第24話 北へ
シャールミンはひとまず東を抑え、それから西に赴き防衛線を確かめた。
その際、本国からウルゴンヌへ大量の芥子の実と、ウスペンサの根やエルムットの葉を持ち込み各地の友軍に配らせた。痛み止めや解熱など傷の手当に使われる薬草類で、フランデアンでは豊富に採れ乾燥させて輸出されている。戦前はスパーニアにも輸出されていたので難民に分け与えても十分な量を確保していた。一方のスパーニアでは近代化の弊害でイーネフィール公領を除き大幅に森林、緑地面積が減っており、薬草類の収穫が減り輸入が必要な状況となっている。
フォールスタッフの献策の元、シャールミンは長期戦に備えて犯罪者からの徴兵、魔術師の大量動員、工夫の工兵化、帝国政府や東方諸国への外交工作、パスカルフローの艦隊によるスパーニアへの通商封鎖などの手を打った。
かつては怒りのままに行動した少年も今や優れた指揮官となり、政治家となり王となった。
復讐心を抑えて冷静に国家に必要な選択をしている。
ギュイも目を細めて褒め称えた。
「よく御成長あそばした」
「お前にそう言われるとこそばゆい。それでエンシエーレとサンクト・アナンに回せる兵力はどれくらいある?」
「軽騎兵であればひとまず3000。防衛網の再構築が進めばさらに余裕は出来るかと」
平原が少なく、あちこちに水路があり道も狭いウルゴンヌでは騎兵の活躍の場が少ない。とはいえ少ない兵力のフランデアンでは押される戦場に迅速に援軍を派遣するには騎兵の移動力が頼りでありすべてを割く事は出来ない。
「そうか。歩兵は重点的にエトンへ回せ。コブルゴータ候にはオルヴァンを任せる。ここで守りの薄い所を支援してくれ。私は北へ行く」
「また、留守番ですか。陛下」
コブルゴータ侯爵は不平を言った。
彼を宥める為、シャールミンは古の伝説を持ち出した。
「神代の竜は神々でさえ油断をすれば焼き尽くされ、現象界でその存在を失うほどの怪物だったという。貴方の騎士達はその竜を倒した戦士達の末裔。古代の戦士達も竜が地に降りて来た機会をじっと耐えて待ち続けた筈。貴方にその忍耐が無い筈は無い。違うか?」
「違いません」
「味方は苦しんでいる。しばらくは彼らを助けて忍んで欲しい。敵の攻勢は想定ほど激しくはないようだ。向こうも何か問題を抱えている筈、いずれ転機が来る。それまで我々がまだ有力な騎士を残していると敵に知られるわけにはいかない。敵に決定的な打撃を与える機会を待つんだ」
不承不承だが、侯爵は頷いた。
◇◆◇
ジャール人の騎兵団長ニスワンは選りすぐりの部下3000をシャールミンの直属部隊に寄越してきた。シャールミンはそれを騎射が得意なものと槍の扱いに長けたものに編成し直してラグランに指揮させた。
シャールミンは数少ない焼け残った家具が残っていた部屋で執務を取り、ヴェイルが慌ただしくインクの準備を行い、書状に封印をする蝋を溶かしたりと右往左往している。
夫を失った諸侯の妻とその子達の継承を承認し、夫を失った民草に見舞金を出し、リカルドからの依頼によって一時的に王の名の下に再徴兵の命を出す書状を送る。
そういった執務を取っていると騎兵隊からシャールミンに二人謁見を求めてやってきた。
ヴェイルが扉を開けて、確認し古い馴染みを執務室へ誘った。
「よく来たフーオン、ウルリク。お前達もラグランを助けてやってくれ。仲間の仇を討つのはしばらく先だ」
「でも・・・陛下。私達は子供の頃から一緒に育ってきた仲間達、兄弟を殺された。それも酷い拷問をされた奴だっている。晒し者にされた奴も!河の向こうでハインリヒは自慢の金歯を抜かれていた。それに・・・コンラートの頭が腐っていくのを見たんです!私は絶対にスパーニア人を一人残らず蹄にかけ、槍で突き殺して正義の裁きをくれてやるって誓いました。・・・陛下は違うんですか?」
王宮で共に育った旧友も残り少ない。まともに戦えるのはフーオンとウルリクだけだった。
彼らはラグランを隊長とし、スパーニアとの最前線から離れるのが不満で抗議にやってきた。年長で面倒見が良かったフーオンの怒りは激しい。彼は軽騎兵団に所属して後方にいたのが幸いしてウルゴンヌ内に残っていた。
「でも、は無しだ。フーオン。『裁定者は徒らに槍を帯びず』という。復讐心は焦りを生み、そして判断を過つ。奴らはいずれアウラとエミスに裁かれる。お前が槍で突くまでもない」
フーオンは押し黙った。不満はあったが旧友は今では王となったから。
ウルリクの方はまだ不満が口を出てしまう。
「転機って何ですか?『幸運に恵まれれば堕落する』とも言います。幸運は前に進み、戦ってこそ呼びこまれるものです。運頼みにして待っていれば我々は弱くなり、敵は強くなります。スパーニアの国力は我々より遥かに上で長期戦では差が開く一方。そうじゃありませんか?」
「『戦いの準備は長くすれば勝利は束の間』ともいう。今は準備の時だ。スパーニア人の団結は長続きしない、三伯十一公もそう判断した。我々が敵地深くに侵入したからこそ敵は団結した。奴らは毎年のように肉親同士で殺し合うような連中だ。我々は敵が弱くなってから倒せばいい、敵を弱める手も打っている。いま敵地に踏み込むより余裕が出来ればその分の戦力はガヌの撃退に使うべきだ」
憎い敵はスパーニアだけではない。
倒せる敵から倒していかなければならないとシャールミンは説いた。
スパーニアに対しては将来の布石を打ち、時機を待つ。
「・・・わかりました。しかし、彼に、ですか?」
「しかし、も無しだウルリク。我々は大きな試練の中にいる。残酷な神の試練の中に。サムソンとイルソンに任せた軍は全滅したがラグランとルードヴィヒは生き残った。光は失ったがブルハルトも。ルードヴィヒの話ではオルランドゥやフォルストも生き延びている可能性はある。スパーニアと戦っても焦りが募るだけ。生き延びたラグランを信じ、今は私と共に来い」
シャールミンは二人に背を向けて執務に戻った。
二人はまだ話足りず、声をかけようとする。
そしてヴェイルはペンを持ったシャールミンの手が震えている事に気が付いた。彼も怒りと重責に耐えている。
そこに部下の不満まで聞いてやらなくてはならない。
「フーオン兄・・・」
ヴェイルは二人に目配せをして、引き下がるよう促した。
シャールミンは背を向けたまま言葉を続ける。
「私もお前達もまだ大部隊を率いるには未熟だ。前線から優れた指揮官を引き抜く事も出来ない。今は私について来てくれ」
フーオン達はその震える声に、シャールミンの救いを求める声を聴いた気がした。
彼らは頭を下げ命令に服する事を誓った。
◇◆◇
シャールミンがオルヴァンで兵を励まし、本国から求められた書類に署名しているとヴェイルが神妙な面持ちで現れた。
「陛下。イルソン殿がオルヴァンにいらしたそうです」
「そうか・・・会おう。案内してくれ」
盲目になり、生きる気力も失いエトンで治療を受けていたイルソンがシャールミンが滞在している間にオルヴァンへ運ばれてきた。
昨年冬の時点ではサムソンとイルソンの軍が全滅した過程が不明だったが、盲目になったとはいえ捕虜の帰還で大分明らかになっている。
今更イルソンに会う必要は無かったが、シャールミンは彼と向き合う事にした。
イルソンの病室に訪れると彼は自傷行為を防ぐ為拘束具をつけられていた。
ヴェイルがそれを外してやり椅子に座らせた。
「よく生きて帰ってくれた。イルソン」
「・・・・・・どうか。陛下の剣で慈悲を与えて下さいませんか。陛下からお預かりした貴重な民を無駄死にさせ、父と兄を私の失態で失いました。皆無能の私を恨んでいるでしょう」
「辛いだろうな。お前の弟も首を吊って死んだ。聞いているか?」
「・・・はい」
「お前が死ねばベルゲンの血筋は絶える」
「兄の子がいます」
「・・・彼の領地はガヌ・メリに襲われた」
イルソンの体から生きる力が失われていくのが目に見えるようだった。
「イルソン、お前を苦しめる為にここに呼んだ訳ではない。ベルゲンも私もお前達を止めなかった。兵を失った責任は王たる私が負う」
「有難いお言葉ですが、私は兄を置いて逃げ出しました。逃亡者がしでかした責任は陛下にありません」
「オルランドゥの角笛が後方から聞こえて、向かわざるを得なかったんだろう。自分を責めるな」
魔力を帯びた角笛の強制力が悪い方に働いて急いで後方へ下がる者、逃げ出したい気持ちに拍車がかかった者、踏みとどまって戦う者などに別れフランデアン軍はばらばらになり各個に撃破されてしまった。
イルソンは何と言われても項垂れたままだった。捕虜生活の最中で敵からも味方からも嘲りを受けて上級指揮官の扱いを受けていなかった。目をくり抜かれた後は酔った男達に小便までかけられて徹底的に屈辱を受けて誇りを汚された。
シャールミンはさらに言葉を重ねた。
「・・・即位の時、私は王として国民の父になると誓った。アンヴェルスにもう諦めて戦争を止めて欲しいと嘆願しに訪れる10万の未亡人と子供達の父だ。子を失って嘆く何十万の親と家族たちの父だ。皆の苦しむ声で毎日体が押し潰されるようで吐きたくなる。だが父上にそれでも抗う生き方を習った」
「・・・・・・」
まだイルソンの反応は無い。
「私はフランデアンの父であり、ウルゴンヌの民の父でもある。何十万という民がスパーニアからの解放に感謝して涙を流している。いまスパーニアに屈服すれば多くの兵士達が無駄死にで終わり、非道も無かった事にされる。勝者であるスパーニアは蛮行を無かった事にし、逆に侵略者としての罪を問うてくるだろう。我々は事を明らかにし他国の民を解放する為に死んだ英霊達に報いる時が来るまでこの戦いはやめられない。何十万という人々を、親を失った子供達を一人一人励ましてやる時間は無い。お前はもう自らの手で父や兄の仇を討てない、と無力感に苛まれているのだろう?だが、お前はまだ戦う意欲が心の底に残っているように見える。本当に死にたければもっと早く死ねた筈だ」
「・・・ええ、セルベラとかいう将軍にどれほど嘲られ、殴られてもどうにかして逃げ出して復讐してやると思っていました。目を抉られるまでは。・・・もう敵を見る事も叶いません。剣を振るう手はあっても振るう先が敵か味方かもわかりません。今更私に何が出来るというのですか?」
「自分で考えてくれといいたいが、お前にはヴェッカーハーフェンに行って貰う。上級指揮官の生き残りはお前だけだ。新聞社の人間と話し自由都市にも帝国にも広くスパーニアの蛮行を知らしめろ。人々に好奇の目で見られ晒しものになるだろうが、世界中に一定数の味方は得られるだろう。お前はこの任務に耐えられるか?」
「私の戦いは剣では無く筆で、と?」
「そうだ。馬を走らせる事は出来なくても、人々の口を走らせる事はできる。やれるなら昔馴染みを紹介しよう。彼女はオットマー社で記者をしながら本も書いている」
「やりましょう、陛下。好奇の目で見られようとどうせ私には何も見えません、こんな私で役に立つのなら。それで、陛下はこれからどちらへ?」
「北だ」
マーシャが籠るサンクト・アナンからは救援を求める使者が多く辿り着いていた。
中にはシャールミンが昔自ら助けた事もあるレベッカもいた。
一度は撃退したが、サンクト・アナンの周辺地域が制圧され孤立してしまっている。出産が近いマリアの為に陣痛を和らげるという『聖マルガレーテ伝』を預けられていたので、シャールミンはそれをアンヴェルスに送らせた。
東方候から仲裁の使者としてベルンハルトがやって来たがスパーニアの条件はフランデアンにとって余りにも論外であり交渉の余地は全くなかった。シャールミンはベルンハルトにははるばるやってきてくれた労に感謝はしたが丁重にお帰り頂く事となった。
そして自身は到着した銃を歩兵や騎兵にも持たせて北に進軍を開始した。