第48話 最後に残るもの
火星の赤い大地が遠ざかっていく。 超大型母艦『八咫烏』の艦内は、勝利の歓喜よりも、どこか厳かで静かな空気に包まれていた。
パイロットの待機室では、かつて杉里悠隊長の部下であった面々が、静かにその遺志を噛み締めていた。
「隊長は……最期まで俺たちを、人間を守ろうとしてくれたんだな」
大輔がぽつりと呟いた言葉に、由美が小さく、だが気丈に頷く。
「はい。不器用で、冷徹なフリをして……どこまでも、あの人らしい最期でした」
「……」
智則が目を瞑り沈黙を貫いていた。火星奪還という大戦果の裏で、彼らが支払った代償はあまりにも大きかった。しかし、その悲しみは絶望ではなく、次へ進むための確かな覚悟へと変わりつつあった。
演算室では、凛が指揮するスパイダーたちが、杉里が遺した『Alog側の命令ログ(マスター・キー)』を物凄い勢いで解析していた。
木星には、ある最上位個体が存在する。 ――データの一番奥底に刻まれていたのは、その不気味な事実だった。 それこそが、これまでの凄惨な地球侵攻のすべてを裏で操ってきた絶対的な存在、『マザー』。
さらに残酷な事実が判明する。その『マザー』が展開する絶対的な命令フィールドの懐へ飛び込み、対抗できる可能性を持つ機体は、この艦隊に一機しか存在しない。Alogのコードをその身に宿して動く――結城哲夫の乗る『雷電』だけ。それが、データが告げた冷徹な真実だった。
「つまり、雷電を失えば、人類は終わるということね」
凛の報告を聞いた春花艦長が、厳しい表情で腕を組んだ。
「……はい。あいつらの最上位権限を相殺し、肉薄できるのはあの機体しかありません」
凛の苦渋に満ちた返答に、しかし春花は迷うことなく静かに前を見据えた。
「なら、雷電にすべてを背負わせるのではないわ。雷電がその刃をマザーに届かせられる環境を、私たちの艦隊全体で、力ずくでもこじ開ける。それが『不死鳥』の、人類艦隊の仕事よ」
「艦長……」
「杉里隊長。あなたは最期に、人類へ勝機を遺してくれたんですね」
モニターを見つめる凛の横顔に、かつての傲慢さはなかった。その視線の先、演算室の隅では、杏と愛香の親子が静かに佇んでいる。 父親を、夫を失った直後であるにもかかわらず、愛香はまっすぐ凛を見つめた。
「守屋さん。お父さんの残したデータ、役立ちそうですか?」
「ええ……完璧よ。だから、絶対に無駄にはしないわ」
凛は眼鏡の奥の瞳を和らげ、静かに、だが約束するように頷いた。
「はぁー……やっぱり、整備ドックの空気は落ち着くねぇ」
改修前の静かなひととき。雷電のコックピットハッチに腰掛けた亜理紗が、足をぶらつかせながら息を吐いた。
「次の木星が本当の最後なんだよね、兄さん」
亜理紗が、下で工具をいじっている哲夫を見下ろす。 哲夫はいつもの不敵な笑みを浮かべ、スパナを回した。
「ああ。まぁ、どこへ行こうがやることは変わらねぇよ。敵が神様だろうがマザーだろうが、全員ブチ抜くだけだ」
「ふふ、またそうやって無茶する気でしょう?」
「するなって言われてもするさ」
あきれたように笑う由美に、哲夫がニッと白い歯を見せる。
「隊長は本当に、出会った時から変わりませんね」
由美の言葉に、3人は顔を見合わせて小さく笑った。この一瞬の平穏こそが、彼らが戦う理由そのものだった。
「よお、哲夫の坊主。ちょっといいか」
3人の会話が一段落した頃、苦い顔で煙草を噛み鳴らした岩蔵が、凛を伴って歩み寄ってきた。 凛の手元の端末には、雷電の内部設計図が映し出されている。
「結城隊長。単刀直入に言うわ……雷電のシステムコードから、Alogと同じ命令体系が見つかったの。この機体は、あいつらの設計思想そのもので作られている。危険すぎるわ、今すぐ雷電の凍結を――」
「断る」
哲夫はゆっくりと雷電を見上げた。
鈍い装甲の向こうには、自分たちと幾度となく死線を越えてきた機械が静かに佇んでいる。
「……そうか。」
小さく息を吐く。
「やっぱり、そうだったか。」
哲夫は、ただ静かに、いつもの不敵な笑みを浮かべて、話をつづけた。
「そんなこと、最初から薄々感づいてたさ」
哲夫は雷電を見上げながら言った。
「あの化け物どものフィールドをぶち破れる機体が、純粋な人間の技術だけで作られてるわけねぇだろ」
「分かっていて乗っているの!? もし戦闘中に『マザー』から自爆命令を強制インジェクションされたら、あなたたち3人は一瞬で消し飛ぶのよ!?」
凛が血相を変えて叫ぶが、哲夫の瞳には退けない覚悟の火が灯っていた。
「危険だからってここで降りてみろ、誰が木星の『マザー』を止めるんだ? ――勝てる見込みがあるなら、・・・俺はこの呪われた機体を乗りこなしてみせるよ」
哲夫のその言葉の後、ドックに重苦しい沈黙が降りた。 コックピットの上から、由美が、亜理紗が、息を呑んで自分たちの乗る愛機を見つめている。
「……じゃあ、私たちは」
由美が、かすれた声で雷電を見上げた。
「あの機体の中で、ずっと敵の技術と一緒に戦っていたんですね。私たちが信じてきた雷電は……あいつらと同じ、化け物だったの……?」
誰も答えない。巨大な雷電の巨躯だけが、静かにドックの整備灯に照らされ、不気味に佇んでいた。 その静寂を破ったのは、岩蔵だった。 岩蔵は無言で歩み寄ると、雷電の無機質な重装甲を、拳でコン、と無造作に叩いた。
「お前さんが人間だろうが化け物だろうが、そんなこたぁ関係ねぇ」
岩蔵は雷電のフレームを見つめ、静かに、だが地鳴りのような響きで言い放った。
「俺ぁ、この坊主らを確実に生きて家に帰してくれる機械なら、どんな呪いがかかってようが整備するだけだ。化け物のハラワタだろうが、人間のために動くように叩き直してやるよ」
「おやっさん……」
哲夫が小さく息を吐き、不敵な笑みを取り戻す。
「流石おやっさんだ。……だったら、二人にもう一つ、お願いがあるんだ」
哲夫は真剣な眼差しで、岩蔵と凛を見つめた。
「コクピット周りの脱出装置一式を、極限まで改良してほしい。もし万が一、システムが敵に完全ハッキングされて電子制御が全部死んじまったら、自動の脱出装置は動かなくなる。だから、電子が全滅しても、物理的な火薬とアナログのトリガーだけで、強制的にあの二人の入ったコクピットブロックだけをパージして、絶対に生きて宇宙へ射出する。そんな、システムから完全に独立した『命の保証』が欲しいんだ」
「……つまり。兄さんだけ、一番危険な場所に残るつもりなんだね」
亜理紗が、哲夫の自己犠牲の裏を見抜いたように静かに問い詰める。由美もまた、毅然とした強い眼差しで哲夫を睨みつけた。
「私たちは隊長を一人で戦わせるために、・・・一人で全部背負わせるために乗っているんじゃありません!」
二人の強い感情が、ドックの空気を張り詰めさせる。 だが、その緊張を岩蔵の意地の悪い笑い声が破った。
「へっ……言うじゃねえか。だがよ、哲夫の坊主」
「あん?」
「テメェ、格好つけて『あの二人の入った』なんて言いやがったが、雷電のコクピットは元々『三人乗り』の一体型ブロックだ。物理火薬でそこごとブッ飛ばすんだからよ……テメェも漏れなく一緒に宇宙へすっ飛ぶことになるんだが、そこんとこ分かってんだろうな?」
「あ……」
哲夫は一瞬だけ呆気に取られたように目を丸くし、それから極まり悪そうに頭を掻いた。
「……チッ、余計なツッコミすんなよおやっさん。俺は最悪どうなってもいいっていう、悲壮感あふれる隊長の決意表明だったんだよ、今のは」
「ハハッ! 悪かったな。だが残念だったねぇ、テメェだけ綺麗に機体と心中させてやるようなヤワな設計はしねえよ。死ぬ時も生きる時も、三人まとめてだ」
岩蔵はそう言って笑い飛ばすと、凛を振り返った。
「守屋の嬢ちゃん、テメェのスマートな頭じゃ、そんな油まみれの引き金の設計は専門外だろ?」
「……ええ、そうね。私の美学には反するわ」
凛は冷たく顔を背けたが、すぐに手元の端末を岩蔵に向けた。
「だけど、あの三人の命をあんな化け物どものプログラムに預けたままにするのは、もっと不愉快よ。岩蔵さん、物理火薬によるパージボルトの配置と、アナログレバーの油圧経路の設計……手伝える?」
「おうよ! デジタルが全部クラッシュしても、人間が腕力でレバーを引きゃあ、確実に爆薬がハジけてコクピットがブッ飛ぶ、世界一ガサツで世界一確実な脱出装置を叩き込んでやる。……隆! 脱出ブロックの重量計算の枠を一つ空けろ! 三人分の命の重さだ、一ミリの狂いも出すんじゃねえぞ!」
「了解、すぐにやります!」
「いよいよ木星か……本当に生きて帰れるのかな」
「馬鹿野郎、帰るんだよ。地球に置いてきた家族がいるんだ」
ドックの片隅では、一般の整備兵たちがそんな小さな不安を吐露しながらも、必死に手を動かしていた。誰もが恐怖を抱え、それでも前を向いている。
そのドックのもう一角では、春花艦長が懸念していた総旗艦『不死鳥』の決戦兵器『特装砲B』の再調整が行われていた。
「……火星での最大出力射撃による熱負荷が予想を超えているわ。今の仕様のまま木星圏で連射すれば、冷却材での保護が間に合わず、二発目を撃つ前に砲身が完全に融解・自爆する」
凛の厳しい言葉に、春花が問いかける。
「撃った後の冷却じゃ間に合わないというの?」
「ええ、発射の『瞬間』の熱の立ち上がりが早すぎる。対策は一つ。特装砲Bを撃つ前から、あらかじめ砲身内部へ冷却材を強制投与し、極低温状態に保護しながら発射する。これしかないわ。基本はシステムによる自動投与で行うけれど、木星圏で電子ノイズを受けたら、その制御すら狂う可能性がある」
「だからよ、艦長。そこにも俺たちの『カラクリ』を噛ませる」
工具を持った岩蔵がドカリと割り込んできた。
「自動で間に合わなくなった時のために、ブリッジの火器管制席からダイレクトにバルブを開通できる『手動冷却材インジェクター』のバイパスを物理的に引いてやる。システムがバグろうが何だろうが、人間が手動でレバーをぶち込めば、無理矢理にでも冷却材が流れる仕組みだ」
デジタルによる最高効率の自動制御と、それを完全に信用しない人間によるアナログの手動バックアップ、さらにその『手動冷却材インジェクター』でも間に合わなかった時用に、特装砲に直接冷却材をぶちまけられるようにする予定だ。 ここでもプログラムで動かすだけではないアナログの思想が、人類の矛である特装砲Bにも組み込まれていく。
「わかったわ。凛、岩蔵さん、その仕様で特装砲Bの再調整を急いで。……木星の化け物どもに、私たちのあがきを見せてやりましょう」
春花の強い眼光に応えるように、凛と岩蔵は力強く頷いた。
迫り来る木星圏の決戦に向けて、八咫烏のドックには、火花と油の匂い、そして人間の執念の音が響き続けていた。
誰もが恐怖を抱えていた。
それでも、火花は散る。
油の匂いは途切れない。
誰一人として、手を止める者はいなかった。
最後に残るものは、兵器ではない。
システムでもない。
互いを信じ、未来を託す――人間の意志だった。




