春は気が抜けるらしい(ただし一人を除く)
春爛漫の京都。
桜は満開を過ぎ、はらはらと散り始め、道場の庭にも淡い花びらが積もっていた。
だが、その美しさとは裏腹に、空気はどこかぼんやりとしている。
「……眠いな」
永倉新八が木刀を肩に担いだまま大あくびをした。
「春ってのは、どうにもいかんな。気合いが入らん」
「うん、ふわっとポカポカだしねえ」
隣では斎藤一がいつも通り無表情――のはずが、今日はほんのわずかに目が細い。
立ち姿にも、いつもの鋭さがない。
そして沖田総司に至っては、道場の柱に寄りかかり、完全にやる気を失っていた。
「……だるい。今日は無理」
「無理ってお前な……!」
永倉が呆れるが、沖田はまるで布団の中の猫のように動かない。
――その一方で。
ひとりだけ、異様に元気な男がいた。
「おいおいおい! 何だこの緩み切った空気は!」
原田左之助である。
朝から汗だく、目はぎらぎら。木刀を肩に担ぎ、庭を何周も走り回っていた。
「春だぞ春! 一番気持ちいい季節だろうが! 眠いとかだるいとか、意味わかんねぇ!」
「いや……原田、お前だけだぞそんなこと言ってんの」
永倉が半分寝ぼけた声で返す。
「当たり前だ! 元気出していかねぇと桜に笑われるぞ!」
「桜は笑わねぇよ……」
斎藤がぽつりと呟くが、原田は聞いちゃいない。
そのまま道場に飛び込み、木刀を振り上げた。
「さあ稽古だ! まずは素振り千本!」
「多いわ!」
珍しく沖田が即座に突っ込むが、声に力はない。
「いいか! 季節の変わり目ってのはな、気合いで乗り切るんだよ!」
「理屈が雑だな……」
永倉がぼやく。
だが原田は止まらない。まるで春風そのもののように、道場中を駆け回る。
その勢いに、さすがの斎藤も少しだけ目を開いた。
「……騒がしいが、動いていれば眠気は薄れる」
「ほら見ろ斎藤も言ってるぞ!」
原田は勝ち誇ったように笑う。
そのとき。
沖田がぽつりと呟いた。
「……じゃあ一回だけやるか」
「お、総司が起きた!」
永倉が目を丸くする。
沖田はだるそうに刀を手に取り、ゆっくりと構えた。
それを見た原田が、にやりと笑う。
「いいじゃねぇか。春でも刀は鈍らせるなってな」
――次の瞬間。
沖田の一歩が、ふっと消えた。
「……え?」
永倉が瞬きをしたときには、
原田の喉元に木刀の切っ先がぴたりと止まっていた。
「はい、一本」
「おいおいおい! だるいんじゃなかったのかよ!」
「怠くても、そこは別」
沖田は、にやりと笑った。
「油断したねえ、左之助さん」
原田は笑いながら飛び退く。
永倉が肩をすくめた。
「……春ってのは、厄介だな」
「まっ、俺たち若いもんは、こういう陽気だと眠くなるもんだよ。」
「新八、その言い方 年寄りじみてるぜ!」と原田。
「若いも年寄りもねえよ。
夜さ、花見の騒ぎで、俺ら ヘトヘトじゃん。諍いの後始末まで付き合わされるしさ」
「その上、この陽気だもん。おてんとさまに、寝ろ寝ろと言われてる気がするよ」
その横で――
原田左之助だけが、まだ元気だった。
「よし! じゃあ次は二千本だ!」
「増えてる!!」
沖田が即座に突っ込む。
永倉が呆れたように笑った。
「……すごいよなあ、左之助」
春はやっぱり、少し気が抜ける。
――ただ一人を除いて。




