第10話 皇帝カールマーン
カールマーンは1412年の最終予算案を受け取ってその内容を疑問に思い、軍務大臣ブランディーノを呼んだ。皇帝の権力は絶大で議会を通さずに法を通し、予算を自由に出来るが基本的に議会と政府に任せて最後に承認するだけだ。
しかし即位したばかりのカールマーンはまだ政府との信頼関係が無く彼らの行動を監督せねばならなかった。
「前に提出されたものと随分変わっているな。サウカンペリオンの要塞はどうした?」
「攻城戦の変化を想定し要塞をプレストル伯が提案したものに改修するという予定でしたが、省内で再検討した所スパーニアや北方諸国を動揺させるとの恐れで撤回したく」
サウカンペリオンは帝国本土に通じる多くの道が集まる要衝で、実験的に火砲を最大限に活用できる稜堡式の要塞への改修案が出されていた。
「それは構わないが来年編成予定の東方軍団が増えているようだが?」
「はっ、何でも東ナルガ河防衛軍で大規模な作戦を予定しているとかで追加で3個軍団を編成し、配置を変えて既存の軍団を防衛軍に加えたいのだとか」
「『だとか』だと?どんな作戦だ」
「す、すぐに総司令に確認してまいります」
「お前は把握していないのか。そんな計画書を議会に出すつもりか。愚か者め」
カールマーンの叱責に怯えた大臣は足早に執務室を去って行った。
「どう思う、ヴォイチェフ」
「また首を挿げ替えるつもりですか、陛下」
「反対か?」
「これで四人目ですよ。軍に動揺を与えかねません」
選帝選挙の期間中政府の要職は候補者である皇家の当主達によって占められる。
選帝が終われば彼らは自領に引き上げる為、空席となり新帝が任命するまでは省内で派閥争いが繰り広げられた。
カールマーンが即位してまずやった事は各皇家の影響が強く残る彼らを粛清することだった。
「もう四人目だったか、なら彼らも慣れてきているだろう。それに総司令はムスチスラフのまま変えていない。要塞改修を取りやめて浮いた予算で軍団を追加編成するくらいさしたる影響はなかろうが、急に予定を変えるものかな」
「確かに。個人的にムスチスラフに聞いてまいりましょうか」
「そうしてくれ。ひょっとしたらブランディーノとは違う事を言ってくるかもしれん」
ヴォイチェフもムスチスラフも北方圏出身で帝国の臣下となった職業軍人である。
若いヴォイチェフからするとムスチスラフは大先輩の英雄だった。
ヴォイチェフをムスチスラフの下へ送り、その報告を聞いてからカールマーンはブランディーノの面会を許した。
たっぷり待たされてから執務室に通されたブランディーノは大量の汗を流し、皇帝の側に控える側近たちの前で報告を行った。
「へ、陛下。実は来年は積極攻勢に出たいという意図と長年の兵役負担を鑑みて交代する部隊を増やしたいという意向がありまして。作戦の詳細につきましてはまた後日計画書を・・・」
「ああ、もうよいブランディーノ。監察隊、こやつを逮捕せよ」
「はっ」
カールマーンは待機させていた法務省所属の監察隊に大臣を逮捕させた。
「なっ、何故?」
「アドラス、罪状を読み上げてやれ」
「はい。ブランディーノは公金横領と公文書偽造の疑いがあります。東ナルガ河防衛軍に一万以上の死者が出た事を隠し、彼らの弔意金も退役兵への慰労金も横領していました」
「ちっ違う!陛下に直接仕える身でそんな馬鹿な事をするわけないだろう」
弁解するブランディーノにアドラフは向き直って断罪する。
「東ナルガ防衛軍司令は貴方の妻の実家の家系に当たるそうですね。貴方を大臣まで後押ししてくれた礼に失態を隠してやるつもりだったのですか?」
「違う、違う、違う!ムスチスラフだ!奴が隠蔽した、私は騙されていただけだ!」
「ヴォイチェフ」
カールマーンはヴォイチェフに報告をさせた。
「陛下、残念ですがムスチスラフ閣下は高齢で認知能力に障害が出ているようです。体は衰えても頭脳は明晰とのことで留任しておりましたが、会話していてもどうにも要領を得ませんでした。副官に伺うと報告書自体は速報を大臣閣下に提出されていたそうです」
「軍の象徴として彼を無理に残し過ぎたか。仕方ないな。彼も解任しよう。アドラフ、連れていけ。後は法務省に任せる」
「はっ」
◇◆◇
「陛下、東方軍はどうなさるおつもりですか?」
「東ナルガ河防衛軍司令も解任しよう、東方軍司令は調査が済むまで据え置く」
「勝敗は陛下の常といいます。一騎士である自分にとっては負ければ死あるのみという覚悟で事に望んで参りましたが、軍司令官自体に何か罪状があるとはまだ限りません」
ブランディーノが勝手にやっただけの可能性がある限り、調査もせず罪に問うべきではないとヴォイチェフは言った。軍から皇帝に対する不信を生みかねない。
「ふうむ、しかしな。このまま放置するわけにはいかん」
「前線の軍人達はムスチスラフ閣下の現状を知らないでしょう。総司令も大臣も解任され、前線指揮官まで解任されては将兵に動揺が走ります」
「では久しぶりに余が前線を視察してみるか。解任の時期はずらし、兵には余の私財から一時金を与えよう。一万以上の犠牲者が出ているのなら軍の増強はやむを得ん。東方軍を再編するかどうかは現地で決める」