第7話 死霊魔術師シャフナザロフ②
「神を殺そうと思ってね」
彼の答えは唐突でティラーノは混乱する。
「神を殺す?何故そんな話になる」
「君に理解出来るように順番に話そうとしているのに君はすぐに結論を求める。先に結論だけ気えば君は誤解してしまうというのに。君は学院でも飛び級をしていたがあれはよくないな。学院が六年制なのも意味があるのだよ?・・・まあいい。君が求める通り結論から言おうじゃないか。私は古来の神を殺し新たな神を創るのだよ。敬虔なティラーノ殿には涜神的に聞こえるかもしれないが」
「『涜神的』ではなく涜神そのものだ」
ティラーノはあまりに背徳過ぎて怒る気にもなれなかった。彼もそろそろ状況に慣れ、自分に自制するよう心掛け始めた。追放した人間が蛮族に協力している情報は生きて持ち帰らなければならない。
狂人につきあうのは癪だが、今は適当につきあってやらねば。
「私が帝国を追放されこちらに来ていくつか良かったと思った事がある」
「ほう?」
「まず一つは古代の知識に触れられた事。5000年も前、いやそれ以前神代の頃からの知識がこちらには残っている。『河向こう』ではすっかり編纂されて帝国の・・・現人類の都合がいい情報しか残っていないからね。さすがに神獣には会った事はないが、神代に争いあう神々から離反してこちらにいる事は君も知っているだろう」
「ああ、裏切者の一族だな」
「ふむ。そういう見方もあるな。私にとって裏切者とは帝国と現人類だが」
さんざん世間では非道といわれる行為を命じられて皇帝が代わり、都合が悪くなれば切り捨てられれば彼もそう言いたくはなるだろう。彼がどう弁解しようと皇帝と帝国政府の意向を前に誰も耳を貸しはしない。
「シャフナザロフ、マダ話オワラナイ?」
「御免よセラ。また明日な」
セラというヴェレスの蝙蝠女が茶を持ってきて、シャフナザロフに断られると残念そうに外に出て行った。
「彼女は今が発情期でね。困ったものだ、私はもう年寄りだというのに」
「貴様、まだ実験の為にあんな事を・・・」
「恐ろしい事を言わないでくれ。命令も無いのに私はもう誰も殺したりはしない。ちょうどいいからもう少し『蛮族』について少し語ろうか。彼らは基本的に同種の群れで暮らして財産を共有する、同盟市民連合に近い生き方かな。まあ人間社会に置き換えるのも難しいから今の例えは忘れてくれ。さて、彼らの場合種族は違っていても大抵発情期がある。無いのは現人類や兎など少数だ。彼らには何も命じない神獣と巫女に代わって社会全体を取り仕切る種族を超越した『大精霊』や『大統領』がいて掟に従っている。発情期が来ると群れ全体で交尾して夫や妻という概念を持たない」
「まさに獣だな」
「さすがに近親関係は無いがね。人間の王族にはあるが」
「ふん、スパーニアには無い」
またしてもシャフナザロフの皮肉にティラーノは舌打ちをする。
「健全で結構な事だ。さて、そういった群れだが群れの長といえども生殖能力が無くなると袋叩きになって殺されるか、追い出される。群れの拡大には邪魔だからだ。種無しは若くとも殺される。雌達も子種の無い雄に用はない。しかしそんな獣の民でも人間同様群れの掟に反発するものは出る。個体同志で愛し合って、群れで共有する事を嫌い番となって群れから離れる事もある。彼らに高度な知性と異性への愛情がある事はこれでわかるだろう。獣の民の社会が衰退しても関与しない神獣に愛想をつかす者もね。私の仲間はそういった者達だ。社会のあぶれものさ」
シャフナザロフの説明ではあぶれものも群れでも、獣の民全体に損害を与えない限りは見逃して貰えるらしい。こうして帝国の砦への攻撃にも駆り出されて協力も行っている。
「待て、今まで帝国追放刑を受けた人間は多い。ここに来たのがお前だけでは無いだろう」
「そう。まあ、深くは語らないが。君が私と共に来るなら教えてあげる事も出来るだろう」
「ふん、誰がついていくものか」
「人間社会がそんなに魅力的かな。君もグランミセルバの要塞で帝国軍がやった事を見ただろう。獣の民も疲弊している。子供の成長は早く、産んでも産んでも次々と子供達を死なせなくてはならない。彼らは現人類が思う以上に理性的だが本能は強い。帝国は効率的に獣の民を殺す為に赤子の泣く声を、習性を利用して誘き寄せる。ティラーノ殿、これが本当に貴方の望む名誉の戦いか」
シャフナザロフはティラーノの目を覗き込んで問いかけた。
「・・・人類だって苦しんでいる。北方圏では頻繁に子供が蛮族に攫われて食われている。アル・アシオン辺境伯領だって昔はそうだったと聞いている。我が子を守る為なら非道にもなろう」
「ティラーノ殿。私は貴方に聞いているのだ。貴方が振るう剣は貴方が信じる神に恥じるところは無いのか?誰が誰の子供かわからないから群れの雄達は全体で子供を守る。子を思う本能を利用して親を殺す。猟師でさえ害獣を狩るのにそんな下衆な真似はしない」
「悪事だとはわかっている。アイラカーラが私を招くのなら拒みはすまい」※1
「真の悪事とはね。自ら実行するのではなく他人に悪事を為せる事をいう。自ら行う悪事などすぐに道徳感情など麻痺して何とも思わなくなる。そんなものは陶酔だ。本当は何とも思っていないのに自分が悪人だと思い込んで哀れんでいるだけだ。蛮族戦に参加した各国の義勇兵達は皆、国へ帰れば愛する家族がいる。身を案じて待っている家族は夫がそんな悪事を為しているとは知りもしない。人類を滅亡から救う為と信じてやってきた彼らは洗脳され赤子を利用し他人の親子を引き裂いて見世物にして毎晩その死を笑いながら酒を飲むようになる。君には妻がいたね?子供はもういるのかい?帝国の兵士が君の赤子の遺骸を肥溜めに投げ込んで君を挑発している姿を思い浮かべてごらん?」
「やめろ!」
シャフナザロフは微に入り細に入りその様子が脳裏に浮かぶようティラーノに語りかけた。ティラーノにまだ子はいなかったが、もう早くマルガレーテの元へ帰りたくなってきた。帝国も蛮族もこの戦いは異常者の集まりにしか思えない。
蛮族との戦いは彼が思い描いていたような人類の生存圏を守る名誉ある戦いでは無かった。
「わかった。やめよう。つい興が乗ってしまったがこんな話をしたかったわけではないしね」
「お前は何が言いたいんだ。私はお前がどう説得しようとこれからも蛮族を殺し続ける」
内心を隠して、ティラーノは強弁する。
「何のために?もはや名誉無き戦いというのは分かった筈だ。国の為かね?兄王の為かね?」
「そうだ。私は為すべき事を為す。たとえ小悪を為そうと、それ以上に優先すべき正義がある」
「私のように国に、主君に裏切られるかもしれないよ?そもそも追放されて来たんだろう?」
「兄上も距離をおけばわかってくださる。父上が亡くなり権力基盤のもろい私達はお互い助け合って生きていくしかないのだ」
ティラーノとエルドロの父リークはエイラマンサ家出身でストラマーナ家のユアナの婿としてやってきた。リークが死んだ後にユアナが摂政太后としてエルドロを補佐したが実質的な権力者はストラマーナ大公ペルセペランである。
エルドロが王権を確立する為にはペルセペランを排除してストラマーナ家を牛耳る必要があった。
「哀れな事だ」
「余計なお世話だ。これ以上くだらない話を続けるようなら自殺といわれようと貴様を殺し蛮族共を殺しつくす」
「無抵抗の老人を殺したければ好きにするといい」
シャフナザロフは魔術師の杖も構えず両手を広げて剣を受けようと言った。
しかしティラーノは無防備な老人に、命の恩人に剣を振るう事が出来ない。
「では、君にも興味があるであろう話をしようか。神を殺すという話だったね。さて、まず神とは何だろうか」
「創造主だ。死の超越者だ。尊ぶべき天の主だ。人に温もりをもたらし、土地を与え、生きる喜びを教え、法と秩序を教え、獣性から解き放った魂の解放者だ」
ティラーノは間髪入れず答えた。
「さすが聖堂騎士団入りを志願しただけの事はある。よくそんなにすらすら出てくるものだね。死の超越者といえば亡者も死を超越している。亡者も神ということになるね」
「亡者に神性を見出すとはやはり貴様は狂っている」
「亡者を意図的に生み出すのは難しいが出来なくはなかった。旧帝都やツェレス島の結果から感染性があると思われたが、物理的には感染しない。精神汚染が問題だということが分かった。そして動き出した亡者の大半が生きていた時の本人ではないという事もね。死んだ本人が自分の遺体に再臨した時、意識を取り戻し会話すら可能だったがすぐに狂ってしまった。ま、その辺りは君には関係ない。・・・ああ、神の定義の話だったか。国によって神の定義は広くてね。ディシアでは精霊も神になぞらえるから800万はいるというし、カーシャでは3億はいるという話だ。そんなにたくさんの神の名前が載った聖典は私も見た事はないが、そんなに多いとそこらの人間や動物より神の方が多いのではないかな。道を歩けばそこら中にいそうだ。東方では風の神が何百柱いたかな」
破壊神と呼ばれるような暴風神もいれば、氷を解かす春の風、種子を運ぶ風の神など多数の神々がいた。
「不遜な教えだ。創造主たる神々に対して」
「モレスを信仰する君らしい物言いだが、太陽神は何柱いたかな」
「太陽神は一柱に決まっている、馬鹿にするな。モレスこそが原初の泥を天と地にわけ地上を御創りになったのだ」
「太陽神が一柱となったのはスクリーヴァが帝国を制した以降の話。それ以前は89柱の太陽神がいた」
「不遜な!いい加減にしないと本当に無抵抗な老人でも殺すぞ!太陽は唯一無二の存在だ!」
ティラーノは己が信ずる神を侮辱されたと思い激昂する。
とにかく自制しようとしていた彼も感情が昂った。
「神が唯一無二というその物言い、唯一信教と同じだという事に気が付いているかい?」
「・・・なんだと?」
「他人が信ずる神を否定した彼らが言った言葉と同じだよ。これでも長く生きているのでね、今の発言には聞き覚えがある」
「あんな連中と一緒にするな。私は他の神々まで否定しない」
「だが、君はまだ19歳だ。彼らの事を知らないだろう。モレスも太陽を象徴とする神々の一柱に過ぎない。神代の争いで勝者となり他の太陽神達に勝利したのが彼だ」
シャフナザロフは断言する。
「出鱈目をいうな。私が唯一信教が存在していた時代に生まれていなかったように貴様も神代の人間ではないだろう」
「そうだね。だが君も大国の王族なら神話も歴史書も帝国の意にそうよう編纂されたものだというくらいは知っているだろう。帝国の祖スクリーヴァも自分に地上の権力を与えたモレスの神群の為にそれくらいはやっただろうね。こちらの世界に残っている言い伝えでは天界は9つあったという。全ての祖はウートゥであり彼が最高天であるというのは同じだ」
「そうだ。モレスはウートゥから生まれた最初の神。右目から生まれた原初の神だ」
「そして髪から生まれたのがアナヴィスィーケだといわれているね。では左目から何の神が生まれたのだろうか。古代の人間が考えた神話だからあちこち抜け漏れがある。神学者達は後から適当な理由を造るのにさぞ骨を折った事だろうね」
ティラーノはなまじ才能があった為に、いくらかの知識は学ぶ機会もないまま成長してしまった。かねてから疑問には思っていたが彼にはやらねばならない事が多かった。彼の知識欲が災いしつい話を聞くうちに次第次第にシャフナザロフの話術に引き込まれて行っていた。
「神々を尊ぶのはいいが太陽神は唯一無二というのは危険な考えだ。いつか唯一信教と同じになってしまう。多神教も一神教になってしまうよ」
「神を殺すといっていたお前が『尊ぶのはいいが』だと?」
「勿論、尊びたまえ。この争いの時代を作った神を。犠牲式によりウートゥを殺し生贄として世界を創った彼を」
シャフナザロフはまたティラーノを挑発するようにモレスを貶めた。
「・・・何の証拠があってそんな事を言うんだ」
「これでも学者だ。文献を読み、仮説を立て検証する。それが私の人生だ。ティラーノ殿は人間が死んだらどうなると思う?」
「死ねば輪廻の輪に戻り天界で浄化され、また新たな命としてどこかに誕生する。人も動物も虫もみな同じだ」
「それも証拠はないね。さて、もう一つ質問をしよう。神官は祈りとともにマナを捧げるというがそれは何故かね」
「すべての祖はウートゥであり、マナもまた同じ。浄化された純粋なマナは原初の神と同質の存在、神々が奇跡を起こし、世界を維持し続けるのを助け、また感謝する為に捧げるのだ」
「そして神の一部として回帰されなかった汚れたマナは循環し続けるというね。君ほど罪を知り、今ここで悪を知った高潔な人間が捧げたマナであれば神々もさぞ喜ぶだろう。信仰が廃れて来たこの時代では神々も今頃弱っているのではないかな。いずれ地上を維持できなくなり乱れていくだろうね。西方も随分大きな地震が何度かあった、あれはイラートゥスの苛立ちかな」
ティラーノはそういわれると自分はともかく信仰が廃れて来た時代なのは間違いないので、地上に悪影響が出てもおかしくないと思うようになった。
「お前は神を殺すといったな。地上から神々への信仰を完全に消し去る事が目的か?それで私に神に疑いをもつように仕向けたのか」
「ふ、ふ、ふ、違う。できれば神を憎み、死後その下へ旅立つのを拒否して欲しいが、私は真実を教えるのみ。それでどう感じるかは君次第。君が信仰を続けようが続けまいが構わない。私の目的は神を殺すこと。その手段として亡者を増やす」
「それと神殺しになんの繋がりが?」
「天界へ昇るマナを現象界へ留め、循環を止める。もっとも多くのマナを持ち、地上で繁栄を築き、最大の数を誇る現人類が全て亡者となれば神も死に絶える。後に残るのは獣の民」
「やはり貴様らは人類の敵だ!」
ティラーノは断じた。
しかしシャフナザロフは否定する。
「いいや?解放者だよ。争いを好み、現人類を奴隷として奉仕させる偽りの主から解放するのだ。私は殺しはしない。死者にしばし留まって貰うだけだ。それを何世紀も積み重ね、そして我々は真の神を得る。彼は万物に隠れ、万物に偏在し、万物に内我する。彼が再び現れれば始まりの時代も終わりの時代も無い。心優しき彼を裏切り犠牲とした全ての神々が死に絶えた時、全ては彼の下へ戻る。個は全となり、全は個となるのだ。天道の支配者、魔道の支配者、万物の支配者。万物に卓絶する君臨者。万物を自在する最高天たる天魔ウートゥを復活させるのだ」
※1
アイラカーラとは地獄の女神のこと
アイラカーラに招かれるのを拒まないというのは死を、地獄に落ちる事を覚悟しているということ。