第四章・あとがき
さて、第四章は如何でしたでしょうか。
まずは出だしという事で妖精王編と同様に四章は20話ほどで終わりました。
また視点を変えた後に太陽王編に戻り、この戦争を交互に描いていく事になります。
我ながら面白くなってきたと思うのですが、PVはほとんどないですねえ・・・
どうしても最初の数話で読者が離れてしまいます。
昔話みたいな淡々とした話に魅力を感じないのは致し方ないですが、作品全体の完成度を上げる為にはどうしても出生、子供時代を書きたいし、序盤からいきなりチートパワーで豪快に敵を薙ぎ払っていく爽快な展開も無理です。今更なのでこのまま進みますです。
ここまで読んで頂いた読者の方々有難うございます。そしてどうかご支援を!
(50万字、160話以上書いても感想無いのですTT)
ではいつもの小ネタ、用語とその由来の解説を挟んだ後次章でお会いしましょう。
”フィロストラート”
-ウシャスを守る騎士。由来はボッカチオ著『デカメロン』より。恋の虜、熱情の意-
”ナーチケータの火壇”
-黒ヤジュル・ヴェーダ『カータカ・ウパニシャッド・ナチケータス物語から』-
※ナーチケータは本作品世界の中では浄化と断罪の神の名で知られている。魔女狩りの際にこの祭壇の炎で焼かれても生きながらえれば無罪とされた。投じられた者は当然全員火に焼かれて死んだ。
由来となるナチケータス物語では、ナチケータス少年が冥府の神ヤマとの問答の中、この火壇による祭式で『再死』を免れる事が出来る事を知る。
『再死』とは冥府で再び死ぬ事であり、その後はどうなるのか誰にもわからない。人々はそれを最も恐れた。
祖霊を祀る者が絶えた時『再死』する。
ナチケータス少年はヤマからそれを避ける方法を知り、死を克服した自己の奥深く、真我に達する。
父親に執拗な質問をした事で冥府に送られたナチケータスだったが、知識を教える事を拒むヤマにも他の願い事(金銀財宝、美女など)など無意味だとして『知』を得る事を望んだ。
古の物語でインド以外に中国でも神々よりも知識を得たバラモン、聖仙、仙人の方が力を持った存在として描かれる事があるが、これは祭式、知識至上主義の現れである。理法を得て祭式を行い、バラモンは世界への支配力を持った。
バラモンは五つの祭火と死者の生まれ変わる五つの過程を知り、死を克服し神の領域に近づいた。この五火二道説は後に輪廻転生思想に繋がっていく。
"失われた財産は取り戻せても失われた時は戻らない、と。鍛錬をするのはいいですが、時の価値を金に例えて欲しくないものですね”
-セネカ『人生の短さについて』-
-イルパラッツォ『エクセルサーガ』(時の価値を金銭に例えるとはさもしい価値観もあったものだ)-
“夜の砦の兵士達、法律家、パン屋らの話”
-チョーサー『カンタベリ物語』に似せて-
”ラクシュ”
-ティラーノの愛馬、竜馬ともいわれる。名前の由来はペルシア叙事詩「王の書」から。英雄ロスタムの愛馬-
”火晶石”
-スーリヤ・カーンタ。太陽の光を浴びると熱を発する伝説の石。この物語では時間差爆弾などにも利用される-
”プレストル伯”
-セバスティアン・ル・プレストル・ド・ヴォーヴァンから。星形要塞を完成させた人物に由来する。攻城砲の発展により稜堡式城郭が考案された。イメージしやすいものでは五稜郭、火力を最大限に生かし、砲撃に対して無力となった高い城壁からの転換となる。本編の通りサウカンペリオン要塞はこの形式に変更しようとしていたが、帝国本土外では攻城砲は未発達であり、時期尚早としてキャンセルされた-
”マミカ”
-ストラマーナ家に仕える魔女。由来は『ガルガンチュア物語』聖女マミカから。意味するところは情婦。聖女にこんな名前をつけたのはラブレーの諧謔であろうか-
”ガルガンチュア”
-ラウルと同郷の巨人のような戦士。二つの巨大な盾を武器として使う。由来はラブレー著『ガルガンチュア物語』そのまま。
※ガルガンチュアの名前は多くのファンタジー作品に現れるが元の話は実にうんこである。
本作は騎士物語を題材にとっている為、ルネサンスの代表的な騎士物語ともいえる『ガルガンチュア物語』を紹介しよう。高校生くらいで世界史をとっていられた方はよくご存知かもしれない。
まず母親のガルガメルが出産間際に臓モツ料理を食べ過ぎてお腹を下し苦しみ始める。周囲はとうとう出産と喜んで見守るも、彼女から出てきたものは悪臭にまみれた何かだった。
お腹が緩み過ぎて脱肛していたのだ。
産婆が収れん剤を与えて引っ込めたが、そのせいでガルガンチュアは下から出てこれなくなった。子宮から出て体内を這いずり回り、ガルガンチュアは母親の左耳から生まれた。その第一声は酒が飲みたいであったという。
このような奇っ怪な産まれ方を読者は信じるだろうか?
貴方に分別があるならばもちろん信じるだろう。
『へブル書』第11章「信仰とは望む所を確信し、見ぬものを真実とするものなり」
パリ大学神学部ではこれを信仰の定義としていた。
(※本作でも今後随所に登場する)
聖書には人はこのような産まれ方をしないとは書かれていない。
神に不可能はないならば、神が望めば人はこのように産まれる事も可能である。
人に善性があるならば書にこのように書かれたものを素直に受け止めて信じるであろう。ご婦人方は望めば左耳から子供を産むことが可能なのである。
宗教改革の最中エラスムスはこのような神学者の定義を批判し、ラブレーやツヴィングリはエラスムスを支持した。
要するにこの一節はラブレーによるパリ大学批判で、こういった韜晦が多い事から禁書処分を受ける事になる。
そんな経緯で産まれたガルガンチュアは食いしん坊の飲兵衛で赤子の時から、四六時中うんこを漏らしていた。それでも親や侍女達からはずいぶん可愛がられた。
十三章に至ってはうんこの話しかしていない。(最初にこの話がうんこだと書いたのはこの為)
多種多様なものでおしりを拭き、もっとも拭き心地がいいものをガルガンチュアは検証した。鳥の羽から植物から高価な衣服まで。
いったい何でおしりを拭くのが適切かという話題からおしりを拭く為にはうんこをしなければならないと力説し、父親は息子の聡明さに感動する。
その後はパリに留学してノートルダムの鐘を取り外したりやんちゃしつつも学業も武芸も学んで大成していく。
ただし、十三章以外でも時々うんこネタは出る。当時の風俗や宗教改革について詳しければ他の感想も出ると思われるが十三章うんこショックは大きい。
筆者はうんこの話しかほとんど覚えていない。
誕生期・修行期・英雄期としての三部からなる構成は中世末期に人気だった騎士道物語のパロディでもあるらしい。
ガルガンチュアは父の領地を脅かした暴君と戦い勝利する。
この戦いで貢献した修道士の為に建てさせた僧院がテレーム僧院であり、規則を一つだけ定めた。
それがすなわち『汝の欲するところを行え』である。
(※この物語では聖堂騎士団のモットー)
1530年代から出版され始めたガルガンチュア物語は約10年前のルター宗教改革運動の影響を受けて複数の版があるもよう。教会批判、風刺が多分に盛り込まれているらしいが、残念ながら前提知識が不足している為理解できない記述が多い。
『ガルガンチュアとパンタグリュエル物語』は人文主義者ラブレーの独創ではなく、もともとあった別個の民間伝承を強引に結び付けたものらしい。
当時フランス語が一般的でなくパリ周辺でしか使われていなかった地方の言葉もラブレーによって広まり、印刷され人気を博しフランス文学が世に広まる契機ともなった。
フランス王の出版許可証は得られたが、パリ大学神学部からは禁書に指定され改革派のカルヴァンからも無信仰過ぎると批判を受けた。
フランス王フランソワ一世は古典研究の教育機関を自ら支援して発足させた(現コレージュ・ド・フランス)が、神学部はそれを批判した。
フランソワ一世は宗教改革に寛容だったが、激化する改革運動の熱気は高まり過ぎて彼の寝室にまで檄文が張り付けられるようになると弾圧に転じた。
ラブレーの父は国王直轄シノン裁判所の弁護士であり、ラブレー自身も枢機卿と親しくコネを使い教皇から赦免されて修道士の身分を回復したり医学に携わる事を許されて、解剖学の講義をするようにまでなる。作品中でも解剖学的見地からの記述が見受けられる。教会を風刺する作品を書きながらも王から出版許可証を取り付けたりするあたり、なかなか政治力もあったのだろうか。