちゃんとやった?」
友達の軽い問い。
「やったやった」
その言葉に、また灰色。見間違いじゃない。明確に、色が乗っている。
「嘘つくなよ」
思わず言ってしまった。
友達は一瞬固まってから、苦笑した。
「なんでわかるんだよ」
——やっぱり、そういうことか。
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色には、濃さがあった。薄い灰色は、軽い嘘。言い訳とか、社交辞令とか。でも濃くなると、はっきりわかる。「隠している」というより、「誤魔化している」感じ。
さらに濃くなると——黒に近づく。
それはまだ、三日間で一度しか見ていない。
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それが、あいつだった。転校生。名前は、佐伯。無口で、あまり目立たない。でも、どこか違和感があった。最初から。
「よろしく」
教室でそう言ったとき。
その言葉の上に、ほとんど黒に近い色が浮かんだ。
あれは、今まで見たどの嘘よりも濃かった。
ぞっとした。ただの自己紹介だぞ。何を、そんなに嘘つく必要がある。
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放課後、俺はあいつを見かけた。一人で帰ろうとしていた。
「なあ」
声をかける。振り返る。目が合う。その瞬間、わかった。
この感じ。どこかで覚えがある。でも思い出せない。
「……何」
短い返事。
「お前さ」
言うか迷った。でも、言った。
「嘘ついてるだろ」
一瞬、空気が止まった。周りには誰もいない。夕方の校門。風が少し強い。
「……は?」
佐伯は眉をひそめた。当然の反応だ。でも、その言葉にも色が乗る。濃い灰色。つまり——
「やっぱりな」
俺は一歩近づいた。
「なんでそんなに嘘つくんだよ」
佐伯はしばらく黙っていた。そして、ふっと息を吐いた。
「……見えてるの?」
その言葉には、色がなかった。初めてだった。完全に、透明な言葉。
「……何が」
「嘘」
はっきり言われた。俺は何も言えなかった。佐伯は俺をじっと見た。あの目。やっぱり、どこかで見たことがある。
「へえ」
小さく呟く。
「じゃあ、話が早い」
そして、こう言った。
「君、もうすぐ死ぬよ」
心臓が、止まった。
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「……は?」
声が裏返る。佐伯の顔は変わらない。冗談を言っているようには見えない。というか——色がない。嘘じゃない。
「いつ」
自分でも驚くくらい、冷静な声が出た。
「今日」
短い。
「場所は?」
「ここから、五分くらい歩いた交差点」
具体的すぎる。
「……なんでわかる」
「見てるから」
またそれか。
「何を」
「未来」
嘘じゃない。色がない。
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頭の中が混乱する。嘘が見える。未来が見える。そんなこと、現実にあるわけがない。でも——母親のことも、友達のことも、全部当たっていた。そして今。目の前のこいつは、嘘をついていない。
「回避できるのか」
俺は聞いた。考えるより先に、口が動いた。佐伯は少しだけ考えてから答えた。
「できる」
「条件は」
「選ぶこと」
意味がわからない。
「何を」
「行くか、行かないか」
シンプルすぎる。
「その交差点に?」
「そう」
「行かなければ死なない?」
「うん」
色はない。嘘じゃない。
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簡単な話だ。行かなければいい。家に帰ればいい。それだけで、生きられる。——でも。
「行ったら?」
「死ぬ」
即答。色なし。確定。
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沈黙が落ちる。夕焼けが、少しずつ暗くなっていく。
「……なんで教えた」
俺は聞いた。佐伯は少しだけ肩をすくめた。
「見てるだけって、嫌いなんだよね」
その言葉にも、色はなかった。
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俺は、立っている。分岐点の手前で。右に行けば、家。左に行けば、交差点。足は、まだ動かない。簡単な話のはずなのに。なぜか、迷っている。
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「ねえ」
後ろから声。振り返る。佐伯が立っている。
「一つ、言っておく」
「……なんだよ」
「君、絶対行くよ」
その言葉に——色は、なかった。
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なんでだよ。心の中で叫ぶ。行かなければいいだけだろ。それで全部終わる。簡単だ。簡単なのに。足が、少しだけ左に向く。無意識に。
「……くそ」
自分で自分がわからない。
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理由は、すぐにわかった。スマホが震える。画面を見る。母からのメッセージ。
『帰りに牛乳買ってきて』
その文字の上に、色が乗る。——灰色。軽い嘘。違和感。なぜ嘘をつく必要がある。牛乳を買うこと自体は、普通だ。でも——なぜか、引っかかる。
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もう一通。
『お願い』
今度は、色がなかった。透明。本音。頼んでいる。本気で。
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交差点は、牛乳を買うコンビニの手前にある。つまり——行かなければ、買えない。
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「……はは」
笑いが漏れる。そういうことか。選択だ。いつもと同じ。些細な選択。でも、その先にある結果は——決定的に違う。
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「なあ」
俺は振り返らずに言った。
「なんで俺、行くってわかった」
少し間があって、佐伯が答える。
「見てるから」
「未来を?」
「うん」
「変えられないのか」
沈黙。
それが答えだった。
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俺は歩き出した。左へ。交差点へ。
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信号は青だった。人通りは少ない。いつもと同じ。何も変わらない。
ただ一つ——俺は知っている。
ここで、死ぬ。
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足が止まりそうになる。でも止まらない。体が、前に進む。なぜか。理由は、わかっている。
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母の顔。昨日の夜、一緒に食べた弁当。あのとき、母は嘘をついた。でも、その後で本音を言った。一緒に食べたかったと。
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今回も同じだ。最初は嘘。でも、その後の「お願い」は本音だ。だったら。
俺は、手を伸ばした。道路の向こう側へ。その瞬間。クラクション。視界の端に、光。
——ああ。
と思った。
でも。次の瞬間、強い力で体を引かれた。後ろに倒れる。アスファルトの硬さ。痛み。でも、生きている。
「……危ないな」
上から声。佐伯だった。
「なんで」
息が乱れる。
「お前、死ぬって」
「言ったよ」
平然としている。
「でも、“必ず”とは言ってない」
その言葉に、色はなかった。
「未来は見える」
佐伯は言う。
「でもね」
少しだけ笑った。
「“誰かの選択”までは、固定されてない」
理解が、追いつく。
「お前……」
「うん」
「来るってわかってたから、来た」
つまり。俺が来る未来を見て。それを前提に、自分の行動を変えた。
「それ、ズルだろ」
「そうかな」
肩をすくめる。
「見てるだけじゃないって言ったでしょ」
信号が赤に変わる。さっきまで俺がいた場所を、車が通り過ぎる。
「……助かったのか」
「今のところはね」
沈黙。夕焼けが、完全に夜に変わる。
「なあ」
「なに」
「お前の言葉、全部本当なのか」
佐伯は少しだけ考えてから答えた。
「ほとんどね」
その言葉に——初めて、色が乗った。薄い灰色。
俺は笑った。
「嘘つくんじゃねえか」
「人間だからね」
風が、少しだけ冷たい。
「なあ」
「なに」
「明日も、生きてると思うか」
佐伯は少しだけ空を見てから言った。
「さあ」
その言葉には、色がなかった。だから俺は、少しだけ安心した。
人の嘘が見えるようになって、三日目。俺は初めて、「見えないこと」に救われた気がした。




