最終章 運命の背中を押すのは小さな勇気
翌日、朝早くに家を出た宗は南道へ向かい、竹林の前に立った。宗は林立する竹を見上げて、
「……あった。やっぱり」
目的のものをそこに見つけた。
昼休み。宗は南道に、尚紀、桃川雪枝、梶原大和、吉川君子の四人を呼び集めた。
「宗、謎が解けたのか?」
尚紀の声に、宗は黙って頷いた。
「本当か?」
尚紀の声音にも現れていたように、一同は色めきだった。君子は梶原を睨みつけ、その梶原は目を伏せる。雪枝は心配そうに二人を交互に見た。
宗は落ち着いた声で、
「まず、当時の状況を確認してみることにします。
一昨日、十四日の午後三時半。桃川さんは、梶原先輩に手紙を渡したのち、ここへ来て竹の枝にチョコの入った袋を提げた。
同日午後七時。梶原先輩がチョコを取りに来ますが、そこにチョコはなかった。
翌日、十五日の昼休み、吉川さんたちが屋上でチョコレートを発見します。吉川さん、そこで見つけたものを、詳しく話してもらえますか」
「散乱したチョコと、それを入れていた袋よ。袋には雪枝が書いた手紙も入っていたわ」
「それだけですね」
「……そうよ。チョコはどれも手つかずだったわ」
「おかしいと思いませんか」
「何がよ」
「桃川さんの行動を鑑みるに、屋上から発見されたものがそれで全てだというのは明らかにおかしい」
「だから、何がよ!」
激情を含む君子の声を受けても、あくまで冷静に宗は、
「屋上で見つかったのは、チョコと、それを入れていた袋。じゃあ、いったい桃川さんは、それをどうやって竹に提げたというんですか?」
「あっ!」と声を発して両手で口元を覆ったのは、その桃川雪枝だった。宗は雪枝を見て、
「桃川さん、あなたがこの場で用意したものと、屋上で見つかったものとを比べて、足りないものがありますよね」
「は、はい。紐です。私、袋を巾着のようにして紐で口を閉じて枝に提げたんです!」
「紐……」君子は呆然とした顔で、「屋上には、そんなものはなかった」
「桃川さん、あなたが用意した紐は、どんなものでしたか」
「緑色のものです」
「犯人が持ち去ったんじゃないの?」
君子の声に宗は、
「いや、紐は、あります」
「えっ?」
「見て下さい」
宗は振り仰ぎ、校舎寄りに生える一本の竹の先端を指さした。一同も手で額に庇を作って、宗の指が指し示す先を凝視する。
「あっ!」
四人の中で、それを最初に発見したのは尚紀だった。続いて、「あ」「ある」「確かに」と、他の三人も次々と竹の先端に引っかかっている緑色の紐を確認していった。
「間違いありません。あれは、一昨日私が用意した紐です」
雪枝が認めた。
「で、でも」と君子が、「どうして、あんなところに?」
宗は質問に答える代わりに、頭上に伸びた竹の枝の先端を摘んで引っ張った。枝は弓なりにしなる。宗が手を離すと、引き絞られたような形になっていた枝は元に戻ろうと大きく跳ね上がり、数回揺れて再び最初の姿に戻った。皆に向き直った宗は、
「一昨日、ここで桃川さんは竹の枝にチョコの入った袋を提げました。でも、それは本来その場所、正確には、その高さにあるべき枝ではなかったんです。振り続いた雪を被り、その重みで大きくしなっていた竹の先端の枝だったんです。
経緯はこうです。数日間振り続いていた雪は、一昨日の十四日の昼過ぎには止みました。そこから、日差しを受けて雪は溶け始めていきます。桃川さんがチョコの袋を提げた竹は、溶け方の具合で、ある段階で被さっていたほぼ全ての雪が一気に滑り落ちたのでしょう。竹は雪の荷重から一瞬にして解放され、かなりの速度で元のように起き上がったはずです。その結果、どうなるか」
「あっ!」と、宗の言わんとしていることにいち早く気付いた君子が、「起き上がった竹の勢いで、チョコの袋は大きく飛ばされて屋上に落ちた!」
「そうです。紐は枝に引っかかっていたため先端に残り、袋だけがすっぽ抜けるように飛び、口の開いた袋から飛び出たチョコが散乱してしまったんです」
「ちなみに、それが起きたのは桃川さんがチョコの袋を提げた午後三時半から三時四十五分までの間です。新聞部が写したこの写真が証拠です」
宗は知亜子から貰った写真を見せた。
「つまり、この事件に……」
「そう、犯人はいません。偶然が重なった不幸な事故だったんです、今回のことは」
君子の言葉の二の句を宗が受け取った。
「ごめんなさい!」君子が梶原に向かって深々と頭を下げて、「私、てっきり梶原先輩が、雪枝のチョコに酷いことしたんだと……すみませんでした!」
「吉川さん、いいんだ」
梶原は君子の頭を上げさせた。
「わ、私も、ごめんなさい!」
と雪枝も頭を下げる。
「桃川さんが謝る必要はないだろ」
梶原の言葉に、雪枝は強く顔を横に振って、
「私が、勇気を出してもっと早く先輩にチョコを渡せていれば。手紙なんか差し挟まないで、直接渡せていたら、こんなことにはならなかったんです……私に、もっと勇気があれば……」
顔を伏せたままの雪枝の足下に、ぽつぽつと涙の滴が滲み、雪を溶かした。
「お、俺の方こそ、チョコがなかったから、てっきり誰かに担がれたんだと思ってしまったんだ。翌日、すぐに桃川さんのことを捜しだして話を訊くべきだった。事態がこんな大事になってしまって、謝らなければならないのは俺のほうだ。申し訳なかった、桃川さん」
梶原は、雪枝よりもさらに深く頭を下げた。
「そっ、そんなこと、先輩!」
顔を上げた雪枝は、真っ赤に腫らした目で梶原を見る。その隣では君子が、「よかったね、雪枝」と涙を流しながら雪枝の肩を抱いていた。
「俺たちは行こうぜ」
宗は尚紀の背中を押した。「ありがとう、安堂くん」「ありがとうございます」梶原と雪枝の声が掛けられ、君子も頭を下げていた。宗は小さく手を上げて微笑んだ。
校舎玄関に辿り着いた二人に、
「お見事」
待ち受けていたように知亜子が声を掛けた。
「唐橋、取材は受けないぞ。桃川さんや先輩にも迷惑が掛かるから」
「そうね。今回は見逃してあげる。『名探偵、チョコレート事件の謎を見事解決』で一面を飾りたいところだったけどね。まあでも、結果的によかったね」
「何が?」
「桃川さんが梶原先輩のハートを射止められたのは、事件のお陰でもあるでしょ」
「……どういう意味だよ?」
うふふ、と笑みを浮かべた唐橋は、
「まあ、細かいことは気にしない。それより、はい」
知亜子は小さな箱を宗に差し出した。
「何? これ」
「チョコよ。売れ残りで安かったから。どうせ義理だし」
「そりゃどうも。さすが唐橋だな。しっかりしてるぜ」
「はい、長谷川にも」
知亜子は続けて、尚紀にも箱を差し出す。
「サンキュー、って、俺のは宗に比べて小さくないか?」
「そりゃ、探偵とワトソンじゃ格が違って当たり前でしょ」
「何だよそれ」
「長谷川、ワトソンらしく、的外れな推理をして安堂を引き立ててあげたの?」
「してねーよ!」
「そうだぞ、唐橋」
「おお、宗、言ってやれ!」
「尚紀はな、的外れな推理をするどころか、何もしてないんだぞ!」
「おい!」
「あはは。あんたら、いいコンビだわ」
知亜子は、ひとしきり笑うと、にやりとした笑みを浮かべ、
「やっぱり、血は争えないのかな?」
「なっ? 何が!」
宗は顔に狼狽の色を見せた。うふふ、と宗の耳元に口を寄せた知亜子は、
「さすが、名探偵の弟だね」
「――ちょ! お前!」
「全部知ってるのよ、私。安堂くんのこと。正確には、安堂くんのお姉さんのこと」
「な、何で……」
「私の情報収集力を嘗めないでよね。恋愛作家で素人探偵。いくつも事件を解決してきたのよね。おまけに凄い美人。私、とても興味あるんだ。ねえ、今度取材させてよ、お姉さんに」
「だ、駄目に決まってるだろ!」
「どうして? ふふ、まあいいわ。私、諦めないから。じゃあね」
知亜子は手を振って、玄関に入っていった。
「あ、あいつ……」
宗は、ごくりと唾を飲み込み、去っていく知亜子の背中を見続けた。
お楽しみいただけたでしょうか。
理真の弟、安堂宗の活躍、いかがだったでしょうか。思えば、安堂理真シリーズ第一作『サイキ大戦殺人事件』は、彼がテレビゲームをしている場面から始まっており、シリーズ開幕を飾った登場人物であるのです。
シリーズ開始当初の構想では、宗もレギュラークラスの扱いにして頻繁に登場させる予定だったのですが、高校生という身分上、殺人事件との接点を作ることが難しく、理真が実家に帰ったときのいじられ役くらいしか出番を作ってやれませんでした(猫のクイーンでさえ主役を張ったというのに)。そんな彼にも、いつか何か見せ場を設けてやりたいと思っており、今回それが叶いました。
作品としても、三人称を使い、サブタイトルの雰囲気も理真が主役のものとは変え、挿入図版もカラーにするなど、今までのものとは差別化を図ってみました。いつもより、少しでも若々しい雰囲気が出ていればと思います(笑)。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。