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王宮炎上対応係の私、婚約破棄会見を止めたら無口な辺境伯に溺愛されました 〜王太子殿下、その発言は国が燃えます〜  作者: 磯辺
北方辺境伯の悪評

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辺境の子どもたちは王都を嫌っている

 子どもの手紙は、容赦がない。


 大人は言葉を選ぶ。


 角を丸める。


 相手が傷つかないように、あるいは自分が傷つかないように、布で包む。


 子どもは時々、その布ごと窓から投げ捨てる。


 北方の村の集会所では、木の長机いっぱいに紙が広げられていた。


 机の上には、インクつぼ、羽根ペン、乾いた布、そしてなぜか干し肉が置かれている。


「なぜ手紙を書く机に干し肉があるんですか」


「考えると腹が減る」


 トマが当然のように答えた。


 北方の子ども、たくましい。


 隣の小さな女の子は、干し肉をかじりながら紙に向かっている。


 その手元をのぞくと、こう書いてあった。


『王都の人へ。うそを書くなら、もっと字をきれいにしてください。』


「待ってください」


「だめ?」


「気持ちはわかりますが、まず嘘を書かない方向でお願いしたいです」


「じゃあ、王都の人へ。うそを書かないでください。字もきれいにしてください」


「要求が増えましたね」


 別の子は、大きな字でこう書いている。


『王都は、なんでそんなに遠いのですか。』


 地理の質問に見えて、たぶん違う。


 その隣には、こう続いていた。


『手紙は馬よりおそいのですか。返事は雪でうまるのですか。』


 私は羽根ペンを持つ指を止めた。


 笑えない。


 比喩なのか、本気なのか、どちらでもあるのか。


 北方の子どもたちは、王都を知らない。


 けれど、王都に傷つけられた話は知っている。


 彼らにとって王都とは、地図上の都ではない。


 嘘を書く新聞。


 遅れる補助金。


 読まれない手紙。


 来ない援軍。


 そして、自分たちの領主を「冷血公」と呼ぶ、顔の見えない場所。


 嫌われて当然だ。


 当然なのに、私は胸が痛んだ。


 私は王都の人間だ。


 王宮広報局おうきゅうこうほうきょくの人間だ。


 火を消しに来たつもりで、火元のそばに立っている。


「王都は全部嘘つきなの?」


 小さな男の子が聞いた。


 名前はユアン。


 まだ八歳くらいだろうか。


 丸い頬にインクをつけている。


「全部ではありません」


 私は反射的に答えた。


「王都にも、いろいろな人がいます。間違った記事を書く人もいますが、訂正しようとする新聞社もありますし、北方の状況を知りたいと思っている人も――」


 言いながら、自分で少し嫌な予感がした。


 王都を弁護している。


 王都の全部が悪いわけではない。


 それは事実だ。


 事実だけれど、この場で一番先に言うべきことだっただろうか。


 ユアンは首をかしげた。


「でも、嘘の紙のほうが先に来る」


 私は言葉を失った。


 その通りだった。


 訂正しようとする人がいる。


 知りたい人がいる。


 善意の人もいる。


 けれど、北方に最初に届いたのは嘘の紙だった。


 反乱準備。


 冷血公。


 兵を酷使。


 補助金着服。


 その後に、私たちが訂正を書いている。


 遅い。


 いつも、少し遅い。


「……はい」


 私は認めた。


「嘘の紙のほうが、先に来ました」


 子どもたちは黙った。


 私も黙った。


 集会所の暖炉だんろまきがはぜる。


 ぱち、と音がした。


 火の音は、王都でも北方でも同じだ。


 なのに、人がそれを見る目は違う。


 王都では、火は消すもの。


 北方では、火は生きるために守るもの。


 そして噂は、走らせないために鐘を鳴らすもの。


「リディア」


 トマが言った。


「はい」


「王都の人は、毎日舞踏会してるの?」


 私は瞬いた。


「毎日ではありません」


「じゃあ、二日に一回?」


「そんな高頻度ではありません」


「新聞には、王都の人はいつも舞踏会して、菓子を食べて、綺麗な服で笑ってるって書いてあった」


「それはかなり偏った王都です」


「じゃあ、何してるの」


 私は少し考えた。


 王都の人が何をしているか。


 働いている。


 暮らしている。


 不満を抱えている。


 噂に振り回されている。


 税に怒っている。


 記事を信じたり疑ったりしている。


 王宮は会議をしている。


 とてもたくさん会議をしている。


 そしてよく燃える。


「毎日会議で燃えています」


 つい、正直な感想が出た。


 子どもたちは一斉に顔を上げた。


「燃えるの?」


「物理的には燃えません」


「じゃあ、何が燃えるの」


「胃です」


 子どもたちは真剣に黙った。


 トマが眉を寄せる。


「王都は怖いな」


「否定しにくいです」


「胃が燃える街」


「観光案内には絶対に書かないでください」


 少しだけ笑いが起きた。


 でも、すぐに消えた。


 トマは紙に向き直り、乱暴な字で書いた。


『王都の人へ。北方は毎日戦っていません。毎日ごはんも食べます。雪かきもします。熊はたまに出ます。』


「熊の頻度が気になりますね」


「二回鐘」


「知っています」


「鐘一回はごはん。二回は熊。三回は噂」


「その説明は王都にも必要そうです」


 私は別紙に書き留める。


 北方の子どもたちによる王都向け補足説明。


 一、鐘一回は食事または集合。


 二、鐘二回は熊または魔獣など、物理的危険。


 三、鐘三回は噂または未確認情報。


 ただし地域差あり。


 ……地域差あり、まで書いてから、私は自分に呆れた。


 子どもの手紙の横で、私はまた注釈を作っている。


 職業病が重い。


「リディア、それ何?」


「王都向けの補足資料です」


「長い」


「はい」


「読まないよ」


「それが一番の問題です」


 トマはふん、と鼻を鳴らした。


 その仕草が少しカイル様に似ていた。


 隣でカイル様は、壁にもたれて子どもたちを見ている。


 無言。


 子どもたちも、彼が黙っていることを気にしていない。


 王都での沈黙は、威圧や拒絶に見える。


 北方での沈黙は、時々、ただそこにいることになる。


 不思議だった。


「辺境伯様」


 私は小声で呼んだ。


「何だ」


「子どもたち、王都をかなり嫌っています」


「ああ」


「それでいいんですか」


 カイル様は少しだけこちらを見た。


「よくはない」


 短い。


 けれど、逃げてはいなかった。


「直しますか」


「俺が言っても、直らない」


「王都にもいい人はいる、とか」


「それで直るなら、最初から嫌っていない」


 正論で刺された。


 私は小さく息を吐く。


「……私、さっき言いました」


「聞いた」


「失敗しました」


「少し」


「少しですか」


「かなり、ではない」


「お心遣いが北方式に短いですね」


 カイル様は答えなかった。


 それから、ほんの少し間を置いて言った。


「王都を嫌うな、と言えば」


「はい」


「また王都の言葉になる」


 私は黙った。


 カイル様の視線は、子どもたちに向いている。


 トマが紙に何かを書いている。


 ユアンが字を間違えて、隣の子に笑われている。


 女の子が「熊」の字を書けずに、丸い黒い絵を描いている。


 カイル様はその光景を見ながら、続けた。


「嫌う理由がある」


「……はい」


「理由を消さずに、別のものを見せるしかない」


 短い。


 けれど、長い説明より届いた。


 理由を消さずに、別のものを見せる。


 それは、悪評対応にも似ている。


 北方は反乱しない。


 それだけでは足りない。


 なぜそう思われたのか。


 なぜ信じられたのか。


 誰が傷ついたのか。


 全部を消さずに、事実を重ねる。


 私は頷いた。


「書きます」


「何を」


「子どもたちの言葉を、勝手に綺麗にしないという誓約書を」


「いらん」


「自分への戒めです」


「短くしろ」


「『勝手に綺麗にしない』」


「それでいい」


 本当に短くなった。


 悔しい。


 そこへ、村長が集会所に入ってきた。


 雪を払って、子どもたちの手紙を見渡す。


「進んでいるか」


「はい。かなり率直です」


「王都にはちょうどいい」


「胃には悪いです」


「王都の胃だ。鍛えろ」


 北方、王都の胃に厳しい。


 村長はトマの紙をのぞき込んだ。


「トマ。字が斜めだ」


「雪道だから」


「紙の上に雪道はない」


「王都に行く途中で斜めになるかもしれない」


「なら封筒を丈夫にしろ」


 議論が独特だ。


 私は思わず笑いかけた。


 けれど、次のトマの一言で、笑いは止まった。


「丈夫にしても、読まれなかったら同じだ」


 集会所が、また静かになった。


 トマは紙を見たまま言った。


「父ちゃんの手紙も、封はちゃんとしてた」


 誰も動かなかった。


 私は、目の前にある紙を見つめた。


 トマの父。


 手紙。


 読まれなかった。


 これは、聞いていい話なのか。


 聞けば、取材になる。


 聞かなければ、逃げになる。


 どちらも怖い。


 私はゆっくり言った。


「トマ」


「何」


「話したくなければ、話さなくていいです」


 言ってから、一瞬、喉が詰まった。


 まただ。


 この言葉も、命令のように聞こえるかもしれない。


 ミリア様の時に、私はそれを知ったはずなのに。


 トマは顔を上げた。


「話したくなければ話さなくていいって、話せってこと?」


「違います」


「でも、そう聞こえる」


「……はい」


 私は素直に頭を下げた。


「今の言い方も、よくありませんでした」


 トマは少し驚いた顔をした。


 子どもに頭を下げる大人は、北方でも珍しいのかもしれない。


「じゃあ、どう言えばいいの」


「今、考えています」


「王都の人、考えながら話すの遅い」


「すみません」


「いいけど」


 トマは紙の端を指でこすった。


 インクが少し伸びる。


「父ちゃんは、手紙を何回も出した」


 私は何も言わなかった。


 記録水晶には手を伸ばさない。


 この話を記録する許可は、まだもらっていない。


「村の倉庫のこと。道が崩れたこと。冬前に薬が足りないこと。兵の手当が遅れてること」


 トマの声は、怒っているというより、硬かった。


 凍った雪みたいに。


「あと、北方が反乱しないってこと」


 私は息を止める。


「父ちゃんは、何回も書いた。村長も書いた。兵の人も書いた。でも、返事は来なかった」


 カイル様は動かなかった。


 村長も止めない。


 トマは続けた。


「その後、王都の新聞が来た」


 暖炉が、また小さく鳴った。


「北方が混乱を招いてるって」


 私は、指先が冷たくなるのを感じた。


 混乱。


 また、その言葉。


「父ちゃんは怒った。俺、初めて見た。紙を破るかと思ったけど、破らなかった」


 トマは唇を結ぶ。


「『破ったら、なかったことになる』って言った」


 その場にいる全員が、古い掲示板の釘跡を見たような気がした。


 文字はもう残っていない。


 でも、紙があった跡は残っている。


「それから?」


 私は聞きそうになって、止めた。


 続きを急いではいけない。


 勝手に続きを書いてはいけない。


 トマが自分で続けるかどうかを待つ。


 待つ。


 待つのは、こんなに難しい。


 トマは羽根ペンを置いた。


「それから父ちゃんは、南の見張り場に行った」


 誰も口を挟まない。


「帰ってきたけど、足を悪くした」


 トマは淡々と言った。


雪崩なだれで道が崩れて、薬が遅れて、足がだめになった」


 死んだ、ではなかった。


 私は少し息を吸って、それを恥じた。


 死んでいなければ軽いわけではない。


 戻ってきても、失ったものはある。


「父ちゃんは今、歩くのが遅い」


 トマは紙に目を落とした。


「王都の人は、手紙を読めるのに、なんで読まないんだ」


 同じ問いだった。


 第36話の終わりに聞かれた問い。


 私は、まだ答えを持っていない。


「ごめんなさい」


 私は言った。


 トマが眉を寄せる。


「リディアが読まなかったの?」


「違います」


「じゃあ、なんで謝るの」


「王都の側にいる人間だからです」


「それ、ずるい」


 トマの言葉は鋭かった。


「自分がやってないことで謝ったら、やった人はどこに行くの」


 私は固まった。


 トマは、私を責めるように見ているわけではない。


 ただ、疑問を口にしている。


 それが痛い。


 謝罪文の基本。


 責任主体を曖昧にしない。


 悪いことをした人間が見えないまま、広い謝罪で包まない。


 前世で何度も赤字を入れた。


 今世でも、王太子殿下の謝罪文に何度も怒った。


 なのに私は、今、同じことをしかけた。


「……その通りです」


 私は言った。


「今の謝罪は、責任の位置が曖昧でした」


「難しい」


「簡単に言うと、私は今、誰が何をしたかをはっきりさせないまま謝りました」


「それはだめなの?」


「だめです。あなたが怒る相手をぼかしてしまうから」


 トマは少し考えた。


「じゃあ、何て言うの」


 私は喉を押さえたくなった。


 この子は、容赦なく本質を聞いてくる。


 王都の記者より怖い。


 でも、悪意はない。


 だから逃げられない。


「私は」


 私はゆっくり言った。


「あなたのお父さんの手紙を誰が止めたのか、まだ確認できていません」


 トマは黙って聞いている。


「確認できていないのに、代わりに謝って終わらせることはできません」


「うん」


「でも、手紙が届かなかったこと、返事が来なかったこと、それであなたたちが傷ついたことを、なかったことにはしません」


「……うん」


「だから、確認します」


 私は少しだけ息を吸った。


「そして、返事を求めます」


 トマは紙を見る。


 それから、また私を見た。


「遅い」


「はい」


「すごく遅い」


「はい」


「でも、やるの」


「やります」


「途中で王都に帰る?」


「帰ります」


 トマの顔が硬くなった。


 私は続けた。


「帰って、王都で確認します。北方で聞いたことを、王都に持ち帰ります。ここにいるだけでは、止まった手紙の先を探せません」


「逃げるんじゃない?」


「逃げません」


 言い切った。


 火種は、見えた。


【火種:期待の裏切り】

【火種:王都への不信再燃】

【火種:リディア個人への過度な期待】

【火種:返事の遅延】

【火種:責任主体不明】


 燃える。


 でも、言うしかない。


「逃げたら、トマが次の手紙に書いてください」


「何て?」


「『王都の火消しは逃げました』と」


 トマは目を丸くした。


 それから、少しだけ笑った。


「書く」


「できれば書かれないように頑張ります」


「じゃあ、逃げるなよ」


「はい」


 カイル様が、横で小さく息を吐いた。


 笑ったのかもしれない。


 違うかもしれない。


 私は勝手に続きを書かない。


 トマは新しい紙を取った。


「じゃあ、俺の手紙、これにする」


 彼は書き始めた。


『王都の人へ。父ちゃんの手紙を読まなかった人を探してください。読めなかったなら、なぜ読めなかったのか教えてください。読んで捨てたなら、捨てたと言ってください。』


 私は胸の奥が、痛いような、熱いような感覚になった。


 これは、子どもの手紙ではない。


 請願だ。


 返事を求める、正面からの請願。


 トマはさらに書いた。


『北方は嘘つきの街が嫌いです。でも、返事をくれる人なら、少し考えます。』


 ユアンが横から言った。


「王都は街じゃなくて都だよ」


「嘘つきの都」


「そっちの方が強そう」


「やだ」


 私は思わず口を挟んだ。


「できれば、王都全体を嘘つきにする表現は避けませんか」


 トマがじろりと見る。


「また王都をかばった」


「はい。今のはかばいました」


「なんで」


「王都にも、これを読んで手を止める人がいるかもしれないからです」


「でも嘘つきはいる」


「います」


「じゃあ嘘じゃない」


「嘘ではありません。でも、全部を一つにまとめると、今度は王都の中であなたたちの手紙を読もうとした人まで、敵になります」


 言ってから、私は少し緊張した。


 正論になりすぎていないか。


 逃げ道を塞いでいないか。


 子どもの怒りを、私が読みやすく削っていないか。


 トマはしばらく考えた。


「じゃあ」


 彼は『嘘つきの街』を線で消した。


 そして書き直す。


『北方は、嘘をつく新聞が嫌いです。返事をくれない王都も嫌いです。でも、返事をくれる人なら、少し考えます。』


 私は静かに頷いた。


「その方が、強いです」


「強い?」


「はい。誰に怒っているのか、少しはっきりしました」


「少し?」


「かなり」


「最初からそう言え」


「はい」


 北方の子ども、厳しい。


 でも、いい文章になった。


 怒りが残っている。


 対象も少し見えている。


 そして、完全には閉じていない。


 返事をくれる人なら、少し考える。


 それは、小さな扉だ。


 とても小さい。


 でも、扉だ。


 私はその手紙を、大切に乾かした。


 他の子どもたちも、次々に手紙を書いていく。


『王都の人へ。北方は寒いです。だから毛布は大事です。記事より毛布が先に来るとうれしいです。』


『王都の人へ。熊は悪いこともしますが、新聞はもっと悪い時があります。熊はうそを書かないからです。』


『王都の人へ。辺境伯様はこわい顔ですが、干し肉をくれます。こわい顔だけ書かないでください。』


『王都の人へ。鐘三回は逃げろではありません。考えろです。』


 最後の一文で、私は手を止めた。


 鐘三回は、考えろ。


 王都に必要なのは、それかもしれない。


 走る前に。


 怒る前に。


 見出しを信じる前に。


 鐘三回。


 考えろ。


「これ、記事に使ってもいいですか」


 書いた女の子が得意げに胸を張った。


「いいよ」


「お名前は出しますか」


「出していい」


「本当に?」


「うん。わたし、ナナ」


「ナナさんですね」


「さんはいらない」


「記録上は必要です」


「王都めんどくさい」


「同感です」


 子どもたちの手紙は、最終的に二十七通になった。


 どれも、整っていない。


 怒っている。


 間違った字もある。


 寒い。


 痛い。


 少し笑える。


 そして、どれも本人の言葉だった。


 私はそれらをまとめ、訂正記事の束とは別に封をする。


 表書きには、こう書いた。


『北方村児童書簡。未編集。全文保全。公開時は本人許可範囲に従うこと』


 カイル様が見た。


「長い」


「正式保全用です」


「子どもの字は直さないのか」


「直しません」


「読みにくい」


「それも含めて本人の言葉です」


 カイル様は少しだけ黙った。


「そうか」


「はい」


「俺の字も直すな」


「辺境伯様の場合は、公文書として最低限直します」


「なぜだ」


「責任ある領主だからです」


「不公平だ」


「社会的立場の違いです」


 カイル様は納得していない顔をした。


 でも、もう反論しなかった。


 夕方、手紙を運ぶ伝令が出発することになった。


 雪がまた降り始めている。


 子どもたちは集会所の外に並び、伝令の馬を見送った。


 トマは最後まで黙っていた。


 馬が村道を曲がり、雪の向こうに消える直前、彼は小さく言った。


「届けよ」


 誰に向けた言葉なのか、わからなかった。


 手紙に。


 馬に。


 王都に。


 あるいは、返事をしなかった誰かに。


 私は、何も言わなかった。


 届きますように、とは言えなかった。


 届かせます、とも、まだ軽くは言えなかった。


 ただ、封をした手紙の写しを胸に抱いた。


 火消し係は、炎を消す仕事だと思っていた。


 けれど今日、私は手紙を預かった。


 燃える前の言葉。


 まだ煙になっていない声。


 これを届かせる仕事も、たぶん火消しなのだ。


 夜。


 村長宅の一室で、私は王都向けの追加報告を書いた。


『北方児童書簡について』


『本書簡群は、王都報道および王宮応答遅延に対する北方児童の率直な反応である』


 そこまで書いて、止める。


 率直な反応。


 便利な言葉だ。


 少し冷たい。


 私は書き直した。


『本書簡群には、王都報道への不信、過去の未回答請願への疑問、北方生活への誤解訂正、および返答要求が含まれる』


 まだ硬い。


 でも、少し正確になった。


 さらに一文を足す。


『なお、本文の誤字・語調については、本人の言葉として保全する。公開用整文を行う場合も、怒りや疑問を無害化しないこと』


 その一文を書いた時、火種が小さく揺れた。


【火種:王都世論反発】

【火種:北方児童の政治利用疑惑】

【火種:王宮批判拡大】

【火種:未回答請願追及】

【火種:辺境伯による世論誘導印象】


 燃える。


 でも、削らない。


 私は赤ペンを置いた。


 外では雪が降っている。


 隣室で、カイル様が誰かと短く話している声がする。


 ほとんど聞き取れない。


 けれど、一つだけ聞こえた。


「守れ」


 何を、と相手が聞いたのかもしれない。


 少し間があった。


「手紙」


 私はペンを握ったまま、目を閉じた。


 その二文字は、とても短い。


 けれど、今日は十分だった。


 王都は遠い。


 噂は近い。


 手紙は遅い。


 返事は、もっと遅い。


 それでも、北方の子どもたちは書いた。


 嘘つきの街ではなく。


 嘘をつく新聞へ。


 返事をくれない王都へ。


 そして、返事をくれるかもしれない誰かへ。


 翌朝、私はその手紙を王都へ送る。


 燃やすためではない。


 届かせるために。

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