第16話 後継者➃
こうしてネーヴェラも捕らえられてストラマーナの魔術師が管理する事になった。ネーヴェラは目的を聞かれても白状はせず、エルドロも自分の正体を知ってもなお真実の愛の為に皆から庇ってくれていたのだと嘯いた。
「こんな事世間に公表は出来ん」
「やはり処刑すべきでは?」
「あからさまに嘘をついている。真の目的がわからないまま殺せば、何処かで誰かがもっと大きな作戦を進めているかもしれない。マミカ師やアルコフリバス師達は時間をかければ精神暗示の魔術で白状させるのは可能だといっている」
ネーヴェラの前で子供を拷問する、というベリサールの提案はティラーノが拒絶した。クラウディオは一定の効果は得られるだろうとベリサールに同意したが強くは勧めなかった。
ネーヴェラについてはいったん魔術師に任せて、ティラーノはスパーニアの政治の安定化に努めた。一方、自分の妻であるマルガレーテには冷たく当たった。
宮廷の侍医もマルガレーテの妊娠時期はティラーノの帰還より少し前と断言していたのである。
ユアナからも見捨てられたマルガレーテにはもはや味方はおらず、彼女はティラーノに赦しを乞わねばならなかった。そしてマルガレーテの腹は徐々に大きくなり臨月が近づいてきた。ペルセペランからは離縁を認められなかった為、彼はこの屈辱的な生活に耐えるしかなかった。
◇◆◇
新帝国歴1412年1月の末。
マルガレーテとの結婚生活はティラーノには苦痛そのものだった。
顔を会わせる度に殴り、マルガレーテは自分は裏切っていないと嘘をついた。
誰もがエルドロはマルガレーテの寝室で何度も過ごしていたと言っているのに。
まもなく子供も生まれるという時、とうとう観念して彼女も白状した。
今度こそ貞淑な妻になって王を支えたいというマルガレーテの浅ましい願いにティラーノはつい腹が立って突き飛ばした。
それが引き金となって産気づきマルガレーテは冷たい床に倒れたまま泣いて助けを求めたがティラーノは無視し、彼の側近たちも主君を侮辱したこの女を嫌っていたので医者を呼ばなかった。
そしてマルガレーテはそのまま流産してしまい、医師の介抱が遅れ熱に侵されて世を去った。そんな彼女の死に様に太后ユアナはティラーノに苦言を呈した。
「せめて医者にくらいは診せて赤子は帝王切開で回収すべきでした。生まれていればウルゴンヌの継承権を持つ子となったでしょうに」
慈愛の女神の治癒の奇跡が発現しなくなった現代では帝王切開をすれば母体は間違いなく死ぬ。だが、ユアナにとってもマルガレーテ自体に用はない。
ウルゴンヌ公王の娘として、ストラマーナとウルゴンヌの血を引く子を産めばよかった。
「宮廷に残っていた医者は兄上の侍医のみ。俺にあの女に気を使えというのは無理なおっしゃりよう。気にかけていたならご自分で手配すればよろしかったでしょう」
「ウルゴンヌには何と?」
「別にどうもしません。運悪く出産の際に母子共に亡くなるのはよくある事。普通に病死と伝えてやればいい」
ティラーノはこの件に関して冷淡だった為、ユアナが使節を送り葬儀の手配をしてやらねばならなかった。ネーヴェラもウシャスも去った今、ユアナは宮廷の実権を取り戻している。
厨房長はユアナの好みで献立を決め、廷臣はユアナの気分で宮廷行事を取り仕切り、貴族や商人はユアナの為に貢物を持参し、祭礼官は王の墓所がある冬宮で我が物顔で振舞い葬儀予算を自由にした。
◇◆◇
そんな中、ウルゴンヌの姫マリアがやって来た。
ユアナは女の誼でマリアを歓待し、イーネフィールから来た魔術師達に見張らせてスパーニアの宮廷情報が漏れないよう気を配った。
マリアの態度は立派なものだった。
王族の証として小さな湖の女神を象徴である蒼い宝石を散りばめたティアラを付けティラーノとユアナに最敬礼を行い哀しみの表情を見せず毅然として諸侯にも礼をした。ウルゴンヌを小国と侮る諸侯を前にしても言葉遣いと礼儀は非の打ち所もなく、妻を失った夫であるティラーノに弔辞を述べた。
彼女に冷淡に接したティラーノにむしろ非難の声が上がったほどである。
マリアを気に入ったペルセペランはユアナにマリアを宮廷に留めておくよう命じた。さらにユアナにはティラーノにマリアとの再婚を促すように指示があった。
「ティラーノ、貴方のお爺様からのご命令です。マリア殿を妻として子を為しなさい」
「は、は、は。ご冗談を。あの売女の妹など」
ティラーノは母の頼みを拒絶した。
いくら国の為でも売春婦の種馬になってやる気は無い。
「彼女は彼女ですよ。姉に罪があったとしても、彼女に罪はありません。姉妹であることが罪というなら貴方にもエルドロの不倫の罪があります」
「ぐ・・・、いいでしょう。あの女には婚約者がいるのだとか?あれが婚約者を捨ててこちらに来るというならその時こそ初めて売春婦と呼んでやりましょう」
ティラーノは一度自室に戻り、うんざりとして侍女のイザベラに酒を持ってこさせた。
「お疲れのようですね、ティラーノ様」
「ああ、今度はマリアを口説けとはね」
「私は小貴族の生まれで良かった」
彼女はティラーノの古い馴染みで彼が出征して戻って来た時も健気に帰りを待っていた。
「俺はつくづくこの国も世の中も嫌になったぞ」
「それでも義務を全うされるティラーノ様はご立派です。マリア様との間に子供が出来て家族になれればきっと気分も変わりますよ」
「俺はそれが嫌なんだ。向こうがどんな答えを寄越してもな」
「でもペルセペラン様のご指示なのでしょう?リーク様が亡くなった以上あの方には従いませんと」
「だがな・・・」
リーク殺害を試みたのはペルセペランだというシャフナザロフの言葉が思い返された。
「どうかなさいましたか?」
会話中に物思いにふけったティラーノにイザベラが声をかける。
「いや、何でもない。なあイザベラ。どうせならお前が俺の子を産んでくれ」
「これからマリア様を口説きにいかないといけないんでしょうに。ご冗談ばっかり」
イザベラはまたほほほと口元に手を当てて上品に笑って退出した。
そして、マリアを口説きにいくティラーノにウルゴンヌの公王カール戦死の報がもたらされた。