第5話 東ナルガ河防衛軍③
一年の月日が過ぎた。
休暇を貰って国へ帰る事も出来たがティラーノはそれを選ばず蛮族を狩り続けた。
冬は蛮族も活動が鈍る為に雪が積もる前に要塞へ退き、春になると戻って来て留守の間に蛮族に荒らされた砦を再建した。
蛮族との戦いに慣れない新兵は折角の砦を放棄するなんて、という。
しかし帝国の戦略では砦は囮なのだ。
占拠されて春になっても蛮族が居座るようなら万々歳。
攻城戦、会戦方式の決戦であれば帝国軍の百戦百勝。
帝国軍の持つ火力は砦ごと敵を粉砕する。蛮族が一ヵ所に固まってくれた方が助かるのだった。
ラウルは兵士達に聞かれないようティラーノに囁く。
「砦が囮なら我々も囮ですね」
「ああ。だが私が司令官でもこうするだろう」
騎士ラウル・ディアスも主君の言に頷いた。
帝国の総司令部は蛮族に勝つ気はないのだ。
目的は蛮族の支配領域拡大を防ぎ、繁殖可能な土地を増やさない事。
その為に帝国の豊富な人的資源を武器に永遠に消耗戦を続けていくのだ。
「蛮族はどの部族も群れごと前線近くまで来ているようですね」
「司令部は帝国騎士を中心とした部隊で今年は打撃を与えるべく積極攻勢を試みるのだとか。雌を殺せる時に出来るだけ多く狩れとおおせだ」
多産で成長も早い蛮族の戦力を減らすには雌を狩るのが手っ取り早い。
蛮族には戦士階級らしき存在がいるのも伺い知れたが、なにせ多様な種族があるのでどこまで人間の常識が通じるかわからない。今度の司令官は基本方針は維持しつつも敵の位置が確定できれば攻撃を躊躇わないらしい。
ティラーノも貴重な魔導騎士という事で敵の拠点が判明した際には帝国騎士と軍団の重装騎兵と共に出撃した。リーアンの有翼騎兵団も加わって騎兵隊は長躯して蛮族を襲った。
馬の鞍に竿を二本立てて羽飾りを付けた有翼騎兵団は独特の風切り音と共に進撃する。それは蛮族にとって恐ろしく見えるらしく、連中は逃げ惑った。帝国兵達は投げ縄を使って小型の蛮族を捕らえて要塞まで引きずって帰投した。
一度は逃げた蛮族も後方で統制を取り戻すと集団で仲間を助けに追いすがって来たが、もちろん帝国軍は伏兵をおいていて軍団主力がそれを囲み叩き潰し、今回の狩りは帝国の大勝利に終わった。
◇◆◇
「羊の瞳というのは実に不気味だ。そうは思わないか、ティラーノ殿」
「確かに」
帝国の司令官アルカディウスが戦果を確認し、参加した騎士達を激賞した。
彼がいうように羊人族の蛮族の瞳は一文字や十文字などで、その奇妙な瞳は人間に恐ろしく映り、大きな巻角を持った筋骨隆々の巨人は鬼人族とも言われる。
帝国は瞳の形や角の本数などで種族名をつけて分類していた。
今日彼らが捕らえたのは黒縞サフォーク族。小型で脅威度は低かった。
帝国軍の経験則では蛮族は定期的に最前線に出てくる種族を変えてくる。
肉食系や草食系の部族は共闘出来ないのだろう。
数が減りすぎた場合、ローテーションするよう蛮族の大族長みたいな者が指示を出しているのかもしれない。
帝国兵は蛮族に恨みを持つ者が多く、奇妙な瞳をくり抜いて戦利品にしたり、焼いて食って豪快さを示そうとしている者までいる。
引きずって来た雌や子供はまだ生きている者もいた。
帝国兵は要塞周辺に杭を打ちそれらを繋いだ。要塞の城壁上からの射程範囲に囮の彼らを置いて新式銃の試射を行っていた。
まだあまり銃が広まっていない東方圏には弓聖だの神弓といわれるものもいて技を競い帝国騎士も参加している。
彼らは楽しんで城壁に近づいて仲間を助け出そうとする蛮族を次々と射殺していた。
夜は囮の周辺に篝火を焚き、救出に来る蛮族を狙い撃ちにして囮もまとめて始末をつけた。ティラーノはラウルに語りかけた。
「少々惨い気もするな」
「ええ、まあ。ですが野の獣を駆除するのと同じです」
ここの羊人族は直立歩行するものの、人とはかなり容姿が遠いのがせめてもの幸いだった。囮に使われた蛮族の子供達の周囲には落とし穴があり、泣き叫ぶ子供を助けようと射殺を免れた蛮族も次から次へと飛び込んで死んでいった。
◇◆◇
新帝国歴1410年9月、ティラーノは所属している砦に戻った。
「すぐに冬が来る。今年はもう新たな作戦は無いだろう」
「今年は十分な戦果を得ましたからね。そろそろ国へお戻りになってもいいのではありませんか?」
ラウルは主君が蛮族相手の獣狩りで優れた才能を使い潰す事を残念に思った。
「いや、兄上に子供が生まれたら戻ろう。ネーヴェラ様はまだご懐妊の気配はないのか?」
「ないようですね。こちらに教えてくれないだけかもしれませんが。もしまだならそろそろ借り腹に誰か良い姫を探した方がいいのかもしれません」
「ウシャス殿は?」
「聞く限りはまだ孤立していらっしゃるようで」
「後見人も無く王に招かれる彼女も哀れだな・・・」
エイラマンサ家が後ろ盾となっているネーヴェラが王の寵愛を独占し、ウシャスを虐めているという噂が聞こえてくる。
一月が経ち、今年もそろそろかと物資をまとめて砦を引き上げる準備を進めていると偵察部隊の帰還が遅れていると報告があった。なじみのディシアの兵士もその偵察に出ていた。
ティラーノとラウルは守備隊長の命令で地図を懐に入れて姿を消した地点に向かった。アルコフリバスは砦に残り使い魔を使ってラウルと交信を行う。
鷹の目からの情報を得たアルコフリバスが二人を導いて、偵察部隊が消息を絶った場所に案内した。
そこで見慣れない足跡が入り乱れているのを発見した。
何か荷物をひきずるように北へ延びている。引きずられている最中暴れたようにも見えた。
「馬の蹄に似ているが・・・。我々が使用している種類ではない。最近人馬族の情報は聞いたか?」
「いえ。新たな部族が現れればすぐに周辺の帝国軍に共有される筈です」
「だが、どうも連れ去ったのは人馬族のようだ。引きずっているようだから捕虜にしたのかもしれない。追うぞ」
「いけません、危険です」
「ならお前は味方に知らせてこい。生きている可能性がある限り私はいく」
ラウルは自分の従士の半分をティラーノにつけて、自身は一度帰還した。
アルコフリバスの説得では魔術に疎い砦の守備隊長を信じさせることは出来なかった。従士だけ帰還させても待ち伏せにあった場合同じように捕らえられることを警戒し名の知れた騎士であるラウルが一度戻らなければならなかった。
◇◆◇
偵察部隊の後を追ったティラーノだったが案の定罠だった。
陽が沈む前には帰還したがったが、引き返す事を考えた時、丘の上に味方を発見して追わざるを得なかった。追跡した林の中で従士達は山羊頭の戦士に襲われて一人が死に、追い払う事に成功はしたがこれ以上は無理と撤収を決めた。
その帰り道で人馬族の戦士達が退路に待ち構えていた。
林の中には馬の足を引っかける為の縄が張ってあり、かつて獅子の魔獣を蹴り殺したティラーノの愛馬も罠が草むらに隠されて気が付かずティラーノもろとも転倒してしまった。
ティラーノの愛馬ラクシュは魔獣との交配を受けた猛々しい性格で起き上がると人馬族と勝手に戦闘を始めてしまった。ティラーノは囲んできた山羊頭の戦士達と徒歩で戦闘する羽目になった。
スパーニアの宝剣を与えられているティラーノも多勢に無勢で苦戦し、ある程度戦ってからティラーノは必死に走って逃げた。
ラクシュの方も既にどこかへ去ってしまっている。
(計画的な罠であれば砦から救援に来る味方も想定内だろうな)
既に日も暮れて真っ暗となり、ティラーノはくぼみに隠れて荒い息を整えている。
複数の種類の獣人が協力しているとなると隠れてもすぐに発見されてしまいそうだ。
その予想はすぐに当たった。
狼達がティラーノを発見して吠えたてる。
そしてそれらを処分する間もなく大きな地響きが聞こえる。
(厄日だな・・・)
罠だと分かっていて救出に出た報いか。
狼共は足音の主を見て尻尾を丸めて下がっていった。
「で、お前はなんだ」
ティラーノは油断なく足元にいくつか明かりの魔術装具をばらまいて起動した。
明かりの魔術が使えない訳では無いが魔導騎士が魔術を使うとかなりの苦痛を伴うので少量のマナを感応させるだけで起動できる魔術装具は便利だった。
その明かりに照らされて浮かび上がったのは直立歩行している大型の牛人族。
神話の時代の怪物か、と毒づくティラーノだった。
右手には見知った兵士を握っている。
左手には戦斧。
「た、助けてください。ティラーノさま」
兵士は恐怖に涙を流しながら泣き叫んだ。
「ああ。・・・おい貴様!彼を離して私と勝負しろ!」
蛮族にも一騎打ちの習いがあるのは聞いていた。
「断ル」
牛人族の戦士は人の言葉で拒否した後、片手の斧でティラーノを警戒したまま兵士を持ち上げて自分の角に串刺しにした。
「やったな!」
「貴様ラコソ」
蛮族の戦士は苦しむ兵士を地面に叩きつけて頭を踏みつぶして止めを刺した。
頭蓋が砕け脳漿が飛び散る嫌な音が響く。
ティラーノもこの一年あまりの戦いの中で達観し始めていた。
彼は殺されるだろうと思っていた。自分達もかなり惨たらしく蛮族を殺し過ぎた。
憎しみよりも諦観の念が強い。
<<唯一無二の輝ける神、太陽神モレスよ。この戦いを貴方の輝きで照らし見守り給え>>
ティラーノの祈りによって彼が持つストラマーナ家の宝剣が強く光り輝いた。
やや眩しすぎたのでティラーノは剣を後ろに構えて蛮族と相対する。
彼の持つ剣は火晶石の様に太陽の光を浴びると強力な熱を発する。今は夜なのでモレスの神術によって力を得ていた。
蛮族の方も両手に斧を構え直した。
勝負は一瞬。
優れた魔導騎士であるティラーノの一撃は戦斧を砕いた。
しかしながら巨大な戦斧を全て破壊して断ち切るには及ばず、動きが止まり蛮族はティラーノを掴んだ。先ほどの兵士のように潰されてしまう寸前だ。
「オ前ノ負ケ」
「それはどうかな」
ティラーノは魔力を魔石に流し込み、全力を注いで蛮族の手を跳ねのけ、未だディシアの兵士の血がしたたる角を掴んで蛮族の額に膝打ちをお見舞いしてやった。
ティラーノは宝剣を拾い上げて蛮族の首を刎ねようと振るったが角に弾かれた。
蛮族の角の方も一撃で砕け、牛人族の戦士は激痛にのたうちまわる。
「喚くな、死ね」
「ダマレ!」
蛮族は片手で地面をさらって石礫をティラーノに浴びせ、距離を取った。
「ちっ、下らん真似を」
しかし時間稼ぎには有効で、視界が戻った時、ティラーノは蛮族に取り囲まれていた。山羊頭の戦士も人馬族も他の牛人族もいる。
さすがのティラーノも十重二十重と取り囲まれては命が無い。
「まあいいか。私が生きていても国が荒れる元となっただけ。せいぜいあの世への道ずれに多くの獣を殺してスパーニアの名を高めてやろう。さあ、貴様らにモレスの神剣を受ける栄誉を与えてやる」
ティラーノは無我の境地で剣を構えるも、蛮族の包囲を割って熊の毛皮を被った人間が現れた。
その男の顔は獣人ではなくただの人のようだった。しかし、靴も履いておらず、下着もつけていない、頭に毛はなく、首から爪に糸を通した飾りを付けていた。
彼は言う。
「ふむ。死にたいなら私の実験に付き合ってくれないかね?」
「シャフナザロフ!」
大きな牛人の蛮族が毛皮の男に吠えた。
「引くがいい。ブリトゥ。ここは私が預かろう」