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僕の友達は魚しかいない。  作者: ちわみろく
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職務質問について

 一緒に暮らしてみてつくづくわかったことは、シュテファンがとても出不精で面倒くさがりだと言う事だ。

 買物も博雅がするようになると、殆ど、いや、全くと言っていいほど家から出ない。

 家から出ないと、あんなにも身綺麗だった青年はどんどんだらしなくなって行き、一目惚れさえしそうだった美貌は無精ひげやぼさぼさ頭で見る影もないくらいひどいものになってしまった。

「シュテファン!髭を剃れ!シャワー浴びて来い!」

 昨夜から一度も顔を見ていない事にイラ立ち、博雅が彼の部屋のドアを叩いて怒鳴る。

 すると二分後にのっそりした影がそこから顔を出した。

 着ているものばかりは博雅がマメに洗濯しているからさっぱりしているが、本人と来たら、三日以上風呂を使った様子がない。輝くような金髪が鳥の巣みたいになっていくのを見るのは忍びなかった。

「ん~・・・さすがに、そろそろ浴びようかな・・・。ふふ、君たちは今日も綺麗だね。ヒロが面倒を見てくれるようになってから、一層綺麗になったみたい。」

 部屋から出てきたシュテファンは、水槽の前に立って熱帯魚を眺めてから、大きくあくびをした。

 一緒に暮らしていると言うのに24時間まるまる姿を見なかったという異常事態にいささか焦った博雅だったが、ぼりぼりと音を立てて頭を掻いているシュテファンに安心し、小さく息をつく。

「飯はどうしてんだ?昨夜も今朝も食べてなかっただろう?」

「君が外出してる間に、ビールを二本とチーズを少しだけ。」

「俺が作る意味ねぇじゃねぇか。」

「そんなことないよ。食べられる時は食べてるさ。昨日からちょっと仕事に熱中しちゃってて。」

 言い訳みたいにそう言う家主の話題に、ちょうどいいとばかりに博雅は乗っかった。

「・・・あんたの仕事ってなんだ?部屋ン中からずっと出て来ねぇで何やってんだ?まさかゲームにでも熱中するのが仕事というわけじゃねーだろうな。」

 ダイニングテーブルの席に着いた青年は、なんともきまり悪そうな顔をした。隠していた悪戯が暴かれてしまったかのように。

「おい、まさか本当にそうなのか?」

 キッチンに立ってコーヒーを落としている博雅が呆れたような声を出す。

 テーブルい頬杖をついた金髪の青年が、鳥の巣のような頭をかきあげてから応えた。

「いやいや、違うよ。えっとね、僕は物書きって言う奴でね。広告とか説明書なんかを書く仕事をしているんだよ。」

「フリーライターって奴?」

「うん、まあ。そんな大層なもんじゃないけどね。」

「それって儲かるの?」

 失礼を承知で単刀直入に尋ねる。

 広い部屋を一人で借り、博雅をそこにタダで住まわせることが出来るほどの収入になるとは、ちょっと想像できなかったのだ。

「・・・儲かるという程のものじゃないね。どうしたのヒロ、今日は随分と僕に関心があるみたいだ。」

 カップにコーヒーを注いで、テーブルへ置く。

「そりゃ、俺はあんたのこと余り知らないからな。まさかとは思うが、後ろ暗い職種だったりしたら困るじゃねぇか。」

 眉根を寄せて、困ったような顔をして見せる。そんな顔は、童顔なのに苦労性の老人のようだ。

 どうやら本当に不安になっているらしい同居人の表情を見て、シュテファンはコーヒーに手を伸ばし、一口飲んだ。

「安心して。それは無いよ。はっきり言えば、仕事は唯の退屈しのぎさ。無職というのも聞こえが悪いしね。実を言うとね、僕の主な収入源は保険金だ。僕は幼い頃に両親を亡くしている。その両親がたくさんの保険を掛けてくれていたから、今も食うに困るようなことは無いって言うだけ。どう?納得した?」

 告げられた内容に驚いたのか、博雅は目を瞠った。

「・・・っそ、それは、悪い事を聞いちまったな。」

 急に口調を変え、すまなそうに眉根を寄せた同居人は、失言を悔やむように片手で口元を隠す。

 金髪の青年は博雅のそんな様子を見て緑の目を丸くした。

 この童顔で勤勉で綺麗好きの東洋人は、とても優しい。彼には、相手の気持ちを思いやる心がある。小さなきっかけでも、その反応により彼がお人好しであることがよくわかった。

 博雅の、些細な挙動の変化に、少しだけ胸が温かくなるのを感じる。こんな風に気を使ってくれるのだ、と思うだけでなんだか少し嬉しいのだ。

 同じ話をしても、人に寄って反応は様々だ。酷い時には、楽が出来て羨ましい、と言われたこともある。家族を犠牲にして得た働かなくて済む生活が、本当に楽だと思えるものだろうか。

「いいさ。気になるのは当然だもの。」

「ごめん。あんたを信用してないみたいなことを言って・・・。」

「これで信用したかい?」

「あ、ああ。」

「よかった。・・・君のご両親はお国で健在なの?」

 むさ苦しい成りのままだが、シュテファンは優しく微笑んで博雅にそんな質問を投げかける。

 無精ひげがあっても、金髪がぐしゃぐしゃでも、目の下にクマがあっても。その笑顔はとても綺麗で、とても、寂しそうだった。緑色の瞳は潤んでいるようにさえ思える。

「そうだ。・・・そのはずだ。俺の知る限り。」

 博雅自身、両親とは数年会っていない。進路を反対されて日本を飛び出して以来音信不通だ。

 だが、祖父が時折連絡を寄越して近況を伝えてくれる。博雅も、祖父にだけは自分が無事であることを伝え、顔を合わせることは無くても、互いが健在であることは伝え合っているのだ。そういう自分は、きっと家族を失ったシュテファンよりもずっと幸福なのだろう。

 現在の生活苦は博雅自身が望んだ結果なのだから、不幸などとは言えない。貧乏でも住む家が無くても、夢を追うが故の事である。

「それならよかった。今すぐには無理でも、いつかは会いに行ってあげてよね。」

 そう言って微笑むシュテファンは、やはりどこか寂しそうだ。

「・・・そうだな。」

 博雅はなんだか罪悪感にも似た情けなさで胸がいっぱいになり、低く答えるだけで精一杯だった。

 


 シュテファンの家庭の事情には同情はするが、だからと言って不摂生やだらしない身形を見過ごすわけには行かない。彼は磨けば光るダイヤの原石で、ほんの微かな輝き一つで博雅という芸術家の卵が魅了されたほどだ。飾り立てろとまでは言わないが、せめて小奇麗にはしていて欲しいのが本音だった。

 アルバイト先の飲食店へ行く途中、博雅は時折ウィンドウショッピングをする。別にお高いブランドものを見るわけではない。リーズナブルな価格で有名な量販店などの窓ガラスの向こうにいるマネキンを見つめて、ため息をつく。

 最初は自分も少しはまともな格好をすべきかと飾られた衣服を見ているのだが、気付くとそのモデルは小柄で童顔な東洋人ではなく、すらりと背の高い線の細い白人になっていた。時折、それが女性モデルにまで飛躍していたりして、自己嫌悪に陥ったりもしている。

 彼と同居をはじめて一月も過ぎた。その日の夕方も、博雅はぼんやりと道端で量販店の窓を見つめていた。日本にも出店している有名な店舗なので、そこそこに値は張るが、買えない程高価なわけではないカジュアルシャツを見つめて、空想を深めている。

 レシートを手渡しさえすれば、シュテファンはろくに明細も見ず必要経費を支払う。なんだか心配になるくらい杜撰なのだが、その厚い信頼に応えるべく博雅は無駄遣いは避けた。

 しかし、シュテファンの身形をどうにかしなくては、と思うと、これは無駄遣いではないと思いたくなるのだ。

 夕方とは言えまだまだ人通りの多い歩道で立ち尽くした彼は、突然の轟音に目を剥いた。身体が震えるほど間近で、その音は響いたのだ。圧力さえ感じられた気がする。

 思わず耳を覆いたくなるような喧騒や悲鳴に、騒ぎの方を振り返った。

 黒い乗用車が、隣りのドラッグストアへ頭から突っ込んだ光景が、博雅の大きな瞳に飛び込んできた。

 

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