第19話 太陽王ティラーノ②
ティラーノは名乗られてようやくガルシアの事を思い出した。
ティラーノがイルエーナ公家やエイラマンサ公家に助力を求めて、派遣されてきたガルシアだが、控え目で今まで発言する事はなかった。大公の長男といっても後継ぎからは外されていていつ死んでも惜しくないくらいのつもりで寄越されたのだろう。
そういえば帝都でも見かけたことがあったような気がする。
「誤解だ。別にフランデアンに思う所はない。どうせ引き上げるのだからこれ以上の追撃をやめるよう交渉を申し出る使者を出そう」
「陛下、それは弱気にすぎます。何はともあれ我が軍の制圧地域に踏み込んできたのは彼ら。こちらが下手に出る必要はありません。むしろ捕虜の返還と賠償金を求めるべきかと」
ティラーノの和平提案に反対する貴族が出た。
他の者も同意して頷いている。貴族は面子を重んじる、そして戦死者の遺族に補償もしなければならない。平民に比べれば贅沢な暮らしを送っている彼らも領主としては商人や他の貴族に借金があったり、ここまで戦費も費やしている。ただでは引き下がれなかった。エルドロの散財により王家には金がないのもわかっており、敵から奪えなければ大損である。
イルラータ公とイーネフィール公もそれぞれ制圧中の城は手放したくない意向を明らかにしており、今後の展開次第では大規模な戦争になってしまう。
それはティラーノの意思に反する。
廷臣にはティラーノの意思を尊重するものもいてとりあえず使者を送る方向へ議論は進んだ。
「使者を送るにしても一体誰宛てに?ツヴァイリング公?フランデアンの王子?あの国はまだ誰も王位についていなかった筈」
「ひとまずツヴァイリング公でよかろう。陛下から直接使者を送れば見くびられます。今後の事もありますし、イルラータ公やイーネフィール公から使者を送ってみるよう促すのはどうですか?」
「大公達に連絡するには時間がかかる。ここで決めるべきだ」
イルラータ公ズュンデンは神出鬼没で前線視察に出向いたり自身の城に戻ったり時々バルドリッドにまでやってくる。居場所はすぐにはわからない。イーネフィール公ホアカリーノはほとんど領地に留まっている筈だ。
直接ウルゴンヌと領土を接している彼らから使者を出させるべきだという意見が大勢を占めた。
ティラーノはいったん前線指揮官に戦闘を避けるよう命じ、外交交渉については大公の意見を統一してから始めるべきなのはもっともなので、大公達にいったんバルドリッドへ来るか全権使節を寄越すよう使者を出した。
だが、前線から次々と大軍接近の報がもたらされてムーズが落ちたのと同月モーゼルも陥落したと報告があった。それは主要な街道が集まる重要地域だった。
ムーズでは1万8千ほどだったツヴァイリング公の兵士も今度は3万近いという。
「クラウディオ、もともと明け渡すつもりだったとはいえこれは不味いぞ。それで犠牲者は?」
「3500ほどだ。撤退中の部隊が各個撃破されて行き、モーゼルに集結した所を叩かれた。ほぼ同数の規模の戦いだったが、こちらの損害は敵の倍以上だな」
これまでに失った犠牲者数は捕虜も含めると一万人近い。
撤退中に撃破された部隊は敵に損害を与えていないだろう。
諸侯らは全面戦争を訴えた。迂闊な撤退が敵の攻勢を招いたという王への非難も燻る。
「陛下、もはやフランデアンとの全面戦争は避けられません。撤退を中断しオルヴァンに集結させるべきです。数はこちらの方が遥かに上。今のうちにツヴァイリング公を叩き潰すべきです」
これまでの戦いで12もの貴族を戦場で失っている。彼らの血縁者達は復讐に燃えて続行を訴えた。王家の直轄領を再建中のティラーノにはまだ彼らを抑える力が無く、続行止む無しと思われた。
が。
「知らん。俺の知った事か。俺はさっさと全軍引くように命じた筈。いつまでもウルゴンヌに残っていた連中の失策だ」
「「そんな無責任な!」」
諸侯は口々に抗議した。
「黙れ!俺の指示通りさっさと全軍引き上げろ。オルヴァンに集結すればリーアンとフランデアンが同盟を組んで襲ってくるだけだ。未だにシエムに残っている馬鹿共にも命じておけ!」
軍議を中座して出て行ったティラーノにクラウディオが追い付いて並んで歩きながら話を続けた。
「お前はどう思うんだ。総司令官」
「私も撤退には賛成だ。しかしまあ、物はいいようだな。帝国軍であればあれで通じるがここでは諸侯と利害を共にする同盟関係に近い。今はまだな」
「・・・ここ数十年内戦をし過ぎた。当面軍議はお前に任せる、あいつらをなんとかしてみせろ。どうせ連中は俺の言う事を聞かん」
「承知しました」
若干おどけるようにクラウディオは頭を下げた。
自室へと戻るティラーノに今度はフランデアンの使者が来訪したと報告があった。
「向こうの方が早かったか。ひとまず謁見の間で会おう。通しておけ」
報告した侍従が急いで使者の下へと戻り謁見の準備を進めた。
◇◆◇
「初めましてスパーニア国王ティラーノ陛下。私はフランデアン=ウルゴンヌ二重王国の王シャールミン陛下、そして女王マリアの使いで参りましたアルベルト・タクシス・コブルゴータであります」
「よく参られた。ところで二重王国とは?シャールミンという何も聞き覚えが無い。先王にそんな子がおられたかな?」
「この度マクシミリアン王子はウルゴンヌ公国の唯一の王位継承者マリア様と晴れて婚儀を行われ戴冠式も終わり国王シャールミンとして改名され即位されました。我が国王陛下はフランデアン王でありウルゴンヌの王でもあります。マリア様はウルゴンヌの女王となり今後もウルゴンヌの主であり続けます」
「ウルゴンヌの民が認めまい」
「今のウルゴンヌとはサンクト・アナンそのもの。サンクト・アナンの支配者が王を決めるのです。政府機関は今後もマリア様の指揮監督下にあります」
コブルゴータ侯爵はそういって恭しく礼をした。
侯爵は初老で白髪交じりの品の良い貴族だった。
「まあよい、それで用向きは?」
「ウルゴンヌからのスパーニア軍の全面撤退。これはグランドリー橋まで、つまり開戦前の状態まで戻す事が我が国王の要求です。そしてこれまでウルゴンヌが受けた被害への補償として800万エイクをお支払い下さい。こちらはマリア様のご要求です」
謁見の間の廷臣がざわめく。
「800万とは少し取りすぎだな」
「『少し』くらいであればマリア様も交渉に応じられるでしょう」
800万エイクとはスパーニアの国家全体の収入に匹敵する。
歳出もあるので当然すぐに払えるわけもない。ここ数年は赤字が続いていたので尚更だ。廷臣達は怒りの声をあげた。
「小競り合いで勝ったくらいで調子に乗るな!古臭い伝統だけが取り得の田舎国家の分際で!」
「と、おっしゃっているようですが?」
陛下の返答はいかに、とコブルゴータ侯が問いかけるとティラーノは暴言を吐いた廷臣を近衛兵に謁見の間から使者に無礼だとつまみ出させた。
「こちらの用は済んだ、そちらにいわれなくても撤収の最中だ。引き上げる者を後ろから討っていい気になっているようだが、これ以上無駄に攻撃を加えると我々も反撃をすることになるぞ。そちらも本気になった我が国と交戦するのが恐ろしいから、かような要求を送って来たのだろうが」
残る廷臣達もそうだ、あれは戦闘ですらないと同意する。
自分から和平を求めて使者を送って来たのはフランデアンの内実は苦しいのだといっているようなものだ、と囁きあった。
「我が王が、何ゆえ面子を捨ててこちらから使者を送る様私に命じられたか分かりますか?国内の諸侯達からも反発はあったのです」
ティラーノはやはりそうかと思った。
自分も政府の運営には苦労している。フランデアンと戦う気が無いというのにそれを満足に伝える事すら出来ていない。
「いや、わからないな。拝聴させて頂こうか」
「ウルゴンヌではそちらの兵によって多数の虐殺被害が出ております。ムーズやモーゼルはもちろん、オルヴァンでもリッセントでも被害が出ているのは分かっております。おそらく人口の3割は失っているでしょう、何万という民間人をあなた方は虐殺し家を焼きました」
廷臣らはでっちあげだとまた怒りの声をあげてざわめく。
「我がスパーニアの兵士達は文明人で誇り高き戦士だ。そんな事はしていない。あまりないいようではないかな。帝国が街道で何やら民間人を虐殺したというのは聞いている。そちらと混同した話がフランデアン王に伝わっているのだろう」
「ああ、スパーニア王よ。貴方は帝都でも随分な活躍をされ、才気に溢れ、信仰も厚く、蛮族との戦いでも功績を上げられた立派な勇士と伺っております」
「光栄だ」
「その貴方でも足元の事はご存じないようです」
「なんだと?」
持ち上げてすぐ落とされてティラーノも口調が荒くなる。
「我が王は実際に戦場を見て来たのです。崩壊したリッセント城も、焼かれた田畑、家々、親を失って泣く子供達、飢えて死ぬ一家を」
「フランデアン王は前線から卿を遣わしたのか?それにしてもまだそこまでは進撃してはいまい」
ティラーノは王の旗印が前線に現れたという報告はまだ聞いていなかった。
それに気がかりな事も口にしている。どうやら生き延びていたらしいマリア姫はサンクト・アナンで籠城している筈だった。いったどうやってマクシミリアン王子と結婚の儀式を執り行ったのであろうか。
「ええ、勿論。今も王都から指示を飛ばされております。戦場を見てきたのは昨年の話。ご自身の力で戦場を駆け抜けてサンクト・アナンのマリア様を救出されそちらの包囲網を突破しアンヴェルスへお戻りになられました。ですから言い逃れは不可能です。既に帝国とも独立保障の協定違反について協議を開始されております。我が王が下衆な勘繰りをいれる廷臣に貶められる事が分かっていても私に和平の使者を託された意味がお分かりですか?」
「北方圏が、人類の防衛線が窮地にある時にこれ以上人類同士で争うべきではない」
「その通り。名誉を貶められても使者を派遣した我が王の意を汲みこの提案を受け入れて頂きたい」