第12話 雑踏の出会い
グランディア王国、王都アルディナ。
多くの人が行き交う交易の町である。古くからの大商人達がしのぎを削り、グランディア王国だけでなくクレーゼル全土から仕入れた品を売りさばいている。
各地方の領主が幅をきかせていたり、宗教的理由で商売を低く見られたり、他国はあまり自由な商売ができないと聞く。その点、国王の強権が発動できるグランディア王国は商売人にとって天国のような土地だった。
その分、多くの税が取られているらしいが。商人が儲ければ儲けるだけ、国の懐が潤う仕組みになっているらしい。
(親父が農民は税が安くて助かる、とか言っていたな)
マリーの家が職人としてやっていけるのも、商人が大量に買い付けにやってくるからだ。見れば、直接売りに来たのか、素朴な格好をした男性が、これまた素朴なアクセサリーを売っていった。
マリーに、似合うだろうか。
「いやいや、買うとしたら帰りだろう」
エリクは首を振って、先に進んだ。
「むっ」
だが、すぐに立ち止まってしまう。漂ってきた異国の香り。独特な匂いを放つ香辛料だ。
エリクの頭の中は食べたことの無いスープの映像でいっぱいになる。ロランが旅の最中に口にしたものだ。
唾液が止まらなくなる。
「いやいやいや」
エリクは全力で首を横に振った。
横を通った男性がエリクの急な奇行に驚き、目を見開いている。怪訝な顔で眉をひそめたが、そこまで気にならなかったのか人混みに消えていった。
「前に来たときは、こんなに人が多くなかったと思うんだがな」
田舎で育ったエリク、そして、人混みを嫌って人里から離れて生きていたロランには刺激的な街である。誘惑を絶って、目的地に向かう。
本来、この街は素通りする予定なのだ。モーングローブ学院は国境を越えた先にある。そこまで遠くないが、歩きで行くのは非常識な距離だ。
この街には定期的に各地方を結ぶ馬車が出ている。いくらかの路銀を払えば、安全にモーングローブ学院に行けるはずだ。その馬車に、出会うことができれば、だが。
「さて、どっちだったかな」
エリクは完全に迷っていた。人が多すぎて、人に酔っている。
街の中央に行けば行くほど人が多くなる。広場には所狭しと露天商が並んでいる。前に来た時は、こんなのは無かった。先ほどから威勢の良い声が左右から襲いかかってくる。
行き交う人もかなり多い。先ほどすれ違った人からは不思議な香りがした。異国からの
旅客だろうか。
エリクは知らなかった。グランディア王国王都にある中央広場では定期的に大きな市場が開かれることを。今日はその日と重なった。下見の時はそこまで人が多くなかったのも、日が違っていただけだ。
これも、王都アルディナの顔。初めて見るエリクは、人を避けて歩いているだけで、奇妙な疲れを覚えていた。
「泥棒!」
その声が、ぼんやりとしていたエリクの意識を引き戻す。声の方へ振り返った。
一人の男が、通行人にぶつかりながらこちらへ走ってくる。その手に握るのは、茶色の袋。落とさないように気をつけているのに、手で握りしめている。
(ああ、あれが盗品だな)
エリクは冷静に、それを見極めていた。
目の前に男が迫る。エリクは横に一歩歩き、その男に道をあける。エリクの案の定、男はエリクが指定したルートを通ろうとする。
通り過ぎた瞬間、乾いた軽い音が響いた。
「へっ」
逃げていた男は、その場で立ち尽くす。あれだけ、しっかりと握っていた荷物が手から消えていた。
じんじんと、赤くなる手。殴られたのだと気づいたのは、後ろからのんきな声がしたからだ。
「あ、しまった。壊れたりしてないか?」
男が振り返ったとき、エリクが少し離れた場所でしゃがもうとしている。その足下に、男が持っていた袋があった。
ぞっ、と背筋に冷たいものが走る。同時に、今更手の痛みが襲ってきた。
「ひぃ」
男は情けない声をあげて退散する。周囲はざわざわと騒いだが、エリクは特に気にせず、そちらの方も見なかった。
気になっているのは、男の手から弾き飛ばした袋の中身。手に取った瞬間、ずしりと重いそれが貨幣袋だとしって安堵した。
これなら壊れる心配はないだろう。
(さて、持ち主に返すべきなんだろうが)
誰のものだろうか。そんな風に悩んでいたエリクに、一つの影が近寄った。
「いやー、あんた、すごいな」
「ん?」
エリクが振り返る。そこには穏やかな笑顔でこちらを見ている茶色の髪をした少年が立っていた。年齢はエリクと同じか、少し上だろうか。
「俺もおっかけたんだけど、なかなか追いつかなくて。助かった」
その声に覚えがある。あの時、「泥棒」と叫んだ声だ。
「これはおまえのか?」
エリクは手にした袋を見せる。しかし、エリクの予想に反して少年は首を横に振った。
「いや、俺のじゃ無い。俺は見ただけだからな」
「見た?」
「ああ、さっきの男がスリをした現場をな」
どうやら第一発見者のようだ。それなら持ち主の顔も知っているだろう。エリクは持ち物を返したい旨を伝えると、少年は人なつっこい笑顔を見せた。
無事、持ち主に盗品を返却できた後、少年はエリクの肩を叩いた。
「俺の名前はライナス。あんたは何て呼んだらいい?」
そのまま別れようと思っていたエリクは、ライナスに呼び止められたことで立ち止まった。あまり表情を変えずに、エリクは言う。
「エリクでいい」
そんな何気ない一言をライナスは本当に嬉しそうな顔で受け取った。
「なぁ、エリク。もしかして体術やってたりする?」
ただ、このライナスの問いにはエリクは表情を変えるしか無い。エリクは眉根を寄せて、ライナスに尋ねる。
「なぜ、そう思う?」
少し冷たい言い方になっただろうか。気にするエリクだったが、ライナスは特に気にした様子はなく、顎に右手を置いて考え出した。
「そうだなー、何となくなんだけど」
そして、右の拳で左の手のひらを叩きながら、エリクの方をまっすぐに見て答えた。
「あんたの足運びがあまりにスムーズで、全く無駄のない所作でさ」
どうやら、スリを追いかけていた途中でエリクの動きを目の当たりにしたようである。ただ、走りながらの割に細かいところまで彼は覚えていた。
「それで、あの突きだろ。こう、前に向かって走っている相手に、一点狙ってパシッとやるなんて、そうとうすごいだろ」
ライナスは興奮気味に拳をパチパチと手に打ち付けている。
そんな彼は目を丸くして見ていたエリクは目を鋭くする。
(いい目をしている)
心の中でライナスの目の良さに、感嘆の声をもらしていた。




