帝国軍務省報告書:新帝国歴1413年に発生した主要な戦闘
四章、五章の振り返りも兼ねた整理です。
必要なければ飛ばしちゃってくださいな
※フランデアン=ウルゴンヌ連合軍の実態はほぼフランデアン人で占められる為、省略してフランデアン軍と記載する。
■1413年4月ムーズ会戦
◇参加兵力
スパーニア軍:7000、死傷1500、捕虜2000
フランデアン軍:ツヴァイリング公ギュイ。
18,000、死傷300
◇勝敗
フランデアン軍の勝利
◇概要
ツヴァイリング公はいきなり攻めかかるような事はせず平和裏に退去を求めたが、その返答は大筒による砲撃だった。世界最硬の盾を持つといわれるツヴァイリングの騎士達はその攻撃を防ぎ切った。
そしてフランデアン側の攻撃が始まると数の差が圧倒的だった事もあるが、取り残されていたスパーニア兵の士気は低く簡単に降伏してしまった。
■1413年4月モーゼル攻囲戦
◇参加兵力
スパーニア軍:ガスコン将軍ほかストラマーナ家諸侯。
28,000、死傷5,000。捕虜10,000
フランデアン軍:ツヴァイリング公ギュイほか西部諸侯。
30,000、死傷2,000
◇勝敗
フランデアン軍の勝利
◇概要
ムーズを落としたツヴァイリング公は同月内にすぐさま要衝を攻囲した。
周辺のスパーニア兵もひとまずここへ撤兵しようと動いており、ツヴァイリング公はその進路に立ち塞がって各個撃破を繰り返した。
味方の本隊に見捨てられモーゼルに孤立していたのは意外にもこの戦争を始めたイルラータやイーネフィールの貴族では無くストラマーナ貴族だった。
孤立したストラマーナ貴族達は降伏し捕えられた。
■1413年6月第三次シエム城攻囲戦
◇参加兵力
スパーニア軍:スカダイ公ボルチーノ。
2,5000、死傷5,000、脱出5,000。捕虜10,000
フランデアン軍:ベルゲン将軍、ケンプテン伯、エムゼン男爵、シャルタハル男爵。ほかフランデアン中部諸侯。
45,000死傷2,000
◇勝敗
フランデアン軍の勝利
◇概要
撤退命令と艦隊の破却命令が出ていたが、ここでもストラマーナの家臣団は命令を拒否して抗戦を続けていた。結局スカダイ公が出撃した際に待ち伏せに会い逆襲され逃げ込んだシエム城はそのまま防備が伴わず落とされた。艦隊も損傷はあったが奪還され、ウルゴンヌ河川艦隊が復活する事となる。
■1413年7月オルヴァン無血開城
周辺諸都市が陥落した為、中央に位置する王都オルヴァンは包囲されていく形となりスパーニアの守将は街に火を放ち、リッセントに向けて退却した。
■1413年8月エトン・リッセント無血開城
スパーニア軍への撤退命令が徹底されていき、こちらでもスパーニア軍は撤退を開始した。
追撃の好機だったが焼き払われたオルヴァンの消火と住民の救助に当たっていたフランデアン軍は捕捉が遅れて取り逃してしまう。スパーニア軍は十分な兵力を保ったまま自国に引き返した。
■1413年9月フランデアン軍グランマース伯領を占領
霧の中から現れる亡者に襲われるという噂のグランマース伯領にフランデアン軍が進駐を開始。
過去に帝国第17軍も調査に来たが、亡者は存在しなかった。
聖堂騎士団の協力も仰ぎ痕跡を探したが、一切無かった。
恐らくフランデアン軍がスパーニア侵攻の名目とする為、住民保護の名目を捏造したと思われる。
■1413年10月フランデアン軍オルトー、アロッカ、ペルリフェール州を占領
◇参加兵力
スパーニア軍:各州伯
12,000、死傷3,000
フランデアン軍:イルソン将軍、エムゼン男爵
35,000、死傷900
◇勝敗
フランデアン軍の勝利
◇概要
フランデアン軍は二手に分かれて電光石火の快進撃を続けた。
一度後退したスパーニア軍の士気は低く、国境間近の州からもスパーニア軍本隊は引き上げており後方で集結していた。しかし地元貴族は己の土地を放棄できず侵入者に対して交戦する。
だが長年仮想敵が弱小のウルゴンヌ公国だった為、城塞は脆く補修されないまま暮らしやすさを念頭に改修されてしまっていた。
こうしてスパーニア軍は籠城する事もできず次々と敗退を繰り返した。
■1413年10月アル・ダラス占領
フランデアン軍は主要な攻撃目標であるスパーニア王の直轄領鉱山都市アル・ダラスを占領した。
大量の金が産出されるこの都市の制圧はスパーニア王にとって大打撃になるであろう。
■1413年9月~11月第一次フォル・サベル攻囲戦
◇参加兵力
スパーニア軍:ベリサール将軍、セルベラ将軍、アルコフリバス、ガルガンチュア
20,000
フランデアン軍:総司令官ベルゲン、サムソン将軍、イルソン将軍、エムゼン男爵。三伯十一公ら
65000+30000
◇勝敗
フランデアン軍の勝利
◇概要
要塞都市フォル・サベルは高い城壁を備えた城で大砲も備え付けられておりベルゲンは力攻めを避けて包囲に専念した。一旦報告の為、指揮をサムソン将軍に委ねて後方へ下がった。
アル・ダラスや国境付近の制圧を終えたイルソンも来援し包囲に加わると、追撃しない事を条件にスパーニア軍の司令官は開城に同意してフォル・サベルを引き渡し後方へ去った。
■1413年11月 アル・ダラス爆破
鉱山都市アル・ダラスが爆破される。
爆発に誘引されて大規模な土砂崩れが発生し、都市の住民は生き埋めとなった。
この頃、地震も発生し土砂崩れに拍車をかけた。
スパーニア軍の広報官は新聞記者にフランデアン軍による爆破だと断じたが、フランデアン軍は折角占領した都市を爆破する意味がないとして否定。逆に敵に軍資金を奪われない為、スパーニア軍による破壊工作だと判断していた。
生き埋めになった者の中にはフランデアンの駐屯兵も混じっていた為、記者達もスパーニア軍の言い分を信じる者は少ない。鉱山用の発破が占領時の混乱で取り扱いの不備が発生したと思われる。
故意か事故か第17軍が調査を担当する事となり、両軍の駐屯を禁じた。
■1413年12月グランドリー橋占拠
◇参加兵力
スパーニア軍:魔導騎士170 銃兵1400 従士200 魔術師100
フランデアン軍:守備隊3500
◇勝敗
スパーニア軍の勝利
◇概要
スパーニア軍は大量の気球と魔術師を動員してウルゴンヌとスパーニアの国境、輸送路の大動脈であるこの石橋を強襲降下により占拠した。
既に安全な後方と見なされていたがフランデアン軍は十分な兵力を配置して守っていたものの、一人が一千の兵に匹敵する魔導騎士だけの部隊による攻撃には抗いようが無かった。
深刻な状況を理解した周辺部隊が奪還を試みた時には、既に銃兵も輸送されてきて近づく事すら出来なかった。
■1413年12月第二次フォル・サベル攻囲戦
◇参加兵力
スパーニア軍:セルベラ将軍30,000 死傷者不明
フランデアン軍:エムゼン男爵3,000 死傷500以上
◇勝敗
フランデアン軍の勝利
◇概要
スパーニア軍による開城は罠であった。
退路である石橋を突然封鎖されたフランデアン軍は混乱状態となっていた。
情報が広がるとフランデアン軍は浮足立ちエムゼン男爵を残して他の将軍達は撤退してしまった。
帝国軍務省の参謀達は安全な要塞をフランデアン軍に与えれば退路を断たれた彼らはここに閉じこもり、取り残されるとスパーニア軍は想定していた筈と注釈を加えた。
■1413年12月アロッカ会戦
◇参加兵力
スパーニア軍:総司令官クラウディオ、エイラマンサ家ラミローほかスパーニア全土の諸侯
178,000 死傷者35,000
フランデアン軍:サムソン将軍、三伯十一公ら有力諸侯
65,000 全滅
◇勝敗
スパーニア軍の勝利
◇概要
フォル・サベルから逃げるフランデアン軍を追ってスパーニア軍は追撃戦に成功した。
サムソン将軍は序盤は互角の戦いを演じ一時はスパーニア軍の本陣にまで迫っていたが、スパーニア軍の増援が次々と現れてフランデアン軍の陣を分断し、後方にも回り込んだ。
三伯十一公の半数がこの戦いで戦死したと考えられる。
フランデアン軍の継戦能力を削ぐ為ここでは徹底的な殲滅が行われた。
諸侯らの小競り合い程度の経験しか無かったフランデアン人は秋には家に帰って収穫を手伝うつもりだったというが、それはあまりに楽観過ぎた。
■1413年12月第二次ユッカ会戦
◇参加兵力
スパーニア軍:総司令官クラウディオ
45,000
フランデアン軍:イルソン将軍
35,000 ほぼ全滅
◇勝敗
スパーニア軍の勝利
◇概要
クラウディオは強行軍を続けてさらにイルソン将軍の部隊を捕捉し撃破した。
クラウディオの本隊は疲れ切っていてまともに戦える状況では無かったが、イルソンの軍は恐慌状態となっておりグランドリー橋に向かって逃げ出し、突破を試みるもグランドリー橋の防衛部隊は最精鋭の魔導騎士達であり、突破は不可能だった。
狭い橋の上では数の利も生かせず、魔導騎士達には交代しながら戦う余裕があった。
橋を避けて河を渡ろうとしたものはスパーニアの魔術師達により水流も激しくなっておりそこで疲労から押し流され、どうにか渡り切れた者の前にも銃兵が隊列を並べて待ち構えていた。
この年快進撃を続けていたフランデアン軍はこうして遠征軍を失った。