36.お礼と企み
キンドゥルフさんと話し合いを進めて数日経つ頃、翌日にはオストリン・ノイを発つことが決まった。
朝の支度がひと段落する頃、ラウレンツ様はキンドゥルフさんとの会合へ出かけた。花を栽培して売る、と決まったところで、そこで話は終わりではない。上手くいかねば信用を失うからと、ラウレンツ様自ら施策を練っているようだ。そのためには商会館へ出向くのが早いということで、ここ数日、タウンハウスは不在がちだ。
私とニコラウスも、関係者との根回しに奔走する羽目になった。忙殺されたお陰で、クラウヴァルト元公爵家の暗殺に関して考えを巡らせる暇もなかった。今日はようやく、残りは宮殿に戻ってからということで、ゆっくりする時間ができたところだった。
ヴァレンが「水浴びをしてくる」と出掛けるのを見送った後、私は何をしようかしらと暇を持て余していると、庭先でのんびりと紅茶を嗜むニコラウスを見つけた。隣には小姓のアレクシスもいる。
「ニコラウス」
そこに駆け寄って声をかけると、ニコラウスは紅茶のカップを置いた。
「皇子殿下がお呼びですか?」
「いえ、そうではなく。今回は貴方のことを見直しましたと、お礼を言いに来たのです」
「なんですか、やぶからぼうに」
はは、とニコラウスは声を出して笑った。私が向かい側に腰掛けると、アレクシスが一礼していなくなる。どこか気まずそうな顔をしていたので、もしかすると二人の邪魔をしてしまったかもしれない。そういうことならと引き留めようとしたのだけれど、ニコラウスが「まあ、ロザリア様もごゆっくりなさって」と言うので、座ったままでおいた。
「礼と言われましてもね。私は何も礼を言われるようなことはしていませんよ」
「お花の件ですよ。私も、自分がなんとなく好ましく感じる以上のものはありませんでしたし。言われてみれば納得のものでしたが、貴方のぺらぺら回る舌に感心いたしました」
「褒めにいらしたんですよね? もう少し言葉を選んでくださっていいんですよ」
肩を竦められ、私も肩を竦めて返した。でもニコラウスにはこれでいいし、ニコラウスもこれでいいと思っているに違いない。
改めて庭先の花を見る。その色どりはもちろん、形も、エーデンタール国で見たことのない花、そしておそらく帝都でも見かけない花だ。特に帝都は冬も長い。暖かいここで育つ花は、それは人気が出るだろう。
「それに、最初に泥臭く情報を探すように言ってくれたのも貴方です。なぜそう柔軟に物事を考えつけたのです、エーデンタール国ではこんなことはしていないでしょう?」
「まあ、法務卿補佐になってからはしていませんが、領地経営の手伝いはあれこれさせられましたからねえ」
そう言うニコラウスは誇らしげでもなんでもなかった。やれやれと溜息でもつきそうな様子で、面倒ごとをやらされていた、と言いたげだ。
「ご存知のとおり、我が家を継ぐのは兄ですが、弟が補佐になるというのは珍しいことではありませんからね。それに、私は昔から要領が良かったので」
「貴方のそういうところがいいところだと、私は分かりますけれども」
「ま、さして楽しくありませんでしたという話ですよ。労なくできることなど、作業と同じですからね」
……珍しい。ニコラウスが、楽しくないという負の感情を赤裸々に口にするとは。驚いて目を瞠れば「裏を返せば」と続ける。
「帝国は結構楽しいかもしれませんね。皇帝に絶大な権力があるとはいえ、領地が広大に過ぎる。その目を隅々まで行き届かせるにも限界があり、混沌の渦中にある地域も少なくない……」
「楽しいですか? 貴方はそういったものを面倒に感じる気質だと思っていました」
「楽しいですよ。もちろん、日頃も楽しいですけどね。私の人生はそれなりに楽で、さしたる苦労はなく、毎日楽しく好きなことをして生きてますから」
それでも、労なくできることなど作業と同じ、と。そしてその作業をこなすのはきっとニコラウスにとっては退屈なのだ。
ニコラウスとの付き合いは長いのに、その本心を聞かせてもらったのは初めてだ。なんだか急にニコラウスとの距離が近くなった気がして、というかニコラウスに人間味が見えた気がして、へえ、と思わず前のめりになってしまった。
「貴方……意外と、意外と面倒な人なんですね」
「単純な人とお思いで?」
「そういうわけではないですが……でも貴方のことはよく分からない人だと思っていました。それこそ、貴方は法務卿補佐として非常に優秀でしたから。悩む姿を見たこともありませんでしたし」
「心外ですね、こう見えて悩みは数多いのですよ。それを顔に出すほど未熟ではありません」
「そうかもしれませんね。貴方は本当に、どこにいても立ち回りが上手ですから」
笑って同意しながら、なぜか頭にはラウレンツ様のことが浮かんだ。もし私が侍女のままだったら、あるいは他の侍女や官僚と同じような雇われ方をして働いていたら、ラウレンツ様のことはどう見えていただろう。ただ黙々と仕事をこなす、完璧な皇子に見えていただろうか。同じ人間だと気が付きもせず、違う人間だからと自らの見るラウレンツ様を、絵画のように、作り物の類だと思っていただろうか。
契約妃になって良かったことはたくさんある。でも実は、誰よりも近くにいる口実があることが一番かもしれない。私はラウレンツ様のことを何も知らないと思っていたけれど、あの人がちゃんと人間であることは知っている。
もしかして、今はそれで充分なのかもしれない。ラウレンツ様がヴァレンを撫でながら照れるなんて、そんな姿を知っているのは私だけだろうし。ちょっと得意な気持ちと、可笑しい気持ちとで思い出し笑いをしてしまいながら、神獣繋がりで連想した。
「そういえばニコラウス、モンドブルク宮殿では白フクロウを飼っているのですが、ご存知ですか?」
「ああ、オーリとか呼ばれてる」
「ええ、一応あれも神獣なのですよ。フクロウは古より賢者であり、そして賢者のもとには賢者が集まるもの……存外、オーリには賢者をひきつける加護があるのではないかと思います」
オーリが現れて間もなくルヴァリエ様も出仕してくれるようになったし、エーデンタール国からはニコラウスがやってきた。もちろん、ラウレンツ様ご自身の人柄もあるとして、それでも最後は運もある。それをオーリが加護として運んできてくれたのかもしれない。
「ラウレンツ様は素晴らしい方だと、私は心から尊敬しています。その魅力に気付いてくださる方はこれから増え、それは賢者の集いになるかもしれません。貴方も、その一人なのかもしれませんね」
アレクシスが運んできてくれた紅茶を飲んで微笑むと、ニコラウスは珍しく、心から微笑んだように見えた。
「そう言っていただけるとは光栄です」
翌朝目覚めると、私は荷馬車の中にいた。なぜ馬車の中にいるのかは分からなかった。そもそも私は昨晩、自室に戻った記憶もなかった。
いや、昨晩どころか……夕方頃から、記憶がない気がする。一度目を覚ました記憶はあるのだ。でもあまりにも頭が重たくて目も開けられなくて、誰かが持ってきた薬か何かをもう一度飲んで、また寝て……。
それで……というか、寝ていた……? はっとその事実に気付いて体を起こす。
「やあロザリア様、お目覚めですか?」
近くにはヴァレンがいなかった。もちろん、ラウレンツ様もいなかった。
代わりにいるのは、ニコラウスだけだ。向かい側にはニコラウスが座っている。馬車の中の人は、それだけだ。
「……ニコラウス……これは、どこへ向かっているのです……?」
これは、一体どういうこと……。軋む体を労わりながら座り直していると、ニコラウスはいつもの笑みを浮かべた。腹の底が見えない、本心を隠すための笑みだ。
「着いてからのお楽しみ――ともったいぶるつもりはありません。……エーデンタール国へ向かいましょう」




