第57話「rip current」
さて、水族館デートから元天才ヘビー級ボクサー撃破という、慎之介にとっては激動の土曜日が終わり…次の日となった。
その日曜日の朝、慎之介は朝食を食べながら姉と母に昨日あったことを詳しく伝える。
天音との水族館、不審者との遭遇、マイカ・ハートリーとの闘い、そしてソーマなる者の出現…など。
それを聞いた姉の詩音が感心したように声を出す。
「相手の敵意や殺意で攻撃位置がわかる…か。
まさか奥義『無明』にそんな効果があったとは。
私は、そこまでの境地に至ったことはないなあ」
詩音にとって、『無明』はあくまで暗闇で相手の位置を察知、把握するだけの技。
まさかそこまでの効果があったとは本人も知らなかったという。
その横で、母の雪乃もしきりに感心しながら呟いた。
「私もないわね。きっとお祖母ちゃんもないんじゃないかしら。
そんなことがあったなら、口伝として伝わってるはずだし。
『巳睨』のように性差によって違いが出る奥義なのかもね。
うちは明治以来男子が生まれてないからその辺はわからないし」
『巳睨』とは、相手の精神に作用する強制自白技だ。
女性である雪乃や詩音は拳の寸止めで効果が出るが、男性である慎之介や、血族ですらない大輔は殴らなければ発動しない。
『無明』に関してもこういった性差による違いだと、とりあえずその場では結論付けられたが…。
そして慎之介にはもう一つ疑問があった。
昨夜マイカを倒した後に会った『ソーマ』という男。
彼に感じた恐怖とは別の、どこか懐かしいような、かすかながら不思議な感覚。
出会ったことなどないはずだが…。
これについて尋ねてみても、姉も母も首をひねりながら、そんな人間は知らない、と言う。
知らずにどこかですれ違ったんじゃないか、もしかしたら遠い親戚なんじゃないか、でも世界規模の反社会的組織のNo.3と親戚なんて嫌だなあ、となどと口々に言いながら、結局は家族全員知らないようである。
なんだったんだあの人は、と思う慎之介だが…それを気にしても仕方ないし、調べる方法もない。
そう割り切って、慎之介はまた朝食に戻った。
――そんな中、詩音はニヤニヤ笑いながら天音との水族館のことを慎之介に尋ねてくる。
「で、それよりどうだったんだ?ご令嬢とのデートは」
「…別にデートとかそういうのじゃないし。
ああ、でも面白かったよ。アリゲーターガーとかいて。
あとお寿司美味しかった」
どうと言われても、慎之介は『楽しかった』以外の感想がない。
あとは『お寿司美味しかった』ぐらいだろうか。
…まあもちろん天音に惹かれた部分もあるが、この話が始まった途端に無表情になった母の前でそれを言うのは少しはばかられる。
しかし詩音が聞きたいのはそういう部分なのだろう、なおも深く話題を突いてくる。
それながら慎之介もこの話を広げるつもりはないとばかりに打ち切ろうとする。
「お寿司が美味しいらしいのは知ってる。そういうことじゃなくて…」
「姉さんも行ってみたら?大輔さんと一緒に」
「いや、いまさら私たちが水族館行ってもしょうがないだろ。というか…」
「いいからアンタは自分たちの事だけを考えなさい。
慎之介に余計なちょっかいを出す前に」
そんな会話の中、母の雪乃がピシャリと会話を打ち切った。
さすがに詩音もむむっ、と言葉を詰まらせて朝ごはんを食べる。
詩音がこの世で口応えできないたった二人の人間…それが母の雪乃と、祖母のトメノなのだ。
とりあえずほっとした慎之介がTVを見ると…。
そこには、政治家の白崎川眞誠の『不透明政治資金の疑惑』というニュースが流れていた。
(薬物の違法取引じゃなかったのかな?
やっぱり、そこまでは掴めなかったのか…)
そんな事を考えながら、慎之介は朝食のベーコンエッグをまた一口食べた。
―その横で、ようやく起きだしてきた父の宗一が朝ごはんを食べようとするが…。
「あれ、詩音。牛乳は?昨日頼んでおいたと思うんだけど…」
「あー、それね。大輔が買い忘れてきた。今日は水で我慢して」
――――――――――
「――まあ、まさに典型的なトカゲのしっぽ切りでしょうな」
場面代わり、ここはBAR『rip current』。
チーズの盛り合わせを作っている銀次が、店のTVで白崎川のニュースを見てそう呟いた。
それを受けて、まだ開店前だが昼からハイボールをあおっている大輔が悔しそうに呟く。
「ちっ。結局、白崎川なんてザコ一匹で終わりってことか。
俺たちがいまさら探ったところで何も出てこねえだろうな」
そう、大輔たちは白崎川が薬物売買取引を強行すると睨んでいたが、マスコミの鷲尾が白崎川邸を張っていてもそれらしき人物は現れなかった。
IDMがそれさえも察知したのか、白崎川ではなく取引相手のBW社に直接取引中止の連絡をしたのだろう。
IDMは大輔たちの読みの上を行ったというわけだ。
「でもさ、結局薬物取引はなくなったんでしょ?
これ以上街に薬物が蔓延することはなくなったから
これはこれで成功なんじゃないかな」
向かいで大輔と同じように昼間からハイボールを呑んでいた中島がそう答える。
確かに遼や大輔が動いたからこそ今回の取引はなくなり、金豪の取引ルートも凍結したわけでそれ自体は成功とはいえるが…あくまで一時的な中断であろう。
IDMとBW社が繋がっている以上、その大元を潰したわけではない。いずれまた同じような動きが出てくることは容易に推測できる。
また、大輔にとっては井上から告げられた『ガイゼンの復活』というのも心に重く残っていた。
朝方、パーキングに停めた車の回収ついでに取引場所と噂されていた大型倉庫の様子も見に行ったが、大勢の警察官が物々しく警備しており、とても立ち入られる状況ではなかった。
確認はできていないしニュースでも流れていないが、おそらくガイゼンが待ち構えていたIDMの人間全員を殺害したのだろう。
生きているとは思ったが、やはり実際にその所業を感じると大輔の中に改めて怒りがわいてくる。
これがニュースにならず噂さえ流れていないのは、IDMの力だろう。
その存在が表に出ないように後始末をしたうえ、さらに情報操作したのだろうが…。
そのIDMの組織力に、大輔は改めて脅威を覚えた。
超人的な強さと残虐性を併せ持つガイゼン、そして大量殺人事件さえ揉み消すIDM…。
この両者を相手にしなければいけないと考えると、さすがの大輔も少し気が重くなる。
とはいえ、少なくともガイゼンを斃す決意に変わりはないのだが。
「ところで、銀次さん。
遼さんと、えーと、あの高校生ぐらいの子…服部君だっけ?
彼らの容態ってどうなの?」
ハイボールのお代わりついでに、中島が銀次に尋ねる。
銀次が答えるには、両者とも顔面骨折はしたものの軽度で後遺症はなく、近いうちに退院できるという。
意識もしっかりしているということだ。
「ボクサー崩れごときに負けたのは頭を抱えますが…。
飛び出した蘭丸くんをかばって拳を受けたとのこと。
そういう理由ならば、まあ…敗北も不問にするほかありますまい」
銀次は嬉しそうにそう言う。
ならず者に敗北するというのは香田家SPにとって恥そのものであるが、護衛という名目ならばまだ自分も庇うことができる。
そういう事情があることを、大輔も中島も承知していたのである。
――さて、白崎川の汚職疑惑のニュースが終わり、次に建設会社社長『佐治大吉』のホテル放火による逮捕のニュースも流れる。
「あっ、こいつでしょ?香田情熱さんのパーティで放火を指示した奴」
「おー、そうだな。ようやく捕まったかこのアホ。
そういや、もとはこいつの馬鹿な真似から始まったんだよな」
ハイボールを呑みながら談笑する大輔と中島を見て…。
かねてから疑問を持っていた銀次が二人に問う。
世界最強の格闘家仲村大輔と情報屋BLACKこと中島翔平、二人はいったいどこで知り合い、どういう関係なのか…と。
それを聞いた大輔は笑いながら答えた。
「大した話じゃないですよ。普通の友達だよな。なあ、中島くん」
それを受けた中島は、やや顔を引きつらせながらも無理に笑って答えた。
「えーと、5年前くらいかな。俺が結構大きな愚連隊の総長やってた時…。
チームの一人の高校生が自分の彼女を強く殴っちゃったんですよ。
その子が大輔君の彼女の友達で、二人して俺たちのチーム潰しに来ちゃって。
最終的にはチーム100人全員素っ裸で土下座して解散ですよ。
いやあ俺も調子乗ってましたけど、あの時以来この世の中には
絶対に逆らっちゃいけない人間がいるってわかりましたね」
「それはまた、なんとも大輔さんと詩音嬢らしい話ですな」
そんな話を聞いて、銀次は穏やかな笑みを浮かべた。
――――――――――
少し未来の話になるが、この数か月後、世間がこのニュースを忘れたころ。
国会議員ながらも結局は不逮捕特権の射程外で逮捕された白崎川だったが…。
別々に拘置されていたにもかかわらず、獄中で佐治大吉と同日に死亡したという小さなニュースが紹介された。
IDMを知る人間は、その真相を『これは確実に他殺だ』と確信していたのであるが…。
二人とも外見上の死因は疑いようもなく、被害者に詫びる内容の遺書まで遺されていたため、警察としては自殺で処理されたのである。
そしていつしか…このニュースも世間からは忘れられていった。




