第4話 東ナルガ河防衛軍②
途中に寄ったグランドーン、グランミセルバ要塞の兵士達はそれほど深刻には見えなかったのでベリサールは先任らしく若者を脅してみせただけかとティラーノは考えていた。
だが、砦に着くと守備兵達は明らかに安堵した様子で彼らを大歓迎した。
守備兵の構成は帝国正規軍が3割ほどで残りは各国の義勇軍だった。
砦の部隊は3000名ほどだが、定員をかなり割り込んでいたらしくティラーノ達の部隊が補充された事で一気に回復したようだ。
最初の任務は砦の補強。
ここは最前線なので魔術師が配置されておらず、作業は全て人力だった。
いちおうアルコフリバス老師がティラーノの側に控えているが、さすがに高名な老魔術師に雑用はさせられない。
砦の守備隊長や工事監督はスパーニア兵に到着してすぐに働かせ始めた。
「手抜きをするな!命が惜しければな。夜の襲撃から身を守ってくれるのは頑丈な砦だけだ。自分の鎧の手入れだと思って励め!」
早速の肉体労働でスパーニア兵が夜になってくたくたになると当番の兵士が食事を用意してくれていた。幸い食料と水は豊富だった。
土木工学技術を誇る帝国はナルガ河から引き込んで砦にも水道を完備している。
グランドーンの付近には造船所さえあり河上には大砲を積んだ戦艦までいる。
「隊長、ここの暮らしは厳しいのか?」
「ええ、楽な前線などありませんよ。殿下も自国ではどのような立場であれここでは1000人隊長、一大隊の長でしかありません。私の指揮下に入って頂きます」
「承知している」
ティラーノは初日の夕食は守備隊長と歓談し翌日以降は兵卒たちと食事を共にして帝国軍の兵士からも各国義勇兵からも話を聞いた。
最初のうちはなかなか打ち解けてくれなかったが偵察任務を共にしている内に親しくなり率直な意見も聞けるようになってきた。
「以前、休暇でエイムバルクまで戻った時なんですがね?ああエイムバルクはアル・アシオン辺境伯の都です。ティラーノ様ならご存じですか、そりゃそうですよね。で、あの都に行った時驚きましたよ。前線の話題なんかちぃっともない。みんな新帝即位のお祝いで大騒ぎ」
「当たり前だ。辺境伯は選帝侯なんだぞ」
ディシア王国の兵士の愚痴に帝国軍の兵士が慰めるようにいう。
「休暇が貰えるだけいいじゃないか。俺なんか新婚早々なのに前線送りだ。嫁さんは俺より10も年上でな、五回も再婚してる。隊長には滅多に休暇を貰えないし、俺が退役するころには婆さんになっちまうぜ」
「なんでそんなのと結婚したんですか」
「出世の為だ。どうせ軍人になるなら出世したい。嫁さんの親父は軍団の会計係でな」
夜に食事が済んだ後は見張り以外めいめいに過ごしている。大隊長の一人でさえ今は焚火を囲み徴兵された市民達とそれなりに楽しくやっていた。
一方でディシアの兵士のようにひたすら暗く愚痴り続けているものもいる。
「ここ最前線には何十万という兵士がいるんですよ?毎年あちこちで死者が出ているんです。夜にヴェレスの連中に誘惑されて出て行った奴が朝になるとばらばらになってるんだ。探しに行くと森の中で素っ裸で凍死しているんです。偵察中に蛮族に襲われて泥沼に逃げ込んで必死に息を潜めて生き延びた事もある。ルカとステファンは俺の前で底なし沼に嵌っちまった。助けてくれ、助けてくれってあいつらの恐怖の悲鳴がずっと木霊してるんです」
苦しみぬいて恐怖の中、故郷から遠く離れて寂しく死んでいく兵士が出る中で、王様一人代替わりしたのがそんなに大きな話題かよって兵士は泣いていた。
そう聞くとティラーノにも胸に何かこみあげてくる妙な・・・不気味な感情があった。
兄王は美姫を二人も抱えて権力の絶頂にあり、その弟は最前線で汗を流して土木工事をしているのだ。帝国の兵士はそれでも最前線に留まるお前は立派だと彼を讃えていた。
「ところでヴェレスとはなんだ?」
「ああ、美人揃いの蛮族ですよ。蝙蝠みたいな羽と二本の角を持った蝙蝠人族の連中です。蛮族は大雑把に分類していますが、普通の動物みたいにいろんな系統があるんです。ま、細かい呼称は学者に任せてうちらが知ってればいいのはどんな能力を持っているのかってこと。ヴェレス族は小柄で魔術が得意みたいでしてね。以前は夜にたまるものがたまっちまった兵士を誘惑して外に誘い出してたもんです。六本角の奴はエイラボースといって大型で結構力も強いですが魔術も使う危険な奴です」
沈んでいるディシアの兵士に代わって帝国兵が説明した。
現在は夜間に砦の外に出ないようにしているし、見張りは一人にならないようにしているので被害は減ったが帝国軍の行動範囲は狭まっていた。
「もう何のための砦を維持しているのかわかりませんけどね。グランドーンやミセルバ、ブリアルモンさえ守備出来ていればいいんじゃないですかね」
他の兵士も会話に加わって来た。
「いや、それは違う。こうした砦がなければ蛮族はいつの間にかナルガ河を越えて人類圏に浸透してくる。むしろ要塞より砦の方が重要だ。もしいつの間にか奥地にまで入ってこられれば家族が危険にさらされるんだぞ。蛮族共に子供が殺されて女房が蛮族の仔を孕むサマをみたいか?」
帝国の士官はさすがに砦の重要性を訴えた。
「そりゃそうですがね。でもこんな小さな砦じゃ連中が本気で襲ってきた時が怖いんですよ」
「そういう時は要塞に大軍が控えている。すぐに救援に駆けつけてくれる」
「でも旦那だって安全な要塞でふんぞり返ってるお偉方を恨めしく思っているんじゃないんですかい?」
「いうな、馬鹿め」
生死を共にしているだけあって義勇兵と帝国の士官は互いに冗談を言い合える仲のようだ。ただ冗談が行き過ぎたのか本気なのかヴェレスの女と夜を共にしたいとか放言した男は獣姦好きかこの背教者め、と袋叩きにあっていた。
いくら信仰が廃れつつある世の中とはいえ、神々から離反した神獣を崇める蛮族との交尾は嫌悪されていた。
ティラーノはそれが事前にどんな姿なのか知っておきたかった。
ブリアルモンで映像でも無いか探してみればよかったかもしれない。
彼は訓練や蛮族知識の講習が免除されていたが、三年でマグナウラ院を卒業してしまった為、一部の知識が欠落していた。かえってブリアルモンで教育を受けた雑兵の方が詳しいかもしれない。
「どんな容姿かって・・・?そうですね。基本的にほとんど裸ですから飢えた兵士には目の毒ですね。鳥人系も、蛮族達は大体そうです。服や鎧という概念はあるようで。着こんでるのもいますがね。なまじ人間に近い容姿を持っていると厄介ですね。寒い土地ですからだいたいの蛮族は毛深いもんですが、ヴェレスは毛はほとんど無いように見えます。皮膚は黒か紺色で背中ほど濃くて甲殻的な感じがするつやつやした肌ですね。体は柔らかくて柔軟っぽいです。顔立ちは人間と大差なくて確かに美人なのがむかつきますね。抱くのはともかくあいつらに騙されて殺された味方の代わりに苦しませてから殺してやりたい」
蛮族は身体能力が高く人間にとって予想外の動きをする為、帝国軍は密集隊形で協力して戦いに臨んだ。1対1では勝ち目がなくとも1000対1000であれば帝国軍は割と一般兵でも蛮族と対等以上に戦う事が出来た。
「だから孤立させてから殺すのか」
「いや、あいつらはさんざん期待させてから地獄に突き落とすのが楽しくてやってるんですよ。邪悪な連中なんです。馬鹿な奴ほど簡単に騙されてついていく」
◇◆◇
ティラーノは夜の見張り任務も無いので割と暇な事が多く、妻に手紙を書くか退屈しのぎと部隊の親交を深める為にも自主的に見回りに出る事もあった。
新婚だというのに出征する事になってしまい、ティラーノはマルガレーテを慰める為、よく手紙を書いた。
部隊の兵士達はティラーノ達が来たことでようやく休暇を取れると喜ぶものも多く、皆好意的だった。休暇を取る者が増え、近隣にフランデアン隊も到着しさらにこの北岸17砦一帯は増強された。
仲の悪い国同士は任地を分けられる事もあるが、スパーニアの場合リーアンとパスカルフローくらいしか険悪な関係の国は無かったのでここは多くの人種がいる。
兵士達の前の職種も様々で神官として兵士を慰め共に戦う為にやってきた南方の男、法律家だった西方の男、パン屋だった東方の男もいた。
ティラーノと親しいディシアの男は今日も陰気だったので、一団は慰め何か楽しい話を、と新入りに振った。
新入りの西方の法律家は話を断って一言。
「時は金なり。時間の無駄ですよ。無駄話をするより蛮族の心臓に槍を突きさす訓練でもした方がいい、それで戦利品を持ち帰ってひと財産築くんです」
神官が反論する。
「ウィッデンプーセはおっしゃいました。失われた財産は取り戻せても失われた時は戻らない、と。鍛錬をするのはいいですが、時の価値を金に例えて欲しくないものですね」
ウィッデンプーセとは時の神で魔を祓う鐘を象徴とした聖印が伝えられている。
帝国の諸都市では大きな時計があちこちに設置されているが、蛮族との前線では今も時を知らせるのにウィッデンプーセの鐘を使う。
「失礼。ですが楽しい話に心当たりはありません。パン屋さんは何かありませんか?」
「俺も暗い話ばっかりさ。粉引き屋に小麦を騙し取られて店も潰れちまった」
「これは済みません。お詫びに私物の酒でも振舞いましょう」
「いいのか?」
「我々は見張りじゃありませんし、ちょっとくらいいいでしょう」
軍規に違反してはいたが、ティラーノは見て見ぬフリをした。