第3話 東ナルガ河防衛軍
新帝国歴1408年、ティラーノはアル・アシオン辺境伯領の要塞都市ブリアルモンに駐屯して対蛮族戦に加わる準備をしていた。
少年時代のティラーノを王とすべく後援していたメリベア公とナルダラ公は見送りにもこなかった。国民が苦しんでいても兄に従順な彼をとうとう見限ったのだった。
大国の王族であり、マグナウラ院で軍事学を学び演習にも参加した事があるティラーノは訓練を免除されていたが、彼と共にエルドロに派遣された兵士はかなり過酷な訓練を受けていた。エルドロに追放されるような形で出国したといっても王弟であり形式を整える為に1000人ほど部下をつけられたが、人望の高いティラーノの為にと1000人を超えて大勢が志願した為人数を制限しなければならなかった。
ティラーノは側近として騎士ラウル・ディアスとアルコフリバス師を供につけた。
アルコフリバスは魔術師であり太陽神に使える神官でもあった。
彼はスパーニア史において120年前から登場する魔導生命工学の大家として有名な大魔術師でありティラーノをたった三年でマグナウラ院を卒業するほどにまで育て上げた教育者でもあった。彼はラウルが使役する鷹を産まれる前から使い魔として調教し育て上げて遠距離間の交信も可能とした。
そんな彼らが所属する軍団は意思疎通の為に帝国の共通語を標準語として義勇兵にも学ばせており、命令の理解が遅れるとすぐに鉄拳が飛んでくる。
ティラーノ達は一通り最低限の訓練を受けた後、東ナルガ河防衛軍団に組み込まれた。東ナルガ河防衛軍団は帝国軍の東方方面軍のうち8個軍団を占める軍集団だった。
総司令部はセオフィロス橋の南側にあるグランドーンにあり、最前線は東方軍が守備して地元のアル・アシオン辺境伯の部隊はそれを支援している。
◇◆◇
ティラーノの下へもともと蛮族との戦いで派遣されていた正規のスパーニア軍団から将軍ベリサールがやってきた。
「殿下、何を見ておいでですか?」
「あの映像をな」
ティラーノの部下達が見ている映像は帝国の魔術師が収録して編集したものだった。勇ましい音楽と共に帝国軍が蛮族を蹂躙していく映像が流れた。その後は蛮族が捕らえた人間を砦の前に並べて杭に打ち付けて処刑したり、兵士達が生きたまま貪られる凄惨な映像が続いた。兵士達は眼を逸らしながらも蛮族への憎しみを強くしている。
「士気が落ちないよう勇ましいものを最初に見せたのだろうが、あれは本物の映像か?ベリサール」
「勿論本物です。よくある事ですよ。あんなに金をかけて見せてやらなくてもすぐに自分の目で確かめる事になるでしょうに。或いは自分の体で」
スパーニアは万単位の軍勢を毎年のように送って交代させていたが、ベルサールは長年蛮族戦線に留まっている。
「短期間で交代させるのは精神を病むからか」
「そうですね。従属国の軍団には特に危険な役目を与えられますから」
「ベリサールは何年目だ?」
「三年目ですが、何か」
「お前もそろそろ帰還した方がいいんじゃないか?」
ティラーノは凄惨な映像を見ても無感動な彼を慮った。
「私を庶民の雑兵と一緒にしないで頂きたい。こちらに参戦する前にも目の前で領民を魔獣に食われた事はありますし、ペルセペラン様の命でエイラマンサ家の一族を粛清した時は彼らの赤子をもこの手で殺しました。蛮族であろうとなかろうと惨い仕打ちなど世の常というものです」
「そうか・・・」
「おっと済みません。殿下には正道を歩んで頂きたいので聞かなかった事に」
「お前こそ私を馬鹿にするな。そんな世であるからこそ正しい天道を歩みたいと心掛けているのだ。言われなくてもそんな世であることくらいは承知している」
「これはご無礼を」
ベリサールが去り、ティラーノ達は訓練が始まった部下達を見守った。
訓練内容は帝国兵と同様に大盾を構えて死角を無くし、味方を守り合い、槍で蛮族を突き殺す戦い方だ。その訓練で一人だけついていけていない大男がいた。
「ガルガンチュアか。あの巨体では軍団歩兵にはなれないな」
ガルガンチュアはラウルと同郷の男で、大飯喰らいで他人の倍ほども横も縦も大きくなった。家が破産するほどの美食家でもあったが、父母からは愛されて大人にまで成長した。
父母が死ぬと彼の兄はすぐにガルガンチュアを追い出した為、ラウルが引き取って自分の部下としていた。そして兄に追放されたティラーノに思う所があり、ラウルと共にティラーノに従ってやってきた。
「あれも多少は魔力を持つ男、アルコフリバス師に頼んで魔石を手に入れたら騎士にしてやってくれませんか?」
「秘薬を購入する資産を兄に差し押さえられた。ただの腕力自慢なだけの戦士は魔導騎士と呼べない。彼も恥をかくだけだ」
「学ばせます。彼にあう鎧をみつくろうのは難しいですが、魔獣の革鎧でもこさえてやりますよ。秘薬や魔剣はまあ・・・金が出来てからでも」
「何にせよ、将来の話だ」
ガルガンチュアは片手の槍を捨てて両手で大盾を持って戦列に加わり始めていた。
騎士達は多様な武器を使うが両手に盾を持つ騎士はさすがにいない。
アルコフリバスがそれをみて実に合理的だとガルガンチュアの創意工夫を褒め称えた。
◇◆◇
ブリアルモンは要塞都市なのでもともと軍務に関わる者しかいなかったが、戦利品を買い取る商人が大陸中から集まる内に住人も増えた。
いざという時は強制退去を受け入れる事が条件である。
兵士達の中にも革細工職人や鍛冶屋出身の者などは基地の設備を利用し前線勤務中に素材を加工してかなりの小遣いを稼いでいる。時折希少な魔獣の牙や毛皮も取れ、魔導騎士や魔術師が必要とする魔石も集める事が出来た。
活気ある都市で士気も高まり、ティラーノが率いる1000名ほどの部隊は訓練を終えて意気揚々とブリアルモンを出た。
各国の義勇兵も自国の旗を誇り高く靡かせて、帝国の軍楽隊と共に靴音高く行進していた。若者達は自分達が人類を守る盾であり剣であるという気概を持ち、熱狂的で行進速度が速すぎるほどであった。
人類の生存圏を守り、家族を捕食し、時には犯す邪悪な獣人達を大地から抹殺すると宿営地では毎晩遅くまで歌って士気を上げていった。白の街道を逆に戻って来る傷ついた友軍はまったく目に入っていなかった。
「ラウル。帝国の士官から速度を落とすよう指示があった。部隊の速度を監督しろ」
「は、申し訳ありません」
「私も軍を率いるのは始めてだ。お前が頼みなのだからよろしく頼むぞ」
「お任せを」
ティラーノは魔導騎士を一人だけ選んで連れて行って良いと許可を貰い、内戦で活躍したストラマーナの騎士ラウル・ディアスを選んだ。スパーニア王国が内海で唯一保持し続けている島出身の騎士で使い魔を連れて行る事から『鷹の騎士』の異名を持つ。ティラーノも太陽神の神殿参り中に何度も遭遇した事から交友関係があり、信仰を共にする同志として信頼していた。
ラウルは重装が当たり前の魔導騎士の中で珍しく軽装を好んでいた。
ティラーノが知る限り他に軽装の魔導騎士はゾロくらいなものだった。
◇◆◇
1409年の新規配属部隊はグランドーンに入り、改めて訓練を受けた後セオフィロス橋を渡り北岸の砦に配属された。
長大な東ナルガ河にはあちこちに要塞が建設され、帝国軍団が駐留し要塞の近くに小規模な砦が点在していた。ティラーノの部隊はその砦の一つが任地だった。
スパーニアの正規軍は橋を抑える北岸のグランミセルバ要塞勤務でベリサールはそちらへ戻った。最後に意気軒高なスパーニアの新兵に一言だけ残して。
「帝国の将軍は蛮族は豚のように屠殺されるのを待っているとか、敵は狼のように狡猾だとかいうが本当に狡猾な狐は身近にいるという事を忘れないように」
友軍を警戒しろというベリサールの言葉は熱狂する若者達の耳に入らなかった。