第23話 西へ
新帝国歴1414年の秋、シャールミンはコブルゴータの兵を率いてウルゴンヌの都オルヴァンに到着していた。その市街地は焼き払われていたが市壁と三重の城壁に守られた城は石作りでなお健在。しかし住民のほとんどは去っている。
カールが使用していた謁見の間ではスパーニアに占拠された時、ウルゴンヌの国旗は引きずり降ろされ燃やされていた。スパーニアが去った時、相当慌てていたのか彼らは愚かにも占領の際自ら掲げた国旗も燃やしてしまっていた。
現在はそこにフランデアンとウルゴンヌの国旗が翻っている。
「陛下、ご来訪を感謝します。グランドリーの悲劇に消沈していた兵も息を吹き返すでしょう」
ケンプテン伯がシャールミンの前に膝をつく。ギュイとその騎士達も同様に
マリアはフランデアンで女王として即位した旨を事前にケンプテン伯に伝えており、同時にシャールミンも共同支配者としてウルゴンヌ王となった事を承諾させた。
シャールミンを出迎えに彼らがオルヴァンに戻った為、前線の総指揮官はベルゲンから軽騎兵団長だったメルゲンに移っている。代わって軽騎兵団はニスワンが束ねた。両者共に大軍を率いた経験がない為、今は必死に防戦に徹していた。
ウルゴンヌ貴族達の忠誠をシャールミンが受け取るとギュイが早速ガヌ・メリとの戦いについて尋ねた。
「東の脅威は如何でしたか、皆こちらに出ている間に自分の家が、家族が失われているのではないかと狼狽えています」
「それなら心配ない。ガヌの大王はブランネンで降した」
討ち取る事は出来なかったが大王の主力は撃破した。
機動力を生かして神出鬼没に襲撃して回っていたガヌ兵達も疲労がたまり、広がった勢力圏を放棄して補給の便が良いところに集結していくと思われた。
王自らが上げた戦果を聞いた諸侯の士気は高まった。
「おお!」
「だが、奴もさるもの。六カ国を制しただけの事はあり不利と悟ると一目散に逃げた。残念だが機動力に優れた連中を追撃しても徒労に終わる。ひとまずの脅威が去っただけでよしとすべきだろう」
「確かに」
シャールミンはフランデアンの南東部にはまだ敵が居座っているが、アルドゥエンナ公に任せて来た事をギュイらに告げた。彼らは攻勢限界に達しており、アルドゥエンナ公でも撃退出来ると信じてシャールミンは東から西へと戦場を転じた。
「兵どもにも伝えましょう」
ギュイは騎士の一人に触れ回るよう命令した。
騎士は大声で戦勝を告げて回り、魔術師によってオルヴァン中にそれは響き渡った。すぐにそこら中から歓声が上がる。
「ギュイ、こちらの戦況を聞かせてくれ」
「はい。昨年末の悲劇の後にリッセントやエトンの引き渡しをするようスパーニアの使者がやってきましたが、ご命令通り全て拒絶しております。グラマティー河からは撤退し砦は全て破却しました」
「せっかく作らせたのに済まなかった」
「なんの。グランドリーがあちらの手に渡り多数の兵がこちらに渡って来た以上、もはや意地するのは困難。さりとて作ったばかりで放棄する事は躊躇われておりました。そうせねばならぬとわかっていたのに我々は決断できませんでした。王のご命令が無ければ我々は無為に兵を失い砦は奪われていたでしょう」
「同感です。王の決断あってこそこれ以上の損耗を防ぐことができました」
ギュイとケンプテン伯の言葉にシャールミンは頷いた。
ギュイはさらに報告を続ける。
「城壁の修復が間に合わなかったリッセント城は放棄、エトンとシエムの防備を固めています。敵は大軍ですが、奴らの蛮行にこちらはこれ以上一歩も退かぬ覚悟です」
「・・・蛮行か」
シャールミンはルードヴィヒが語った遠征部隊の顛末を思い出し呟いた。
幼き日の友人の多くが死んだ。共に川原に並んで釣りをし、狩りに出ては焚火を囲んで将来を語り合い、たった一匹の小さな兎を焼いて、皆で一口づつわけあった。
あの少年達がもう居ない。
シャールミンは憎しみに囚われないよう努めて考えないようにして、一度頭を振ってから話を続けた。
「ラグランという騎士はどうしている?」
「何度か無謀に敵陣に突っ込みその度に大怪我をして連れ戻しています」
「連れてきてくれ」
「はっ」
ギュイはまた騎士に命じてラグランを呼びにやった。
「ギュイ。実情が知りたい。いくら憎しみが強くとも全ての兵ではないのでは?それより自分の家族の安否が気になって帰郷したがる者が多いのではないのか?」
あまりに失った者が大きいと憎しみよりも虚無感を強く感じる者がいる。
シャールミンは王としてそのどちらにも囚われるわけにはいかなかった。
「・・・陛下のおっしゃる通りです」
「兵力は足りているのか?」
「ウルゴンヌの民が協力してくれています」
「ケンプテン伯」
シャールミンはケンプテン伯に水を向けた。
「我々の士気は十分高く問題ありません、しかし武器が足りません。何万という男達がスパーニア人を殺す武器を欲しています。しかし、我々の兵士の武器は投石や先を尖らせた棒切れに犂や鍬です」
ケンプテン伯はウルゴンヌの兵を統率していたが、いかんせん兵士としての訓練を受けておらず武器も無い民を戦力にするにはまだ時間が必要だった。
「その点については間もなくヴェッカーハーフェンに武器が届く。自由都市とは今後も重要な補給路になるからモーゼルをしっかり確保しておくように。ところでスパーニアがこの機に猛攻をしかけてこないのが不思議だが、諸君の情報網には何か知らせはないのか?」
「噂によると未だスパーニアの王は宮廷の内紛が続いている様子。陛下の方では何か手を打たれていらっしゃいますか?」
「内紛が起きているからなどと信じて深入りしたのが間違いの元だった。内紛の噂については信用するな。いちおうべべーランがガドエレ家を通じてスパーニアの行動を制するよう帝国の重鎮達に賄賂を送っている。こんな事なら留学時代に少しは社交に出ておくべきだったかな」
シャールミンは留学時代に一切公式の場に出る事を父やギュイから止められていた。せいぜい年末にガドエレ家とフリギア家が開いた学年末の祝儀に出たくらいだった。それも学生間の宴だったので大目に見て貰ったに過ぎない。
「これまた我が失策。申し訳ない」
ギュイが頭を下げる。
「冗談だ。別に嫌味ではない。外交面についてはフォールスタッフ老師が手を打ち始めた。帝国に伝手もあるからべべーランの助けになるだろう。私も東方候に書状を送っている。現状ガヌの連中はともかくとして東方諸国はこちらを支援してくれている。ガヌに対しては経済封鎖を行い少しずつ力を削ぎ離反を誘う。ガヌ諸国は広く攻め入っても徒労に終わるというのが父の判断でもある」
シャールミンは撃退は可能だが攻め込んで降伏させる事は難しいと判断していた。
それが出来れば父の代にも侵攻していただろう。
「長期戦になりますか?」
「当然そうなる。一撃ではどこの国も倒せない。我々には5年10年戦い続ける覚悟が必要だ。しかし兵達は違う。そんなに長い間、家を離れられない」
ギュイは頷いて同意した。
「では、どうなさいますか。我々は10万の兵を失いました」
「フォールスタッフ老師は軽犯罪者を解き放ち、訓練を施し規律を学ばせ兵に加えると提言した。私も同意する。ギュイは?」
「・・・致し方ありません」
厳格なギュイとしては苦しい選択だったが、背に腹は代えられない。
「しかし、スパーニア兵の装備の質は我々よりもかなり高い。イルエーナの豊富な鉱物資源があり、北方圏の鍛冶屋から精錬技術も学んでいます。あちらは極寒の地でも耐えられるような合金を用いておりますのでこちらよりも剣は鋭く鎧は強固です。まともに打ち合えばこちらが不利」
「大量の銃も届く。それで撃ち抜けるだろう。地図を」
ケンプテン伯は地図を広げて現在の敵軍の位置と数を示した。
それをみてシャールミンは頷いた。
「当面は防戦に努めるしかない。ラブセビッツ。彼らに説明を」
「はい、陛下」
いまシャールミンが率いているのはアルトゥールとガルノーやヴェイルら僅かな供だけだったが、その中にラブセビッツもいた。リカルドの命を救われた恩返しに彼はシャールミンに協力を約束した。
「彼は?」
ギュイが問う。
「帝国の技師で、運河建設工事にも招かれていた。今後は我が国に仕える」
「私はフランデアンの若者に命を救われました。ご恩返しと同僚たちの為にも仕事を完遂させましょう」
「同僚たちの為とは?」
「私以外にも多くの技師が招かれて世紀の大工事に協力していました。工夫達もあちこちから集められて仕事を失いヴェッカーハーフェンの厄介者となっています。そこで陛下にお話しして彼らを引き取り、工事を再開させます。ヴェッカーハーフェン側も喜んで工夫を送り出すでしょう」
「だが、予定していた地点は敵が多く到底工事再開など望めないだろう」
「ええ、そこで予定を変更し運河の海への出口を南へずらし、フランデアンの防衛線地帯に巨大な塹壕を掘り、将来そこに水を流し込みます。もともとウルゴンヌの人々は治水に長け水位の操作技術に詳しいでしょう?陛下がフランデアン中の魔術師に動員令を出してくださいましたし、工事もこれで一気に進みます」
塹壕戦の歴史は古く旧帝国時代の2000年前から既に戦争で用いられていた。
地下道を掘り城壁を落とす手管についても帝国が得意としてきた。ラブセビッツの頭の中にはその数千年間の帝国の土木工学技術の知識が入っている。
「ギュイ、リッセントを失ったのは仕方ないが当面エトンは死守して欲しい。そしてシエムも。元々ある五大湖と水門を利用すれば長大な防衛線を築くことは可能だとラブセビッツが試算してくれた。スパーニアに再侵攻する兵力が回復し時機が来るまでは持久戦とする。いいな」
「はっ」
シャールミンが当面の方針を伝えて、兵達の士気を高める為前線の視察に出る準備をしていると神妙な顔をしたラグランが連れてこられた。
「よく来た、神の忠実な下僕ラグラン」
シャールミンに声をかけられてラグランは平伏し嗚咽する。
「何故泣く」
「私は陛下のご友人を守れませんでした。彼らを見捨てて一人逃げました。神を呪いました。恥多き男です。もはや神の下僕ではありません。私が泣くのは彼らの仇を討てぬまま死なねばならぬからです」
「何故死ななければならない?」
シャールミンが疑問を投げかけるとラグランは嗚咽を止めて顔を上げた。
「私を死刑になさるために呼ばれたのでしょう?」
「馬鹿をいうな。一人でも多くの優秀な騎士が欲しい時にお前を殺せるものか。お前を呼んだのは復讐心に凝り固まるあまり無理に戦うなと諭す為だ。今はスパーニアと戦うべき時ではない」
「そんな!陛下は悔しくないのですか?」
ラグランはシャールミンが和睦に応じるのかと誤解して驚きの声をあげた。
シャールミンはその言を聞いてつい怒り、魔力を込めた手で机を粉砕した。
「悔しくない訳はないだろうが!馬鹿者が!あいつらは私の兄弟も同然だ!!今すぐにも全軍を率いてスパーニアに突撃をかけたいに決まっている!!」
十分に成長していたシャールミンの魔力はラグランをしのいで威圧するに十分だった。ラグランは苛烈な怒気に押されてまた平伏する。
「愚かな事を申し上げました」
シャールミンは、荒くなった息を整えて平伏する者共に訓示した。
「我が軍は東部に3万ほどしか置けない。それで広い国土に三方から侵入してくるガヌ諸国を抑えなければならない。ジャール人の軽騎兵団は今後もウルゴンヌに置く。ギュイが率いる西部諸侯もそうだ。どれだけ振り絞ってもこちらに置ける兵は6万程度。しかしスパーニア国内に侵入すれば30万からの兵を動員して迎撃してくるだろう。到底勝てない。スパーニアに復讐したければ時機が来るのを待て」
「・・・はい。陛下」
「ラグラン。神に仕えるのを辞めたのならお前は今後は私に従え。ついてこい我が騎士よ」
「もちろん従います。陛下。しかしスパーニアとは持久戦、東はアルドゥエンナ公に任せたのならばどちらへ?」
王は東西の敵は短期的にはいかんともしがたい、という。
であればいったいどうするのかとラグランは問うた。
それに対するシャールミンの返答は明瞭だった。
「北だ」