第14話 後継者②
「いったいどういう事ですか、兄上!」
ここまでずっと歯を食いしばって不遇な扱いに耐えて来たティラーノも妻を寝取られてはもう黙っていられない。エルドロが遊び暮らしている宮殿に帯剣したまま戻り、玉座にいる彼に詰め寄っていった。
玉座は階段の上にあり、後ろには太陽を象る明かり窓があった。
剣幕に恐れたのかウシャスが退出し、エルドロの飼い猫達も逃げ出した。
エルドロは慌てて膝から逃げた猫に手を伸ばして酒器を取り落した。
ぱりん、と高い音が宮廷に響く。
「な、なんだ!ティラーノ、血相を変えて」
「貴様!俺の妻に手を出したのか!?俺があの凍る大地で獣どもと国の為、神の為に戦っていた時に!!」
「し、知らん。来るな。おい、衛兵!ギルディオ、ゾロ!出会え!」
王の盾と剣たる騎士ギルディオとゾロが間に入ろうとするが、ティラーノに押しのけられラウルに牽制されて身動きできなかった。
怯えたエルドロは玉座から転げ落ちて頭を打ち意識を失ってしまった。
「それ以上はなりませんよ、ティラーノ殿」
ネーヴェラが間に入ってエルドロを庇おうとする。
「どけい、ネーヴェラ。邪魔だてすれば王妃だろうが容赦しない」
「どのような理由があろうとその発言は謀反です。だいたいマルガレーテ様が自分から陛下の寵愛を得ようと体を売ったのではありませんか」
「なんだと?」
「貴方の妻は、もう自分の夫が世に出る芽無しとみて文字通り乗り換えたのですよ。妾が妊娠中にね。言っていましたよ彼女は『自分の夫はどうせ帰ってこない事ですし、陛下の妃に加えて欲しい』などと媚び売って。まさに売女ですわね、あの女。ああ、おぞましい。ウシャス様も何度か結婚していますが、妾は陛下以外に愛した男性はいないというのに」
ネーヴェラはティラーノを嘲笑い、王の近衛兵は武器を構えてティラーノへの包囲を狭めて行った。
「死にたくなければ引っ込んでいろ!」
ティラーノは大喝し、さらに兄へ詰め寄ろうとして妨害するネーヴェラの肩を掴んだ。その瞬間彼の持っていたお守りからばちりと静電気が走る。
「なんだ?」
「ひっ」
ネーヴェラは扇で顔を隠したが、ティラーノは一瞬その瞳に人ならざる物をみた。猫か狐のような縦長の瞳。
さらにティラーノが覗き込もうとするとネーヴェラはエルドロを置いて身をひるがえして逃げ出した。心なしかその豪奢な衣装は内側から大きく膨らんでいた。
「どういう事だ、一体・・・」
ティラーノは地面に落ちた長い毛をつまんで手に取った。
金色と銀色の毛が混じっている。
金色のものはウシャスのようで、銀色のものはネーヴェラだろう。
しかし、銀のものは妙に硬い。
「殿下、武器を捨てて下さい」
ギルディオやゾロ、近衛兵達がティラーノに投降を呼びかけた。
「黙れ、馬鹿共が。兄上は勝手に転んだだけ。医者でも呼びにいけ。それよりこの体毛を見ろ、人間のものとは思えん」
「飼い猫の物でしょう。それより武器を」
「断る。とにかく兄上の意識を取り戻させて白状させてやる。まずはあの女だ。戦地の夫を待つどころか裏切っていたとは」
ティラーノはもう玉座と兄に興味を失ったようで、その場を去ろうとする。
ギルディオ達は顔を見合わせて道を開けた。
ティラーノはマルガレーテに詰め寄ったが、彼女はどうしても認めず不貞など働いていないと言い張った。エルドロの意識も戻らず、再び会おうにも後宮のネーヴェラの下へ連れて行かれたという。増築が再開され、後宮にはエイラマンサ家の兵士達が詰めていて、王の護衛もいる。
ティラーノが後宮に入る事は頑として拒否された。
エルドロの意識が戻らないのをいいことにネーヴェラはウシャスを捕らえて塔に幽閉してしまった。ウシャスに与えられていた秋宮、冬宮には彼女の派閥の貴族がおり、召使共々ネーヴェラの粛清に遭い、離宮では多くの惨劇があった。
◇◆◇
「母上、どうしてエルドロを止めて下さらなかったのですか」
ティラーノとエルドロの母ユアナは摂政太后としてエルドロを補佐していた筈だった。そして宮廷序列で女性の最上位にあるのはユアナであり、後宮の管理も彼女の部下の仕事の筈だ。状況を知っていただろうし、止める事も出来た筈だとティラーノは詰問した。
「もう成人しているエルドロをどうしてわたくしが止められましょうか。妻の教育に失敗したのは夫である貴方の責任です」
「では事実なのか」
「だからなんだというんですか。スパーニアとウルゴンヌ王家の血を引く者が必要なのです。いずれスパーニアの手に合法的に取り戻す為にはね」
「わざと見逃してやったというのか!?」
「母に対してその口の聞き方はなんですか」
ユアナは長く前線に滞在したまま一向に戻らないティラーノとマルガレーテの間に子を為させるのは難しいとエルドロと会わせていたようだった。スパーニアはウルゴンヌの継承権を欲していた為に。
貴族の女性達が住まう一角を管理する最高責任者は太后のユアナ、彼女であればネーヴェラにもウシャスにもマルガレーテにも誰にでも会わせる事はできた。
「堕ろさせる」
「それはいけません。もうお腹が大きくなり過ぎています。どうせお腹の子を産んだ後、貴方の子も産むのですからエルドロの子はどこかに幽閉するか、ストラマーナに使える貴族の家に養子に出しなさい」
「冗談ではない!売女など・・・あんな売女などもういるものか!この俺が実の兄に疎まれ味方から疑われても必死に国の安定を願い、スパーニアの名誉の為に戦っていたのに、貴様らは・・・貴様らはあんなしみったれた土地の為にこの俺の尊厳まで奪おうというのか」
ティラーノはさすがに母に手は上げなかったが、あと一歩で殴りつける所だった。
踵を返して立ち去ろうとするティラーノにユアナは声をかけた。
「ティラーノ。不満なら貴方が王になりなさい。エルドロが意識を取り戻さない内に。機を逃せば貴方は死ぬことになります。母としてそれは見過ごせません」
「なんとおっしゃる?」
「エイラマンサ家のネーヴェラは巧みにわたくしの宮廷における力を削いでいきました。マルガレーテにエルドロとかけあわせたのもお父様の命令もありますが彼女に対抗するのに必要だったから。貴方が戻ろうとする意志を見せていれば、そんな必要は無く貴方を支持していた者たちが彼女を守っていたでしょうに」