42.移送と邂逅
ラウレンツ様から、会談が滞りなく終了した旨の連絡があった。それを受けてようやく、ニコラウスは自分に任された仕事のことを説明してくれた。
ラウレンツ様の目的は三つ。一つは、私が帝国皇子妃であることについて、今後アラリック王子を黙らせること。それと手段の関係にもある目的は、帝国の商会がエーデンタール国へ関与すること。最後の一つが、ヴィオラ様をオストリン・ノイへ移送すること。
「このために私が任されたことは二つ、帝国の商会会議に参加し、エーデンタール国の情報を得ること。エーデンタール国は作物に関する取引を長く禁じていますから、それを打破する糸口を見つけるようにと指示されていました」
商業のことは商会関係者に聞くのが一番速くて確実ですから、とニコラウスは付け加えた。そこで把握したのが、エーデンタール国内で作物高騰を抑えるために出されている勅命のことだった。
「もう一つは、ヴィオラ元公爵令嬢の移送の手配です」
「……なぜ、ヴィオラ様を連れ出すのです?」
「まだ敬称をつけていらっしゃるんですね。まあ、ロザリア様のそういうところはいいところだと思いますが」
どこか皮肉を込めて笑いつつ、ニコラウスは肩を竦めた。
「なぜ、というところまでは存じ上げません。帝国皇子はそこまで教えてくださいませんでした。ただ、オストリン・ノイに連れて行くことと、道中では自害も含めて決して危害が及ばぬように細心の注意を払うことを言いつけられただけです」
ニコラウスの説明はそれだけだった。それからは、ニコラウスは秘密裏にヴィオラ様を連れ出すために忙しそうにしていた。私は、ヴァレンと一緒に、ぼんやりとその姿を見守るしかできなかった。
ぼんやりとしてしまったことには理由もある。なぜなのか分からなかったのだ。なぜ、ラウレンツ様がヴィオラ様をわざわざ帝国領内に招き入れるのか。何か具体的な不安があるわけではないけれど、なにせ相手は王と王子の暗殺を企んだ一族の、その中枢だ。獅子身中の虫となるに違いない。
何より――頭には、王城での日々が浮かんだ。ヴィオラ様にとって、私はクラウヴァルト家のクーデターに邪魔な存在だった。“恋敵を恨んでいる”と見えるように、なおかつ私が王城から逃げ出すようにと、枚挙にいとまがないほどの嫌がらせを受けた。
そのヴィオラ様は、ラウレンツ様によって帝国に迎えられる……。そう考えるだけで、言いようのない不安感か、どちらかというと不快感のようなものが胸の奥へ溜まっていく。
それに、会談が終わった旨の手紙――ラウレンツ様からの手紙の中では、私のことは一言も触れられていなかった。
そのヴィオラ様は、モルグッド領を経由してオストリン・ノイへ向かう。会談終了の報せがあってから十日、いやそれ以上に経った頃、ニコラウスが私に教えてくれた。
「ヴィオラ・フォン・クラウヴァルトがそろそろ領地に到着します。わざわざ茶会を催す予定などはありませんが、お会いになりますよね、ロザリア様?」
最初から会うべきだと主張し、そして今も、私自身の意志で会うことを決めているような口ぶりだ。でも、私はそんなことは一言も言っていない。
ただ、話してみたいことはあった。ヴィオラ様は、誰の前でも――おそらく家族以外には、決してその本性を見せなかった。だから私も、ヴィオラ様がクーデターについて何を考えていたのか、そもそもどんな人なのか、知る機会はなかった。
従兄である王子を害してまで国を手に入れたいとは、どんな気持ちだったのだろう。当時も思わなくはなかったことだけれど、ラウレンツ様の近くにいると、それは単なる好奇心ではなく、自分のために必要な視点のように思えた。
「ロザリア様?」
ニコラウスに畳みかけられ、はっと我に返る。足元では、ヴァレンが首を横に振って拒絶していた。
「……ええ、会います」
でも、気付けばそう返事をしていた。ヴァレンが驚いたようにこちらを見上げてくるけれど、それでも勢いだけで返事をしたわけではなかった。
それに、ラウレンツ様が何も言わないということは、私とヴィオラ様が顔を合わせても構わないと思っているのだろう。逆に、何かを探ってこいと考えているのかもしれない。でもそこまでは分からなかった。
考えがまとまらないうちに、モルグッド家本邸を出ることになった。ヴィオラ様がいるのは、モルグッド領の都市部を出てしばらく行った先の宿場町らしい。ヴィオラ様と会った後、私はここからモンドブルク宮殿へ戻ることになる。
宿場町にある、小さな宿に案内された。見た目からしてあまりに粗末ではと思えば、実際、使用人部屋ほどの広さもない一室に、旅人が5人も6人も横になって泊まるような、そんな宿らしい。
既にヴィオラ様には何の爵位もないとはいえ、あのヴィオラ様がこんなものを見たら何て言うだろう。人の住む場所ではない、と言うだろうか。本当のヴィオラ様は、意外とそんなことにはこだわらないのだろうか。いくら想像しても、正解は分からなかった。
その一室、鍵も何もない木の扉を開けたところに、ヴィオラ様は立っていた。
鮮やかだった金髪は、夕暮れに照らされればそのまま橙色に見えるだけで、すっかりその艶を失っていた。化粧以外ではふっくらと健康的だった頬はこけ、目の下はどこか落ちくぼんでいた。使用人より粗末な、使い古した麻の服から見える手足も、思わず心配になりそうなほど細い。
それなのに、闘争心に輝く瞳は変わっていなかった。
「ご無沙汰しておりますね、ロザリア様」
声にも張りがあった。地下牢の粗末な生活で体力だけは落ちてしまった、そんな様子だった。
そう、ヴィオラ様は、何も変わっていなかった。私が最後に会ったときのまま、むしろ当時以上に公爵令嬢のような品格を放っていた。
一瞬、気圧された。私が知っているヴィオラ様は、アラリック王子を籠絡するためにか弱い省除を演じていた。言葉を選ばずに言えば、世間知らずの乙女にさえ見えていたのだ。
もちろん、その中身がそうではないとは予感しつつも、でも全面に出されると、どうしても驚かざるを得ない。そのせいで言葉に詰まった。
たじろいだ私を嘲笑うように、ヴィオラ様は、ふふっと笑った。それでやっと顔の輪郭が丸く見えるか見えないか、そのくらい痩せていた。
何を話すべきか、考えていなかったわけではない。ただ、もう一度逡巡した末に、一言を口にした。
「……お父様達のことはご愁傷様でした」
「あら、そんなことを貴方に言われる筋合いはございません。アラリック王子の謀殺に失敗すれば、私達は皆死ぬと決まっていたのですから」
まるで後悔を感じさせない、やりきった声だった。ヴィオラ様の反応は色々想像したけれど、そのどれとも違っていた。
……ヴィオラ様は、私を責めようと思っていないのだろうか。もちろん、悪いなんて思っていない。でも、クラウヴァルト家から見れば、その目論見は“私のせいで”失敗したのだというのは理解できる。
でもヴィオラ様は何も言わなかった。沈黙さえ落ちた空間で、思わず訊ねてしまった。
「……なぜですか?」
なぜ。ずっと疑問だったのだ。なぜ公爵家は、王家を葬りたいのか。
「なぜ、アラリック王子を支えるのではいけなかったのですか? いいではないですか、玉座に就かずとも、執政の中枢に携わる方法はいくらでもある。わざわざ、血の繋がった従兄を殺めようと企まずとも、いくらでも解決方法はあったはずです。それなのになぜ公爵家は、王家にとって代わる道しか選ばなかったのですか?」
「だからロザリア様、貴女は王子妃として不出来だったのです」
そうして返ってきた、呆れた声に、虚を突かれた。“王子妃として不出来”、それは何度も言われてきたことだ。でもそれは“お前の仕事は迷惑だ”で、ヴィオラ様の意図するところは明らかにそれではない。




