第16話 ブランネンの戦い
ガヌ・メリは中原の遊牧民ガヌ人の一派メリ氏族が主体となって構成された国であり、魔獣の調教、交配技術に長けていた。そこでかけあわされて生まれた高価な軍馬は世界中に輸出されている。
彼らは東方圏南部に生息する象まで入手し戦象として用いていた。
交易で富を築いてきた彼らはフランデアンが優位な通商路を持ちフリードリヒの時代に国境線を拡張された事を長く不満に思ってきたが、単独の力ではフランデアンには勝てなかった。
だが、今フランデアンが苦境あるのをいいことに積年の領土欲を満たしに侵攻してきた。侵攻の名目として馬泥棒から財産を取り戻しただけとか、アル・ダラス鉱山を爆破し市民を生き埋めにした非道なフランデアンに対し、義によりスパーニアに味方するだのといってきたがフランデアンの人間はそんな開戦事由を信じはしなかった。
彼らに緒戦で敗れたアルドゥエンナ公はその後も何度か諸侯をまとめて戦いを挑みその度に敗退を繰り返していった。東部諸侯の兵も多くが遥か西へ遠征しており、数が足りなかった。
彼はフリードリヒに反逆して敗れた先代の子であり、歳は40台だが苦労して白髪が多く混じった精悍な東部の男だった。昔、争いに敗けて失った領土を取り戻すために博打をしかけたがさらに負けて失ったり、馬上槍試合で勝って取り戻したりしたやくざな男である。
兄に家から離れたオジェールという騎士がいて、幽閉先の城主の娘を孕ませて問題になった。これまた困った男の一族だった。
公は分散進撃するガヌ・メリと同数の兵力を用意できた事もあったが、同数の場合フランデアンは精鋭は西に送り、残ったのは老兵や未熟な新兵が多くガヌ・メリの兵士の方が戦士としては強靭で敗れてしまった。
アルドゥエンナ公に優位な状況で襲おうとしても機動力に優れたメリ氏族はすぐに応援が集まって来て、撃退されアルドゥエンナ公は一度も勝った試しがない。単純に戦っても勝てぬ、強欲な彼らが最も欲するものは何かと考えるようなった。思いついたのはこの地域最大の通商路であるリージン河だ。
一端彼らの進路から離れて先回りをして主不在のナーメン伯領ブランネンに到着して向き直り、予想通り来襲して来たガヌ・メリとまとまった数で相対する事が出来た。
ブランネンを守っていたのはべべーランの息子バシュランである。
「公、応援を感謝します」
「まあ何度も負けてきた俺など役に立たないかも知れないが、ここを抜かれるわけにはいかん。君も御父上不在の間に領地を失ってはたまるまい。ここらで撃退するとしよう」
「はい」
バシュランが近隣から兵を搔き集めてアルドゥエンナ公と合わせてどうにか1万8千の兵を集結させることに成功した。大半は槍を持つのも初めてという一般市民だったが志願して加わって来た。
「城壁があればよかったのだが、無いものは仕方ない」
「ここを攻めてくる敵など長い事おりませんでしたので、父が城壁など邪魔だと撤去してしまいました」
「彼らしい」
「父は珍しい物好きでして。銃器はそれなりにあります。敵は油断しているでしょうから、とにかく街の近くに引きつけてやりましょう。扱いは簡単ですから市民の訓練も間に合いました」
「よくもまあ、こんなに罠や馬防柵を準備したものだ」
「魔獣どもを使役するという連中が恐ろしかったもので」
戦に不慣れで臆病だったからこそ、バシュランは大いに罠を準備して待ち構えていた。まず敵の機動力を削ぐ事を重視し、街の住人を駆り出して尖った杭を大量に準備して馬防柵を設置した。
「敵は3、4万はいるだろうが守るだけならなんとかなるかな」
「市民も自分の町ですから意気盛んです。いけます」
バシュランは意気込むが、アルドゥエンナ公から彼を見ると怯えが見え隠れしていた。せっかくそれを押し殺して指揮を取ろうとしているので黙ったまま民兵を見渡す。
「魔獣の恐ろしい姿を目の当たりにすると訓練された兵士でも怯えてしまう。俺の騎士の乗騎にも魔獣の血が混じったものがいるから慣れさせておくといい。見回りをさせておこう」
ガヌが使役する装甲の固い魔獣だと魔導騎士くらいしか対抗できなかった。
アルドゥエンナ公の気がかりはそれだった。今までの戦いでもそうだった。兵士達は自分の武器では勝てないとみれば、諦めて逃げ散ってしまう。緒戦で薄く広く展開して魔導騎士達が各地で確保撃破されてしまったのが失敗だった。
二人はぎりぎりまで敵の突撃に対抗する障害物を設置し続ける事にして部下に作業を急がせた。
◇◆◇
「来たな・・・」
ブランネンに不気味な戦太鼓が響き渡る。
ブランネンの後背にはリージン河があり、一方にはややなだらかな丘、反対側には森があった。森から回り込まれないよう罠を多数設置して丘の上でアルドゥエンナ公は待ち構えた。
太鼓の音とメリ氏族が連れた魔獣の遠吠えで後方の町の住民が動揺しているのが伝わってくる。民兵たちの顔色もだんだん青くなり、悪化していった。空を見るとどんよりと黒く重そうな雲が肩にのしかかってくるようだった。
段々と風が強まり、吹き付けてくる。
それに対しバシュランが必死に天に向かって祈りを捧げている。
「風向きよ、変われ!大神ガーウディームよ、我らの町を守り給え!」
アルドゥエンナ公は神頼みはしなかった。
冷静に敵を見下ろしている。今日は逃げるわけにはいかなかった。
「出て来たぞ。あれが大王だ。・・・随分太ったな、あの男」
大王は奴隷達が持つ輿にのってやって来ていた。
東部を守備していたアルドゥエンナ公は昔、何度か大王と相対した事があったが当時自分の馬に乗れないほど太ってはいなかった。今回、これまでの戦いでは支配下においた他のガヌ諸国に任せて前線に出てこなかったが、ここらが決戦だと思って出てきたのかもしれない。
アルドゥエンナ公は火縄を準備させたが、兵士達は恐怖に怯えて訓練通りには進まなかった。負ければ食い殺されるという恐怖はただ戦で殺される恐怖よりも恐ろしかった。
ガヌ諸国の馬は牙が生えて、爪は虎のように鋭かった。よだれをだらだらとたらして馬の名残はだいぶ失せている。もはや怪物に近く、それを乗りこなす戦士達を前に兵士達の怯えはさらに深まっていった。
何人か蛮族との義勇兵に参加した事があるものが味方を勇気づけようとするも、まるで効果は出なかった。巨大な戦象とそれに乗る戦士まで登場してフランデアンの兵士達はいよいよ縮みあがった。
そして大王の代理として誰か騎乗した戦士が出てきて開戦の口上を述べた。
「アルドゥエンナ公よ、薄汚い馬泥棒よ、雄々しき我が軍から逃げ回って来た恥知らずの臆病者よ!今日こそお前が死ぬ時がきた。だが、我らが大王は慈悲深きお方。お前がはいつくばって我が尻を舐めるなら降伏を認めて下さると仰せだ!」
そういって戦士は自分の尻と乗騎の尻を向けて叩いてみせた。
ガヌ・メリの戦士達はげらげらと下品に嗤い挑発する。
公の騎士達はぎりぎりと口を噛み、槍を構える。だが、こちらからしかけてはこれまでの準備が無意味だ。
公が前に進み出て返答を返した。
「口から先に生まれたガヌ・メリの王よ。無駄口を叩く事しか知らぬ無知の王よ。最近、鏡を見た事はあるのか?そのでっぷりと太った醜い体は何だ?自分でその薄汚いケツを拭く事も出来なくなったか!とうとうその醜いケツを拭いてくれる部下もいなくなってしまったのか。まあ心配するな。今日はすぐそこに河がある。洗って欲しければ河に放り込んで洗ってやろう!」
魔術師が公の声を拡大して全軍に、ブランネン市内の怯える市民達にまで響き渡るよう操作した。
自力で歩けないのではないのかというほどに太った大王をみてフランデアンばかりか、ガヌ・メリ側の兵士までくすくす笑っている者がいる。
アルドゥエンナ公はそれを見て傍らのバシュランを勇気づけた。
「みたか、バシュラン。連中はメリ氏族に支配された他の国の連中だ。強制動員されているに過ぎん」
「はい。戦意があるのは僅かならば見た目ほどの脅威ではありません」
「うむ」
愚弄されて怒った大王は攻撃開始を命令した。
◇◆◇
丘の上に何段もの防御陣を築いていたフランデアン側だが、早々に三段が突破された。
アルドゥエンナ公の危惧した通り敵は装甲の厚い魔獣を前面にたててきた。
フランデアン軍も丘の上から雨あられと矢を降らせたが、山なりに放つ矢では貫通させられなかった。
弩は近くまで引き付けなければ撃てず、訓練不足で連射速度が遅くすぐに接敵されてしまう。撃った弾は当たり所がよければ運よく倒れる個体もいたが、大勢としては押されていた。
「もっと引き付けてから撃て!」
弩では威力不足で、頼みの綱は火薬式の銃だけだった。高価な魔導銃はここには無く、あっても魔力を籠めて十分な威力を出せる銃兵もいない。
火薬式の銃兵達を任せた隊長が声を張り上げているが、発砲音にかき消されて民兵には伝わらない。こちらも訓練不足で狙いを付けたら号令を待たずに発射し適切な射程距離を弁えていないものも多かった。
べべーランが入手した銃は旧式の中古品が多く、職工会に研究させて真似ていくらか作らせてはいたが、玉の口径が違い過ぎたり火薬の配合に問題があって本来の威力が出ていなかった。
「弩砲を作らせた方がマシだったか」
「技術者がいませんし、機動力が高くて狙いをつけるのは無理かと」
アルドゥエンナ公のつぶやきに騎士が不可能だと告げる。
「わかっている。お前達、突撃の準備をしろ」
「やりますか」
「やらいでか」
アルドゥエンナ公の覚悟は決まった。
かくなる上は損害に構わず丘を駆け下りて大王の首を取る。騎士達も頷いて面頬を下ろした。ガヌ兵は中段をも突破して来た。あと少しで本陣に突入してくる。
アルドゥエンナ公とその騎士達はそれぞれ得意の得物を手にした。