設定資料:帝国史【第四帝国期】
◆第四帝国期(近現代混迷期)
新帝国歴1337年にいわゆる魔女狩りが起こった。
始めは堕落した旧来の神殿に勤める女性達、愛の女神の信徒、神聖娼婦が対象だったが、すぐに旧神殿そのものへ攻撃が及んだ。
そんな中で最後のエイラシルヴァ天が死亡しその家系が断絶する。
親衛隊が唯一信教の国教化を進めた皇帝オンスタインを殺害し、次の皇帝も就任間もなく病死した事で混乱に拍車がかかった。
オレムイスト家、ガドエレ家と有力な皇家の皇帝が死亡し空位時代となったが、こんな時混乱を鎮めてくれるエイラシルヴァ天はもはやいなかった。
新帝国歴1352年選帝侯の一人ダルムント方伯が聖堂騎士団を再建して唯一信教の大司教達を処断、帝国議会を掌握して大陸追放令を出し信徒を帝国の勢力圏から追放した。
新帝国歴1358年帝国上層部の情勢は落ち着いたが、北方圏南部低地地方サウカンペリオンで市民の蜂起が相次いだ。
大陸中の富がサウカンペリオンを経由して帝国に向かう為、この地方は富み栄え、早くから帝国化の進んでいたこの地域はそれまで帝国支配に協力的であった。
そして比較的帝国の圧力も薄く市民の発言力が高かった。
彼らは帝国市民権を要求し帝国本土内への移住許可を求めたが、蛮族との最前線へ向かうこの地方の空洞化は帝国に容れられるわけもなく拒絶された。
サウカンペリオンに同調して西部パッカ地方でも市民達が同様の要求、もしくは貢納、兵役、工役といった義務の低減を求めて納税拒否を掲げ強訴した。
これらの地方の税率は大陸全体で見ればかなり緩いものだったのだが、富める市民達はそんなことはおかまいなしに負担を忌避した。
自治都市とは名ばかりであるという不満は根強いものがあった。
自治都市の市民達に同調して近隣諸国の市民もやはり同様の要求を行った。彼らにとっても白の街道が集中する地域の市民にとっては自国と帝国への二重課税状態であり、帝国はそれを鑑みて従属国の中では多少の配慮は見せていたのだが、富める市民達はさらに良い暮らしを求め始めていた。
帝国議会は蛮族の侵攻を防ぎ人類を護る帝国への反抗活動として弾圧を決めた。
当時の北方候も蛮族と戦う自分達のすぐ後ろでこのような活動を行う市民達に不満を持ち、帝国軍に同調して彼らを武力で鎮圧した。
この戦いで意外にも帝国は苦戦し戦いは1360年まで続いたが各国にはそれを知らせまいとしていた。
市民は自治都市内に立て籠もり、弩を改造して女子供でも扱いやすくし連射能力を上げて多くの騎士達を打ち倒した。
要塞化した都市国家群は最終的に北方候の説得に応じて開門に同意しようやく各都市の反乱は鎮圧された。この時戦闘でも外交でも活躍した北方候の部下の中にアヴローラの名がみられる。
反乱に加わらなかったパッカの同盟市民連合を除いて各都市国家は付近の小国や自由都市連盟に統合、あるいは軍団の駐屯地に指定された。
帝国は指導役の市民達の財産を取り上げて帝国勢力圏から追放しナルガ河の向こうへ追いやった。要するに蛮族の餌としてくれてやったのだ。
帝国軍の意外な苦戦が知られると各国は驚き各地で話題となった。
帝国は市民の無用な犠牲を避ける為に兵糧攻めにして説得を試みた為と自由都市連盟の各新聞社を通じて自らの人道的な行いを誇った。
従属国諸国もそれは事実であったので納得したが、この戦役には帝国正規軍団が投入されていた為、補助部隊を送り込んでいる国は武官達からの報告書で実情を把握している国もある。
戦後帝国軍の編制が代わり各軍団に対人戦、対要塞戦を想定した兵種が導入された事からも察せられた。帝国軍技術研究所は攻城砲の研究を進めていく事になるのだった。
市民の反抗は収まったかに見えたが、帝国が危惧した通り今度は西方圏でも反乱が起きた。新帝国歴1378年から1385年まで続いたそれを第二次市民戦争と呼ぶ。
今度の市民の反抗の対象は帝国ではなく西方候や西方の各王国に対してだった。
サウカンペリオンなどと違って自治権は与えられていなかった為、反乱の対象となるのは直接の支配者達だった。
この戦いで古代から続く西方圏の高名な騎士、魔術師の家系の多くが絶えた。
この戦役では序盤に反乱軍が沿岸部の諸都市を制圧し、海路で補給を得ていくつかの国を滅ぼした為に残った国々は連合軍を編成して反撃した。
もともと険阻な地形で食料生産能力に乏しい西方圏は南方圏からの輸入や北方圏西部パッカ地方からの輸入に依る所が大きかったが、帝国はこの戦争は西方圏の問題であるとして中立を保ち交易を停止し各国にも守らせて経済封鎖を行った。
戦役中盤になると市民達の要求は変化して西方全体を統一した共和制国家の樹立を企図するようになる。
補給が途絶えた連合軍では餓死者が続出し力に劣る市民に対して敗戦を繰り返した。魔導騎士や魔術師達も人である。食料が無ければどうにもならなかった。
終盤になると禁輸令をやぶって外海側の商船を使って連合国に食料を提供していたガドエレ家が皇帝を説得して連合国への輸出を再開し、逆に市民が支配する海港を封鎖する。
この際帝国海軍による市民への砲撃により若干の被害が出たとされる。
陸においてもパッカ地方との交易が再開されたが、反乱軍の制圧する都市に対しては停止されたままだった。最終的に反乱軍が降伏して全ては戦争開始前の状態に戻った。
だが、戦後に自由都市連盟の記者が目にしたものは山のように白骨が積み上げられ変わり果てた西方の大地だった。
餓死者が続出し、ある家においては一人がもう一人を尻から食らっている最中に亡くなったと思われる状態で倒れていた。人々は共食いを行い、人肉市場すら形成されていた。
戦後の調査では最低でも600万人が亡くなっていたと言われる。報道が自由都市連盟各地を駆け巡ると遅れて情報を知った各国は取り急ぎ食糧援助を開始し、行動が鈍い帝国や哀れむ報道だけで何もしない自由都市連盟を批判する国もあった。
生き残りの西方人は国家も市民達も協調せざるを得なくなっていた。
彼らは国の垣根を越えて技術を共有し、船を建造し極西諸島へ奴隷狩りに出て失った人口と労働力を補充した。




