第1話 草原王の戦い
中原諸国のうちフランデアンと領域を接するガヌ諸国。
彼らは神格化された英雄神ガヌを共通の祖先としているが、その子達は生涯お互い争いあっていたという。
ガヌ諸国の六国はそれらの子達の子孫をそれぞれ自称している。
すなわちガヌ・メリ、キョウ、リョウ、エンカ、ドン、セン。
メリ氏族の王ヤロスラフは奴隷から生まれた子だった。
老いた父を助けて慎ましく暮らす美人として有名だった母はキョウ族の襲撃で拉致され、王の幕営に献上されて彼を生んだ。
母が誰とも知らされずにヤロスラフは奴隷戦士として育ち同胞を襲わされていた。
母が死ぬ間際に同郷の戦士からそれを知らされ彼は同じ境遇の男達を率いてキョウを脱出してメリ氏族の土地へ戻り戦士達を束ねて長となった。
ヤロスラフは最初の標的としてキョウの王を殺し父母の復讐を果たす事に成功した。キョウの地で鉱山を手に入れて武器を作り、フランデアンに攻め込んだがオジェール・ダノに一騎打ちで敗れてメリの地に戻った。
メリ氏族は塩田を領して、交易でも大きな成功を収めていたが広大な中原に帝国の駐屯地は無く交易路は度々野盗化した遊牧民の略奪にあった。
東方圏の中央部に近づくほど砂漠地帯もあるがこのガヌ諸国は広大な草原地帯であり、沿岸部から遠い為、帝国も石の街道網は建設しきれなかった。
フランデアンに敗れたヤロスラフは収益を安定させる為、次にこの黄金の草原地帯制覇に乗り出した。広大な地域を逃げ回る野盗退治に乗り気でなかった帝国軍東方圏総司令官と行政長官も積極的に彼の行動を支援して戦乱波及を警戒した東方候を抑えた。西方商人達は彼に資金を与えて軍馬を養わせ、とうとうヤロスラフはガヌ六カ国の上に大王として君臨した。
◇◆◇
1414年の春、大王ヤロスラフの下にはそれぞれの理由でフランデアンへの開戦を求める男達が集まっていた。大王となったヤロスラフは本当に勝機があるのか何度も陳情者に確かめて何日も時間を無為に費やしていた。
「アルバート。本当に今ならフランデアンはこちらに兵を戻せないのだな」
「はい、陛下。今更スパーニアと講和する事は有り得ません。彼らはフランデアンに何十万もの市民を殺し尽くされたのです」
アルバートはヤロスラフに多額の資金を貸し付けた西方商人のまとめ役だった。
西方商人達は情報の伝達速度で勝る帝国に対抗して鳥を用いた通信網を構築し、知り得た事をヤロスラフに伝えて彼の征服事業を助けた。時折やや誇張する事もあったが、ほぼ正確だった為、ヤロスラフも大いに彼を信じるようになっていた。
アルバートは鉱山都市がフランデアン軍によって爆破されて多数の市民が生き埋めに遭い、占領地域では蛮行が続いているとヤロスラフに訴えた。
「陛下と我々は利害を共有する運命共同体。陛下がせっかく中原を収めてもフランデアンが戦争し続ける限り我々に利益は入らず返済は叶いません」
「俺を脅迫する気か?」
ヤロスラフは従者の盆からたっぷり香辛料をまぶされた肉を掴み取ってくちゃくちゃと下品に食らいながらアルバートを睨みつけた。
かつては偉大な戦士だった彼も長年の戦争を制覇した地域に任命した宰相や族長に任せるようになってきてすっかり肥満体型になっている。
ガヌ諸国の共通の文化として彼らに玉座は無く、床に座って食事を取る。
ヤロスラフも同様だったが、胡坐をかくのも苦しい体型だったので座椅子と大きなクッションを使って足を投げ出していた。
その彼に睨まれてアルバートは平伏して言葉が足りなかったと謝罪した。
「申し訳ありません、王よ。輝く黄金の大地の王よ。私めは陛下が必ずや契約を守って下さるであろうことは承知しておりますが、何分本国の出資者達は陛下を存じません。大量虐殺者のフランデアンを懲罰し彼らに戦争を止めさせる事は帝国の意にも叶い、天下万民の為でもあります。フランデアンとの戦争であればその間返済を猶予するよう商工会の会頭に口を利く事も可能です」
「ニザーム。国庫には利子を返すほどの金も無いのか?」
ヤロスラフは大宰相ニザームに確認を取った。
「はい、大王よ。申し上げにくい事ながら略奪だけでは長年の戦費を賄えず、買い付けた兵糧と武具、ツヴァイリングで関所の通過を拒否されて予定通りに引き渡せなかった軍馬の違約金などがたまりにたまっております」
ニザームは抵当に入っているキョウの鉱山やメリの塩田、エンカにある獣騎の牧場などを上げていった。全て取り上げられた場合二十年もの征服事業が徒労に終わり、彼は奴隷のように借金返済の為に残りの人生を過ごさなければならない。
そして赤い髭の戦士長ウルージがニザームの言葉に補足を加える。
「王よ。キョウ族の間では不満が溜まっています。最も初めに王威に服して、エンカやドンを征服するのにもっとも犠牲を払ったにも関わらず同じ扱いなのかと」
「キョウの不満など気にするな」
ヤロスラフは母を奴隷にして自分に同胞を殺させたキョウ族を憎んでいて、それでも平等な扱いにした事にむしろ感謝しろといいたかった。
ニザームも王の判断に同意を示す。
ウルージはそれならばと別の提案をする。
「だが、不満を抱えた男達はいずれこちらに牙を向く。その前にフランデアンに送り出してしまった方がいい。元の暮らしのように略奪を許可してやろう」
大王の統治下では以前のような略奪が許されなかった事も不満の種だった。
ニザームはガヌの名の下にいずれガヌ諸国を一つの大国としたかった為、氏族間の団結を説いて略奪を禁じさせ行政機構の取りまとめを行っている。
ひとつの国として成立させるには東方圏行政長官と皇帝の承認が必要だが、着実にそれを成し遂げつつあるヤロスラフは英邁な王でこの時代の一大人物に違いない。
「フランデアンに対してのみであれば当面は致し方ないでしょう。しかし長く続けば東方候や行政長官達に睨まれます」
ニザームもフランデアンとの戦争開始に消極的に同意しヤロスラフはガヌ諸国全てにそれぞれフランデアンへの攻撃開始を命じた。