13.エーデンタール国とその王子①
前回までのあらすじ:ノイマン公爵領「オストリン・ノイ」が不作で困っていると公爵夫人から依頼を受けてオストリン・ノイへ。一方でアラリック王子からは「ロザリアを返せ」と連絡もあり。
待っていてくださっていた方:ありがとうございます!!
私が最後に母に褒めてもらったとき、私は3歳であったように思う。
『もう、名を書くことができるのね』
褒めてもらえたことが嬉しく、何度も何度も書いた。羊皮紙一面に自分の名を書き連ねるほどに、インク瓶を空にするほどに、何度も何度も。
世話係の記録によれば、私は1歳になる前に歩き出し、そして言葉を喋り、2歳になる頃には文字を読み、2ヶ国語を喋った。
物覚えがよく、また身体能力も良い。エーデンタール国には偉大な王が生まれるに違いない。父も母も、3歳の私を前にそう言った。
その折、隣国の皇子もまた、3歳となった。
そして私を取り巻く環境は一変した。
その日も、私は母のもとへ羊皮紙を持って行った。思い返せばなんと下手な字であったことか。それでも私は、自らの名に、母の名も連ね、褒めてもらえると信じていた。
『ラウレンツ皇子は、既に3ヶ国語で詩をそらんじるそうね』
母は、羊皮紙を一瞥し、そう呟いた。
『……まあ、噂ですけれど』
私は、母の期待を裏切り、そしてこのままでは見捨てられるのだ。子ども心ながらに、そう愕然とし、冷や汗を流した。
母上、どうか私を見捨てないでくれ。そう願い、私も詩を必死で覚えた。母に披露すると「ラウレンツ皇子は馬に乗るそうよ」と言われ、次は馬に乗った。ようやく跨ることができるようになった頃、「ラウレンツ皇子は馬上で弓を」と言われ、次は手綱から手を離し、弓を構えた。試みたその日のうちに体勢を崩し、頭を地面に打ち付けた。療養中、母に「ラウレンツ皇子は、馬から落ちそうになる臣下を馬上で支えたそうよ」と言われた。
必死だった。母に認められなければ、私の人生などないと思った。
ロザリアに出会ったのは、私が10歳のときだった。
なんとみすぼらしい少女であることか! 今まで出会った中で、最も貧しさを体現したその姿に、哀れみさえ覚えた。聞けば平民の娘であるという。この度、神獣の守護を受けるものであるとして王家に召し上げられ、生家とは縁を切り、便宜上、アルブレヒト家の養子にしたとのことだ。
そのロザリアは、私を見て、まったく表情を動かさず、頭だけを下げた。
「よろしくお願いいたします」
礼がなっていない。言葉もたどたどしく、6歳とは思えぬ。私が出会う同年の者は、既に貴族令嬢であった。しかし、よりによって王子の妃となる者がこれでは、先が思いやれよう。
しかし、私は気分が良かった。今思えば、優越感があったのだ。ロザリアに比べて、私は圧倒的に優れているという確信があった。ロザリアは、そこに連れているオオカミのお陰でここにいるに過ぎない。本人には何の技量も能力もないのだと。
「ロザリア、お前などに、王子妃など務まるものか。ここでは立派な教育係をつけてやるのだ、せいぜい精進しろ」
「……はい。かしこまりました」
言われていることの意味がよく分からない、そのようなぼんやりとした返事であった。私はいよいよ得意になった。
ロザリアは何も知らなかった。詳しいのは木の実や果物ばかりと、今までの生活がうかがえる知識であった。私はロザリアに何でも教えてやった。これから重要と目されるエリノワ語の読み書き、テグメント様式の教会の素晴らしさ、王族としての立ち振る舞い。ロザリアはいつも真剣な顔をして聞いており、また何でも私に訊ねてきた。気分が良かった。ロザリアは何も知らない。私が教えてやらねば、私が導いてやらねば。
それがまた、一変する。たった数年後のことであった。
ロザリアはその日、私が家庭教師から講義を受けるのを隣で聞いていた。ロザリアと私の年は4つ違うが、将来の王子妃が年齢差を言い訳にしてはならんと、私がロザリアを呼び、共に講義を受けさせた。しかしさすがに難しかったのだろう、私と家庭教師との議論を、隣のロザリアはじっと黙って聞いていた。
講義が終わり、家庭教師が出て行った後、私はロザリアを振り返った。分からないところがあっただろう、教えてやろう、そう思った。
『アラリック殿下、先ほどのナハト辺境伯家への融和策について、私には少々違う意見がございます』
しかしロザリアは、はっきりと言ってのけた。
呆気にとられた。今まで私の後をついて回ってばかりのロザリアが、突然何を言い出すのか。
『……違う意見だと?』
『はい。ナハト辺境伯領がエーデンタール国にとって重要な地であることはもちろんその通りですが、そこまでこだわる必要はないように私は思います。エーデンタール国の利益は何も国境防衛、領土拡大だけではないのですから』
それから、ロザリアは何を話していただろう。私は唖然とするあまり途中から聞き流していた。真剣な顔で「いまの私の意見について、殿下のご意見も聞かせてください」と言われ「悪くないのではないか」と返した。
いつの間にか、ロザリアは二人だけのときに私に意見するようになってきた。最初は珍しかったのが、段々と当たり前になってきた。私は、そんなロザリアの判断を的外れだと言いたく、しかし大人げないと思い、家庭教師に意見するよう促した。家庭教師はロザリアの判断を形だけ褒め、しかしあしらって終えた。それ見たことかと思ったものの、家庭教師の反応の冷たさが平民相手だからとしか思えず、なんとなく溜飲が下がらなかった。
いつの間にか、ロザリアと話すことが煩わしくなっていった。いつも私の話に頷いていたロザリアは、いつの間にかいなくなった。私の話にふたつ頷くたびに、ひとつ意見をしてきた。
その折、詩の講義をヴィオラと共に受けた。ヴィオラもまた私とは年が5つ離れるが、床に伏せて詩を学ぶことは多く、であればそう差はなかろうという家庭教師の判断だった。ロザリアのことを思い出し、少々嫌な気分にはなったが、ロザリアよりマシであろう。そう思った。
「お兄様」
その講義が終わった後、二人きりになった時間に話しかけられ、当初の嫌な気分が甦った。背筋を不愉快な毛で撫でられるような気分になり、思わず睨みつけたのではなかっただろうか。
しかしヴィオラは、両手を合わせ、笑顔を浮かべていた。
「私、さきほどのお兄様の解釈に感動いたしました。あれほど奥行のある解釈が今までありましたでしょうか。どうすれば斯様な読み方ができるのか、ヴィオラにも教えてくださいませ」
ロザリアとは違う。ロザリアも「素敵な解釈ですね」とは言う。しかしそれだけだ。教えてほしいなど、もう言わない。まるでもう教わることなどないとでもいうように。それでもって、私が誤魔化したことに限って「なぜですか?」と追及する。
私をいつもまっすぐ見てくる、あの目が、苦手だ。その時、私ははっきりと自覚した。私は、ロザリアが苦手だ。
ヴィオラとの時間は心地が良かった。ヴィオラは私の話を黙って聞いて、笑ってくれた。政治の話をあえて避けてくれたこともよかったかもしれない。私は生来、政治に関心を持てなかった。この国がこのまま安泰であればいい、そう願っていた。ヴィオラもまたこの国の安寧を祈っていた。ヴィオラであれば、共に穏やかな心で過ごしていけるだろう。そう思った。ロザリアは「願うだけで泰平の世はない」とうるさかった。そのうち、私とヴィオラとの関係にも口を出すようになり、いよいよ煩わしくなっていた――。
ノックで我に返り、目を開けた。拍子に机上の書類が滑り落ちた。朝議前に書類を確認しながら、転寝をしていたらしい。
ああ、煩わしい。苛立ちのあまり拾い上げるのも億劫であった。よかろうと、一度視線を外し、訪問者を迎えることにした。
届けられたのは、帝国皇子からの返書だった。帝国とエーデンタール国の境であるナハト辺境伯領、そのドゥルンバルト城で会合を設けたい旨が認められ、ロザリアの素性について言及はなかった。
先日、ロザリアを名乗る者が帝国皇子妃になっていると明らかになった。クラウヴァルト家の謀反の後、その謀反を予言したロザリアは「神獣の守護を受ける者に違いない」と、父が断じた。あのオオカミは、エーデンタール王家のもとでこの国を豊かにする使命を負った神獣であり、王家に及ぶ危機すら予知する力があるのではないかと。だから連れ戻せと、そういうことであった。
馬鹿馬鹿しい。帝国皇子の返書を手にしたまま、ぼんやりと、羽根ペンを見つめた。
父は、叔父上の操り人形だったのではないかと、その疑惑が生じたのは最近のことだ。あらゆる施策は官僚が決定して奏上する。それに父から意見が付されるとき、大抵、叔父上が傍にいた。その叔父上がいなくなってからも、父が朝議で発言するのは見ている。しかしその発言が、奏上を退けたことはない。
もしや私達は、クラウヴァルト家がいなければ何もできなくなっているのではないか? そう気付くと、あらゆる父の言葉が空虚なものに聞こえた。
ただ、あのオオカミとロザリアを連れ戻す重要性は理解できている。であれば、帝国皇子との会合には、予定通り出向くべきだろう。父でもなく、この私が自ら。
無事に第二章相当部分を書き上げたので、推敲しつつ、これから夏頃にかけて第二章が終わるまで週2~3ペースで掲載していければと思います。
なお続刊の予定はうかがってません。ただ書きました。でも書いたので読んでもらえると嬉しいです。




