エピローグ 青空と、それぞれの土
マザーが外宇宙へ去り、火星の戦いが終結してから3年。 激戦の地となった火星の大気固定化プロジェクトは急速に軌道に乗り、居住区の基盤は次の世代へと引き継がれていた。 そして人類は今、RG粒子技術のすべてを注ぎ込み、さらなる未開の巨星――『木星圏開拓プロジェクト』という、新たなる大フロンティア時代を迎えていた。
■ 月基地セレーネ・第1ドック
「おやっさん。いえ、真壁社長。今度こそ……注文通りの代物、上がりましたよ」
隆は、すっかり一端のチーフメカニックの顔つきになり、目の前の男に微笑みかけた。
社長席に座る真壁岩蔵は、相変わらず不機嫌そうな顔で、だがその目は嬉しそうに細められている。
その左足には、かなり自然な『義足』が装着されていた。
「……遅えんだよ、隆。この右手がねえと、新型エンジンのバルブの噛み合わせが、感覚で分からねえじゃねえか」
隆が差し出したのは、鈍い銀色に輝くルナ・オリハルコン製の無骨な『義手』だった。
『義足』の方は苦労せず出来上がっていたのだが、『義手』の方は岩蔵から何度もクレームが入り、3年の歳月を要していた。
凛が基本設計を施し、隆が寝る間を惜しんで組み上げた、岩蔵の指先の繊細なタッチを100%再現する特級品だ。
軍を退役し、民間の造船会社を立ち上げた岩蔵は、この新しい手足で戦争のためではなく、人々の未来を運ぶ船を造る道を選んだ。
火星への移民航路が軌道に乗った今、次なる仕事は木星圏への巨大移民船の建造だという。
「これからは俺たちの時代です、おやっさん。……しっかり、見ててくださいね」
「へっ……当たり前だ。だがな、この手があればまだまだ若いもんには負けられねぇ。お前たちが下手な鉄を叩いたら、この新しい手で殴り飛ばしてやるわ」
二人の師弟の絆は形を変え、次の宇宙を作る技術として、確かに受け継がれていた。
■ 木星軌道・ガニメデ基地
「――こちらカイル! エレーナ、シャック、そっちの重力アンカーの調子はどうだ!?」 『……問題ないわ、カイル。RG粒子の濃度安定。これでガニメデの大気層が固定される』
かつて宇宙を駆けたカイルとエレーナ、そして彼らを支えたシャックは、火星での初期開拓を成功させた実績を引っ提げ、今やミラー総司令官の指揮下で木星圏テラフォーミングを担う、環境開拓チームの頼もしい現場主力となっていた。
『おいおいカイル、あんまり急ぐなよ。木星の重力と環境の厳しさは火星の比じゃない。いくらRGシールドがあっても潰されちまうぜ。ミラー総司令官の容赦ないお説教が飛んでくる前にな』
シャックが通信越しに笑う。
「へへ、分かってるって! 火星を他の奴らに任せてまでこっちに来たんだ、手ぶらじゃ帰れねえよ! 地球から伊沢頭取の本隊がもうすぐゲートを抜けてくるんだろ! 早くここを人が住める場所にして、みんなを驚かせたいじゃん!」
『……ええ。いつか、この過酷な空を、本物の青にしましょう』
戦うためではなく、世界を育てるために。彼らの新しい『牙』は、豊穣の星を創るために優しく振るわれていた。
■ 流星・魁星組の航路
地球圏と木星を繋ぐ大輸送航路。その管理を担う高速輸送艦のブリッジで、退役し民間航路の保安責任者となったアルノルト、トビー、グレッグの3人は、ホログラムモニターを見上げていた。
「地球からの第4次移民船団、全艦予定通り木星ゲートを通過。……相変わらず完璧なスケジュールだな」
トビーが感心したように呟くと、グレッグが豪快に笑う。
「当たり前だろ、地球側で仕切ってるのはあの『伊沢輸送ギルド』だ。頭取の智則さんが自らフラッグシップに乗って、こっちに向かってるんだからな」
そこへ、木星圏開拓総司令部に籍を置くミラー総司令官からの定期通信が入る。画面に映るミラーは、現役時代より少しだけ柔らかい、しかし威厳のある表情をしていた。
『流星、魁星の諸君。地球からの本隊を迎える準備はいいかね?』
「問題ありません、総司令官。まもなく伊沢頭取の『いざわ丸』が木星重力圏に入ります」
アルノルトが背筋を伸ばして答える。
『結構だ。……彼らが地球から繋いでくれた命のバトンだ。我々木星組の誇りにかけて、安全にドックへ誘導してくれ』
■ 伊沢隊の追憶(地球支部オフィス)
同じ頃、復興庁の地球支部オフィス。デスクの上に積み上がった、木星圏への開拓移民申請書類を黙々と捌きながら、伏見和彦はふと、ペンを置いて窓の外を見た。 かつては泥沼の戦いの中で、生きるか死ぬかの極限を共に生き抜いた仲間たちの顔が、青空に浮かんで消える。
「伏見さん、これ、午前中分の最終チェックをお願いします」
そう言って書類の束を差し出したのは、利花だった。かつての鋭い視線は影を潜め、今は落ち着いたオフィスウェアに身を包み、この復興事業を実務で支える頼もしい存在となっている。
「助かるよ、利花。君がいてくれて本当に救われている」
「これくらい、あの戦いの中での操縦に比べたらなんてことありません。……あ、噂をすれば、智則さんから通信回線です。画面、回しますね」
利花が手元のコンソールを叩くと、メインモニターに、輸送船の艦長席に堂々と座る伊沢輸送ギルドの頭取――伊沢智則と、その背景に騒がしいブリッジが映し出された。
『和彦さん、 利花さんも。そっちの書類仕事の進捗はどうですか?』
「智則か。見ての通りさ、移民希望者が多すぎて猫の手も借りたいくらいだよ。そっちはどうなんだ?」
伏見が苦笑すると、画面の向こうの智則は、やれやれと首を振ってみせた。
『こっちの輸送船チームも、木星のミラー総司令官から『移民の足を増便しろ』って直接せっつかれていましてね、ピストン輸送で大忙しなんですよ。嬉しい悲鳴ってやつですね』
「はは、智則が現場でしっかり船を回してくれるから、こっちも安心して申請を通せるんだ。感謝してるよ。隊長さん」
■ 輸送船『いざわ丸』ブリッジと周辺宙域
地球圏から木星へと向かう、ギルドの大輸送艦『いざわ丸』。
その操舵席では、どんな艦でも自在に操ってきた魁が、巨大な輸送艦の質量を限界までコントロールしていた。
「艦長。第3スラスター、RG出力にわずかなブレ。誤差の範囲ですが、木星の重力圏に入る前に修正します」
「頼むぞ、魁。……万里子、ガニメデの管制状況は?」
艦長席の智則が問いかけると、隣のインフォメーションシートで膨大なデータを捌いていた万里子が、インカムを押さえながら即座に答える。元『不死鳥』ブリッジの通信士としての手腕は健在だ。
「問題ありません。木星のガニメデ管制、それと航路警備のアルノルトさんたちから着陸許可が降りました。カイルたちの環境開拓チームが、第一ドームの気密を確保して待ってくれているそうです」
「よし、最高の流れだな。――おい、外のバカとお守り。着陸態勢に入るからあんまり遠くまで行くなよ」
智則がマイクに語りかけると、輸送艦の周囲を冗談みたいな高機動で並走する、二機の護衛メカから通信が入る。 大輔は、本来なら船内の火器管制を任されるはずだったが、『中に引きこもってられるかよ!』と護衛を買って出て、愛機で飛び回っていた。
『へへっ、分かってるって智則さん! でもさ、野良のデブリの一つでも飛んできたら、艦で火器管制使うよりも、ここで俺が直接撃ち落とした方が早ぇだろ!』
『もう、大輔さんはすぐそうやって調子に乗る。……こちら愛香、周辺宙域クリアです! 魁さんの運転がちょっと荒いから、大輔さんと二人で追いつくのが大変なくらいですよ』
『外宇宙の荒くれ者に舐められないためのスピードだ、我慢しろ』
操舵席の魁が不敵に口元を歪め、万里子が『もう、男の子たちはすぐ張り合うんだから』と呆れたように笑う。 その賑やかな様子をモニター越しに見ていた地球の和彦と利花は、ふとオフィス側の画面の端を確認して思い出したように言った。
「そういえば智則、美恵と奈津子は予定通り地球に降りたのか?」
『あ、ああ。あの二人には、伊沢隊を代表してまとめて有給休暇を取らせたよ。今頃は地球のどっかで、美味いもんでものんびり食ってりゃいいんだがな』
画面の向こうで智則が笑い、通信が切れる。 和彦と利花は、窓の外に広がる、どこまでも穏やかで青い空を見上げた。
「あの戦いから、俺たちはずいぶん遠くまで来たな……。あいつらにも、この青い空を見せてやりたかったよ」
伏見の静かな言葉に、利花が少しだけ誇らしげに微笑む。
「そうね。あの子たちも安心してくれてるかしら」
「ああ……。だが、俺たちがこうして泥にまみれて、机仕事をして、船を回し、空を護り続けることこそが、あいつらの残してくれた未来を守ることなんだろう」
「……ですね。私たちの新しい戦場、ってわけです」
二人は小さく頷き合い、誇りを胸に再び書類へと向き直った。 その、彼らが護る青空の下――。
■ 地球・優しく風が吹く街(テラス席)
昼下がり。
街路樹が青々と茂るパン屋のテラス席。
休暇を貰って地球へ降りた美恵が、長めのフランスパンをしっかりと抱え込んでいる。
向かいには奈津子。
相変わらずその表情は平坦で、どこか薄い。
「またフランスパンなの?」
「美味しいので」
「それ、三本目だよ?」
「……二本目です」
そんな、なんてことのない軽い会話。
しばらく、心地よい沈黙が流れる。
そよ風がテラスのパラソルを揺らした。美恵がポツリと、お茶のカップを見つめながら呟いた。
「ねえ、奈津子さん」
「何?」
「隊長たち、怒ってないかな」
奈津子の、ティーカップを持つ手が止まる。
「……」
「私さ……今でも夢に見るんだ。中川隊長や、副隊長、あの戦いで失われたたくさんの仲間のこと」
美恵はフランスパンをぎゅっと抱きしめ、視線を落とした。
「もっと、私が強かったらって。今でも、毎日思うんだ」
奈津子は少しの間、静かに考えてから、淡々と答えた。
「私もです」
そして、目の前のお茶を一口含むと、ゆっくりと続けた。
「でも……もう、十分だと思います」
「え?」
「私たちは生き残った。不器用でも、こうして今日を生きてる。それだけで、隊長たちは十分喜んでくれていると思います」
奈津子は優しく降り注ぐ陽光に満ちた空を見上げる。
「だから……そろそろ許してあげましょう」
「誰を?」
「自分自身を」
ここで初めて、奈津子が小さく、本当に少しだけ、愛おしそうに笑った。
その微笑みを見た瞬間、美恵の瞳から一気に大粒の涙が溢れ出した。
「うわぁぁぁん! 隊長ぉぉぉ!」
フランスパンを抱えたまま、人目をはばからず泣きじゃくる美恵。
「……相変わらずですね、美恵は」
奈津子は呆れたようにため息をつきながらも、その手元にあるハンカチをそっと差し出すのだった。
■ アルテミス研究所
「守屋博士! 大変です、第3セクターのRGコンデンサーに一時的な出力偏向が――」
「だから! 私はまだ博士じゃないって言ってるでしょ! 凛でいいわよ!」
通路をドタドタと走りながら、白衣をなびかせた凛が悲鳴のような怒声を上げる。 その後ろを、ナミとタエが苦笑しながら追っていた。
「凛姉さま、また若手研究員を虐めてるの?」
「虐めてない! 正確な肩書きを呼べって指導してるだけ! もう、みんなして私を天才扱いするの、やめてよね!」
ナミはニヤニヤしながら凛の肩をそっと突く。
「いいじゃないですか、世界を救ったハッキングコードの生みの親なんですから。ねえ、タエさん?」
「そうそう。今じゃ学会のアイドルよね、凛『博士』」
「もう、二人ともからかわないで!!」
ぷんぷんと怒る凛。しかし、その瞳にはかつてのような孤独や焦燥はなく、仲間たちに囲まれた温かい光が宿っていた。
■ 月政府・総督府
戦後の復興を主導する月政府。 総督府のオフィスで、杏は分厚い計画書をデスクに叩きつけた。
「春花さん、次は土星圏の開拓計画です! 木星の安定化が進めば、次はあそこの環の資源を――」
「ちょっと、杏。気が早すぎるわよ」
デスクの向こうで、春花がコーヒーを啜りながらクスクスと笑う。
「まだ木星圏の初期ドームの気密テストが終わったばかりじゃない。まずは今ある平和をしっかり噛み締めなさいな」
「だって、立ち止まっていたら、あの人たちに置いていかれちゃいますから」
杏は悪戯っぽく笑いながら、窓の外、地球の方向を指差した。 春花はその方向を見つめ、かつて自らの船――不死鳥の牙として世界を救った黄金の機体と、それに乗っていた愛すべき仲間たちの姿を思い浮かべた。
「そうね。……あの子たちに笑われないように、私たちも私たちの仕事をしましょうか」
■ 地球・優しく風が吹く街
街の小さな一角に、香ばしい焼き立てのパンの匂いが漂う店があった。
看板には、どこかあの黄金の機体を思わせる、美しく羽を広げた鳥のマーク。
「お待たせしました! クロワッサン焼き立てですよ!」
由美が元気に店内を駆け回り、愛想のいい笑顔でパンを袋に詰めていく。
奥の厨房では、小麦粉に塗れた哲夫が、真鍵な目付きでオーブンの火加減を覗き込んでいた。かつて宇宙の命運を握る操縦桿を握っていたその手は、今では多くの人を笑顔にするための、温かいパン生地を捏ねている。
「兄さん、美恵ちゃんたちがまたフランスパン買い占めていったよ」
亜理紗が、少し呆れたように笑いながら空になったトレイを片付ける。 コクピット内の冷たい液体の中で、互いの命を削り合っていた三人は、今、地球の温かい空気の中で、確かに自分たちの『生』を噛み締めていた。
「ふぅ……みんな、ちょっと休憩にしましょう」
店の奥から、淹れたてのお茶を持って現れたのは慶子だった。 彼女もまた軍の医療服を脱ぎ、今はこの風変わりで温かいパン屋の『頼れる相談役兼居候』として、彼らの健康と、穏やかな生活を優しく見守っている。
「哲夫くん、少し焼きすぎじゃない? 職人気質なのは、あの岩蔵さんに似てきたかしらね」
「あはは。おやっさんに聞かれたら『焼きが甘い!
鉄もパンも、大事な物は一緒だ!』って怒られそうです」
哲夫はそう言って笑いながら、窓の外を見上げた。 どこまでも広がる、どこまでも青い空。
その空の向こう。遥か遠い外宇宙の深淵へと旅立った、かつての黄金の相棒。
物理脱出レバーに込められた岩蔵の執念。慶子が繋いだ命。仲間たちと共に戦い抜いた日々。
そして、あの月基地で、最期まで自分を愛し、命の防壁となって守り抜いてくれた、さやか。
(俺たちは、生きているよ。さやか。――この、青い空の下で)
心地よいそよ風が通り抜け、哲夫の髪を優しく揺らした。
人類の、そして彼らの本当の物語は、この穏やかで、優しく風が吹く日常から、新しく始まっていくのだ。
(おわり)




