第3話 戴冠式③
「陛下、こちらへ」
フランデアンの財務を預かるべべーランは祝いの席であちこちに設けられた天幕のひとつにシャールミンを案内した。そこには各国の商人達が集まっていてシャールミンに次々と祝辞を述べた。
べべーランに紹介された代表者のタルカンは遊牧民出身であり、交易に従事して財産を築いた男だ。それから同盟市民連合の都市マルマトイに移り住み、商会を作っていた。そのタルカンがさっそく用件を述べる。
「陛下、我々は早期の通商路開放を望んでいます。ヴェッカーハーフェン、エイムバルク、バルドリッド方面へ抜ける為ツヴァイリング通過を許可して頂きたい」
「もちろん許可しよう。その先まで護衛もつける。ウルゴンヌではかなりの野党が出没しているからな」
「おお、護衛までして頂けるので?」
「ああ、すべての隊商に護衛をつけるのである程度まとまった集団を作らせて貰う。だがヴェッカーハーフェンはまだ爆発事件が尾を引いて混乱している。港湾施設再建の為、諸君にも協力して貰いたい。さしあたり我が軍がモーゼルを抑えるまではツヴァイリングで待たせるように」
この時点でギュイからは攻撃開始の報告があり、もうスパーニアとは開戦している。
「承知しておりますが、他の地域へは?」
「エイムバルクやバルドリッドについては白の街道が開放されない限り安全は保障出来ない。帝国の駐屯軍団に聞いた方がいいだろう」
「スパーニアとは講和出来ないのですか?」
「こちらは既に和平の使者を送っている。諸君も各国で我々が争いを望んでいない事を広めてくれ。通行する際ウルゴンヌの惨状を見れば我々の正しさがわかる筈だ」
「もちろんですとも。帝国商人達もスパーニアには腹を立てていましたから」
シャールミンは商人達から軍備調達の協力を引き出し、代わりに通商路の安定を約束した。ギュイが昨年通商路を閉ざしていた為、彼らの不満は高まっていたがシャールミンの即位と共にそれは解消された。
◇◆◇
商人達との会合が終わった後、シャールミンはべべーランと共に歩きながら出くわした客からの挨拶を受けていた。隣国には通達のみで客は招かなかったがリージン河の同盟市民連合からは市長級、中原国家からもいくらかの貴族や遊牧民の族長達が訪問してきていた。
とりわけフランデアン北北東部の国家アンガーティ王国はリージン河の終点、オージラ湖の対岸にある国で加工品の輸出にどうしてもフランデアンを通過しなければならない為、商人達は通商路解放を強く望んでいた。
◇◆◇
結婚、即位、出陣祈念式など複数の儀式を兼ねたこの催しは始まる前から大勢の人が集まって来ているが、客がいくら来ても平原に天幕を追加していくだけなのでかなり緩いものである。
シャールミンはたまたま近くを通過中の商人など誰が来ても歓迎して結婚式への参加を許した。軍は明日には出発を開始するが、式自体は一週間は続く。
「ところでべべーラン、誰かお前以外に国家経済を任せられる者はいないのか?」
「貴族ではなかなか・・・私の息子達はまだ少し早いですし」
「あまりお前の一族を重用するのもな、やはり同盟市民連合や自由市民連盟から使える官僚を派遣して貰って貰うしかないか」
「それもよろしいですが、国内貴族を育てた方がよいかと。先日のお触れはなかなか名案だったかと存じます。それを経済にも適用してみてはどうでしょうか」
シャールミンはベルゲン将軍に集まった諸侯の総司令官を任せた。
そこでまず軍規を確認しようとしたが、フランデアンではそういったものが明文化されていなかった。まず外征自体が数千年振りである。
国内の場合は貴族達の自治に任せていてそれぞれ独自の法で統治されている。
共通の普遍法もあるが、基本的に国王は介入しない。
そこでシャールミンは帝国に習って軍規を法制化する事として全土に対して外国に出ても恥ずかしくない法案を提出するよう求めた。
留学時代に国内の後進性を思い知っていたので謙虚に律儀に一つ一つ真似をすることにしたが、国内の学者と貴族に自分達の文化に沿う形での提案をしてもらう形を望んだ。良く出来たものについてはシャールミンがどんな仕事をしている民間人であっても褒美を出すという触れと共に。
こうしてあちこちからフランデアン軍が守るべき風紀、軍人が守るべき誇りについて貴族からも民間の学者からも提案が集まりそれらを事務方に命じて法制化の準備を進めている。
べべーランはこういった流れを経済分野においても踏襲する事を望んだ。
「経済を競わせると、国内で足を引っ張り合う争いに発展しそうな気がする」
「確かに。ですがフランデアンの10年、20年先の経済政策について公募してみてはどうでしょうか。ウルゴンヌを実質的に統合するとなると経済力はかなり向上するでしょう。私としても二か国間を跨る大国の舵取りをどうするべきなのかはまだわかりません」
「そうだな。じゃあ法案提出と同じように公募してみるか」
フリードリヒが想定したよりもシャールミンの肩に乗った責任は重くなりつつある。ウルゴンヌの血筋はもはやマリアのみとなり、彼女に実力で祖国を奪回する力は無い為、フランデアンが後始末をする代わりに同君連合として君臨せざるを得なくなった。
両国にまたがる統一政府をつくるかどうかはまだ先の話で現在は戦いに勝利する事を考えねばならないが、それはそれとして官僚にはそれも想定して準備させる、とした。
◇◆◇
あちこちの祝いの催しをシャールミンが見て回り、それぞれの旅芸人達や来客などから祝福を受けていると客の一人が質問を投げかけた。
「陛下、ご結婚、ご即位おめでとうございます。お子様はまだですか!ウルゴンヌの継承権はどうなるんですか!?」
「あー、その話か。まだ先の話だ。帝国との協議も必要だから何ともいえない」
「お子様の話ですか、継承権の話ですか?」
「ウルゴンヌの継承の事だ」
「ではご懐妊はまだ?」
「いずれアーナディアのご加護があるだろう」
適当な所で騎士が間に入って客を下がらせたが、なかなかしつこい客だった。
「アルトゥール、今のは誰だ?」
「オットマー社の新聞記者でした」
「そうか、まだ通行が回復していないのにな。たまたま中原の取材にでも来てたのかな」
「おそらく」
結婚初夜はこれからだが皆、もうやる事はやっていると思っている。
結婚するまで処女を守るというのは唯一信教や処女神アーナディアの信徒くらいなもので、アーナディアの信徒は他の神の信徒にその掟を求めたりはしなかった。
何処の神々も貞節さを求める事はほとんどない、むしろ積極的に子を育めと推奨する。
一方、法制化を推進していた唯一信教の信徒は最初から完全な存在である神は性別が無いとしていた。完全な状態のまま創造できるのは全知全能にして唯一の神だけだと定義し、最も神に近い生命体である人にも同様であるように求めた。
人は結婚して処女性を失うが、子供を産む事で新たに完全な存在を創り神に近づくと定義し、信徒達は結婚するまで処女・童貞を貫く事を推奨していたが、旧来の神々にはそういう教義は無い。
かつて旧教と敵対する唯一信教は旧教弾圧の口実として手始めにある神を世の風紀の乱れの元だと非難を始めた。恵まれない人々にも愛を分け与える愛の女神シレッジェンカーマの信徒、神聖娼婦達の事で、彼らは特に敵視されていた。
唯一信教が人類圏から追放された今も、騒乱の元とされて帝国はこの神の神殿を取り締まっている。
世の中には婚姻の概念が無い一部の民族もあり、彼らを蛮族のようだといって婚姻の概念を持ち込もうとはしたが、帝国は基本的には各国の文化には深入りせず婚前交渉、性交可能年齢についても各国の法律任せで帝国大法典にも記載されていない。
「ウルゴンヌにしても我が国にしても後継ぎがいない状態というのは非常に不安なものです。私も気になります」
「べべーラン・・・お前もか。血筋を残して王国を安定させることが大事だってのは十分よくわかってるから私自身が出征するのは諦めたんだろう。・・・まったく、少し黙っていろ」
「はいはい。ですがクムダの花は取り寄せてしまいましたので贈らせて頂きます。花の褥に加えて飾って下さい」
クムダは『月の恋人』といわれる高価な白い花で、夜にだけ咲く清らかな花の為、新婚初夜に贈るのを好まれるが高価なのでべべーランのような資産家にしか入手できなかった。べべーランは寝台がクムダで埋まるほど大量の花を贈った。こういった寝台は花の褥と呼ばれる。
「もう取り寄せたのなら有難く受けとっておくが、余計な気を使うのはやめろ」
「はいはい」
べべーランは苦笑して引き下がった。
「アルトゥール、カール殿もそうだったが王が前線に出てもいいだろう?」
「ええ、まあ・・・。王が出ないと諸侯が従ってくれませんからね。我が国は皆素直にベルゲン殿を立ててくれてよかったですね。新婚の陛下に出陣して頂くわけにはいかないという思いも働いたと思いますが」
「将軍は長年の功労者だからな。しかし、スパーニアやリーアンの王は出てこなかった」
「『小競り合い』程度の認識なのです。今後は出て来るかもしれません。リーアンは無いでしょうが」
「リーアンといえば、イザスネストアスの事だが・・・」
「確かにそういう方はいらっしゃったそうです。フォールスタッフ老師に話を聞きたかったのですが行方不明です」
帝国系の魔術師というのはわかっていて雇っていたので別に監視されていたとは思わなかったが、想像より随分と高位の魔術師だった。
マイヤーは実際に帝国の宮廷魔術師長だったという事が確認できたのだ。
時折明らかに知ってそうな事でも知らんふりをして尋ねていたのはシャールミンを試していたのだろうか。
「ま、帝国側の人間が我々の正当性を知っているのは幸運といえる。ツヴァイリングを開放する以上、クンデルネビュア山脈で情報が遮られてきた中原、極東地域にも今後は帝国の情報が入ってくる。逆にこっちの情報も伝わる。ああいった新聞社の連中はすぐに帝都に一報を入れるだろう。皆にも注意して進軍して貰わないと」
「スパーニアが要求を受け入れてくれればすぐに問題は片付きます。コブルゴータ侯爵の手腕に期待しましょう」
「彼の部下は出陣部隊に加わっていないだろうな」
「それは間違いありません」
交渉を託したコブルゴータ侯爵は新王の祖母の一族で実力、名声が十分にある貴族だった。戦闘に参加してしまうと中立的な交渉が出来ない為、出陣はやめさせている。
「賠償金の要求が少し大きすぎた気もするが」
「私にはよくわかりませんが、皆最初はこれくらい強気の要求でなければ下にみられるというのでそうなのでしょう」
自国と滅茶苦茶にされ、家族を皆殺しにされたマリアの恨みは激しく、スパーニアへの報復を訴えていた。シャールミンももちろん彼らに罰を与えたかったが、帝国の窮状や、自国の国力を考慮するとどこかで振り上げた拳は降ろさなくてはならない。
戦いを始める前からそんな事まで考えなくてもという声が三伯十一公から出たが、むしろ王たるもの最高責任者として終わらせ方を考えなくてはならないと和平交渉を検討すると押し切った。
マリアも自国の為にフランデアンに血を流して欲しいとまでは言えずに、代わりに賠償金を吊り上げた。三伯十一公も同意して800万エイクという高額になった。
べべーランも少し高額過ぎると難色を示したが、財務官や外交官僚達もこんなものだろうといって最終的には金山銀山を持ち裕福なコブルゴータ侯爵なら各国の財政にも明るく、減額交渉をされても適当な額で妥協するだろうと彼に全権を任せる事にした。
◇◆◇
会場では王家から振舞われた酒と宴会料理に加えて参列者達が持ち寄った物で大いに賑わい、庶民に至るまで豪華な食事を楽しんでいる。遊牧民達ははるばる東部から羊を連れてきてその場で絞めて必要なだけ祝いに提供した。
南方からは大量の香辛料が持ち込まれ、串焼きや肉饅頭にふんだんに使われ会場に食欲を誘ういい匂いを漂わせている。リージン河の漁師たちは新鮮な魚を焼いたり、揚げたり、パイを作ったりして訪れた外国人にも郷土料理を振舞った。
そんなお祭り騒ぎの中、出征する兵士達は家族と別れを惜しんでいた。
「じゃあね、母さん。収穫祭までには帰るから心配しないで」
「気を付けていくんだよ。お前の命が一番大事なんだから」
「父さん、行ってきます。帰ってくる時もこれくらい華々しいお祝いをして貰えるといいんだけど」
「ははは、それは無理ってもんだ。これは陛下の結婚式でもあるんだからな。なーに、家でお前の好物をたくさん用意して待っていてやるよ」
「アデーレ、帰ってきたら僕と一緒になってくれるかい?父さん達に聞いたらぼ、僕らの好きにしていいって」
「まあ、まあ!本当に!?ヘルムート、勿論よ。そういってくれるのをずっと待っていたの!」
庶民の兵士達と同様に彼らをを率いる諸侯と軍を任された将軍達も同じように家族と別れを惜しんでいた。
出陣した兵力は総勢8万3千人。
2万5千の王の禁軍をベルゲン将軍が率いて息子のサムソンとイルソンが補佐する。
その下にツヴァイリング公ら西部諸侯3万がつくが出撃済み。
中部諸侯が2万8千、ヴァーヴェン公、アンヴァーグ公、ミーミンゲン公、レイヴン公、レンベルグ公、ヘクセン公、スフォルツァ伯、ティロル伯、ピエモン伯でフランデアンの大貴族三伯十一公の殆どが当主自ら王の呼びかけに応えて参集した。
ティロル伯の場合は本人は帝都にいる為、代理の息子が軍を率いている。
出撃に間に合わなかった諸侯が後詰としてさらに数万を準備中、北東部のジャール人達の騎兵団3万をメルゲン将軍が準備中だが、ウルゴンヌ国内では騎兵団が活躍する機会は少ないとみて当面は予備として国内に留まる。東部総督アスカニエン公や南東部の諸侯は若干の兵力と軍資金、兵糧の提供に留まって国内の警戒に当たった。
正式に開戦を決定した時、三伯十一公はシャールミンに国内に留まるよう申し入れた為、国王は出陣していく彼らを激励し長い行列を見守るに留まった。
フランデアンの国旗である獅子の旗を高らかに掲げ、兵士達は行進する。
その列の中、レイヴン公の長男でシャールミンの旧友ケレスティンが王の姿に気づいて槍を掲げて叫び、兵士達も続いた。
「王に勝利を捧げよ!」
「「勝利を!」」「「勝利を!」」